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3.ケゼルスベールへ

祈願

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「陛下! これが、私の作り上げたツヴィット様専用監視システムです!」

 一瞬、神王ナディアルが顔を顰めた気がしたが、クー・レ・イーンは見なかったことにして言葉を続けた。トトに、自分の身長の半分以上もあるほど大きな鏡を支えさせ、その使用法を説明する。

 簡単なキーワードで起動し、自動的にツヴィットを映し出す。魔力をかなり使うため、継続しての使用は連続で最大二時間が限界。その二時間を使い切ったら、最低六時間は魔力充填のために休ませる必要がある……等々、使用するにあたっての注意事項も挙げられていく。

「ずいぶん大きい。それに、映しっ放しというわけにはいかないんだな」
「はい。魔導機構を埋め込むにはそれなりの大きさが必要ですし、対象をツヴィット様に絞ることで魔力消費を抑えても、供給が追いつかないのです」

 魔力や規模がもっと抑えられるものなら、とうの昔に作っていたはずだ。もちろん、クー自身が、神王と女神の御使をこっそり愛でるために。

「まあいい。だがこれで位置の特定は可能になるな」
「はい――ちなみに、昨夜の試験稼働で確認できた現在地は、大陸南西部の湿地帯でしたわ」

 訝しむように神王の目が細められた。その膝の上で、いつものように女神の御使が身じろぎをする。
「そこで、蛙人グァーグどもの襲撃に遭っていたようでしたが、無事に退しりぞけたことは確認しています。それと、同行人も数名いるようでした」
「同行人?」
「身なりから、傭兵崩れか何かと思われる人間の男性。それから、オルでは見たことのない種族の“死の騎士”です」
「死の騎士? “緩衝地帯クィダム”の屍人が、なぜツヴィットに同行している」
「申し訳ありません、そこまでは……」

 さすがに、理由を推察できるほどの映像情報は得られていないと述べるクーに、神王が不機嫌に眉を寄せた。
 エルストの報告でも、たしかに死の騎士と遭遇したとあったが、それ以降もずっとツヴィットに同行しているというのか。

「ツヴィットがどこへ向かっているか、わかるか」
「すぐには……音声が拾えませんし。けれど、読唇術に長けたものに観察させれば、会話の内容は拾えるでしょう。移動方向とその内容を合わせれば、最終目的地の推察は可能かと思います」

 神王はじっと考えながら、膝の上のレギナの髪を指でするりと梳いた。

「――レギナ」
「映像記録を録画した上での分析は可能よ。会話内容の確認ももちろんね。ねえ、クー。その鏡の起動は、キーワードさえ正確に言えればいいの?」
「はい、基本的にはそうです」
「魔力がなくても?」
「はい」

 ふふ、と笑って女神の御使レギナは甘えるように神王に頬を擦り寄せる。

「ねえ、ナディアル。監視はデーヴァに任せればいいわ。一日のうち、定期的に少しずつ確認させるの。一番情報を得られそうな時間帯を割り出して、そこを重点的に監視させればいいのよ」
「そうだな」
「場所は絞れたのだし、エルストも向かわせられるわ」
「ああ」

 神王の合図で、“人形”たちが現れた。
 トトの支えていた鏡をひょいと持ち上げて、奥へと運び去る。

「お前たちも下がれ」
 もう用は済んだとばかりに神王の手が振られてクーとトトはうやうやしく一礼すると、謁見の間を後にした。


 * * *


 ナディアルの母は、きれいだけど病弱だった。

 実家の公爵家は、国の中では毒にも薬にもならない人畜無害と言われるような、よく言えば穏やかな家だった。
 臣籍に降りた王族から始まり、その後も幾度か王家から姫が降嫁したという、古くて血筋だけは立派な名家だ。影響力など大したことはない、その公爵家の姫が一の妃――つまり王妃となったのは、もちろん王の継嗣となるナディアルを産んだからでもある。だが、もう一家ある公爵家と、最近力を伸ばしてきた侯爵家の干渉を、王家が疎んじたことのほうが大きいとも言われていた。

