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9.だから、僕は
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この屋敷に連れて来られてから、正確にどれほどの期間が過ぎているのかはわからない。けれど、もう数ヶ月にはなるはずだ。
ここへ来ていきなり飲まされたあの薬のせいで、しばらくの間はほとんど1日中をぼんやりするか、エヴに抱かれるかで過ごしてしまった。
薬に引き出された欲情に翻弄され、それしか考えられない日も続いた。
あれは強烈な薬だ。あまり続ければ身体も精神も損ねてしまう。エヴもそこは考えたはずだ。だから、わたしに薬を飲ませるのをやめたのだろう。
……けれど。
このままではよくないことはわかっている。
エヴは、本当ならわたしなど目にかかれないほどに高い身分なのだ。いつまでもこんなふうに、わたしみたいな女に拘っていてはいけない。
──なのに、わたしは、エヴにどう言葉をかけていいかがわからない。
ほとんど売り渡したも同然で別れて、元の生活に戻って何年も経って、もうすっかり忘れただろうと思っていたのにエヴは忘れていなかった。
それどころか、前以上にわたしに執着している。
前以上に縋り付き、わたしの耳に愛を囁くエヴ。
エヴを戻したのは間違いだったのだろうか。
もとの生活に戻ったほうが、エヴのためだったはずなのに。
わたしの前で、エヴはまるで必死な子供のようだ。それに、何かを怖れているようにも感じられる。
「……エヴ」
わたしは、エヴが嫌いじゃない。
けれど、愛してるのかと訊かれても、よくわからない。
もやもやと渦巻くものが、うまく説明できない。
抱かれて声を上げながらエヴと目を合わせると、彼はいつも蕩けそうな目でわたしを見つめ返す。微かな恐怖と渇望と、他にもいろいろな感情が渦巻く色を湛えた目で、わたしを見つめ返す。
その目に、わたしはどう応えればいいのかわからずに、竦んでしまう。
竦んでしまうのに、拒むことができなくて、わたしは……。
* * *
「アルマス・ファルカウスです。こちらは妹のカタリーナ・ファルカウス。私は父の名代として、同行しています」
「エヴァレット・ラエスフェルトです。どうかエヴァレットと」
アルマスと握手を交わすと、カタリーナも淑女らしくドレスを摘み、腰を落としてにっこりと微笑んだ。
「エヴァレット様、わたくしのことはカティとお呼びくださいませ」
出された手を取り、軽く口付けて、「では、カティ様、ダンスを踊っていただけますか?」と僕も微笑み返した。
「ええ、喜んで。アルマスお兄様、わたくし、しばらくはエヴァレット様にお相手をお願いしますから、お兄様は好きになさっていてもよろしくてよ」
背伸びをするようなカタリーナの言葉に、アルマスもまた笑う。
「お聞きの通り生意気な妹ですが、よろしくお願いします」
「いえ……ではカティ様、お手柔らかにお願いします」
カタリーナをエスコートしながら、僕は少し大仰に礼をした。
とうとう王宮の夜会が始まった。
王自らが命じた縁談の相手に引き会わされ、貴族らしい礼儀と言葉で隣国の公爵家の姫君を迎える。
この国の王家は何度か隣国の姫君を娶っている。僕の家にも、何度か王家から姫が降嫁されている。家系図を辿っていけば、きっとこの姫ともどこかで縁続きということになるんだろう。ぼんやりとそんなことを考える。
「エヴァレット様は……」
「はい」
広間で音楽に合わせてくるりくるりと舞うカタリーナが僕を見上げた。
「その、フェリシア姫様に少しお聞きしましたの。エヴァレット様は唯一の方をなくされたようだと」
「……はい」
「わたくし……この縁談をお受けするつもりです。
ストーミアン王家の縁筋たる公爵家の姫として、二国の架け橋になる役目の重要さは理解しているつもりです」
カタリーナは、まっすぐに僕の顔を見つめる。
「エヴァレット様、唯一の方のようにとは申しません。
けれど、わたくしは、エヴァレット様と、友人か……できれば家族のように、互いを慈しめる関係になりたいと考えております。
どうかわたくしを、そのように受け入れていただけませんか?」
「……僕は」
友人。家族。
そのどちらも、僕は持ち得なかったものだ。
そのどちらも、僕にはどんなものなのかがわからない。
「エヴァレット様?」
それきり黙り込んでしまう僕を、カタリーナは小さく覗き込むようにして首をかしげる。王家の直系よりはずっと淡い、翠の目でじっと見つめる。
フェリシア姫やカタリーナが僕の“唯一”と呼んでいる相手は、きっとケリーのことなんだろう。けれど、ケリーは本当に僕の唯一なんだろうか。
いや、ちがう。そうじゃない。僕の唯一はたしかにケリーだ。
では、ケリーの唯一は……?
