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3.歌姫エイシャと守護竜シェイファラル
私は、本当に、お前を
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聖騎士アルヴィーンが竜を倒し、姫を救い、凱旋した。
町の中は、ひと目竜殺しの英雄を見ようとする人々に溢れていた。ひしめく人々の間を鷲獅子にまたがり、姫を抱えたアルヴィーンが堂々と進む。
「やっぱさあ、聖騎士ってだけでずるいよね。歌姫さん抱いて役得だし」
騎乗して後ろをついていくオスモがぼそぼそ呟くと、エリクが澄ました顔のまま、ちらりとアルヴィーンを見やる。
「こういうのはわかりやすい者を前に立たせたほうがいいんですよ。それに役得ですか? 完全に寝ている人間は相当重いですよ。私は疲れることはごめんですが」
「そうじゃなくってさあ……俺も一度くらい女の子に騒がれてみたいよ」
聖騎士さまーという黄色い声が聞こえて、そちらににっこりと愛想を振りまくアルヴィーンが見える。
「あれを見ている限り、非常に面倒臭そうですが」
「一度くらいモテてモテてめんどくせえって言ってみたい」
エリクはちらりとオスモに目を向ける。
「オスモは変わってますね」
「変わってるのはエリクだろ」
変なものを見つめるような目をするエリクを、じっとりとオスモが見返す。
「まあまあふたりとも、そろそろ王宮に着くから、そこまでにして」
にこにこといつものように穏やかに微笑みながら、クラウスが声を掛けた。
ようやく到着した王宮の正面で、アルヴィーンは鷲獅子から降りると、エイシャを横抱きに抱えたまま入り口をくぐっていった。
ざわざわという騒ぎに、エイシャは意識を外へと戻した。
悪魔の名前は未だ不明なままだが、もうほとんど行き詰まってしまっている。頭を掻き毟るように髪をぐちゃぐちゃに混ぜながら、うう、と唸る。
『もう時間がないぞ。残念だな』
「うるさいわね、囁くしか能がないくせに!」
少しイラつきながら、エイシャは怒鳴りつける。もう少し、本当にもう少しでわかりそうなのに。
紅い壁の外はゆらゆらと揺れていて、アーロンが歩いているのだとすぐにわかった。耳を澄ませば、聖騎士が帰還したという声が聞こえる。つまり、シェイファラルもここに来ているということだろうか。
どうしよう、困ったわ。
エイシャは眉尻を下げて爪を噛む。
アルヴィーンは大きめの寝台が置かれた部屋に通された。既に幾人かの側付きと思われる貴族、宰相やアーロン自身が部屋に揃っていた。
「姫をこちらへ」
案内の侍従の指示に従い、エイシャを寝台の上に寝かせる。それからアーロンに一礼し、一歩下がる。
「陛下、ご確認を。念のため、クラウス司祭により癒しの神術を施しておりますので、怪我や病などはないと思いますが」
アーロンは頷き、「後ほど改めて医師が確認しよう」と応える。
そのままエイシャへと近づき、覗き込むように顔を寄せ……。
「竜殿、その紅玉です!」
ぽろりとアーロンの胸元から落ちた紅玉のペンダントを指差し、エリクが叫んだ。
途端にエイシャの胸元から蛇が飛び出し、アーロンの紅玉のペンダントをぱくりと加えて鎖から千切りとる。
たちまち蛇の輪郭がぼやけ、人型へと姿の変わったシェイファラルが現れた。片腕にエイシャの身体を抱き締め、口には紅玉を咥えたまま、寝台から後退るように降りて……。
ばきり、と、紅玉を噛み砕いた。
「シェイ!」
紅い壁に張り付くように外を眺めながら、エイシャは叫んだ。
来てくれた。シェイファラルが迎えに来てくれた。この部屋のどこかにきっと、シェイファラルがいる。
どんどんと壁を叩き、「わたしはここよ!」と叫ぶ。
寝台の上に寝かせられた自分の身体がぼんやりと見えて、シェイファラルはどこにと、必死で目を凝らす。……と、いきなり目の前に大きな蛇が現れて、気がついたらぴしぴしと自分を囲む紅い壁にヒビが入り始めていて……。
ばきん、と硬いものが割れる音に思わず目を瞑る。
次に目を開けるとシェイファラルの顔が目の前にあった。
