蛮族嫁婚姻譚その2:神官先生と押しかけ見習い

ぎんげつ

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おやすみなさいの

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「ノエ高神官、聞きましたよ。婚約なさったそうですね」
 夕刻の礼拝で、聖騎士ハイラムがおもしろそうに笑っていた。

 帰ってくるなり、止める間も無くヘルッタがあちこちに婚約を報告していたから、たぶんもうかなりの人が知っているのだろう。
 あとで、年頃の娘の憧れでそう言ってるだけの、正式なものではないと説明して歩かなければ……と考えて、少し面倒臭く感じてしまう。

「ヘルッタはまだ子供ですから、一時の熱病みたいなものですよ。しばらく冷ませば考え直します」
「そうでしょうか? その割に真剣な顔で、僕にどうしてレンと結婚しようと思ったのかと尋ねに来ましたが」
 思わず咳き込んで、ノエはくっくっと笑うハイラムを唖然と振り返った。
「それで、何て答えたんですか?」
「秘密です。けれど、僕には熱病のように見えませんでしたよ。あれはかなり本気のようですが?」
「いや……親しい友人が結婚して幸せそうだから自分も、というだけですよ」
 どうにも冗談で済ませたそうなノエに、ハイラムはやれやれと肩を竦める。
「きっと今頃、ヘルッタは首尾よくノエ高神官を捕まえたぞと勝ち鬨をあげてると思うんですけどね」
 そんなハイラムの言葉に、ノエは思い切り顔を顰めてみせた。



「ねえ、レン様はどうやってハイラム様に結婚してくれって言わせたの?」

 夕食の準備をしながら、ヘルッタは尋ねてみた。レンは少し目を丸くして、それから興味津々というヘルッタに内緒話のように囁いた。

「いろいろなことの相性が良かったからかしらね」
「相性?」
「そう。種族で言えば私とハイラムの相性は最悪なんだけど、それ以外が最高だったの。おかげで、私にメロメロになって離れたくなくなったハイラムがどうしてもって取り縋ってきたから、結婚してあげたのよ」
「いいなあ……ノエも、私に結婚してって取り縋ってくれたらいいのに」

 心底羨ましそうに呟くヘルッタに、レンはくすくす笑いだしてしまう。
 その口振りも何もかも、恋する女というより精いっぱい背伸びをしようとしている子供のようで微笑ましい。

「なら、ノエ高神官を落とさないとね」
「落とすの?」
「そう」
 レンはヘルッタの顔を覗き込んで、するりと頬を撫でた。
「私の予想じゃ、ヘルッタは早くてあと半年もすれば本格的に育ち始めるわね。順調にいけば、二、三年のうちにとっても美人になるわよ」
「え?」
「こんなに色が白くて髪も綺麗な金色で、目だって澄んだ泉のように青いわ。唇だって頬だってほんのり薔薇色で目鼻立ちも整ってるから、あと数年で男の人が放って置かないくらいの美人になるのは間違いなしよ」
「ほんとう!? 私、美人になる? ノエがびっくりするくらい?」
「ええ、ノエ高神官がびっくりするくらい」
 にっこり頷くレンに、ヘルッタもだんだん嬉しくなってくる。
「じゃあ、このままいけばノエを落とせるかな」
「このままじゃダメ。ヘルッタの努力も必要よ」
「努力?」
「そう。いい女になって、ちゃんとノエを惚れさせないと」
「いい女……ちゃんと旦那様を悦ばせられる妻になるって証明すればいいのかな。ノエは、私のこと子供だって言うの」
「そうねえ」
 上から下までじっと眺めて、レンはおもしろそうに目を細める。
「夫を悦ばせるとかは置いといて、ノエ高神官の言葉は言い訳にも聞こえるわ」
「言い訳?」
「そう。このあたりでは十六くらいで大人だと見られるのよね。なら、ヘルッタはあと一年もすれば大人ってわけでしょう? 一年でどれだけ育つと思ってるのか知らないけど、だからこその言い訳ね」
 ふうん、と首を傾げて、ふと、ヘルッタはほんのりと眉尻を下げる。
「あと一年でちゃんと大人になれるかな。ノエが認めてくれるような」
「なれるわよ。ああ、そうね。心配なら、今夜からおやすみなさいのキスでもねだってみたらどうかしら」

 ヘルッタは大きく目を見開く。おやすみなさいのキスなんて、ぜんぜん、思い付きもしなかった。
 頬を真っ赤に紅潮させたヘルッタは、何度も瞬きをする。

「おやすみなさいのキス? 寝るときにキスをするの?」
「ええ。それも、唇と唇でね?」
 くちびる、と呟いて、ヘルッタは耳まで真っ赤になる。ノエの唇と自分の唇で、おやすみなさいのキス……。
「婚約者となら誰でもやってるんじゃないかしら。部屋まで送ってもらって、そこでおやすみなさいのあいさつと一緒にキスをするといいわね。
 ――それに、そうやってヘルッタ自身を意識させるのも作戦よ」