「エヴァレット様、お顔の色があまり良くないようです」
いつの間にか曲が終わっていた。
「……すみません、少しぼんやりしてしまいました」
薄く笑みを貼り付けて、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「家族のようにというのは、良いですね」
僕の言葉に、カタリーナはふんわりと微笑んで、頷いた。
ようやく王宮の夜会を辞して、深夜遅くに屋敷へと戻った。
「3日後からしばらく、“嵐の国”からの客人であるファルカウス公爵家の方が滞在する。東の客室を用意しておいてくれ」
「かしこまりました」
出迎えた執事と家令に言付ける。
王自らにカタリーナとアルマスを屋敷に迎えよと命じられては、僕に抗うことはできなかった。
「……ケリー様はいかがいたしますか?」
「今のままでいい」
「……かしこまりました」
僕はすぐにケリーのところへと向かった。
いかがするかというのは、どういう意味だ。そう問い質そうにも、ただ流されて袋小路に追い詰められているだけの僕には何も言いようがない。
自嘲の笑みを浮かべながら廊下を歩いていく。
彼らの言いたいことなどわかっている。どうせ、別館にでも移せとか、いっそこの屋敷から追い出してしまえとか言うのだろう。
ケリーから離れるなんて、ありえない。
ケリーの寝室をそっと開けて中を伺うと、穏やかな寝息と一緒に、身じろぎをするケリーの微かな衣擦れの音がした。
着ていた服を傍らの椅子にばさばさと脱ぎ捨てて、ゆっくりとケリーの隣へと潜り込む。そっとケリーを抱き締めて、ケリーの匂いをいっぱいに吸い込む。
頭にキスをして、目を閉じる。
「ケリー……」
どうしてケリーは僕のものになってくれないのか。
瞼に、頬に、首に……と口付けて、ぐっと抱き締めて……。
「……ん? エヴ?」
うっすらと目を開けたケリーの唇を塞ぐ。
「ん……っ」
口の中を掻き回して、「ケリー」と呼ぶ。
手を下ろし、指でなぞり、ケリーの感じる場所を擽る。ケリーの息がだんだんと荒くなり、指に蜜が絡みつく。
こうして、身体は受け入れてくれるのに。
下着を取り去り、ケリーに覆い被さった。ずぶ、と潤み切った場所に分け入って、もういちどケリーにキスをする。
「あ、あっ」
「っ……ケリー」
「あ、あっ……は、んんっ」
ケリーを穿ち、ケリーの中を満たしているのに、僕は満たされない。
翌朝、日が高くなる頃になってようやく起き出した。
そこはかとなく重い身体を起こし、用意されてあった洗面具で顔を洗って鏡を覗き込むと、僕の紅い右目が僕を見返してきた。
「ああ、そうか」
どこまでも紅く、底光りするように輝く僕の右目。
やっぱり僕は悪魔なんだ、と小さく独りごちる。
ケリーに取り憑いた悪魔が、僕なのだ。
だから、僕はケリーを手にすることができない。
だから、僕は必要とされない。
その考えは、ストンと滑らかに収まるように、僕の腑に落ちた。
悪魔の欲望には際限がない。僕という器は壊れて穴が空いているようなものだ。いくらケリーを求めて注いでも満たされない。
それこそ、ケリーを壊してしまっても、この渇望は収まらないのだろう。
僕の起きた気配を感じてか、ケリーが寝返りを打った。
ベッドの傍らに腰掛けて、ケリーを見下ろす。ケリーの肌に散った赤い花を指先で辿り、キスをする。
「……エヴ」
ほんのりと薄目を開けたケリーの手が、そっと僕の頭を撫でる。
微かに微笑んで、しかたないなという表情でまた目を閉じる。
「ケリー……あの町に戻りたいですか?」
「エヴ?」
もういちど目を開けたケリーは、薄く笑う僕を訝しむように首を傾げた。
「エヴ、どうしたの?」
「僕は……戻りたい」
ケリーはわずかに目を見開いて、僕をじっと見つめる。
「戻って、ケリーとふたりで薬屋をやりたい。薬の配達に行って、ロドリゴさんの店で品物を引き取って、ジョゼ婆さんの長話を聞いて……」
「エヴ、時を遡ることはできないよ……ジョゼ婆さんも、もういない」
ケリーが身体を起こし、僕の頬を撫でる。
「それに、君はこの家の主人になったんだろう?」
びくりと僕の身体が震える。
「──僕はそんなものになりたくなかった」
「エヴ」
