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5.はじまりの女神
入国
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「では、我らが送れるのはここまでだ」
犬のような猫のようなふさふさした毛皮の空飛ぶ獣を降りて、オージェは姉妹か双子のようによく似たふたりの騎士と握手を交わした。
「ライさん、ネイさん、ありがとう」
「構わん。我らもお前たちの道行きが良いものであるように祈っておこう」
「イーター殿も、あまり無茶をしないようにな」
「わかっておるとも」
名残惜しそうに獣の毛皮をもふもふと撫でるイァーノに、ほら行くぞとアカシュが声をかけた。
予定では今日の夕刻前に国境に着くはずだった。だが、乗騎たちが飛ばしてくれたおかげか、昼には到着できたのだ。
「早く国境を越えるといい。たしか、すぐそばに小さな町があったはずだ。今からなら閉門に間に合うはずだし、宿にも泊まれるだろう」
「はい」
細い獣道のような街道の先を指差して、ライが促した。
かねてからの打ち合わせ通り、リコーとオージェとイーターは、獣の背に乗って森の中から国境を越える。
アカシュとイァーノは、そのまま街道からだ。
“緩衝地帯”との間にはっきりとした国境線が引かれているわけではないが、ケゼルスベールの定めた場所には国境警備の詰所が置かれている。“緩衝地帯”から、妙な者に侵入されても困るからだ。
「あっくん、あっくん、国境で兵隊さんに怒られたりしないかな?」
「大丈夫だろ。俺は今フリーの傭兵で、お前を送ってく途中なんだから」
アカシュの手をしっかり握って歩きながら、イァーノはあれこれと話す。いつもよりおしゃべりなのは、少し緊張してるのだろう。
けれど、心配するほどのことはなかった。
国境で警備兵に止められた後は、考えていたとおりの二、三の質問を受けただけで、アカシュの傭兵鑑札を確認しただけで入国を許可された。
イァーノが人買いから助けられたサティア族の子供だとわかると、警備兵たちの顔にも、わずかに同情の色が浮かんでいたくらいで……これでひとまずは安心か、とアカシュはほっとする。
「ここから一番近い町までどれくらいかな?」
「一番近いというとフレランか……そうだな、大人の足なら一時間ほどだが、子連れなら二時間てところだろう。今からなら余裕で閉門に間に合うさ」
「そうか、ありがとう」
「気をつけて行けよ。嬢ちゃんもな」
「うん。おじさんもお仕事がんばってね」
イァーノに手を振り返して、警備兵はまた仕事に戻る。
「何もなくてよかったね、あっくん」
「ああ……そうは言っても、何か起こるとしたらこれからだけどな」
「そうなの? いーちゃんたちは、いつ来るのかな」
「もうちょい歩いたらだ。町の少し手前で合流だよ」
「ん」
「疲れたか?」
ひょこひょことサティア族独特の跳ねるような足取りで歩きながら、イァーノは首を振る。すぐに疲れたと言って抱っこをねだっていた頃に比べると、ずいぶん体力も付いたようだ。
「へいき。皆早く来ないかなって思ったの」
「どっちかってと、俺たちを早く来ないかと、皆が待ってると思うぞ」
「じゃ、急がないと!」
アカシュは、慌てて走り出そうとするイァーノの手を引いた。
山の中に住むサティア族の脚は強いというけれど、さすがにイァーノはまだ子供だ。脚は強くても体力がついていかない。
「走るな。すぐにへばって歩けなくなるぞ」
「でも」
「まだ少しかかるんだ。我慢しろ。走ってへばって歩けなくなったら、余計遅れることになるんだからな」
「――はあい」
イァーノは頬を少し膨らませて、けれど脚は緩めて速さを合わせた。アカシュは「大丈夫だよ」と、その頭をポンと撫でる。
「ここまでは、たぶん大丈夫だ」
「ここまでなの?」
「ああ。けれど、この先は神王のテリトリーだ」
「神王と縄張り争いだね」
