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第三章 人魚の見た夢
2.
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本家のためと言われ続けて今まで生きて来たはつさんが、必死に耐えていたものは一体何だったのか。西浦本家の本当の血筋は、とうの昔に絶える定めになっていたのだ。……それを知ってしまった時、はつさんの中で何かが壊れた。
時は満ちていた。
もう半時もすれば、辺りは茜色の黄昏に包み込まれることだろう。そうなれば、夜の訪れは間近だ。
俺は静かに蓮子に告げた。
「……もういいだろう。お前は早く逃げるんだ」
蓮子が怪訝そうな顔をする。
「え……?」
「昨日教えた道から逃げろ。今なら間に合うかもしれない。このくだらないいざこざに、お前まで巻き込まれることはない。だから……」
「冗談じゃないわよ!」
あえて伝えた終幕を蓮子は一言ではねつけた。思わず苦笑する俺に、蓮子は感情の高ぶりもあらわに激しい言葉を投げつけた。
「貢生さん、あなた、あの時言ったじゃない! 俺も必ずこの村を出る、生きて、逃げ延びてやるって。私と一緒にここを出るって、だからあきらめるなって!」
蓮子の背後に広がりつつある黄金の薄闇を眺めながら、俺は勇気を振り絞った。
「俺はまだ、死なないよ。言っただろう、やることがあると」
「それは……」
蓮子が言いかけ、口をつぐんだ。その表情に困惑が入り混じる。ただそれだけの顔なのに、俺にはこれ以上ないほどいとおしかった。
「やることって、一体何なの」
感情を抑えた低い声。俺は答えた。
「あれを皆に見せなくては」
「だって……おじ様に言ったじゃない。はつさんを連れて、絶対に一人でここまで来いって。それが公彦さんと引き換えだって」
俺は小さく微笑んだ。どうやら上手に笑えたようだった。
「大叔父はそう言った方が、村人を大勢連れて来るからだ。出来るだけ他の人間を巻き込まず、俺は二人をこの場所に呼びたかった。だが、俺達以外の者にもあれをしっかりと見せつけて、村の人間に儀式の無意味さを強く知らしめなければならない。──ああ言っておけば大叔父は俺達のことを警戒し、俺達に気づかれないように、他の人間をここの周囲に配置しておくことだろう。その、少しの距離が重要なんだ」
「どういうこと?」
蓮子の不安げな語尾に、俺はゆっくりと首を振った。
「お前はここにいてはいけない。お前がいると邪魔なんだ」
蓮子の表情が泣きそうに引き歪む。なけなしだった俺の勇気は、それを正視することだけで使い果たされてしまった。
「……そう」
蓮子は自分自身に言い聞かせるようにうなずいた。
「私がいると、邪魔なのね」
「そうだ」
冷淡で、無慈悲な即答。
「私がいると、やらなくちゃならないことが出来なくなるのね」
「そうだ」
「……わかったわ」
蓮子の答えに、俺は思わず息をついた。だが蓮子は俺を睨みつけ、最後に鋭い言葉を返した。
「一つだけ教えてちょうだい。あなた、昨日土蔵で小さな刃を口から出したわね」
思いもよらない蓮子の質問に、俺は不意をつかれてうろたえた。
時は満ちていた。
もう半時もすれば、辺りは茜色の黄昏に包み込まれることだろう。そうなれば、夜の訪れは間近だ。
俺は静かに蓮子に告げた。
「……もういいだろう。お前は早く逃げるんだ」
蓮子が怪訝そうな顔をする。
「え……?」
「昨日教えた道から逃げろ。今なら間に合うかもしれない。このくだらないいざこざに、お前まで巻き込まれることはない。だから……」
「冗談じゃないわよ!」
あえて伝えた終幕を蓮子は一言ではねつけた。思わず苦笑する俺に、蓮子は感情の高ぶりもあらわに激しい言葉を投げつけた。
「貢生さん、あなた、あの時言ったじゃない! 俺も必ずこの村を出る、生きて、逃げ延びてやるって。私と一緒にここを出るって、だからあきらめるなって!」
蓮子の背後に広がりつつある黄金の薄闇を眺めながら、俺は勇気を振り絞った。
「俺はまだ、死なないよ。言っただろう、やることがあると」
「それは……」
蓮子が言いかけ、口をつぐんだ。その表情に困惑が入り混じる。ただそれだけの顔なのに、俺にはこれ以上ないほどいとおしかった。
「やることって、一体何なの」
感情を抑えた低い声。俺は答えた。
「あれを皆に見せなくては」
「だって……おじ様に言ったじゃない。はつさんを連れて、絶対に一人でここまで来いって。それが公彦さんと引き換えだって」
俺は小さく微笑んだ。どうやら上手に笑えたようだった。
「大叔父はそう言った方が、村人を大勢連れて来るからだ。出来るだけ他の人間を巻き込まず、俺は二人をこの場所に呼びたかった。だが、俺達以外の者にもあれをしっかりと見せつけて、村の人間に儀式の無意味さを強く知らしめなければならない。──ああ言っておけば大叔父は俺達のことを警戒し、俺達に気づかれないように、他の人間をここの周囲に配置しておくことだろう。その、少しの距離が重要なんだ」
「どういうこと?」
蓮子の不安げな語尾に、俺はゆっくりと首を振った。
「お前はここにいてはいけない。お前がいると邪魔なんだ」
蓮子の表情が泣きそうに引き歪む。なけなしだった俺の勇気は、それを正視することだけで使い果たされてしまった。
「……そう」
蓮子は自分自身に言い聞かせるようにうなずいた。
「私がいると、邪魔なのね」
「そうだ」
冷淡で、無慈悲な即答。
「私がいると、やらなくちゃならないことが出来なくなるのね」
「そうだ」
「……わかったわ」
蓮子の答えに、俺は思わず息をついた。だが蓮子は俺を睨みつけ、最後に鋭い言葉を返した。
「一つだけ教えてちょうだい。あなた、昨日土蔵で小さな刃を口から出したわね」
思いもよらない蓮子の質問に、俺は不意をつかれてうろたえた。
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