「僕は、エヴァレット・ラエスフェルトなんかになりたくなかった。ただのエヴのほうがよかった」
「エヴ、だって、君しかいないんだろう? 君はここに必要だから、あの日、祖父君が君を迎えに来たんだろう?」
「そんなもの……」
ケリーが僕を抱き寄せて、背を撫でる。
「わたしが君の重圧を軽くできるというなら、ここにいるから。君はラエスフェルト公爵になったんだろう?」
ケリーが宥めるように、僕の背を撫で続ける。
僕の心臓が、どくんと大きく鼓動を打つ、
「君は、亡くなったお父上や祖父上の後を継ぐために戻ったんじゃないか。君は今や立派なラエスフェルト公爵だ」
僕は頭を起こし、わずかに眉尻を下げて僕を見つめるケリーを見返した。
「……ケリー、も?」
ケリーはぱちぱちとまばたきをして、「エヴ?」と呟く。
「ずっと閉じ込めてないものにして、僕を忘れて放って置いたくせに、勝手な都合で連れ戻して、今度は貴族になれと言うんですか。
ケリーも、僕が死ぬまでここに縛られればいいと……」
「エヴ? ないもの?」
「ケリーも、本当は僕なんて必要じゃないんですね。僕に捕らえられて逃げられないからしかたなくここにいて、しかたなく僕の相手をして……」
ぐ、とシーツを握り締める。
「僕が、悪魔だから、ケリーは」
「エヴ、何を言ってるんだ」
「だから、ケリーは僕を愛さないんだ」
「エヴ……落ち着いて、エヴ。何を言い出すんだ」
ケリーの伸ばした手を振り払う。
昨夜、椅子の上に脱ぎ捨てた服が目に入った。
襟元に付けたままの飾りピンを抜き取る。
「……僕が“悪魔憑き”でなくなったら、ケリーは僕を愛してくれますか」
「どういう……エヴ?」
僕がやろうとしていることを気取ってか、ひゅ、とケリーが喉を鳴らす。エヴ、という掠れた声と一緒に伸ばされた手を、僕は避ける。
ちらりとケリーを振り返って、僕は小さく笑う。
右目に付けた眼帯をむしり取る。
「悪魔は、もっと早く祓っておくべきでした」
僕は手に握ったピンで、九層地獄界の焔を宿した右目を……。
ここへ来ていきなり飲まされたあの薬のせいで、しばらくの間はほとんど1日中をぼんやりするか、エヴに抱かれるかで過ごしてしまった。
薬に引き出された欲情に翻弄され、それしか考えられない日も続いた。
あれは強烈な薬だ。あまり続ければ身体も精神も損ねてしまう。エヴもそこは考えたはずだ。だから、わたしに薬を飲ませるのをやめたのだろう。
……けれど。
このままではよくないことはわかっている。
エヴは、本当ならわたしなど目にかかれないほどに高い身分なのだ。いつまでもこんなふうに、わたしみたいな女に拘っていてはいけない。
──なのに、わたしは、エヴにどう言葉をかけていいかがわからない。
ほとんど売り渡したも同然で別れて、元の生活に戻って何年も経って、もうすっかり忘れただろうと思っていたのにエヴは忘れていなかった。
それどころか、前以上にわたしに執着している。
前以上に縋り付き、わたしの耳に愛を囁くエヴ。
エヴを戻したのは間違いだったのだろうか。
もとの生活に戻ったほうが、エヴのためだったはずなのに。
わたしの前で、エヴはまるで必死な子供のようだ。それに、何かを怖れているようにも感じられる。
「……エヴ」
わたしは、エヴが嫌いじゃない。
けれど、愛してるのかと訊かれても、よくわからない。
もやもやと渦巻くものが、うまく説明できない。
抱かれて声を上げながらエヴと目を合わせると、彼はいつも蕩けそうな目でわたしを見つめ返す。微かな恐怖と渇望と、他にもいろいろな感情が渦巻く色を湛えた目で、わたしを見つめ返す。
その目に、わたしはどう応えればいいのかわからずに、竦んでしまう。
竦んでしまうのに、拒むことができなくて、わたしは……。
* * *
「アルマス・ファルカウスです。こちらは妹のカタリーナ・ファルカウス。私は父の名代として、同行しています」
「エヴァレット・ラエスフェルトです。どうかエヴァレットと」
アルマスと握手を交わすと、カタリーナも淑女らしくドレスを摘み、腰を落としてにっこりと微笑んだ。
「エヴァレット様、わたくしのことはカティとお呼びくださいませ」
出された手を取り、軽く口付けて、「では、カティ様、ダンスを踊っていただけますか?」と僕も微笑み返した。