 だから、ナディアルは生かされていた。

 ナディアルが王太子となったのも、その二家……特に侯爵家が外戚となる弟王子を疎んじる者が多かったからだ。
 もし、この先ナディアルが廃太子されるようなことになれば、よくて幽閉……最悪、後顧の憂いを断つために生命を絶たれる可能性も大きい。
 どんなに玉座などいらないと思っていても、ナディアルには王になる道しか無かったのだ。



 ――違う。
 僕は、ナディアルじゃない。
 これはナディアルの記憶であって、僕の記憶じゃない。
 次々浮かび上がる映像を違うと必死に振り払うヴィトの頭の中に、違う映像が映し出される。



 横たわった自分を前にして、男女ふたりが何かを話している。
 目は閉じているのにその光景が見えるのは、まだ、デーヴァに接続されたままだからだろう。

「ねえ、ナディアル。システム・デーヴァを入れなくていいの? それじゃ、いざという時危ないわ」

 ローティーンの幼い姿の女は、デーヴァのイレギュラーな端末であるレギナで、もうひとりは、彼女が“王子様”と呼んで執着する、神王ナディアルだった。

「レギナ、何度も言っているだろう? たとえ写しであろうと、私以外が私を支配することは我慢ならない」
「でも、ナディアル」
「黙れレギナ。しつこい」

 ナディアルの視線がたちまち凍りつきそうなほどに冷たくなる。口角が釣り上がり、唇が弧を描く。

「それとも、もう、“愛”は欲しくないのか?」
「そんな……ごめんなさいナディアル。あなたの望むようにして」

 たちまち項垂れたレギナは、それきり口を噤んでしまう。

「では、こいつにオリジンの情報を入れろ」
 レギナがこくりと頷く。
 頭の中、記憶領域メモリーに、神王が“オリジン”と呼ぶものの情報が流れ込む。
 映像音声その他のデータすべてを受け取り、オリジンの捜索と捕獲を命じられ、最後にデーヴァから切り離されて、自分は活動を開始したのだった。


 * * *


「――オージェ」

 目を開けると、既に周囲が明るくなっていた。すぐ横で眠っていたオージェがぱちりと目を覚ます。

「ヴィト?」

 大きく目を見開いたオージェが、寝転がったまままじまじとヴィトの顔を覗き込んだ。その表情に、ヴィトは思わず笑みを浮かべる。

「目が、覚めたの? 身体は? 痛いところはない?」

 オージェは手を伸ばした。ヴィトは、自分の頬をゆっくりと撫でる手の柔らかい感触に、目を細める。

「少し頑張り過ぎただけなんだ。どこも痛くないし怪我もしてないから」

 ヴィトもそっと手を伸ばして、オージェの頬に触れる。

 指先でそっと撫でながら、ああ、だからかと考えた。だから、自分はオージェを女神だと思ったのかと。

「オージェ」
「なに?」

 ヴィトは静かに身体を起こして、それからオージェの上に屈み込む。
 オージェの顔を覗いて唇を重ねて、ぎゅっと抱き締める。

「え、ねえ、どうしたの、ヴィト」

 驚いて真っ赤になったオージェが、少し咎めるような声音で言った。寝てるとは言っても、皆すぐそばにいるのに、と。

「――僕は、オージェが好きだよ」
「え、うん……その、わたしも、よ?」

 ヴィトの肩に真っ赤な顔を押し付けて、オージェも小さく返す。

「何があっても、僕はオージェが好きだ」
「ヴィト? 急にどうしたの?」
「どうもしないよ」

 繰り返してふんわり笑うヴィトに、なぜだかオージェは落ち着かない。

「本当に? 何か変だわ」
「変じゃないよ。そろそろ起きようか」

 もう一度キスをして、ヴィトは身体を起こす。
 もうすっかり夜は明けて、太陽は高くなっていた。

 昨夜はほとんど休めなかった。
 それでも、あのまま留まって休息を取るのは危険だと、移動を始める。

 イァーノは黒馬の鞍でアカシュに抱えられてうとうとと眠っている。
 蛙人グァーグは追い掛けるのを諦めたようだった。だからといって、ぐずぐずする気にはなれなかったけれど。
 アカシュもイーターもヴィトに特に何か言うこともなく、ただ、どこにも不調がないならいいという態度だった。

