寿命が来るまでお元気で

ゆれ

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 正直なところ半死半生で何もわからなかったのだ。天寿に逆らう気はないと告げた覚えは辛うじてあったが、その先は曖昧で、気が付けばもうつがいになっていた。一生食い物にしてやると精気を奪われ続けて、しかしその割に来良自身もどんどん回復していったので何か変だとは思っていたけれど。
 どういうつもりなのだろう。殺しても殺し足りないくらい憎悪を向けられていたのに。一生嬲り者にする気だというならそうかと納得もするが、一度はたしかに命の火を消そうとしていたのだ。他に目的があって生かしているのだろう。

「でも別に、いつでも殺せるんだろ」
「それはそうだけど、そうしたところで特にこっちに得があるわけでもないんだよね。むしろおいしい食事ができなくなっちゃう」
「……なるほどな」

 所詮あやかしにとっては人間などその程度の存在だと、知らしめるような物言いに来良はしかし傷ついて、そんな自分のめでたさに乾いた笑いを洩らした。あれだけ何度も肌を合わせて何かが芽生えるのは愚かな人間だけなのだろう。あやかしにはただの食糧でしかない。あるじと言いながら朱炎が来良を敬ってくれたことなど一度もない。
 わかっていたのに。悲しい気持ちに胸をきりきり締めつけられる。

「痛ってぇ」

 傷ついたから。
 それにしてはえらく具体的な、発生源の明らかな痛みが腹の中から急に起こった。

「何だこれ……」
「ちょ、にいちゃん!?」
「っ先生!」

 うずくまった長身を支えながら新良が居待月を呼ぶ。しかしそれより早く駆け寄ったのは朱炎だった。青褪めた来良の頬を撫ぜ、背中をさする。先刻と違い間近で見る白い妖狐の輝くような麗しさに新良は瞬きも忘れて見蕩れていた。
 ばくん、と心臓がひときわ大きく拍動する。痛みに呻いて双眸を閉じる。ふっとあえかな息をひとつ吐いて来良は静かになった。

「来良?」
「にいちゃん!」

 呼吸の素振りがないのに緊迫したのも束の間だった。
 朱炎と冬青、黄麻、そして新良は気配を察知して顔を上げる。あまりにも強大なあやかしの気配だ。竹林やさらにその周辺に潜んでいた動物達が逃げていく。

「い、てえ……」
「まさかこれ、兄様なんですか?!」

 支えてくれる手をとり、ゆっくりと身体を起こしていく。頭がくらくらした。平衡感覚がわからず揺らいだ来良を朱炎が抱きとめる。その時、驚いたような顔をしたのを幸良は見逃さなかった。何も考えず兄に手を触れる。

「あっにいちゃんあったかくなってる!!」
「そうなのか?」

 特に意味はないが手を結んだりひらいたり繰り返す。胎内の熱さが消えている。というか今は、血のめぐりに沿って分散され全身へと届けられて力が漲っているように感じられた。
 徐に濡れ縁へと出る。身体が憶えている印を目にも止まらぬ速さで結ぶと、ドォンと爆音が響き白煙が石庭を満たした。

「……門が」
「開いた……」

 来良は青く神々しいその姿を確認すると、いきなり振り向いて斥力を発した。その先にいた朱炎が妖気でバチッと相殺する。勿論わざとだ。こんなものでやりたい放題された気が済むわけでは到底なかったが、一応溜飲は下がった。べ、と舌を出してみせると秀麗な美貌は上等だと言わんばかりに口角を引き上げる。
 どうやら一時的に使えなくなっていた力が変容する胎動を感じていたらしい。そうならそうと教えてくれればいいものを、いまさら遅すぎるがとんでもない恥辱の数々に改めてわなわな拳を震わせる。耳まで真っ赤になった来良の内面を唯一つぶさに感じ取れた朱炎は、一変してニヤニヤと下卑た笑みを張り付けた。訊いた自分が馬鹿だったのだろうか。

「すげえなこれ」

 まえよりもっと、強大な力を感じる。門も問題なく開けた。法力も斥力も使える。それに、あやかしに気配をさぐられているということは、恐らく妖力すらも。

「あ、そうだにいちゃん」
「ん」

 幸良に五六八を渡され馴染んだ仕種で抜刀しようとした。
 しかしこれが、びくともしない。

「ダメだわこれ抜けねぇ」
「マジ?」
「てか何か……やな感じする」
「えっ」

 足元に叩きつけてしまうまえに速やかに幸良に返却する。反応がまるで黄麻とおなじで、これは、と新良が眉間に深くしわを寄せた。

「兄様、もしかしてあやかしになってしまわれたのでは……?」
「ええ?! そんなことある???」
「うーん……」

 黄麻の指摘どおり契約を結んだのだとして、朱炎が死ぬまで寿命が延びたのは理解できた。しかしその際あやかしへと転生するとは彼は言わなかった。あやかし化してしまったら精気が得られない。本末転倒だろう。
 完全に変容したら法力と斥力は使えなくなっている筈だ。強いて言うなら半分人間半分あやかし、になったのだろうか。いずれにせよ本来の役割を果たすことはできそうで、ならばと来良は天を見上げた。

 たとえ目的があったとしても、情などなくとも、命を与えてもらったことに変わりはない。口許に揃えた人差し指と中指を宛がい呪文を詠唱する。長い長い呪文だった。来良は何度も息を継いだし新良は聞いたことのない文言に眉をひそめた。その間、一度として瞬きをせず空の向こう側を睨みつけ、目を凝らして、ようやく見つけたというようにカッと双眸を瞠る。
 
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