蛮族嫁婚姻譚その2:神官先生と押しかけ見習い

ぎんげつ

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悪い大人?

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 翌日から、施療院が開院した。
 朝食の席で今日一日の説明をされながら、ヘルッタはどことなく落ち着かない気持ちになっていた。
 心臓は変にドキドキするし、ノエの顔はキラキラ輝いて見えるし、これはいったいどうしたことだろう?

 初日はたくさん患者が来るだろうというのが、ノエの予想だった。
 薬を処方すれば最低でも銀貨が必要になるが、診察だけなら銅貨で済む。だから、薬はいらないけれど診てほしいという患者は多いだろう。単純な怪我ならレンやハイラムでも診ることはできる。だからそっちの処置は頼むというノエに、ふたりは頷いた。ヘルッタは、ノエについて手伝いだ。



 果たしてノエの予想どおり。
 物珍しさ故か、町の人たちが腰が痛む足が痛むと何かしらの不調を理由に次から次へと訪れた。
 あんなに広かった正面玄関のホールは、今や人でごった返している。
 ヘルッタからすれば、本当に痛いのかと疑問に思うような様子の者までがやって来て、元気に雑談しているのだから呆れてしまう。

 そんなたくさんの患者を、レンとハイラムが手際よく整理しさばいていく。
 すぐ診ないといけない者を優先的にノエのところへと送り、それに不満を訴えるものには、懇切丁寧に説明して納得してもらいながらだ。
 ヘルッタはノエの指示で布を取りに行ったり薬の瓶を取りに行ったりと、くるくるとコマネズミのように働いた。

 途中、昼食の差し入れだとパルヴィが来なかったら、皆揃って、お昼も食べ損ねていただろう。
 気付けば太陽は中天高く昇っていて、いつも昼を取る時間はとうの昔に過ぎてしまっていた。
 少し人が途切れてきたところを見計らって休憩に入ると、パルヴィも一緒に昼をつまみながら、「神官様はヘルッタと結婚するんだよね?」とノエに尋ねた。
「え、あ、いや」
 慌てるノエに首を傾げて、パルヴィはヘルッタへと目を向ける。
「結婚するのよ。私がまだ大人じゃないから、今は婚約だけど。ね、ノエ?」
 相変わらず言葉尻のはっきりとしないノエに少しだけがっかりして、けれどにっこりとヘルッタは頷いた。
「旦那様が、結婚はヘルッタが大人になったらっていうならあと一年しかないだろうって心配してたの。準備はどうするのかなって」
 そうか、準備をしなきゃいけない。すっかり頭から抜け落ちていたと、ヘルッタの眉が寄る。
 ここへ来る時に持たされた衣装はあるけど、少し背が伸びたから丈を直さなきゃいけないし、刺繍も足さなきゃいけない。
 すごく忙しくなりそうで、ヘルッタは思わず手元をじっと見つめる。
 嫁入り化粧の花模様を描く練習もしなきゃいけないし……染料も糸も布も、持ち込んだ分で足りるだろうか。額環のサイズも確かめないと。
 眉を寄せて考え込むヘルッタをちらりと見て、ノエも視線を泳がせる。
「そうか……準備か」
「うん。必要なものは早めに言ってくれれば取り寄せるからって。それと、旦那様が、あとで神官様のところに話に来るからね」
「え、何を?」
「それは知らない。行くことだけ伝えておいてって言ってた」
 おそらくはこの“婚約”のことだろうと、ノエは小さく吐息を漏らす。
 一応、ヘルッタたち“谷”の娘の保護者はイェルハルドということになっているのだ。いったい何を言われるのかと考えると、少し気が重い。
 レンとハイラムは、そんなノエのようすに顔を見合わせた。ヘルッタは悪い相手でもないのに、と。
 少々若いといってもあと数年だけの、ほんの一瞬程度なのだ。何かまずいことなんてあるだろうか?

 午後はだいぶ落ち着いた様相になった。
 レンもヘルッタも、ヨニやヤーナ、それに男たちのようすを見に行くことができたし、ほかの雑用をこなす余裕もできていた。ハイラムも町の警備詰所へ顔を出す時間が取れるくらいには、人も空いていた。

「施療院がどんなところかわかって、満足したんだろう」
 ノエは少し苦笑混じりに肩を竦める。

 中には、教会が付いているのに金を取るのか、と文句を言うものもいたらしい。レンが呆れた顔で「タダの施しを期待してたのね。そんなこと、するわけないでしょう」とこともなげに言っていた。
 太陽の神は生命を助ける神だと言うのに、どうしてお金を取るのかと、ヘルッタも不思議に思う。