「ねえねえ、ヴィトって人間じゃないの?」

 今日は獣の鞍にしがみついて、首だけで振り向いたリコーが急に尋ねた。
 パッと顔を上げて、オージェが息を呑む。
 オージェを抱えるヴィトの腕にも、少しだけ力がこもる。

「昨日、ヴィトが寝てる時、人間が寝てるのと違うなって思ったの。だから、ヴィトは人間に似てるけど、違う種族なのかなって」
「リ……」
「うん、実はそうなんだ」

 口を開くオージェを制して、ヴィトは頷いた。

「自分のことを忘れてしまったせいでよくわからないんだけど、でも、僕は人間じゃないんだよ」
「ふうん。忘れちゃったんじゃ、たいへんだね」
「そうだね」

 リコーはそれだけで納得したのか、今まで自分が出会った“人間でない種族”の話を始めた。そのどれとも似ていないヴィトは、リコーの好奇心をいたく刺激するらしい。
 にこにこと笑顔でそれを聞くヴィトとは裏腹に、オージェは心配そうな不安そうな表情を浮かべたままだ。
 いつものヴィトとはどこか違うようで、小さな違和感が拭えない。

 数度の休憩を挟んで、まだ日は高いうちに野営地を決めた。昨晩のことで疲労は溜まっているから、今夜は少し長めに休んだほうが良いとの判断だ。

 イーターはいつものように狩りにでかけ、今日は水鳥を数羽持ち帰った。
 ヴィトとアカシュが集めた薪で、リコーとオージェが火を起こし、鳥を焼く。
 相変わらずイーターの脅しが効いているのか、蛙人は気配すらしない。これなら今夜はゆっくり休めそうだと、アカシュがほっとしたように呟いた。

 食事を終えてお腹がくちくなったイァーノとリコーは、獣の腹を枕に早々に眠ってしまった。アカシュも、さすがに疲れたとそこに並んで横になる。

「オージェも、今日は早く休んだほうがいいよ」
「でも」
「僕は大丈夫だから」

 小さく囁いて、宥めるようにオージェの頬をヴィトの指がなぞった。仕方ないなあと笑って、オージェは自分の毛布を引き寄せる。

「なら、わたしはここで寝るわ」

 そう宣言すると、ヴィトのすぐ傍らに横になって、オージェはその手を軽く握った。やわやわと確かめるように動くオージェの手を、ヴィトも軽く握り返す。

 しばらくすると、オージェは規則正しい寝息を立て始めた。握ったままだった手を外して、ヴィトは小さく溜息を吐く。

 漆黒の空には、今夜も月が明るく輝いている。
 ときおり、パチパチと薪が小さく爆ぜる音が立つ。
 ヴィトはじっと空を見つめる。
 “果て”と呼ばれる障壁に囲まれたこの箱庭世界オルに、星はない。本当なら、ガラスの粉を撒いたようにキラキラ瞬く星が、無数にあるはずなのに。

 この世界はどうやって存在しているんだろう。

 “デーヴァ”の観測では何もわからない。
 集めたデータを分析し、この世界の在りようを解明する科学者もいない。
 ただ、「こんな世界などあり得ない。なのに、存在している」という事実だけが積み上がっていくのだ。
 いっそ、ここが創生神オルの夢の中だと言われたほうがよほど納得できる。

