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諸戀
02
しおりを挟む今は旅の道中で、これから旅籠に泊まるのだと知るとそこまで同道したいと言う。まだどこかは決めてなかったので、適当に町を歩いて飲食街も近くにある一軒に決めた。部屋を見て朱炎が気に入ればここに泊まる。
「また会えるかしら」
「まあ、こっちにいる間は」
そういうこともあるかもな、という後半はやたら早口に答える。朱炎がどういう心情なのかはさっぱりだ。目が合っても弾かれたように逸らしてしまう。
「……じゃあ俺は先に休んでるから」
一応気を遣ったつもりで颯爽と退場し、下男の用意してくれた水で足を洗って部屋へ移動する。雛罌粟はべったりと朱炎にくっつくように距離を詰めて愉しげに談笑していた。他の客も宿の者も身を乗り出す勢いで美女の挙動を窺っている。母子ではありませんようにと気が変になりそうなほど祈っていることだろう。
なんだか急にドッと疲れが襲ってきた。ただの人間でいた頃よりはうんと疲れにくくなっている筈なのに、これは精神からくるものだなとにがく笑む。美しい女だ。
人形に変化する際は何かになりたい場合は見たままにその姿を真似るけれど、『人間に化ける』というような曖昧な対象の場合はそのあやかしが本来もった魂の姿になると聞いたことがある。つまり朱炎が端整な容姿をしているのも、雛罌粟がそれに合わせてつくられたような麗人であるのも、生来というわけだ。
そういえばそういう話はしたことがあったっけ。長いのか短いのか判別のつかない自分達の歴史を振り返ってはみるが、すぐには思い出せそうにない。そもそも来良のほうに語る話がないので、きっと無いなと早々に切り上げた。
「来良」
からりと襖を開けて朱炎が入ってくる。
「おう、この部屋でいいか?」
「ん」
然程広くはないが大人と子どもがひとりずつだ。問題はない。新しくはないけれど掃除が行き届いた清潔な部屋と過不足のない程度に配置された調度品。優良物件だ。
卓袱台に頬杖をして淹れたお茶を啜る来良に、長いこと黙り込んだ末に朱炎がぽつんと言う。
「昔ちょっとな」
「ん? ……ああ、へえ、そうか」
一丁前にきまずそうな表情からも浅い仲じゃなかったのは容易に想像がついた。別に不自然なことも不都合なこともないし、ごく平坦に返り事をしたのだが、何故か少年はもっと気落ちして長着の膝を握りしめている。
「元気ないな」
「……なことねえ」
「そう?」
歩き疲れたかなと思ってもないことを言って笑ってみせても不発だった。朱炎は全身をこわばらせたままだ。
「すこし横になったらどうだ。布団敷いてやろうか」
「――ど」
「ん?」
「言っとくけど、お前と知り合うまえだからな!」
「……」
わかったよ、と言えばいいだけではなさそうなのは感じる。でもどう答えるのが正解なのかまでは、経験の浅すぎる来良には見当もつかない。結局ニコニコして頭を撫でてやってお終いだ。要するに有耶無耶にした。
つがいと呼ばれて閨の供だけをしていた頃とは微妙に何かが違うと朱炎なりに思っているのかもしれない。半身であるのとは無論別の意味でだ。しかし来良は、そこに心までも束縛する力があるのかどうか悩んでいる。惹かれ合う相手と自由に交歓しても契約が消えるわけじゃない。ということはそれに強制力は及ばないと考えて差し支えないのではないだろうか。
黄麻は伴侶と説明していたが、朱炎もそう捉えているとはかぎらない。もし、彼が雛罌粟を想う心をまだ持っているのなら、口出しせずになるように任せておく。それが相棒として正しい振る舞いなのではないか。
自由でいてほしいし、自由でいたいと思う。それがこの世に生まれついた一番の喜びだから。胸に軽く手をあてると、来良は深く息を吸って吐いた。
来良と朱炎が旅路にいるのは幸良が嫁を娶ることになったからだった。と言っても誰に強制されたわけでもなく、口実にさせてもらったというほうが近い。家の者としてしきたりなどの指南役は新良に任せてきた。なんせ代々所有してきた膨大な書物を幼少の砌にさっさと読破して、剰え諳んじるという麒麟児なのだ。来良などより余程詳しい。
あいつは頭でっかちなだけだと幸良などはやっかむけれど、それほど頭が切れるので何の心配もない。現場に出て場数を踏むようになってからは門番としての実力もついた。思いっきりあとのことは託して来良は朱炎を連れ、意気揚々と出発したのだった。
因みに幸良のお相手は遠縁の娘で、幼い頃から頻繁ではないが家の集まりで定期的に顔を合わせる仲だった。ずっと仄かな想いを寄せていたのは来良も新良も気づいていたため、話がまとまったときは、ばれてないと信じ込んでいる彼の目を盗み、裏で抱き合って喜んだものだった。
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