 レンの言葉にヘルッタはいたく感銘を受けた。さすが、結婚している女の言うことは違う。
 婚約は了承したくせにどことなく一線を引いたままのノエが、これでヘルッタを認めてくれるというなら、やらないわけにはいかない。

「じゃ、そろそろ皆に夕食を配りましょうか」
「はい」

 “谷”から連れ帰った者たちはこの施療院の病室で預かっている。幾人かは治療も必要だし、そうでなくても体力の衰えは見られるのだ。数日は彼らの体力回復に努めながら、施療院で面倒を見なければいけない。
 夕食の皿を乗せたワゴンを押して、ヘルッタはレンとたわいないお喋りを続けながら病室へと向かった

「さ、夕食よ」
 先に“谷”の男たちの部屋の扉を開けると、三人ともがギクリと振り返ったことに、ヘルッタは首を傾げる。心なしか、全員がレンに怯えているようだ。

 正直なところ、いかにノエが拾って自分のものだと宣言したところで、“谷”の男がむざむざ従うものだろうかと心配していた。
 だが、ヘルッタの予想に反して、皆、おとなしい。レンに差し出されるままに皿を受け取り、素直に夕食を食べ始めている。
 いったいどんな魔法なのか。ヘルッタはまじまじとレンを見つめてしまう。

「レン様、どうやって言うこと聞かせたの?」
「ああ。文句があるなら腕相撲で私に勝ててからにしろと言っただけよ。私に勝てないうちは、つべこべ言わず私に従えってね」
「ええ?」
 部屋を出るなり質問を繰り出すヘルッタに、レンはウィンクを返した。
 とてもじゃないが、ヘルッタとそう変わらない体格のレンが彼らを力で負かすところなんて想像もつかない。
「氷原の民は力に従うって言ったから、私の力に従ってもらったまでだわ。言ったでしょう? 私は人間じゃないって。
 こう見えて、力だけならハイラム以上なのよ」
 こんなに細い腕なのに、男たちは騙されたと大騒ぎだったに違いない。下手すれば魔女だなんだと騒ぎ立てそうなのにあんなにおとなしいなんて、レンは他にも何かしたんじゃないだろうか。

 次は、子供が産めなくて追い出された女性……ヤーナとヨニを入れた部屋だ。扉を開けて中を覗くと、ヨニが「おねえちゃん」と嬉しそうに笑った。
「ヨニ、咳はどう?」
「神官先生がくれたお薬飲んだら、あんまり出なくなったよ」
「よかった」
 食事を置いて、ヘルッタはすぐ横の丸椅子に腰を下ろす。レンはヤーナの横に座って、あれこれと話かけながら食事を取らせているようだった。
 ふたりとも体力が落ちているから、数日はゆっくりと休んでしっかり食事を取る必要があるというのが、ノエの判断だった。
「おねえちゃんは、神官先生と結婚するの?」
 さっそく婚約の話耳にしたのか、ヨニがわくわくと期待するような表情をヘルッタに向ける。
「そうよ。ちゃんと婚約だってしたもの。私はノエの妻になるわ」
 ふふ、と笑って、ヘルッタは得意げに胸を反らすと、こくりとスープを飲んだヨニが、「すごいや」と声を弾ませた。
「おねえちゃんは、町の長の第二夫人になったんだと思ってたんだ」
「私もそのつもりだったの。でも、領主様は妻はひとりでいいって言うのよ。養えないわけでもなさそうなのに、不思議よね」
 長のくせに、どうして妻はひとりでいいなんて言うのか。養う力がないわけでもなさそうなのが、ヘルッタにはよくわからない。
 ヨニも不思議そうな顔をしている。
「じゃあ、神官先生がおねえちゃんを第一夫人にするんだよね。第二夫人とか第三夫人は誰にするのかな?」
「わからないわ。今度聞いてみる」
 そういえば、確かめてなかった。
 “女王”の神子なら妻を何人も持っているけど、太陽神の神官はどうなんだろう。
「じゃあ、アイニとかタラーラは? エリサも、長が結婚しないなら、神官先生が結婚するの?」
「アイニはエリサと警備の男たちを見に行ってるの。結婚するなら戦士がいいからって言ってたわ。
 タラーラは、大地の女神の司祭様に弟子入りしたいんだって」

 イェルハルドの、好きな相手と結婚すればいいという言葉は、“谷”から来た娘たちにはかなりの驚きだった。
 けれど、それぞれがそれぞれなりに考えた結果、誰かこれぞと思える相手を探すか、あるいは別な何かをすることに決めたのだ。
 
「だから、三人とも、ノエが迎えるってわけでもないみたいなの」
「ふうん。町って変わってるね」
「そうね」
 ヘルッタも変だとは思うが、「ここは“谷”じゃない」以外にうまい説明が浮かばない。今度、ヨニと一緒に、ノエにちゃんと教えてもらおうと考える。

