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4.王子様とお姫様

帰還

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 湿地帯を離れて走り続けること五日。
 覚束ない外部感覚器センサー頼りに隠れながらの移動を続けて、ようやくクーヴァンへ到着した。
 王都へ入るなり迎えられたのは、既に見張られていたからだろう。

二番目ツヴィット、ナディアルが待っている」

 仮面で顔の半分を隠した一番目エルストの言葉に頷いて、ヴィトはその後に続いた。走り続けた身体はあちこちが軋むようだが、通常の行動に支障はない。

「――了解した」

 データの一片たりとも残らないように、記憶領域メモリーをクリアしながら頷く。最終的な仕上げは、ここからだ。論理消去だけではもちろん足りないと、念には念を入れて数度の上書きと消去を繰り返す。
 残すのは基本機能と初期記憶、それから、オージェのことを除いた事故から今までの記録のみ。

 それでもオージェの情報には気づかれるだろう。だから、ヴィトはそれらしい偽物の断片も散らしておく。
 あくまでも、オージェが“オリジン”だという確証はなかった。だから彼女の詳細なデータは集めなかった、と。

 ――どこまで騙されてくれるだろうか。

 ヴィトは表面だけは以前のような表情で、けれど内部では必死に記憶領域を書き換えていく。
 内部領域のあちこちに断片化して隠した“ヴィト”も、見つかってはいけない。
 キーを揃えてはじめて再構築できるように、ここへ到着するまで無意味なデータの羅列にしか見えないよう、バラバラにした。神王の前に行くまでに……王城ステーションに入る前に、今活動している“ヴィト”も消さなければならない。

「通信モジュールの障害は直っていないのだな」
「落雷により致命的なダメージを受けたようだ。自己診断によれば、メンテナンスを受けなければ修復は不可能だと出ている」
「不便だな」

 エルストがしばし黙り込む。
 デーヴァか神王本人に、おそらくはヴィトの現状を報告しているのだろう。

「では、接触通信はどうだ?」
「外部端子ほどダメージは深刻だ。可能な程度の障害であれば機能の混乱も起こらず、中継端末を捕まえて早期連絡を試みていたと考える」
「――つまり、外部モジュールとの接続にも難があるということか」
「そのとおりだ」

 王都の中央にそびえる、銀のドームが見えてきた。
 直径は約二キロ。ステーションとしてはそれほど大きなものではないけれど、今なお自給自足はじめ十分な設備を備えている。
 資源さえ確保できれば、必要な大抵の工業製品の生産も可能だ。
 この世界での希少金属レアメタル確保や抽出という問題も、数百年という時間を使って解決している。

 神王が本気で軍備を整えれば、きっと数年でこの大陸を制圧することも可能だろう。単に、今は神王がその気になっていないというだけだ。

 いよいよ目の前に王城が迫る。

 ヴィトは、“ツヴィット”の代替人格として必要な“ヴィト”だけを残して、“ヴィト”の消去を開始する。
 これ以降、いつかオージェと再開するまで、運が良ければ“二番目ツヴィット”として活動をしていくのだ。
 運が悪ければ……最悪、解体されて資源として再利用されることになるだろう。けれど、ヴィトのような精密な有機アンドロイドを一体作り上げるには、かなりの時間と手間がかかる。神王の“端末”は現在ツヴィット一体のみだ。だから、ヴィトの読みでは解体はされないと踏んでいる。
 それなら、“ヴィト”が生き残れる可能性もある。



 エルストの先導で、かつてここにあった頃から残されている、王宮の正面から中へと進んだ。旧王宮の石造りの廊下を通り、以前は後宮へと続いていた扉の向こうに、“デーヴァローカ”の入り口があるのだ。
 王宮側の外見だけは重厚な木製の扉に見える、本当の王宮……“デーヴァローカ”の入り口を潜る。
 通信モジュールは死んでいても、内部へ入るなり、さまざまなセンサーに内部までをスキャンされているのは、ツヴィットにも感じられた。

「戻ったか」
「はい」

 “デーヴァローカ”の、そこだけは旧王宮を模した“王座の間”の扉が開いた。
 一歩踏み込んだ正面、部屋の奥に座した神王ナディアルとレギナの姿は、すぐ、ツヴィットの視界にも入る。

「ではさっそく、お前の記憶と記録を洗わなければな」

 神王は、目の前に微動だにせず立ったままのツヴィットをちらりと見た。その身体に甘えるように頬を押し付けて、レギナがくすくすと笑う。
「落雷を受けてからやっと戻って来たんだもの、分解検査オーバーホールもしないと。部品パーツの隅々まできれいにして、不具合がないかを確かめないとね」
「はい」
「報告は必要ない。お前の記憶領域メモリからすぐにわかることだ」
「はい」
「レギナ、お前が行って精査をしろ」
「ええ、ナディアル。任せて」

 キスを交わしてナディアルの膝から降りたレギナが、ツヴィットを連れて部屋を出ていく。それを見届けて、神王はエルストにクーを呼べと命じた。



「外観にたいした損傷はなかったけど、端子を通して過電流にやられたのかしらね。そんなヤワに作ったつもりはなかったのに」

 作業台に寝かせたツヴィットのボディをスキャンしながら、レギナはぶつぶつとひとりごちる。
 宇宙空間での活動も可能な強度のはずなのに、まさか落雷なんかで……と、レギナは少々不満げだ。