アカシュを見上げてにこっと笑うイァーノは、どこまで現状を理解してるのだろうか。仕方ないなとアカシュも苦笑する。
「争いにはならないと思うけどな」
「ならないの?」
「相手は女神と組んでるんだ。こっちの分が悪いだろ」
「じゃあ、どうするの?」
ううむ、とアカシュは考え込む。
ケゼルスベールは何度か通ったことがある程度で、王都クーヴァンのことも王宮のこともたいしたことは知らないのだ。
「ヴィトを攫ってさっさと逃げ出すか……ま、なるようになるだろ」
「あっくんて、いつもそうやって適当だよね」
「知らないことを思い悩んでも不毛だよ。どうせ出たとこ勝負の臨機応変しかないんだ。王宮とヴィトがどうなってるか、俺たちは知らないんだからな」
「私、ちゃんと占いできたらよかったのになあ。そしたらトーくんのことももっとわかるのに」
「お前はまだ子供だろうが。いろいろ学ぶのはこれからだろう? 余計な気を回さなくていいんだよ」
どうせ子供だもんと剥れるイァーノを、アカシュがやれやれと抱え上げる。
「お前、やっぱり疲れてたんだろ」
「疲れてないもん」
「その割に、変なこと気にしたり機嫌が悪くなったりしてるぞ」
「そんなことないもん」
「はいはい」
剥れながら、けれどしっかり抱きつくイァーノの背をトントンと叩いて、アカシュは先を急ぐ。
そこから一時間と少しくらいか。
国境警備の詰所が完全に見えなくなった人気のない山道の真ん中で、イーターたちが待っていた。
アカシュの腕からひょいと飛び降りて、イァーノが走っていく。
「リコーちゃん! オーちゃん!」
「イァーノ、大丈夫だったみたいだね」
きゃあきゃあと騒ぐ子供ふたりに、アカシュも足を速める。
「こっちは特段問題はなかった。町はもう少し先のはずだ」
「ああ、こちらも問題はない。今のところは、だが。町は空から見えたぞ」
アカシュとイーターも、素早く現状確認を済ませてしまう。
「町に入るんですか?」
「小さな国だし、この街道はそこまで行き来も多くはなさそうだ。どう転んでも目立つんだから、堂々と行こう」
どう行くか、というオージェの疑問に、アカシュは少し考える。だが、もう今さらだろう。イーターも同じようなことを考えているようだ。
「そうだな」
イーターは頷いて、獣と黒馬を呼び出した。
それぞれに分乗し、軽く走らせ始める。
* * *
「国境を越えて町に入ったようです。見えた紋章からすると、たしかフレランでしたか……山羊と葡萄の紋章です」
遠見の鏡に映ったものを読み取って、クーが報告する。不思議なことに、デーヴァではここに映るものを読み取れなくなったためだ。代わりにクーが一定時間ごとに鏡を起動させ、位置確認をするようになっていた。
「どうやら、街道に沿って進むようです。黒馬と、翼を持つ魔獣のような獣を乗騎として使っています。どちらもとても目立つでしょうね」
クーの言葉に神王はしばし考えて、「レギナ」と呼んだ。
「ツヴィットはどうだ?」
「今日の夜には完了するわ」
「なら、完了次第向かわせる」
「ええ」
神王が気にするこの一行は、いったい何者なのだろう。
ふと、そんなことが気になったけれど顔には出さず、クーは鏡を覗いた。
「ツヴィット」
「はい」
夜も更けて、ようやくツヴィットのメンテナンスが完了した。通信モジュールの補助となる仮面を付けたツヴィットに、神王は命じる。
「今回は、お前ひとりだ。“オリジン”がいる以上、エルストも使えない」
「はい」
「デーヴァ抜きのシステムを用意できた“人形”は三体。機能的には補助がせいぜいだが、人間相手ならどうにかなるだろう。それでなんとかしろ」
「了解した」
顔のない、どこかぎこちない動きの人型が三体現れた。ちらりとそれを確認して、ツヴィットが向き直る。
少しの間ツヴィットを観察して、神王は言葉を続けた。
「――“オリジン”以外はどうでもいい。邪魔なら始末して構わない」
「了解した」
「デーヴァの飛ばしたセンサー群は役に立たないと考えろ。“オリジン”の状況に変化があれば、都度、通信が行く」
「了解した」
