幾星霜

ゆれ

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 連絡先など教えなくても端から知っていたのかもしれない。もうどうでも良い、アパートに帰ろう。今日は散財してばかりの最悪な日だ。癒されるつもりが、元気をもらうつもりがぺしゃんこになっていのりは、とぼとぼ歩く。人けがないのをいいことに涙まで出てきた。おまけに寒い。

 足が連れていったのは、懐かしい通学路だった。半ばぐらいで土手に出る。川は黒々と流れ、月明かりにきらきら光っている。何度か大石とも一緒に帰った。他の殆どは、一人で帰った。

 八年越しにおなじことをして、進歩のない自分に呆れかえる。選ぶ立場になった筈なのにまた選ばれている。否、選ばれなかった。一度底を見たと思ったのに、どうしてこう何度も叩き落とされるのか。いつまでも地べたに這いつくばって、泥だらけで、惨めで、姉を羨んでばかりで。

 膝を抱えてちいさくなる。安いパンプスの、すり減った踵をじっとみつめる。今日だけで二足は買える出費だった。家には帰りたくないが泊めてくれるあてもない。高校生ではないのだ、地元の友達も、まず数がすくないうえにみんな音信不通だった。実家に押し掛けたところで無駄足になるのは火を見るより明らかだ。

「……野宿かな」

 でも寒い。立て続けに三回もくしゃみが出て鼻を啜っていると、ルルルルンとくぐもった音が聞こえた。

 黒くて四角い、TPOを選ばないが流行でもないバッグを漁ってスマホを取り出すと覗いてみる。着信は姉からだ。正直、今一番話したくない相手だったが無視するわけにはいかないので出る。

『あ、いのりちゃん? 急にごめんなさいね。今だいじょうぶ?』
「はい」
『あのね、私、赤ちゃんができたって』
「……へ」
『二人目を授かったのよ』
「――」

 それは、さっきの。

 喜びに高揚したあそびの言うことには、今日突然、高校時代の後輩が訪ねてきてすこし話をした。すると帰り際、かれを送りに出た途端急に気分が悪くなって病院に連れていってもらうと内科から産婦人科に回されて、判明したのだという。

『いのりちゃんのこと話してたからかしら、一番につたえたかったの』
「え、お義兄さんじゃないんだ」
『だってもう帰ってくるもの。ふふ、きっとびっくりするわね』
「うん」

 おめでとうとやっと言って、立ち上がる。「今お外?」と尋ねられ「うちに帰るところ」と答えた。嘘ではない。男の子か女の子か判ったら教えてほしいと頼んでおいた。お祝いを考えなければならない。生活苦をきっと知らないわけではない姉は「気を遣わないで」と添えてくれたが、それは無駄な出費ではないので「大丈夫」と答えておいた。

 やがて義兄が帰ってきたらしく、「また連絡するわね」と弾んだ声で通話は締め括られた。愛する人に愛され、可愛い子どもにも恵まれて、一年後の住むところや食べるものを気にせず生きられることが妬ましいほど羨ましかった。疲れているときに考え事をして、前に向いたためしなどないのにやめられない。止まらない。

 財布の中を見ると憂鬱は増した。週末なので途中まで電車で引き返し、あとは歩くことに決める。節約しなければ、ただでさえ、揺り返しの痛恨にボコボコにされて歩みはさらにのろのろと遅くなった。

 何を話したのだろう。ずっとあなたが好きでしたとか、言ったんだろうか。自分の話題などただの掴みだったに違いない。いのりは大石と付き合うことになったとき、姉に報告しなかった。もっと長く続いていたら紹介もしたのだろうが、あの有り様だったのでしなくてよかったと未だに思っている。人生における唯一と言っていいファインプレーかもしれなかった。

「好きだったなぁ……」

 わらう顔は滅多に拝めなかったが友達に囲まれているとき、たまに見せるうっすらとしたほほ笑みが好きだった。胸が熱くなった。どきどきして、夜眠る前に思い出してはゴロゴロと布団の中でのた打ち回っていた。彼女にしてもらえた日など本当に眠れなくて翌日大石に目の下のくまを心配されたぐらいだった。

 蓋をして、何重にも鎖で厳重に封をしていたやさしい思い出を詰めた箱はいとも簡単に開いてしまった。きれいなものを見て、おいしいものを食べて、揃いの記憶をいくつも共有するつもりだった。キスも、その先も、この人と知るのだと信じ切っていた。幼かった。

 別れてから好きになったと大石は言った。ということは、やっぱり付き合う前は何とも想われていなかったのだ。いいよと言ったあの瞬間も、大石はいのりの肩越しに自分の想い人だけを見ていた。
 
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