「何もかも求められるがままにただ施すことが、救うことではないからね」
 ノエは困ったように眉を下げた。
 他の教会に比べ、救いを口にする代わりに臆面もなく金貨を求める、がめつい教会が太陽神教会だと言われることも多いのだ。
「もちろん、本当に持たない人たちに要求することはないよ。けれど、それは一時のことだけだ。救いが当たり前になってしまえば、彼らはいつまでも自分で立つことができないままだろう?」
「――なんか、難しい」
 施しと自分で立つことが、どうして関係しているのだろうか。ヘルッタには今ひとつよくわからない。
「いいかい? 母親が自分の子を幾つになっても子供として扱えば、その子供はいつまでも大人になれないだろう?」
「そうなの?」
「そう。子供はいつまでも母を頼ることをやめなくなってしまう。それで、もし母親がいなくなってしまったら?」
「ええと……」
「何もできないままでは、身体が大人でも生きていけないだろう?」
 納得したようなしてないような、そんな微妙な表情でヘルッタは頷いた。
「だから、お金を取るの?」
「そう、けじめだよ。教会はただ施すだけの場所ではないということだ」
「ふうん?」
「それに、教会が本当に困っているひとたちに施すためにはお金が必要だ。持っている者からは出してもらわないとね」
 そんな理由でノエががめつい守銭奴のように言われるのは、ヘルッタにはなんだか納得がいかない。



 夕刻が近づき、ようやく最後の診察が終わった。
 明日に備えて薬の瓶を確認する。ヘルッタは、文字の練習も兼ねてノエの言ったとおりに薬の状態を書き写していく。
 足りなくなりそうなものは補充が必要だし、減りが早ければ、南から送ってもらう手配もしなければならない。

「それにしても、やっぱり温室が欲しいな」
「温室?」
「そう。このあたりは寒すぎる。おかげで育たない薬草は多いからね。イェルハルドの温室を借りてはいるけど、少し小さいんだ。足りない分を南の教会から送ってもらうのはいいが、かなり高くついてしまうし……」
 領主の屋敷にある温室には、ヘルッタも一度だけ訪れたことがあった。
 たしかに中は暑いくらいに温まっていて、あれなら秋が来ると早々に枯れてしまう草や花も、枯れずに青いままなのかもしれないと思う。
「ただ、温室を作るにも、かなりの費用が必要だ。何せ、天井と壁をガラス張りにしたうえに、割れないように魔術で補強しなきゃいけない。この土地なら、冬でも暖かさを逃さないような魔術も必要だ。
 イェルハルドに言ったところで、さすがに難しいだろうな」
「ガラスじゃないといけないの?」
「ああ……まあ、普通の建物として建てて、天井に“陽光”の魔術を掛けて太陽の代わりにする方法もあるけれど、それじゃだめなものも多いんだ。
 まあ、今すぐは無理なことに違いないし、地母神教会やイェルハルドに共同の薬草園としてどうかと持ち掛けて、方法を探してみるよ」
 あれこれと、頭の中では忙しなくいろんなことを考えているんだろう。難しい顔で薬瓶を眺めるノエに、ヘルッタはぺたりとくっついた。

「ノエはいろんなこと知っててすごいね。私、ノエの妻になるの待ち遠しい」
「――ヘルッタ?」
「“谷”ならもう結婚してもおかしくないのに、なんで町は十六になってからじゃなきゃ駄目なんだろう」
「ヘルッタ、それは女性を守るための決まりなんだ」
「でも、私の夫になるのはノエでしょう? ノエは私に乱暴なことしないのに、なんで守る必要があるの?」
 言葉に詰まるノエを、ヘルッタはしっかりと寄り添ったまま見上げる。
「あのねヘルッタ」
「うん」
「幼くてまだあまり多くを知らない子供を騙すのは、案外簡単なことなんだ。まだ身体も心もできあがっていない子供を、悪い大人がいいように扱えないようにと定められたことでもあるんだよ」
 ヘルッタの眉間に皺が寄る。
 ノエの言葉は、まるで、ヘルッタは世間知らずゆえの気の迷いで結婚したがってるだけなのだ、と言っているように聞こえる。
「ノエは悪い大人じゃないし、一年くらい早めたって大丈夫だと思うの」
「どうして?」
「偉い神官様だし、私を騙したりなんてしないもの」
 ノエがやれやれとでも言うように、小さく吐息を漏らす。
「それはわからないだろう? 僕は神じゃないからね。もしかしたら、いないと嘘を吐いているだけで、“都”に妻子を置いて来ているかもしれないよ」
「え……? ノエはもう第一夫人がいるの?」
「そうかもしれないと言ってるんだよ」
 ノエはほんのりと笑う。だったらどうする、と問われているように思えて、ヘルッタは必死に考えて……。
「なら、私は第二夫人でいい。第一夫人に息子が産まれるまで子作りも我慢するし、ちゃんと第一夫人を立てることもできるわ。それならいいでしょう?」
「ヘルッタ」
 手に羊皮紙を載せた板を握り締めたまま、ぎゅうっと抱き着くヘルッタを、落ち着かせるように頭を撫でる。
「町は、ひとりの夫にひとりの妻が普通だ。何人も妻を持つ男はいないよ。僕も、妻はひとりで十分だ」
 ノエは何が言いたいのだろう。
 もう妻は間に合ってるといいたいのか、それとも、妻はひとりしかいらないから、そのひとりはヘルッタじゃないほうがいいと言ってるのか。
「ノエは結婚したくないの?」
「それは……」
「私、ノエが夫だったらいいなって思ったの。結婚するなら、ノエがいい」
 ノエは黙ってヘルッタの頭をもうひと撫でした。
「君はまだまだ若いんだから、そんなに結婚を焦る必要もないだろうに」
「ノエがいいんだもの」
「ともかく、まだ時間はあるんだから、焦らずに考えるんだ」
 それだけを告げて、夕刻の礼拝があるからとノエは行ってしまう。