「最優先は“オリジン”の確保だ、いいな」
「了解した。“オリジン”確保を最優先事項とする」
犬のような猫のようなふさふさした毛皮の空飛ぶ獣を降りて、オージェは姉妹か双子のようによく似たふたりの騎士と握手を交わした。
「ライさん、ネイさん、ありがとう」
「構わん。我らもお前たちの道行きが良いものであるように祈っておこう」
「イーター殿も、あまり無茶をしないようにな」
「わかっておるとも」
名残惜しそうに獣の毛皮をもふもふと撫でるイァーノに、ほら行くぞとアカシュが声をかけた。
予定では今日の夕刻前に国境に着くはずだった。だが、乗騎たちが飛ばしてくれたおかげか、昼には到着できたのだ。
「早く国境を越えるといい。たしか、すぐそばに小さな町があったはずだ。今からなら閉門に間に合うはずだし、宿にも泊まれるだろう」
「はい」
細い獣道のような街道の先を指差して、ライが促した。
かねてからの打ち合わせ通り、リコーとオージェとイーターは、獣の背に乗って森の中から国境を越える。
アカシュとイァーノは、そのまま街道からだ。
“緩衝地帯”との間にはっきりとした国境線が引かれているわけではないが、ケゼルスベールの定めた場所には国境警備の詰所が置かれている。“緩衝地帯”から、妙な者に侵入されても困るからだ。
「あっくん、あっくん、国境で兵隊さんに怒られたりしないかな?」
「大丈夫だろ。俺は今フリーの傭兵で、お前を送ってく途中なんだから」
アカシュの手をしっかり握って歩きながら、イァーノはあれこれと話す。いつもよりおしゃべりなのは、少し緊張してるのだろう。
けれど、心配するほどのことはなかった。
国境で警備兵に止められた後は、考えていたとおりの二、三の質問を受けただけで、アカシュの傭兵鑑札を確認しただけで入国を許可された。
イァーノが人買いから助けられたサティア族の子供だとわかると、警備兵たちの顔にも、わずかに同情の色が浮かんでいたくらいで……これでひとまずは安心か、とアカシュはほっとする。
「ここから一番近い町までどれくらいかな?」
「一番近いというとフレランか……そうだな、大人の足なら一時間ほどだが、子連れなら二時間てところだろう。今からなら余裕で閉門に間に合うさ」
「そうか、ありがとう」
「気をつけて行けよ。嬢ちゃんもな」
「うん。おじさんもお仕事がんばってね」
イァーノに手を振り返して、警備兵はまた仕事に戻る。
「何もなくてよかったね、あっくん」
「ああ……そうは言っても、何か起こるとしたらこれからだけどな」
「そうなの? いーちゃんたちは、いつ来るのかな」
「もうちょい歩いたらだ。町の少し手前で合流だよ」
「ん」
「疲れたか?」
ひょこひょことサティア族独特の跳ねるような足取りで歩きながら、イァーノは首を振る。すぐに疲れたと言って抱っこをねだっていた頃に比べると、ずいぶん体力も付いたようだ。
「へいき。皆早く来ないかなって思ったの」
「どっちかってと、俺たちを早く来ないかと、皆が待ってると思うぞ」
「じゃ、急がないと!」
アカシュは、慌てて走り出そうとするイァーノの手を引いた。
山の中に住むサティア族の脚は強いというけれど、さすがにイァーノはまだ子供だ。脚は強くても体力がついていかない。
「走るな。すぐにへばって歩けなくなるぞ」
「でも」
「まだ少しかかるんだ。我慢しろ。走ってへばって歩けなくなったら、余計遅れることになるんだからな」
「――はあい」
イァーノは頬を少し膨らませて、けれど脚は緩めて速さを合わせた。アカシュは「大丈夫だよ」と、その頭をポンと撫でる。
「ここまでは、たぶん大丈夫だ」
「ここまでなの?」
「ああ。けれど、この先は神王のテリトリーだ」
「神王と縄張り争いだね」
アカシュを見上げてにこっと笑うイァーノは、どこまで現状を理解してるのだろうか。仕方ないなとアカシュも苦笑する。
「争いにはならないと思うけどな」
「ならないの?」
「相手は女神と組んでるんだ。こっちの分が悪いだろ」
「じゃあ、どうするの?」