「ええ、喜んで。アルマスお兄様、わたくし、しばらくはエヴァレット様にお相手をお願いしますから、お兄様は好きになさっていてもよろしくてよ」
背伸びをするようなカタリーナの言葉に、アルマスもまた笑う。
「お聞きの通り生意気な妹ですが、よろしくお願いします」
「いえ……ではカティ様、お手柔らかにお願いします」
カタリーナをエスコートしながら、僕は少し大仰に礼をした。
とうとう王宮の夜会が始まった。
王自らが命じた縁談の相手に引き会わされ、貴族らしい礼儀と言葉で隣国の公爵家の姫君を迎える。
この国の王家は何度か隣国の姫君を娶っている。僕の家にも、何度か王家から姫が降嫁されている。家系図を辿っていけば、きっとこの姫ともどこかで縁続きということになるんだろう。ぼんやりとそんなことを考える。
「エヴァレット様は……」
「はい」
広間で音楽に合わせてくるりくるりと舞うカタリーナが僕を見上げた。
「その、フェリシア姫様に少しお聞きしましたの。エヴァレット様は唯一の方をなくされたようだと」
「……はい」
「わたくし……この縁談をお受けするつもりです。
ストーミアン王家の縁筋たる公爵家の姫として、二国の架け橋になる役目の重要さは理解しているつもりです」
カタリーナは、まっすぐに僕の顔を見つめる。
「エヴァレット様、唯一の方のようにとは申しません。
けれど、わたくしは、エヴァレット様と、友人か……できれば家族のように、互いを慈しめる関係になりたいと考えております。
どうかわたくしを、そのように受け入れていただけませんか?」
「……僕は」
友人。家族。
そのどちらも、僕は持ち得なかったものだ。
そのどちらも、僕にはどんなものなのかがわからない。
「エヴァレット様?」
それきり黙り込んでしまう僕を、カタリーナは小さく覗き込むようにして首をかしげる。王家の直系よりはずっと淡い、翠の目でじっと見つめる。
フェリシア姫やカタリーナが僕の“唯一”と呼んでいる相手は、きっとケリーのことなんだろう。けれど、ケリーは本当に僕の唯一なんだろうか。
いや、ちがう。そうじゃない。僕の唯一はたしかにケリーだ。
では、ケリーの唯一は……?
「エヴァレット様、お顔の色があまり良くないようです」
いつの間にか曲が終わっていた。
「……すみません、少しぼんやりしてしまいました」
薄く笑みを貼り付けて、申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「家族のようにというのは、良いですね」
僕の言葉に、カタリーナはふんわりと微笑んで、頷いた。
ようやく王宮の夜会を辞して、深夜遅くに屋敷へと戻った。
「3日後からしばらく、“嵐の国”からの客人であるファルカウス公爵家の方が滞在する。東の客室を用意しておいてくれ」
「かしこまりました」
出迎えた執事と家令に言付ける。
王自らにカタリーナとアルマスを屋敷に迎えよと命じられては、僕に抗うことはできなかった。
「……ケリー様はいかがいたしますか?」
「今のままでいい」
「……かしこまりました」
僕はすぐにケリーのところへと向かった。
いかがするかというのは、どういう意味だ。そう問い質そうにも、ただ流されて袋小路に追い詰められているだけの僕には何も言いようがない。
自嘲の笑みを浮かべながら廊下を歩いていく。
彼らの言いたいことなどわかっている。どうせ、別館にでも移せとか、いっそこの屋敷から追い出してしまえとか言うのだろう。
ケリーから離れるなんて、ありえない。
ケリーの寝室をそっと開けて中を伺うと、穏やかな寝息と一緒に、身じろぎをするケリーの微かな衣擦れの音がした。
着ていた服を傍らの椅子にばさばさと脱ぎ捨てて、ゆっくりとケリーの隣へと潜り込む。そっとケリーを抱き締めて、ケリーの匂いをいっぱいに吸い込む。
頭にキスをして、目を閉じる。
「ケリー……」
どうしてケリーは僕のものになってくれないのか。
瞼に、頬に、首に……と口付けて、ぐっと抱き締めて……。
「……ん? エヴ?」
うっすらと目を開けたケリーの唇を塞ぐ。
「ん……っ」
口の中を掻き回して、「ケリー」と呼ぶ。