「シェイ!」
「エイシャ」
ぎゅ、と抱きついて、エイシャはほっと息を吐く。出られて良かった。またシェイファラルのところに戻れて良かった。
けれど、今はまだ先にやらなきゃいけないことがある。
「シェイ聞いて、ここに悪魔がいるの」
「知っているよ。でも、どんな奴かがわからない」
「陛下も皆、悪魔の影響を受けてるだけなのよ」
「だ、そうだ、聖騎士殿」
「承知した」
振り向いたシェイファラルの言葉を受けて、アルヴィーンは頷く。いつの間にか部屋の内にも外にも騎士達が押し寄せていて、全員をすっかり取り囲んでいた。
慌てたようにエリクがエイシャのそばにやってくる。
「ここが一番安全そうですね」
「魔術師様?」
「剣で斬り掛かられながら呪文を唱える趣味はありませんから」
片目を瞑ってニヤリと笑うエリクに、エイシャも思わずくすりと笑ってしまう。
「……聖騎士アルヴィーン、これは、どういうことか」
「陛下、見ての通りです」
涼しげな顔のアルヴィーンを苦々しげに睨みつけて、アーロンは詰問する。
「謀ったか。それとも、お前はその竜の手先ということか」
「間違いは正さねばならないのです、陛下」
「間違いだと?」
目を眇めるアーロンに、アルヴィーンはゆっくりと首肯する。
「歌姫は夫たる竜殿の元に、ここに巣食う悪魔は九層地獄界に、戻さねばなりません」
「悪魔?」
アーロンは怪訝そうに眉を顰める。
周囲の騎士達も、「悪魔?」と訝しむような声を上げる。
「歌姫は、どのような悪魔か目星はついていますか?」
小声で耳打ちされて、エイシャは小さく頷いた。
「だいたいは……いちばんよく知られている呼び名は、“姿なき囁き”や“堕とすもの”。英雄ウェイセルを堕落させた悪魔よ。でも、名前がわからないの」
「“その両の手を地に、足を天に向け、甘言を以ってあらゆるものを腐らせる悪魔”……ですか。厄介ですね」
やれやれまた面倒な奴が、と呟く魔術師を思わず振り仰ぎ、目を丸くしたエイシャは、そのまま驚愕の表情を浮かべてエリクをじっと見つめる。
「歌姫? 何か……」
「魔術師様、それだわ」
戸惑うように眉根を寄せるエリクに、エイシャはにっこりと微笑んだ。
「やっとわかった。魔術師様のおかげよ、ありがとう」
エイシャの顔に、会心の笑みが浮かぶ。
「悪魔、お前の名を見つけたわ。もう、お前の思い通りにはさせない」
「歌姫?」
いきなり声を張り上げるエイシャに、全員の視線が集まった。
驚いた顔で、アルヴィーンもエイシャを見つめる。
「悪魔、お前の負けよ」
くすくすと笑い、すうっと大きく、エイシャは息を吸い込んだ。
どこに潜んでいるかはわからないが、悪魔の耳に届くように、歌うように声を響かせる。
「汝、惑わすもの。堕とすもの。腐らせるもの。欲望と猜疑の王たる大悪魔の僕よ。お前の名“Tpurroc”において命ずる。すべての抵抗を止めよ。ただちに姿を現せ」
何かが息を呑む気配がした。
苦しみに身を捩るように、霧が渦巻くように集まり、悪魔がその姿を露わにする。ねとねとと腐臭を放つ粘液に覆われたまだら模様の皮膚に、人のようで人でない、イボだらけの腐り落ちたような醜い姿を。
取り囲む人々の中から、ひっ、と悲鳴が上がる。
悪魔の姿を確認して、クラウスが聖印を掲げ、神の名と祈りの言葉を唱え始めた。
エイシャはごくりと唾を飲み込み、もう一度大きく息を吸った。まっすぐに、おぞましい悪魔の姿を見据える。
自分を護るように回されたシェイファラルの腕が頼もしい。彼の腕にこもる力が、大丈夫だとエイシャに告げている。
「悪魔よ、お前の名“Tpurroc”において命ずる」
クラウスの祈りの言葉が、エイシャの声に唱和するように響く。
「直ちにアーロン・セヴェリ・ストーミアンを離れ」
窓の外から、まるで雲間から差す陽光のように、光が伸びる。
「この“嵐の国”を離れ」
陽光が悪魔を取り囲み、複雑な紋様を描き出す。
「この世界を離れ」
紋様が光を放ち、形を成していく。
「“九層地獄界”へと還れ」
その瞬間、クラウスの“送還”の神術が完成し、悪魔の背後に輝く光の門が現れる。