「でも、変だけどごはんはおいしいね」
「たくさん食べれば、ヨニもすぐ元気になって、強くなれるよ」

 昼に焼いたパンにしっかりとバターを塗って頬張りながら、ヨニが笑う。ここに着いて早々に食欲を取り戻したようで、ヘルッタも安堵する。

「そしたらぼく、うんと強くなって、また“谷”に戻るんだ。立派な戦士になって、おとうさんの手伝いもするの」
「――うん。たくさん食べて、強くなれるようがんばろうね」

 神子の冷たい顔は気になるけど、ノエが付いていてくれれば、きっといろんなことが良い方向に転がるんじゃないだろうか。
 きっとヨニも丈夫になって、立派な戦士になれるだろう。


 * * *


 礼拝の後、戻ってきたノエとハイラムも迎えて、揃って食事を取った。
 その後も、お茶を飲みながらのんびりと今日のことを話していて……レンとハイラムは病室を見てから離れに戻ると言って、食事を終えると早々に席を立ってしまったから、ノエとヘルッタのふたりきりだ。

 それに、夕食の洗い物を片付けるのはヘルッタの役目と決まっているが、今日はノエが手伝ってくれることになっていた。
 ほどほどに休んだところで、ヘルッタは立ち上がる。
 洗い場の桶に水を溜めて食器を沈めて……。
「今日は、楽をしてしまおうか」
 不意に、ヘルッタの後ろから声がかかった。
「楽?」
 ヘルッタが確認する間も無く、ノエが“浄化”の聖句を唱えてしまう。
「たまになら、少しくらい楽をしたところで、神もお許しになるだろう」
 ぽかんと口を開けるヘルッタに笑いながら、ノエは汚れの無くなった食器を手際よくゆすいで籠に積み上げていった。
「昨夜は野宿だったし、君も疲れてるだろう? だから今日は特別だよ」
「うん――あのね、ノエ」
 そう言って笑うノエのようすに、これなら、おやすみなさいのキスもいけるんじゃないだろうかとヘルッタの気持ちが膨らんでいく。
「ん?」
「ノエ、私のこと、部屋に送ってくれる?」
「ああ、いいよ」

 同じ東棟の一階と二階で、他に誰かがいるわけでもない。
 しいて言えば、西棟に“谷”から迎えた者たちの部屋があって、時折レンとハイラムが見回りに来るくらいか。
 だから、わざわざ送るほどはないと断られたら……なんてちらりと考えたけれど、ノエは「お姫様をお送りしようか」とおどけるように微笑んで手を差し出した。



 ノエに手を取られて、食堂を出て、ゆっくりと階段を昇って……すぐ目の前がヘルッタの部屋だ。何かを話す暇もないほど本当にわずかな時間でしかない。
「さあ、着いたよ」
 扉の前で解かれ……そうになったノエの手を、ヘルッタはきゅっと握る。
 何かと伺うように、ノエがヘルッタの顔を見る。
「あのね、ノエ」
「どうした?」
「おやすみなさいのキス、して」
 ノエがほんの少し目を瞠る。ひたすらにじっと見つめるヘルッタをほんの少し見返して、それからしかたないなという顔で頷いた。
「はいはい」
 小さい子供にするように、ノエがするりと頭を撫でてにっこりと笑う。
「今夜はゆっくりおやすみ」
 笑いながら、少し上向いたヘルッタの額にゆっくりと顔を近づけて――だから、ヘルッタは、ノエが腰を屈めたところを狙ってその首にさっと腕を絡めた。
 そのまま、驚くノエの唇を狙って思い切り顔を寄せると、慌てて身体を起こそうとしたノエの唇が、ヘルッタの唇をわずかに掠める。
「へ、ヘルッタ!?」
「婚約したら、唇におやすみなさいのキスをするものだって聞いたもの」
 ふふっと笑ってみせるヘルッタに、ノエの眉が困惑でじわりと下がる。
「いや、でも……」
「ノエは嫌なの? キスは嫌い? したくない?」
 もしや強引にし過ぎたかと、ヘルッタの表情が不安に曇る。ノエは「いや」と言葉を濁して……それから、ひとつ吐息を漏らした。
 何かを考えるようにわずかに眉を顰め、ノエはいささか乱暴にヘルッタの顎を持ち上げた。なんだろうとヘルッタが疑問に思う隙もなく、ノエが小さく音を立ててその唇を啄ばむ。
「ノエ……?」
 驚いて目をまん丸に見開くヘルッタの頭を、ノエの手が軽くポンと叩いた。
「大人を相手にそういういたずらをするものじゃない。さ、おやすみ」
 それだけを言い残して、ヘルッタを部屋に押し込んだノエは、すぐに階下へと戻ってしまう。

「ノエ……」
 目の前でバタンと閉じた扉を、ヘルッタはいつまでもじっと見つめていた。
 なぜだか心臓が暴れてるみたいにうるさくて、今夜はなかなか寝られないかもしれないなと思った。
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