蛮族嫁婚姻譚その2:神官先生と押しかけ見習い

ぎんげつ

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結婚の前には婚約を

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 乾き切っていない小枝が混じってるのか、少し白い煙を上げてパチッと薪がはぜた。小さく揺れる火を眺めながら、お茶で湿した固いパンと木の実を齧る。

 本当なら野宿の予定はなかった。だから、あまりたいした食事はできないし、きちんと毛布やら天幕やらが用意してあるわけでもない。今夜は露天で、マントに包まって星を眺めながら寝ることにもなってしまう。
 自分の後先考えない行動をしきりに詫びるノエに、ヘルッタはつい笑ってしまった。“女王”の神子と対等にやりあった神官とは思えない、ちょっと情け無い表情が、なんだかおもしろい。

「ここに羊がいれば、羊と一緒に寝られて寒くないのにね」
 夏とはいえ、さすがに夜ともなれば冷え込んでくるなと考えながら呟いて、ヘルッタが空を見上げる。火が当たってるうちはいいけど、寝てしまえば火は消えてしまうから、深夜の冷え込みは少し心配だった。
「ヘルッタ、寒い?」
「ん……大丈夫、だと思う」
 ノエは少し考える。
 そうは言っても、氷原の夜はこれからもっと冷え込むのだ。
 氷原の夏は涼しいからと、寒さや暑さをしのぐための神術は降ろしていない。こんなことならひとつくらいはと、やっぱり己の短絡さを後悔しながら、「こっちにおいで」とヘルッタを手招いた。
「僕のマントに入るといい。羊代わりだよ」
 マントの前を開けてもう一度手招くと、ヘルッタは目をぱちくりと瞬かせて、それからにっこり頷いた。
 ふふ、と笑って「羊の神官様だ」とマントに潜り込む。
「パルヴィが言ってたの。神官様は暑いところから来たから、色が黒いんだって。日焼けしても赤くならないで黒くなるって、どうして?」
「え? それは、僕もよくわからないけど……元から肌の色が濃いからじゃないかな。僕の故郷でも、色が白い人は赤くなるだけだったから」
「ふうん。暑いところってどんな感じ? 海が凍らないって本当? 羊は飼ってるの? 雪兎とか雪猫はいる?」
「そうだね……海も川も湖も凍らないし、冬でも泳げるところがあるくらいだ。羊は飼ってるけど、このあたりで見るのとたぶん種類は違うね」
「泳ぐの!? 」
 目を丸くするヘルッタに、ノエはくすくす笑う。
「このあたりは知らないけれど、南じゃ皆泳ぐね。冬でも水が冷たくならないし、風呂に入る代わりに川で泳いで済ませてた」
 ひゅうっと風が吹いて、焚き火が揺れる。
「やっぱり夜風は冷たいね。さすが氷原だ。野宿はちょっと失敗だったかな」
「でも、神官様のマントは暖かいよ」
「なら、羊の役目はちゃんと果たせてるってことか」
 笑いながら、ノエは焚き火に小枝をくべる。
 風はずいぶんと冷たいけれど、マントは暖かい。ノエの体温が、ヘルッタよりも高いということなのか。
 ヘルッタがそっと寄りかかると、ノエが腕を回し、風が入らないようにしっかりとマントに包み込んでくれた。

 ふと、そういえば、ノエはイェルハルドとほとんど同じ歳だと聞いたことを思い出した。南の大きな町で、イェルハルドと一緒に薬の研究をしてた縁で北へ招かれたのだと、パルヴィが話していたのだ。
 ノエは病気にも薬にも詳しくて、領主であるイェルハルドとも仲が良くて……それに、あの神子とも対等にやりあえるほどの偉い神官で。
 おまけに、乱暴者ではなく、むしろとても優しく接してくれる。