アーロンから離れ、実体を現した悪魔が、門から伸びた光の鎖に縛り付けられる。
扉が開け放たれ、鎖はもがき身を捩る悪魔を門の中へと引きずり込む。
重い音が響き、扉が閉じられ、霧散するように門が消える。
あとには、しんと静まった騎士や使用人達、ここにいた数人の貴族、それに……。
「……ウルリカ」
アーロンが向き直り、静かな声でエイシャの名前を呼ぶ。
「陛下」
顔を向けると、アーロンは笑っていた。
晴れやかに、かつて自分と母を訪れていたときのように。
「すまなかったな、ウルリカ」
「陛下……叔父上?」
アーロンの表情は、まるで憑き物が落ちたように、何かを吹っ切ったようにも見えた。
「あとはお前に任せよう。後始末を押し付けることになってしまうが、たぶん、私がやるよりも、そのほうが良いのだと思う」
エイシャは彼の言葉に、何かを感じて竦んでしまう。知らず、手が震える。
アーロンはもう一度エイシャに微笑んで、それから背を伸ばし、部屋に集うものたちをぐるりと見据え、口を開く。
「この場に居るものすべてを証人とし、現王アーロン・セヴェリ・ストーミアンの名において、ウルリカ・エイシャ・ストーミアンを次なる王に指名する」
ざわ、と騎士や貴族が驚きの声を上げた。
「そして今、現在をもって私は王位をウルリカに譲る」
「陛下!? なにを!?」
誰かが悲鳴のように叫んだが、アーロンはそれをきっぱりと無視する。
それから、アーロンはもう一度エイシャに視線を戻す。
「ウルリカ、今からお前がこの国の王だ。あとを頼む」
アーロンの笑みが、わずかに歪む。
「ウルリカ、私は本当に……」
アーロンはウルリカの顔をじっと見つめ……力任せにマントのピンを引き抜くと、止める間もなく己の喉を貫いた。
「お……叔父う、え?」
ゆっくりと倒れるアーロンを目にして、エイシャがひゅっと息を呑む。
「お、叔父上!?」
「見るな、エイシャ!」
シェイファラルが、とっさに頭を抱え込むように、エイシャを抱き寄せた。
どさり、と前王アーロンの崩れ倒れる音に、我に返ったのは誰が最初だったのか。
「……女王ウルリカ・エイシャ・ストーミアン万歳!」
「万歳! 女王陛下万歳!」
「女王陛下万歳!」
──こうして、吟遊詩人エイシャの旅は終わりを告げた。
町の中は、ひと目竜殺しの英雄を見ようとする人々に溢れていた。ひしめく人々の間を鷲獅子にまたがり、姫を抱えたアルヴィーンが堂々と進む。
「やっぱさあ、聖騎士ってだけでずるいよね。歌姫さん抱いて役得だし」
騎乗して後ろをついていくオスモがぼそぼそ呟くと、エリクが澄ました顔のまま、ちらりとアルヴィーンを見やる。
「こういうのはわかりやすい者を前に立たせたほうがいいんですよ。それに役得ですか? 完全に寝ている人間は相当重いですよ。私は疲れることはごめんですが」
「そうじゃなくってさあ……俺も一度くらい女の子に騒がれてみたいよ」
聖騎士さまーという黄色い声が聞こえて、そちらににっこりと愛想を振りまくアルヴィーンが見える。
「あれを見ている限り、非常に面倒臭そうですが」
「一度くらいモテてモテてめんどくせえって言ってみたい」
エリクはちらりとオスモに目を向ける。
「オスモは変わってますね」
「変わってるのはエリクだろ」
変なものを見つめるような目をするエリクを、じっとりとオスモが見返す。
「まあまあふたりとも、そろそろ王宮に着くから、そこまでにして」
にこにこといつものように穏やかに微笑みながら、クラウスが声を掛けた。
ようやく到着した王宮の正面で、アルヴィーンは鷲獅子から降りると、エイシャを横抱きに抱えたまま入り口をくぐっていった。
ざわざわという騒ぎに、エイシャは意識を外へと戻した。
悪魔の名前は未だ不明なままだが、もうほとんど行き詰まってしまっている。頭を掻き毟るように髪をぐちゃぐちゃに混ぜながら、うう、と唸る。
『もう時間がないぞ。残念だな』
「うるさいわね、囁くしか能がないくせに!」
少しイラつきながら、エイシャは怒鳴りつける。もう少し、本当にもう少しでわかりそうなのに。