ううむ、とアカシュは考え込む。
ケゼルスベールは何度か通ったことがある程度で、王都クーヴァンのことも王宮のこともたいしたことは知らないのだ。
「ヴィトを攫ってさっさと逃げ出すか……ま、なるようになるだろ」
「あっくんて、いつもそうやって適当だよね」
「知らないことを思い悩んでも不毛だよ。どうせ出たとこ勝負の臨機応変しかないんだ。王宮とヴィトがどうなってるか、俺たちは知らないんだからな」
「私、ちゃんと占いできたらよかったのになあ。そしたらトーくんのことももっとわかるのに」
「お前はまだ子供だろうが。いろいろ学ぶのはこれからだろう? 余計な気を回さなくていいんだよ」
どうせ子供だもんと剥れるイァーノを、アカシュがやれやれと抱え上げる。
「お前、やっぱり疲れてたんだろ」
「疲れてないもん」
「その割に、変なこと気にしたり機嫌が悪くなったりしてるぞ」
「そんなことないもん」
「はいはい」
剥れながら、けれどしっかり抱きつくイァーノの背をトントンと叩いて、アカシュは先を急ぐ。
そこから一時間と少しくらいか。
国境警備の詰所が完全に見えなくなった人気のない山道の真ん中で、イーターたちが待っていた。
アカシュの腕からひょいと飛び降りて、イァーノが走っていく。
「リコーちゃん! オーちゃん!」
「イァーノ、大丈夫だったみたいだね」
きゃあきゃあと騒ぐ子供ふたりに、アカシュも足を速める。
「こっちは特段問題はなかった。町はもう少し先のはずだ」
「ああ、こちらも問題はない。今のところは、だが。町は空から見えたぞ」
アカシュとイーターも、素早く現状確認を済ませてしまう。
「町に入るんですか?」
「小さな国だし、この街道はそこまで行き来も多くはなさそうだ。どう転んでも目立つんだから、堂々と行こう」
どう行くか、というオージェの疑問に、アカシュは少し考える。だが、もう今さらだろう。イーターも同じようなことを考えているようだ。
「そうだな」
イーターは頷いて、獣と黒馬を呼び出した。
それぞれに分乗し、軽く走らせ始める。
* * *
「国境を越えて町に入ったようです。見えた紋章からすると、たしかフレランでしたか……山羊と葡萄の紋章です」
遠見の鏡に映ったものを読み取って、クーが報告する。不思議なことに、デーヴァではここに映るものを読み取れなくなったためだ。代わりにクーが一定時間ごとに鏡を起動させ、位置確認をするようになっていた。
「どうやら、街道に沿って進むようです。黒馬と、翼を持つ魔獣のような獣を乗騎として使っています。どちらもとても目立つでしょうね」
クーの言葉に神王はしばし考えて、「レギナ」と呼んだ。
「ツヴィットはどうだ?」
「今日の夜には完了するわ」
「なら、完了次第向かわせる」
「ええ」
神王が気にするこの一行は、いったい何者なのだろう。
ふと、そんなことが気になったけれど顔には出さず、クーは鏡を覗いた。
「ツヴィット」
「はい」
夜も更けて、ようやくツヴィットのメンテナンスが完了した。通信モジュールの補助となる仮面を付けたツヴィットに、神王は命じる。
「今回は、お前ひとりだ。“オリジン”がいる以上、エルストも使えない」
「はい」
「デーヴァ抜きのシステムを用意できた“人形”は三体。機能的には補助がせいぜいだが、人間相手ならどうにかなるだろう。それでなんとかしろ」
「了解した」
顔のない、どこかぎこちない動きの人型が三体現れた。ちらりとそれを確認して、ツヴィットが向き直る。
少しの間ツヴィットを観察して、神王は言葉を続けた。
「――“オリジン”以外はどうでもいい。邪魔なら始末して構わない」
「了解した」
「デーヴァの飛ばしたセンサー群は役に立たないと考えろ。“オリジン”の状況に変化があれば、都度、通信が行く」
「了解した」
「最優先は“オリジン”の確保だ、いいな」
「了解した。“オリジン”確保を最優先事項とする」
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