「神官様は、結婚しないの?」
「え?」
 ノエの身体がぎくりと震える。
 いきなり尋ねられて、ノエはなんと答えたものかと返事に窮してしまう。
「と、唐突に、どうして、かな?」
「パルヴィが、前に、奥さんが一緒かもって言ってたの。でも、一緒じゃなかったから、結婚しないのかなって」
「あ……うん。結婚は、とうぶん、いいかなと……」
 ああ、そういうことかとノエは小さく息を吐いた。“谷”から来た娘同士、仲良く話をしている時にでも聞いたのだろう。
 ヘルッタは、ぎこちなく笑みを浮かべるノエに首を傾げる。
「どうして? 絶対結婚しないわけじゃないんでしょう?」
「え、あ、まあ……ね?」
 絶対と言われれば、そうかもしれない。
 が、それは元婚約者とのことが吹っ切れてから……だろう、たぶん。

 少し歯切れの悪いノエの返答に、ヘルッタがにんまりと笑った。
 その笑顔が、ノエにはなぜか森の奥で獲物を待ち伏せる虎のように思えて、ひとしずくの汗が背を伝う。

「あ……ええと、それが、どうかしたのかな」
「私ね、町に送られたから領主様の第二夫人になるのかなって思ってたけど、領主様は奥さんはひとりでいいって言うの」
「うん。イェルハルドなら、そう言うだろうね」
 停戦協定の証として引き渡されたなら、たしかにそういう覚悟も込みで町に来たんだろう。相手がイェルハルドだったから、当ては外れたけれど。
「それで、私たちの夫は領主様が決めるんだと思って待ってたんだけど、全然決めてくれないの。聞いたら、町では誰かが決めた人じゃなくて、自分が好きな人と結婚していいんだよって言われて、どうしようかなって」
「うん、それで……」
「だから、私、神官様の第一夫人になればいいんだって思ったの」
「――え?」

 どうして、そこでそうなるのか。
 いったいどんな流れでその結論に至ったのかがわからず、ノエはまじまじとヘルッタを見つめる。

「私、神官様のこと好きだし、偉い神官様が夫になれば安心でしょう?」
「いや、君の言う“好き”というのは……」
「うちは母さんも姉さんたちもたくさん息子を産んでるから、私もたくさん息子を産む自信あるわ。神官様も、それなら安心よね?」
「だから、ちょっと……」
「だめ? 神官様は私のこと嫌い? 医術も薬学もがんばるし、ちゃんとお手伝いもできるようになるから、私が妻になってもいいでしょう?」
「だから……」
「教会でちゃんと夫婦の本も見つけて勉強したのよ。ちゃんと旦那様と仲良くする方法も悦ばせる方法も知ってるから、いい妻になれると思うの」

 今度こそノエは絶句して、頭を抱えてしまう。

「いや……いや、だから、そういうことじゃなくて……」
「私、旦那様の言うことも聞くし、町のことももっと勉強するわ。神官様は、私が奥さんじゃだめ? 不満?」

 上目遣いに見つめられて、ノエはどうしたものかと考え込んでしまう。
 どう考えても恋すらしたこともないだろうこの子に、いったい、どうやって説明すればいいのか。

「あ、子供のこと? 町は、育ってから産まなきゃいけないんだっけ?
 大丈夫。子供ができないやりかたも知ってるから、夫婦で仲良くしながらちゃんと育つまで待てると思うの」