 月が中天に昇るころを待って、ヴィトはイーターを起こした。
 イーターの眠りはさほど深くないのか、いつものようにほんの少し触れただけですぐに目を覚ます。

「――イーターさん」

 横になろうとしないヴィトに、イーターはわずかに目を眇める。

「イーターさん、オージェを頼んでいい?」

 起き上がったまま、その場に胡座をかいて、「どういう意味だ?」とイーターは先を促す。

「イーターさんはもうわかってるのかもしれないけど、本当は、僕に食事も睡眠も必要ないんだよ」
「ヴィト?」
「僕なんかよりも、イーターさんたち死の騎士のほうがずっと“人間的”なんだ」
「――お前たちは皆、我のことを買い被りすぎているぞ。我にわかることなど、ほんの砂つぶ程度のものだというに」

 はあ、と大きく溜息を吐いて、イーターが呆れたように呟いた。ヴィトは困ったような苦笑を浮かべて、肩を竦めるだけだ。

「僕は……イーターさん、僕は、本当に作られたもので、僕だという意識も偽物で、今僕が考えていることも全部、外から与えられたもので」
「ヴィト」
「僕に、僕自身が生み出したものなんて、何ひとつ無いんだ」

 ヴィトは俯いて唇を噛み締める。
 あの、“一番目エルスト”の言うことは正しかった。自分は間違いなく作られたもので、作られたとおりにしか動けない人形でしかない。
 ヴィトの顔を、イーターが覗き込む。

「ヴィト、だがお前には魂がある。人喰いの我が言うのだぞ。お前が作られたものだとしても、魂を持つことに間違いはない」
「でも、そんなこと……」
「いや、確かなことだ」

 イーターの目を見返すことができず、ヴィトはオージェへと視線を移した。

 もし本当に、他の生き物のように、自分が魂を持っているなら。

「イーターさん、僕には与えられた役目があるんだ。けれど、それに従いたくないと思うのは、イーターさんの言うように、僕に魂があるからかな」

 小さく呟いて、ヴィトはイーターへと視線を戻す。

「イーターさんとの約束が守れなくて、悪いと思うんだ。でも、頼む。オージェを絶対にケゼルスベールへ近づけないで。ケゼルスベールの神王の手が届かない安全なところに、オージェを連れてって欲しい」
「なぜかと聞いても良いな?」

 とても真剣なヴィトに、イーターの表情がやや険しくなる。

「オージェは、神王が喉から手が出るほどに欲しいものを持っている。神王からすれば、それを得るかオージェを殺すかのふたつしか選択肢はない。さらに言えば、この前、僕と同じだと言ったエルストや、他の“人形”にオージェを殺すことはできない。けれど、神王自身と女神の御使と……そして僕にはそれができてしまう」

 淡々と述べるヴィトに、イーターの目はさらに細まった。

「ヴィト……お前、思い出したのか?」
「一部だけだよ。僕の“記憶領域メモリー”の修復が進んだからじゃないかな」
「――わかった。頼まれてやろう」

 しばらくの間じっとヴィトの顔を見つめて……イーターは仕方がないなと溜息を吐いた。反対しても、ヴィトはこのまま行ってしまうつもりだろう。

「それでは念のために聞いておくが、お前はどうする気だ?」
「それ、わざわざ答える必要あるかな?」
「念のためだと言ったろう。すでに予想はついているがな」
「なら、たぶんその予想どおりだよ」
「やはりか。であるなら、お前の武運を祈っておこうか」
「ありがとう。でも、祈るって何に?」
「もちろん、我の故国の武勇と戦の守護神にだ」

 戦勝祈願ってことかと笑って、ヴィトは立ち上がる。

「それじゃ、イーターさん」
「うむ。運があったなら、また会おう」
「そうだね」

 頷いて、くるりと背を向けると、ヴィトは瞬く間に走り去ってしまった。その姿を見送りながらイーターは頬杖を突く。

「だがなヴィト。オージェもお前や我と同じように考えるとは限らぬぞ」
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