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しおりを挟む「ちょっと付き合わねえ?」
だったらこれは魔法使いとかぼちゃの馬車なのだろうか。清潔なハンカチを膝にあて、かるく止血してから大石はいのりを助手席にみちびく。荷物は後部座席に載せ、最後に靴を拾って、ゆっくりと発車する。
窓の外を見るふりで外方を向いているともう一枚、別のハンカチが鼻先に差し出される。何もしないでいると頬をやさしく拭かれた。
「あのときは泣かなかったよな、お前」
「……忘れました」
教えていない所為かとも思ったがアパートとは逆方向に、都心へ近づいていく。やがて高級店ばかり立ち並ぶ通りでチケットを買って車を停めると、名前も読めない店に手を曳かれて入った。すぐに感じのいい笑顔を浮かべた女性店員が寄ってきて「いらっしゃいませ、大石様」と言ったのでびっくりした。
「彼女に黒のパンプスを」
「かしこまりました。あの、差し出がましいようですがお怪我の手当てをさせていただいても」
「あっいいです大丈夫です、」
「よろしく頼む」
「こちらへどうぞ」
と言って靴屋なのに、何故か洋服の試着をするような広いフィッティングルームがあってそこに連れていかれた。カーテンを閉められ「こちらで新しい物をご用意しますのでストッキングをお脱ぎになられてください」と言われ、なるほどと納得する。「こちらは処分してよろしいでしょうか」と尋ねられたのでハンカチは返してもらい、ストッキングは捨ててもらう。
スカートの裾に血がつかないようすこしだけ持ち上げるときもいちいち「失礼します」と声をかけてくる教育の徹底ぶり。一流店は店員も一流のようだった。やっつけ仕事の学生アルバイトとは全然違う。ホテルマンのようだ。
丁寧に擦り傷を繕ったあと、足首の異常にも歩き方で気づいていたのかベージュの湿布薬を貼ってくれた。新しいストッキングを履き、サンダルのような店内履きに足を通す。案内されたソファでは大石が先に座っていた。肘掛けにもたれ、脚を組んで、まるでリビング状態だ。
いのりも隣に腰を下ろすと先程の店員がいのりの足を素早く採寸し、別の店員が持ってきたいくつかの箱を検めてひとつを選んで、中身を足元に並べる。何の変哲もない黒いパンプスに見えたが履くとまるで違うのがいのりにさえわかった。
「ほー……」
「何だそりゃ」
珍しい反応なのか店員まで笑っている。それとなく探したのだが何回見ても値札がついていなかった。恐ろしすぎて、最高の履き心地もすぐにどこかへ飛んでしまう。
「いかがでしょうか」
「あ、あの」
「どうなんだよ」
「え、ええ、ぴったりですけど……」
「じゃあこれで」
と、大石がカードを渡し店員が一礼して奥へ入っていく。これで値段を知る機会は永遠になくなってしまった。いっそ訊こうかと思ったが結局タイミングを逃して新しい靴を履いて、気づいたら店から出ていた。
食事の誘いは丁重にお断りして当初の目的通り家まで送り届けてもらう。人心地つくと足首が痛くなってきて、明日からしばらく憂鬱な日々になりそうだ。ため息をすると大石が「元気出せよ」と言う。やさしい彼氏みたいな、ここへきてどうして100点の台詞を寄越してくるのか、気味が悪かった。
「……あ、靴のお金」
「いいよ。プレゼントする」
「イヤそんなことされても何も返せないんで」
絶世の美女でもなければ話術のスペシャリストでもない。況してや風俗嬢でもホステスでも。財布を取りだそうとしたいのりの手を、ハンドルから放した大石の右手がそっと押さえ込んだ。「12万だから」と、前を見たまま言う。
「は、……えっ、ちょ、なん……っ戻ってください!」
「できれば恥かかせないでほしいんだけど」
「そんなの知ったこっちゃありません」
「だから、俺が連れてったんだし最初っから俺が払うつもりだったわけ。お前は何も聞かなかったことにして、ただ履いてくれればそれでいいから」
「――……」
ほんとうに、ガラスの靴だ。
値段を聞く前から思っていた、優美なフォルムに大きすぎず小さすぎずぴったり足のかたちに沿う内側のつくり、疲れにくいちょうどいいかたさの中敷き。どうりで、いつもの靴が40足買えるだけのことはある。
「履ければ何でもいいのに、こんな物にそんな大金払って馬鹿みたい」
「いい物のほうが壊れにくいんだよ」
「そんなにお金捨てたけりゃ、寄付でもなんでもすればいんですよ」
大体家に帰ればおなじ物がもう一足あったのだ。できるかぎり綺麗に履いて、明日にでも返しにいこうと思って箱をもらわなかったことに気づいてガックリと項垂れる。レシートもない。
痛みも忘れるほど怒っていたいのりはようやく、車が路肩に停まってちっとも動いていないのに気が付いて運転手をにらみつけた。
「早く帰りたいんですけど」
「……まいったな」
「何? まさかガス欠」
「あの店の靴贈ってキレられたの初めてだわ」
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