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3.ケゼルスベールへ

“シリーズ”

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 肩から叩きつけられる前に身を捻り、受け身を取って転がった。そこにいた蛙人グァーグをクッションにして、衝撃を殺すことも忘れない。

 非常事態につき機能制限リミッターを解除、と頭の中で無機質な声が響く。
 リミッター? と考える間も無く、意識がぼんやりと霞む。

 そのまま姿勢を制御しつつ、少し転がってから体勢を立て直し、スキャンした身体ボディの状況に何の問題もないことを確認する。
 周囲に転がる蛙人からの生命反応は無し。
 素早く立ち上がるヴィトを取り囲む蛙人が、じわじわと輪をせばめてきた。

 この数が一度に飛びかかってくれば、たとえパワーが十分でも行動に支障を来たす。ならば、とヴィトは馬の去った方向へと地を蹴った。

 グェ、と号令のような声が響いて、蛙人たちが一斉に襲いかかる。けれど、ヴィトの目には蛙人たちの動きがとてつもなくゆっくりに見えた。
 一発撃って少し離れた蛙人がゆっくりと倒れるのを確認した。
 それからすぐに次を撃とうとしたが、次弾のリロードが追いついていない。

 魔導銃には実弾銃のような弾込めは必要ない。けれど、魔力を固めて弾とする都合上、実弾銃に比べて連射速度は落ちてしまう。

 ほんの僅かなタイムラグがもどかしいと感じて、ヴィトは手を伸ばす。
 手近な蛙人の首を鷲掴みにして、そのまま棍棒のようにぶんと振り抜いて、次に近かった三体を打ち倒した。柔らかいものが潰れる感触と湿った音にほんのわずかだけ顔を顰め、さっと周囲を確認する。

 蛙人の一体が腕を振りかぶり、槍を投げつけた。
 それにならってか、ほかの蛙人たちも槍を投げ始める。
 降り注ぐ槍の間を縫うように走り抜けながら、ヴィトは銃を撃ち拳を振り回す。弾は頭を正確に撃ち抜き、拳は背骨や頭蓋を粉砕し……。



 黒馬の速度が緩んだところで、布を噛んだまま、アカシュはイーターの身体越しに後ろを振り返った。
 追い縋ってくるかと思った蛙人たちは、予想に反して向こうに留まったままだった。まるで、落ちたヴィトを囮に自分たちが逃げ切ってしまった形だ。

 ――が。

「イーター、あれは」
「うむ」
「何が起きてるんだ?」

 アカシュが眉間に皺を寄せながら呟いた。イーターも、面甲の下で訝しげに目を眇める。つい今しがた走り抜けたばかりの囲みの内側で、蛙人たちの怯える鳴き声が上がっていた。

 蛙人は追って来ないのではなく、追って来れないのではないか。

 そんな疑念が湧き上がるが、けれど、なぜそうなのかまではわからない。

「イーターさん!」

 とうとう立ち止まった黒馬のそばに、オージェが降り立った。

「あの……ヴィト、は?」

 すぐに姿が見えないことに気づいて尋ねても、イーターもアカシュも黙ったままだ。それが意味することを察して、オージェの顔から血の気が降りる。

「まさか」

 オージェはパッと蛙人の群れへと目をやった。まさか、ヴィトはまだあそこにいるのかと。
 きょときょとと三人のようすを見比べて、イァーノが、「ヴィト、置いてきちゃったの?」と小さく首を傾げる。

「オージェ、変われ」
「でも、わたし、ヴィトを迎えに行かないと」
「我が行く。蛙どものようすがおかしい。ヴィトが何かしているのかもしれぬ」
「なら、わたしが……」
「我のほうが適任だ。お前では、ヴィトを引き上げることすら難しかろうが」

 きゅっと唇を噛み締めて、オージェは獣の背を降りた。アカシュを鞍に残して、イーターも馬の背から降りる。
 鞍に結びつけたロープを解いて抱き下ろしたイァーノをそのままアカシュに渡し、今度はオージェが黒馬の鞍によじ登る。リコーも鞍からひょいと飛んで、アカシュの背におぶさるようにしがみついた。
「アカシュ、三人を連れてもう少し先まで離れていろ」
「わかった」
 オージェが何か言うよりも早く、アカシュは手綱を操って馬を進ませる。その背中を確認して、イーターは獣を空へと舞い上がらせた。

 夜とはいえ、月は明るい。
 これだけ明るければなんら支障なく、イーターの目には昼と変わらない程度に地上が見える。
 たった今駆け抜けたルートを空から戻りながら、ぐるりと見渡す。すぐに蛙人が集まっていく方向を見定めて、あそこだろうと見当をつけた。

 ヴィトの姿を探しながら獣を降下させて、イーターは目を眇める。

「――なるほど、“同じシリーズ”か」

 次々と蛙人を潰しながら、ヴィトが進んでいた。
 掴んで叩きつけ、殴り飛ばし、撃ち抜いて……どれも一撃で仕留めながら、ヴィトが走っている。その姿は、つい先だって目にした“一番目エルスト”の戦いぶりによく似ていた。
 とうに方向を見失っていても良さそうなのに、それでもたがわずイーターが去った方角へと進んでいるのは、さすがと言うべきか。

 けれど、蛙人はどれほどの数なのか。キリがないほど集まってくる群れを見渡して、イーターは大きく息を吸い込む。
 そのままヴィトの頭の数メートル上に降下して、「蛙どもよ!」と一帯を揺るがすほどの声を響かせた。