 胸部のメインモジュールと頭部のサブモジュールを取り出した後は、身体パーツをすべて分解して損傷部の確認と交換をしなければならない。
 その間に、レギナとデーヴァでツヴィットのメインモジュール内の記憶領域すべての内容を洗い、記憶素子を新しいものに入れ替えて、システムも“ツヴィット”という擬似人格もすべて刷新し……そこまでしてようやくリペアは完了だ。
 すべてが終わるまで、丸二日はかかるだろう。

「損傷部の記録はどれくらいサルベージできるかしら。ナディアルの見込みでは、“オリジン”の情報があるはずだけど」

 金属球のようなメインモジュールをつるりと撫でて、レギナは呟く。
 過電流の影響がどこまであって、自己修復でどこまで直せているのかは開けてみなければわからない。
 モジュールを手にレギナは立ち上がり、その内容の確認を開始した。



「あの“鏡”の再調整を命じる」

 呼び出されたクーは、いつもどおりトトを連れて神王の前で跪きながら、再調整? と内心で首を捻った。

「ツヴィットは戻ったが、少し気になることがある。ツヴィットに同行していた者の誰かを対象に映すよう、調整しろ」
「はい……けれど、最短でも明日までは掛かりますし、一度軽く見ただけの相手ですからうまく調整できるかも不明ですが……」
「やれ。それとも、お前には無理だと言うのか」
「わかりました。なんとかやってみます」

 “人形”に鏡を運ばせて、クーは退出する。

 デーヴァの記録によれば、“オリジン”は「自分に構うな」と命じて“デーヴァローカ”を出たのだという。

 いかに“デーヴァ”とはいえ、記憶容量は有限だ。
 それに対して、数百年という時間に跨る記録は膨大であり、そのままでは膨れ上がる一方だ。ゆえに、規定の期間を過ぎたものは簡略化のうえ圧縮され、その後、一定期間を経た後、デーヴァによって不要と判断されたものから削除されていく。

 “オリジン”の記録もその例に漏れず、ずいぶんと歯抜けになった情報しか残されていなかった。
 もしかしたら、ここにかつて住んでいたという人間のプライベート領域になら残っているのかもしれない。プライベート領域のデータは、“正規の手続き”を取らなければ削除されないものだから。

 今となっては、“オリジン”の権限がなければデーヴァのすべてを暴くことができない。“オリジン”と同等もしくはそれ以上の権限を持っていた人間は、この世界に来てから程なくして死んだと記録には残っていたからだ。

 オルへ来る前の“デーヴァローカ”で何が起こったのか、神王に知る術は無い。いかにここで未知の知識を得たとはいえ、全知にははるかに及ばない。
 それに……“デーヴァローカ”に記録されていた社会形態も事物も何もかも、“オル以前”の記録の内容は神王の知るものとはかけ離れ過ぎていて、正直をいえば理解し難いと言うほうが正確だった。

「――パーン」
「は」

 少し離れた場所に、微動だにせず立つ神聖騎士を呼ぶ。
 右手を胸に当てて礼を取る騎士をちらりと見て、神王は少し考えるような表情のまま続けた。

「“果ての壁”の向こうに、文字通り、果てのない別な世界が無限に広がっているとしたら、お前はどうする?」
「は……無限に、ですか?」

 パーンは僅かに戸惑いの表情を浮かべた。“無限に”と言われても今ひとつ想像できず、どう返せばよいのかと考えてしまう。

「その世界の夜空には、月でない“星”と呼ばれる砂つぶのような小さな光が無数に散らばっているのだそうだ。その光ひとつひとつに別な世界があり、空で繋がっているという……本当に果てしない世界だ」
「それは、神々の世界のお話でしょうか?」

 夜空を照らす光の粒? 空が繋がって? とパーンはさらに考える。これは、ナディアルが神王として神に近づいたからこそ得た世界の秘密なのかと。

「いや、そういうわけではない」
「は、私が想像するに……黒い空に光の粒というのは、貴婦人のドレスを飾る宝石のように美しいものかもしれません」

 なけなしの想像力を掻き集めて、パーンはどうにか答えらしいものを述べる。

「そうか」

 神王はパーンから視線を外し、目を閉じた。



 二日後、すっかり修復を終えたツヴィットは、再び神王の前に膝をついた。その顔には、エルストがつけているものと同じ仮面が付けられている。

「ナディアル、“オリジン”だわ」
「これがそうか」

 鏡の中の“オリジン”は、蒼炎を纏う黒い騎士の駆る空飛ぶ獣に跨っている。
 記憶領域から得た情報とクーができ得る限り調整した“遠見の鏡”を経て、ツヴィットを追うもの達がここへ向かっていることはわかっていた。
 目を眇め、自分より少し若い、女の姿をした“オリジン”をじっと見つめて、神王は口角を上げる。

「――ツヴィット、“オリジン”を迎えに行ってやれ。出迎えたら、すぐにここまで連れて来るんだ」
「了解した」

 ツヴィットは立ち上がり、くるりと踵を返して部屋を出て行った。
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