手を下ろし、指でなぞり、ケリーの感じる場所を擽る。ケリーの息がだんだんと荒くなり、指に蜜が絡みつく。
こうして、身体は受け入れてくれるのに。
下着を取り去り、ケリーに覆い被さった。ずぶ、と潤み切った場所に分け入って、もういちどケリーにキスをする。
「あ、あっ」
「っ……ケリー」
「あ、あっ……は、んんっ」
ケリーを穿ち、ケリーの中を満たしているのに、僕は満たされない。
翌朝、日が高くなる頃になってようやく起き出した。
そこはかとなく重い身体を起こし、用意されてあった洗面具で顔を洗って鏡を覗き込むと、僕の紅い右目が僕を見返してきた。
「ああ、そうか」
どこまでも紅く、底光りするように輝く僕の右目。
やっぱり僕は悪魔なんだ、と小さく独りごちる。
ケリーに取り憑いた悪魔が、僕なのだ。
だから、僕はケリーを手にすることができない。
だから、僕は必要とされない。
その考えは、ストンと滑らかに収まるように、僕の腑に落ちた。
悪魔の欲望には際限がない。僕という器は壊れて穴が空いているようなものだ。いくらケリーを求めて注いでも満たされない。
それこそ、ケリーを壊してしまっても、この渇望は収まらないのだろう。
僕の起きた気配を感じてか、ケリーが寝返りを打った。
ベッドの傍らに腰掛けて、ケリーを見下ろす。ケリーの肌に散った赤い花を指先で辿り、キスをする。
「……エヴ」
ほんのりと薄目を開けたケリーの手が、そっと僕の頭を撫でる。
微かに微笑んで、しかたないなという表情でまた目を閉じる。
「ケリー……あの町に戻りたいですか?」
「エヴ?」
もういちど目を開けたケリーは、薄く笑う僕を訝しむように首を傾げた。
「エヴ、どうしたの?」
「僕は……戻りたい」
ケリーはわずかに目を見開いて、僕をじっと見つめる。
「戻って、ケリーとふたりで薬屋をやりたい。薬の配達に行って、ロドリゴさんの店で品物を引き取って、ジョゼ婆さんの長話を聞いて……」
「エヴ、時を遡ることはできないよ……ジョゼ婆さんも、もういない」
ケリーが身体を起こし、僕の頬を撫でる。
「それに、君はこの家の主人になったんだろう?」
びくりと僕の身体が震える。
「──僕はそんなものになりたくなかった」
「エヴ」
「僕は、エヴァレット・ラエスフェルトなんかになりたくなかった。ただのエヴのほうがよかった」
「エヴ、だって、君しかいないんだろう? 君はここに必要だから、あの日、祖父君が君を迎えに来たんだろう?」
「そんなもの……」
ケリーが僕を抱き寄せて、背を撫でる。
「わたしが君の重圧を軽くできるというなら、ここにいるから。君はラエスフェルト公爵になったんだろう?」
ケリーが宥めるように、僕の背を撫で続ける。
僕の心臓が、どくんと大きく鼓動を打つ、
「君は、亡くなったお父上や祖父上の後を継ぐために戻ったんじゃないか。君は今や立派なラエスフェルト公爵だ」
僕は頭を起こし、わずかに眉尻を下げて僕を見つめるケリーを見返した。
「……ケリー、も?」
ケリーはぱちぱちとまばたきをして、「エヴ?」と呟く。
「ずっと閉じ込めてないものにして、僕を忘れて放って置いたくせに、勝手な都合で連れ戻して、今度は貴族になれと言うんですか。
ケリーも、僕が死ぬまでここに縛られればいいと……」
「エヴ? ないもの?」
「ケリーも、本当は僕なんて必要じゃないんですね。僕に捕らえられて逃げられないからしかたなくここにいて、しかたなく僕の相手をして……」
ぐ、とシーツを握り締める。
「僕が、悪魔だから、ケリーは」
「エヴ、何を言ってるんだ」
「だから、ケリーは僕を愛さないんだ」
「エヴ……落ち着いて、エヴ。何を言い出すんだ」
ケリーの伸ばした手を振り払う。
昨夜、椅子の上に脱ぎ捨てた服が目に入った。
襟元に付けたままの飾りピンを抜き取る。
「……僕が“悪魔憑き”でなくなったら、ケリーは僕を愛してくれますか」
「どういう……エヴ?」
僕がやろうとしていることを気取ってか、ひゅ、とケリーが喉を鳴らす。エヴ、という掠れた声と一緒に伸ばされた手を、僕は避ける。
ちらりとケリーを振り返って、僕は小さく笑う。
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