「イーター、さん?」

 どこかぼんやりとしたヴィトの呟きを拾って、イーターは「よくがんばったな」と笑う。

「蛙どもよ、このまま我らふたりに根絶やしにされたいか?」

 低く這うような、けれどよく響く声に、蛙人たちがびくりと震えた。
 イーターは兜を上げ、じろりと蛙人を見やると、ヴィトの横にゆっくりと獣を降ろす。

 不思議と、イーターの言葉は、蛙人たちにも通じているようだ。蛙が喉を鳴らすような声があちこちで上がる。

「我らはここを通過するのみ。貴様らの巣など興味はない」

 グェグェという声が大きくなる。
 群れのあちこちでやかましく響く声は、これだけ一方的に殺されたのではおさまるものもおさまらない、とでも言っているようだ。

 ――なら、これ以上襲う気が起きないほどに、痛めつけてやればいい。

 ヴィトはぐるりと首を巡らせて、次はどこを狙うのが効果的かと考える。
 と、いきなり獣が咆哮を上げる。これ見よがしにイーターが大剣を抜き放ち、「ならば」と牙を剥き出しにして笑った。

「やはり、貴様らを殺しつくすしかないか」

 ぶん、と片手で大剣を振るイーターの横に並び、ヴィトも銃を構えた。
 血と泥を全身に浴びた、まるで影のようなヴィトと、黒い鎧と蒼炎を纏うイーターに、蛙たちは思わず後退る。

「我らを通すというなら、これ以上は殺さん。通す気があるならそこを退け」

 イーターを乗せた獣が、グルルと唸りながら一歩進む。ヴィトも合わせて一歩進む。蛙人たちがふたりに押されるようにじりっと下がる。

「さあ、どちらを選ぶ。我らに滅ぼされるか、黙って我らを通すか」

 じりじりと歩を進めるイーターとヴィトに押されて、蛙人もじりじりと下がる。怯えたように仲間を見回しつつ、蛙人たちはどんどん下がっていく。
 そこに、また獣が鋭い咆哮を上げた。
 とうとう耐えかねたのか、幾人かの蛙人がパラパラと逃げ始める。
 スッと銃口を向けるヴィトを、イーターが制した。

「ヴィト、もう殺さなくていい」

 あまり感情の伴わない視線をイーターに向けて、ヴィトは銃口を下げる。
 ゆっくり、ゆっくりと進むイーターはぐるりと蛙人を見渡すと、牙を剥き出しにしたまま満足げに笑って見せた。

「それでいい。今後もだ。だが、再度我らに手を出したなら、我らは必ず貴様らを根絶やしにすると、肝に銘じておけ」

 イーターはヴィトを鞍に引き上げると、獣を走らせ始めた。水が割れるように、蛙人たちが道を空ける。
 しばらく地を走った後、獣は空へと駆け上がる。散り散りに逃げて行く蛙人たちの姿を上から眺めて、イーターはようやく安堵の吐息を漏らした。

「あれだけ脅せば、追い縋っては来ぬだろうな。ヴィト、怪我はないか」

 イーターは鞍の前に抱えたヴィトを覗き込む。だが、思ったような反応はなく、イーターの眉間が寄る。

「ヴィト、どうした」
「――外部、損傷、なし」

 いつものヴィトと違った抑揚のない平板な声に、イーターは顔を顰める。

「既存損傷部、未修復……および、機能制限リミッター、解除により、入力情報、過多……処理、遅延」
「ヴィト?」
「機能、制限、復元しま……一時、シャットダウン……」
「おい」

 カクンといきなりヴィトの身体から力が抜けて、イーターは慌てて抱え直した。とりあえず脈と呼吸があることは確認して、獣を急がせる。



「イーターさん! ヴィト!」

 別れたところからさらに先で、オージェたちが待機していた。

「この葦原の向こう側がもう少し乾いてる。水はすぐそこだ――泥を流して来たほうがいい。リコー、案内してやれ」
「はあい」

 アカシュの指示で、リコーがひょいと背中から飛び降りた。イーターと獣の前に立って「こっちだよ」と尻尾を振る。

「イーターさん……ヴィトは?」

 さっきからヴィトの反応がないことに、オージェは不安げに尋ねた。

「――蛙人から逃れて気が緩んだのだろう。気を失っているだけで、怪我はない。大丈夫だ」
「よかった……」
「俺たちは野営の準備をしておこう。火はどうする?」

 淡々と確認するアカシュの言葉に、イーターには来た方向を振り向いた。

「焚いても問題はなかろう」
「わかった」

 じゃ、あとでと手を振ると、アカシュはイァーノを抱え直し、馬を引いて歩き始めた。オージェも、ヴィトを気にしながらアカシュの後について行く。

「ねえねえ、ヴィトはほんとに大丈夫なの? ヴィトの血の匂いはしないけど、寝てるのとはちょっと違うよね」
「ふむ……」

 ふんふんと鼻をひくつかせてリコーが首を傾げると、イーターはふっと笑った。さすが、幼くても竜の感覚は鋭い。

「正直言うとわからん。我は医者ではないからな」
「ええっ?」

 ぽかんと口を開けて振り向くリコーに、イーターは肩を竦めてみせる。リコーは呆れたようにフンと鼻を鳴らした。

「だが、魂はここに留まっているぞ。死んでおらんことは確かだ」
「うん、死んでる匂いはしないけど、イーターがすっごく自信満々だから、わかってるんだと思った」
「我にわかることなどたいして多くない。だが、あそこでああ言わねばオージェがいたずらに不安になるだけであろう?」
「そうだね」

 もう一度匂いを嗅いで、リコーが笑うように目を細める。

「朝まで寝かせても起きぬようだとわかってから、慌てればよいさ」
「あっくんも結構いい加減だけど、イーターも結構いい加減なんだね」
「そうか?」
「うん」

 心外だな、と顔を顰めるイーターに、リコーは「ほら、あそこだよ!」と翼をはためかせて水場を知らせた。
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