紅い壁の外はゆらゆらと揺れていて、アーロンが歩いているのだとすぐにわかった。耳を澄ませば、聖騎士が帰還したという声が聞こえる。つまり、シェイファラルもここに来ているということだろうか。
どうしよう、困ったわ。
エイシャは眉尻を下げて爪を噛む。
アルヴィーンは大きめの寝台が置かれた部屋に通された。既に幾人かの側付きと思われる貴族、宰相やアーロン自身が部屋に揃っていた。
「姫をこちらへ」
案内の侍従の指示に従い、エイシャを寝台の上に寝かせる。それからアーロンに一礼し、一歩下がる。
「陛下、ご確認を。念のため、クラウス司祭により癒しの神術を施しておりますので、怪我や病などはないと思いますが」
アーロンは頷き、「後ほど改めて医師が確認しよう」と応える。
そのままエイシャへと近づき、覗き込むように顔を寄せ……。
「竜殿、その紅玉です!」
ぽろりとアーロンの胸元から落ちた紅玉のペンダントを指差し、エリクが叫んだ。
途端にエイシャの胸元から蛇が飛び出し、アーロンの紅玉のペンダントをぱくりと加えて鎖から千切りとる。
たちまち蛇の輪郭がぼやけ、人型へと姿の変わったシェイファラルが現れた。片腕にエイシャの身体を抱き締め、口には紅玉を咥えたまま、寝台から後退るように降りて……。
ばきり、と、紅玉を噛み砕いた。
「シェイ!」
紅い壁に張り付くように外を眺めながら、エイシャは叫んだ。
来てくれた。シェイファラルが迎えに来てくれた。この部屋のどこかにきっと、シェイファラルがいる。
どんどんと壁を叩き、「わたしはここよ!」と叫ぶ。
寝台の上に寝かせられた自分の身体がぼんやりと見えて、シェイファラルはどこにと、必死で目を凝らす。……と、いきなり目の前に大きな蛇が現れて、気がついたらぴしぴしと自分を囲む紅い壁にヒビが入り始めていて……。
ばきん、と硬いものが割れる音に思わず目を瞑る。
次に目を開けるとシェイファラルの顔が目の前にあった。
「シェイ!」
「エイシャ」
ぎゅ、と抱きついて、エイシャはほっと息を吐く。出られて良かった。またシェイファラルのところに戻れて良かった。
けれど、今はまだ先にやらなきゃいけないことがある。
「シェイ聞いて、ここに悪魔がいるの」
「知っているよ。でも、どんな奴かがわからない」
「陛下も皆、悪魔の影響を受けてるだけなのよ」
「だ、そうだ、聖騎士殿」
「承知した」
振り向いたシェイファラルの言葉を受けて、アルヴィーンは頷く。いつの間にか部屋の内にも外にも騎士達が押し寄せていて、全員をすっかり取り囲んでいた。
慌てたようにエリクがエイシャのそばにやってくる。
「ここが一番安全そうですね」
「魔術師様?」
「剣で斬り掛かられながら呪文を唱える趣味はありませんから」
片目を瞑ってニヤリと笑うエリクに、エイシャも思わずくすりと笑ってしまう。
「……聖騎士アルヴィーン、これは、どういうことか」
「陛下、見ての通りです」
涼しげな顔のアルヴィーンを苦々しげに睨みつけて、アーロンは詰問する。
「謀ったか。それとも、お前はその竜の手先ということか」
「間違いは正さねばならないのです、陛下」
「間違いだと?」
目を眇めるアーロンに、アルヴィーンはゆっくりと首肯する。
「歌姫は夫たる竜殿の元に、ここに巣食う悪魔は九層地獄界に、戻さねばなりません」
「悪魔?」
アーロンは怪訝そうに眉を顰める。
周囲の騎士達も、「悪魔?」と訝しむような声を上げる。
「歌姫は、どのような悪魔か目星はついていますか?」
小声で耳打ちされて、エイシャは小さく頷いた。
「だいたいは……いちばんよく知られている呼び名は、“姿なき囁き”や“堕とすもの”。英雄ウェイセルを堕落させた悪魔よ。でも、名前がわからないの」
「“その両の手を地に、足を天に向け、甘言を以ってあらゆるものを腐らせる悪魔”……ですか。厄介ですね」
やれやれまた面倒な奴が、と呟く魔術師を思わず振り仰ぎ、目を丸くしたエイシャは、そのまま驚愕の表情を浮かべてエリクをじっと見つめる。
「歌姫? 何か……」
「魔術師様、それだわ」
戸惑うように眉根を寄せるエリクに、エイシャはにっこりと微笑んだ。
「やっとわかった。魔術師様のおかげよ、ありがとう」
