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諸戀
03
しおりを挟むその新妻の両親の計らいというか、たっての希望で、実家は大規模な改築が行なわれていたらしい。来良も朱炎も時間の感覚がゆるいので旅に出て以来ずっと伝書梟で定期的にやり取りをしているのだが、このたびそれが終わって、一度見に帰ってきてほしいと打診された。なので今は東へと引き返す道を選んでいる。
「ん……」
この地にとどまるのもそう長い時間ではない。朱炎も当然知っている筈だが、いいのだろうか。
集中しなければと思えば思うほど、逆に意識は散漫になっていく。変に頭が冴えて思考を走らせるのをやめられないのだ。いつもならすぐに炙られるように高められて何度も気をやるほどなのに。それを恥じ入るくらい乱れてしまうのに。
来良の茎ときたら、うんともすんとも反応しなかった。
「ッぁび、もう、むりだ」
「……ンン」
夜の入り口にかかるくらいの時刻にもかかわらず、腹が減ったとうるさい子どもがあっという間に妖艶な青年の姿になり、雑に敷いた布団に押し倒してきた。湯を使って旅の汚れは既に落とした身体を丹念に舐めまわされ、下帯を取り去って咥えられて、もうどのくらい経つのか。平生ならとっくに昂っている程度には奉仕してもらったと思う。
申し訳ない気持ちがさらに劣情を遠ざける。悪循環ですっかり来良は自信をなくしていた。朱炎をそっと押しのけると、座り込んで合わせを整える。
「ごめん。たぶん今日はできねえ」
「そうか」
機嫌をとるように軽くくちを吸われるが、それで飢えがおさまるわけがなく。朱炎は勿論のこと、来良も自分の身体に困惑した。こんな失態は初めてなのだ。これまではどんなに気が進まなくても愛撫されれば反応はしたし、体調も悪くない。
あてが外れてさぞ怒っているかと思いきや、朱炎は平穏そのものの様子でぼんやり外へ目を投げている。銀朱の双眸は静かに凪いで何を考えているのかわからない。まあそれはいつものことか。
実のところ来良が勃たなくても交合に支障はないけれど、そういう気分ごと洗ったように無くなっているし朱炎もそこまで食い下がってこない。今夜は解散だ。食事でも頼もうかと思っていると白髪頭がゆらりと立ち上がる。
「来良、ちょっと出てくる」
「あ、ああ……うん」
来良と変わらぬ長身の背は振り向くことなく宣言通り去っていった。どこへ、とは訊けないし告げなかった。鼻の利くあやかしが慣れない街だろうと迷子になるとも思えない。襲われる可能性はもっと無い。来良はひとりぼっちで広くなった布団にぽすんと横たわり、瞳をとじた。
(逢いにいったのかな)
昼間再会したあの妖狐。だからまるで粘らなかったのかもしれない。久し振りに恋人とまた会ったら、もうすこし話したいと思うかもしれない。話していればだんだん昔に戻ったような心地がするかもしれない。初めから身をすり寄せてくる相手だ、あとはもう野暮な会話も必要なく、止まっていた時間が流れるに任せていく、のかも、しれない。
朱炎はここに置いていくべきかもな、ていうかそうしたいかもな。投げやりにそんなことを考えていると、突然びっくりするほど胸と喉が痛くなって涙があふれて落ちた。
「えっ」
うわ、なんだこれ、止まらん。眦からこめかみへ伝い、耳まで濡らして流れていく。体内の水分がすべて涙になる病気じゃないかというほどあふれるので、もう放っておくことにした。拭うのも莫迦らしい量だ。
もしこの状態が続いたら朱炎は眷族を増やすのだろうか。考えてみれば来良が一生食い物にされるというだけで、他に拘束力はない。精気が得られるなら何でもいいのだ。
雛罌粟に至っては同族なので腹の足しにならない。それでも逢っているし、かつては傍らを許していた。彼女のほうがよっぽど特別に見える。手に入らなかった宝物だ。今思えば上の空だったのは来良だけじゃなかったのかもしれない、だから失敗したんじゃないか。それに来良ならいつでも食べられる。
「……ありそう」
誰も否定してくれそうにない。けものなんて目の前にうまそうな物がぶら下がっていればとりあえずくちに入れてしまう生き物なのだ。でないと二度は無い厳しさを知っている。
半妖の自分にもその才能はあるのだろうか。腹減ったな、と呟いてちゃんと身支度をやり直すと来良も宿を出た。主人にうまい飯屋を訊いて、そこへ向かう。
* * *
食糧がこの始末なので朱炎は無駄な妖力の消費をしないよう旅籠に残ることが多く、来良は逆に外へ出て見廻りがてら街歩きをしてと、別行動が目に見えて増えた。
うすうすそんな気はしていたのに敢えて傷を抉りたい心理が働きでもしたのか、ふと思いついて早めに宿へ戻ってみると朱炎がちょうど出掛けるところへ行き当たったので一旦にこやかに見送るふりをして、来良はこそこそ跡をつけた。それが間違いだった。
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