 今度こそ、ノエはがっくり項垂れた。
 こんな年端もいかない女の子が、何を言い出すのかと。

「――あのね、ヘルッタ」
「うん」
「君はまだ町では子供とされる歳で、結婚も早過ぎるくらいだ」
 たちまちヘルッタの眉間にくっきり皺が寄る。神官服の裾をぎゅうっと握り締めて、ひたすらにノエを見つめる。
「だから、君はそんなに慌てて結婚のことを考えなくても大丈夫なんだよ」
「でも、私だって結婚したいもの」
「え?」
「私もいい旦那様と結婚したい。神官様ならきっといい旦那様になるから、神官様と結婚したいの。だめ?
 パルヴィはいいな。領主様みたいないい旦那様と結婚できて」
 ノエは、大きく息を吐く。
 結婚した親しい友人を見て、結婚に憧れたのかと。
「君がゆくゆくは良い伴侶を見つけて結婚したいと考えているのはわかった。けれど、だからって、会ってまだ数日の、歳も離れた僕みたいな男をっていうのは、少し短慮だよ。もう少しゆっくり落ち着いて考えて」
「ゆっくり落ち着いて考えれば、神官様が旦那様になってくれる? 私と結婚して旦那様になってくれる?」
「そうじゃなくてね」
「じゃあ、今すぐ結婚って言わないから、婚約じゃだめ? 結婚の約束が婚約でしょう? ちゃんとゆっくり落ち着いて考えるから、婚約ならいい?」
 どことなく必死にしがみ付いて懇願するヘルッタに、ノエはまた溜息を吐く。そんなに急ぐ歳でもないのに……と。
「私、神官様が旦那様だったらいいなって思ったの。私が育たなきゃ嫌だっていうなら、がんばって急いで育つから、ね、婚約して?」
 婚約すると言うまであきらめないとでもいうのか、必死なヘルッタのようすに、自然と苦笑が浮かんでくる。
 これはもしかしたら、子供がちょっと関わって良いなと思った大人に憧れて……という、一過性のものなんじゃないか。
「なら……」
 回された腕にぽんぽんと宥めるように肩を叩かれて、ヘルッタはハッと顔を上げた。期待にほんのりと顔を紅潮させ、じっとノエの顔を見つめる。
「婚約はしてもいい。でも、君がもっと好きになって結婚したいと思う相手ができたら、いつでもやめにして構わないからね」
「――うん!」
「じゃ、この話はこれでおしまいだ。月も高くなったから、もう寝よう」
「うん」
 ヘルッタはほっとして頷くと、ごろりと横になったノエの身体に顔を擦り付けるようにして寄り添った。
 大地の女神の教会で、皆のベッドをくっつけて一緒に寝たことは何度もあった。けれど、ノエの身体はもちろん皆とは違っている。“谷”の男みたいに鍛えてるわけじゃないのに、とてもがっしりしていて暖かくて心強い。



 翌朝、ノエは夜明け前には起き出して、地平を昇る太陽に向けて礼拝を行なった。
 一緒に起き出したヘルッタは、火を起こして湯を沸かす。顔を洗い、くしゃくしゃになってしまった髪を編み直して、服の皺を整えて、身繕いをする。
 ノエの礼拝が終わるのを待って、簡単な食事をして……。
「神官様」
「なんだい?」
「婚約したら、神官様のこと何て呼んだらいいかな? “旦那様”って呼ぶのは、結婚してからなんだよね?」
「ああ……別に、今までと一緒でいいんじゃないかな?」
 うきうきと弾むような声でヘルッタが尋ねた。婚約者に特別な呼び方なんてあっただろうかと、ノエも首を捻る。
 仮初めの便宜上のもので、特に変わった何かをする予定があるわけでもない。貴族の婚約のように、契約書を作ったわけでもないのだ。
 今までと同じで良いのではないだろうか。
「でも、“神官様”じゃ、つまんない」
「つまらない、って……」
 むうっと頬を膨らませるヘルッタの表情が、年相応に幼くなる。
「あ! そうだ」
 いいことを思いついたと、ヘルッタが手を叩いた。
「神官様のこと“ノエ”って呼んでいい? パルヴィが領主様のこと、結婚して契りの夜が終わるまで名前で呼んでたの。だから私も」
 そんなことでいいのか。
 ノエは軽く目を見開いてまじまじとヘルッタを見つめ返した。
「ヘルッタがそう呼びたいなら、構わないよ」
「本当?」
 たちまち輝くような笑顔になるヘルッタに釣られて、ノエも笑顔になる。
「ああ。僕のことはノエって呼ぶといい」
「うん!」

 町に着くまでの数刻、ヘルッタは何かとノエを呼んでは喋り倒していた。

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