エイシャの顔に、会心の笑みが浮かぶ。
「悪魔、お前の名を見つけたわ。もう、お前の思い通りにはさせない」
「歌姫?」
いきなり声を張り上げるエイシャに、全員の視線が集まった。
驚いた顔で、アルヴィーンもエイシャを見つめる。
「悪魔、お前の負けよ」
くすくすと笑い、すうっと大きく、エイシャは息を吸い込んだ。
どこに潜んでいるかはわからないが、悪魔の耳に届くように、歌うように声を響かせる。
「汝、惑わすもの。堕とすもの。腐らせるもの。欲望と猜疑の王たる大悪魔の僕よ。お前の名“Tpurroc”において命ずる。すべての抵抗を止めよ。ただちに姿を現せ」
何かが息を呑む気配がした。
苦しみに身を捩るように、霧が渦巻くように集まり、悪魔がその姿を露わにする。ねとねとと腐臭を放つ粘液に覆われたまだら模様の皮膚に、人のようで人でない、イボだらけの腐り落ちたような醜い姿を。
取り囲む人々の中から、ひっ、と悲鳴が上がる。
悪魔の姿を確認して、クラウスが聖印を掲げ、神の名と祈りの言葉を唱え始めた。
エイシャはごくりと唾を飲み込み、もう一度大きく息を吸った。まっすぐに、おぞましい悪魔の姿を見据える。
自分を護るように回されたシェイファラルの腕が頼もしい。彼の腕にこもる力が、大丈夫だとエイシャに告げている。
「悪魔よ、お前の名“Tpurroc”において命ずる」
クラウスの祈りの言葉が、エイシャの声に唱和するように響く。
「直ちにアーロン・セヴェリ・ストーミアンを離れ」
窓の外から、まるで雲間から差す陽光のように、光が伸びる。
「この“嵐の国”を離れ」
陽光が悪魔を取り囲み、複雑な紋様を描き出す。
「この世界を離れ」
紋様が光を放ち、形を成していく。
「“九層地獄界”へと還れ」
その瞬間、クラウスの“送還”の神術が完成し、悪魔の背後に輝く光の門が現れる。
アーロンから離れ、実体を現した悪魔が、門から伸びた光の鎖に縛り付けられる。
扉が開け放たれ、鎖はもがき身を捩る悪魔を門の中へと引きずり込む。
重い音が響き、扉が閉じられ、霧散するように門が消える。
あとには、しんと静まった騎士や使用人達、ここにいた数人の貴族、それに……。
「……ウルリカ」
アーロンが向き直り、静かな声でエイシャの名前を呼ぶ。
「陛下」
顔を向けると、アーロンは笑っていた。
晴れやかに、かつて自分と母を訪れていたときのように。
「すまなかったな、ウルリカ」
「陛下……叔父上?」
アーロンの表情は、まるで憑き物が落ちたように、何かを吹っ切ったようにも見えた。
「あとはお前に任せよう。後始末を押し付けることになってしまうが、たぶん、私がやるよりも、そのほうが良いのだと思う」
エイシャは彼の言葉に、何かを感じて竦んでしまう。知らず、手が震える。
アーロンはもう一度エイシャに微笑んで、それから背を伸ばし、部屋に集うものたちをぐるりと見据え、口を開く。
「この場に居るものすべてを証人とし、現王アーロン・セヴェリ・ストーミアンの名において、ウルリカ・エイシャ・ストーミアンを次なる王に指名する」
ざわ、と騎士や貴族が驚きの声を上げた。
「そして今、現在をもって私は王位をウルリカに譲る」
「陛下!? なにを!?」
誰かが悲鳴のように叫んだが、アーロンはそれをきっぱりと無視する。
それから、アーロンはもう一度エイシャに視線を戻す。
「ウルリカ、今からお前がこの国の王だ。あとを頼む」
アーロンの笑みが、わずかに歪む。
「ウルリカ、私は本当に……」
アーロンはウルリカの顔をじっと見つめ……力任せにマントのピンを引き抜くと、止める間もなく己の喉を貫いた。
「お……叔父う、え?」
ゆっくりと倒れるアーロンを目にして、エイシャがひゅっと息を呑む。
「お、叔父上!?」
「見るな、エイシャ!」
シェイファラルが、とっさに頭を抱え込むように、エイシャを抱き寄せた。
どさり、と前王アーロンの崩れ倒れる音に、我に返ったのは誰が最初だったのか。
「……女王ウルリカ・エイシャ・ストーミアン万歳!」
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