 ヨニたちに食事を運び、いつもどおりにレンと夕食の用意をして、四人で夕食を取って……レンとハイラムが行ったあとはいつものようにノエとふたりになったけれど、いつものようにうまく言葉が出てこない。
「――今日は疲れただろう? もう寝てしまうといい」
 労わるように微笑まれて、ヘルッタは首を振る。
「でも、ちゃんと食器を片付けないと」
「僕も一緒に片付けよう」

 ふたりで並んで井戸端に立ち、カチャカチャと音を鳴らしながら汚れた食器を洗う。汚れた水を庭の片隅にある排水溝にざっと流し、新しい水を汲んでもう一度食器をすすぎ……それを二回繰り返して、乾いた布で拭き上げる。
 黙々と片付けるところまでを終えたところで、ノエが手を差し伸べた。
「部屋まで送ろうか」
 ヘルッタは大きく目を瞠り、こくりと頷いて手を取った。

 炊事場から二階の部屋へは、ほんの少し廊下を歩いて階段を昇るだけだ。
 もっともっと、せめてこの倍……いや、十倍くらいの距離があればいいのに、と思いながら、ヘルッタはなんとなく顔を上げられない。
 このまま手を離したくないのに、すぐに離さなきゃいけないなんて。
「ほら、着いた。おやすみ、ヘルッタ」
 手を解かれて、背を押されて、ヘルッタは顔を上げる。ゆらゆら揺れる蝋燭の灯りは暗くて、影になったノエの顔がよく見えない。
「ノエ、あのね」
「ん?」
 昼間、ノエは結婚したくなさそうに見えた。そのことがずっと引っかかっていて、いつものようにはっきり聞くことができない。
「あの……昨日みたいなおやすみなさいのキス、して欲しいの」
「ヘルッタ」
「だめ? おでこじゃ嫌。昨日みたいなのがいい」
 ノエは小さく溜息を吐く。
 目をいっぱいに見開いて、期待と不安を込めてひたすらノエを見つめるヘルッタをしばしみかえして……。
「目を瞑って」
「え?」
「キスをするときは、目を瞑るものなんだ」
「そうなの?」
「そう。だから、目を瞑って」
 ヘルッタはこくりと頷いて、そっと目を閉じた。心臓が、口から飛び出しそうなくらい激しく鼓動を打つ。
 ノエの大きな手が頬に当てられて、さらにドキンと跳ね上がる。
 そのまま少し上を向かされて、ノエの吐息が顔に掛かって……温かくて柔らかいものが、ヘルッタの唇に触れた。昨日みたいに一瞬じゃなくて、もっとしっかり触れて……顔が熱い。熱でも出たかと思うくらい熱くて、心臓もずっと早鐘を打っていて、身体の奥がうずうずと落ち着かなくて。

 夢見心地のまま、「おやすみ」と昨日のように部屋に押し込められて、ヘルッタはぼうっとしたままベッドに腰を下ろした。

 ノエがキスをしてくれて、良かったと思う。
 キスをしてくれたんだから、ノエに結婚を止める気はないのだろう。
 そう考えて、ヘルッタはほっと胸を撫で下ろす。

 大地の女神の教会で見た書物に、夫婦で仲良くするためのやり方はたくさんあったけれど、キスのことはあまり載っていなかった。

 ノエとの唇のキスは、とても心地いい。
 これが婚約のキスなら、夫婦のキスはどんなものなんだろうか。
 子供の作り方のことはしっかり教えられたけど、キスのことはほとんど知らなかった。これではいけないのではないか。
 そんなことを考えながら、ヘルッタは横になった。
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