蛮族嫁婚姻譚その2:神官先生と押しかけ見習い

ぎんげつ

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趣味と相性と覚悟

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「ノエ高神官、レンが気にしてるんですよ。どうするつもりなのかって」
「どうするつもりって……」
 朝の礼拝を終えて信者たちを見送った後、礼拝堂内を片付けながらハイラムが尋ねた。軽く世間話でもするような調子で、だ。
「もちろん、ヘルッタのことですよ。レンから見る限りでは、高神官はヘルッタを生殺しにでもしてるように見えるようですから」
「そんなつもりはないんだけどな……」
「結婚するつもりがあるならいいけど、ないならないで、どうして気を持たせるのかとも言ってましたよ。気が無いならさっさと断れ、ってね」
「レンさんは、厳しいね」
 苦笑を浮かべるノエに、「いやいや」とハイラムも苦笑を返す。
「高神官の態度のほうが厳しいと思いますけど?」
 とたんに言葉に詰まって顔を顰めるノエの背を、ハイラムがポンと叩いた。
「それはそれとして、高神官はこのまま領主殿のところへ行くのでしたね。僕はこのまま施療院に戻りますから」
「あ、ああ」
 ひらりと手を振り大股に歩き去るハイラムを見送って、ノエは溜息を吐く。

 施療院が始まってから五日。
 イェルハルドからの呼び出しがあってからもう三日経つ。話の内容が想像できるとはいえ、さすがにこのまま放置し続けるにも限界があった。
 レンの疑惑ももっともだろう。
 婚約のことも結婚のことも曖昧に濁したままなのだ。ヘルッタの表情も、だんだんと不安に曇ったものへと変わっている。
 なのに、部屋へ送ってねだられるままにキスをすることはやめられない。

 たしかに、十五という年齢での婚約は、“都”でだって変わったことじゃない。この土地で十六になった娘が結婚することだって、普通のことだ。身体が心配なら、結婚の後、一年か二年子供を作らなければいいだけの話で……。
 はっきりと肯定も否定もできずにいるのは、自分の心がふらふら定まらないせいであることくらい、わかっているのだ。



「ただいま、レン」
「おかえりなさい、ハイラム」
 いつものように、施療院に戻ったハイラムを迎えてレンがキスをする。そのようすをじっと見つめて、ヘルッタは、ふと首を傾げた。
「レン様とハイラム様は夫婦なんだよね?」
「そうよ」
 唐突な質問に、レンはきょとんと見返した。ハイラムも、いったい何かとヘルッタを振り向く。
「夫婦のキスも婚約のキスと同じなの? それとも、抱き着いてキスをするのが夫婦のキスなの?」
「え?」
「唇にキスをするのが婚約のキスなんでしょう? なら、夫婦になると夫婦のキスもあるんだよね? 大地の女神の教会にあった本は、子作りの仕方は書いてあってもキスのことは全然だったの。だけど、夫婦のキスってどんなのか知りたいなって思って」
 興味津々で見上げるヘルッタに、ふたりは顔を見合わせる。
 それから、ハイラムがくっくっと笑いだした。
「それは、結婚してからじっくり教わったほうがいいことだよ。実践でね」
「そうなの?」
「そう。あまり耳年増になるのはよくない。男っていうのは、好きな女に“知らないから教えてほしい”と言われるほうが喜ぶ生き物なんだ」
「そうなの? ノエもそうかな」
「たぶんね」
 にっこり微笑んでウィンクを返すハイラムに、ヘルッタはそういうものなのかと考えてみる。
 ――が、よくわからない。

 黙り込んでひとしきり唸るヘルッタをしばらく眺めて、ハイラムはまたくっくっと笑い……それから、ポンと肩を叩いた。
「さ、高神官が戻ってくる前に、片付けと準備を済ませてしまおう」
「はい」
 慌てて頷くヘルッタの頭をもうひとつポンと撫でると、ハイラムはテーブルの上の食器を重ねていった。
 ヘルッタも腕まくりをして、重ねた食器を洗い場へと運び始める。レンは、病室へ食器を取りに向かう。

 食器を運び終えたら、大きなたらいに水を溜めて石鹸を溶かし、食器を浸けて……かちゃかちゃと洗いながら、ヘルッタは眉を寄せた。

 おやすみなさいの婚約のキスはしてくれるけど、ノエはあまりはっきりしたことを言わないままだ。
 婚儀の準備だって何も決まっていない。ヘルッタが尋ねても「そのうち」と曖昧に返すだけなのだ。「そのうち」っていったいいつなのか……このままでは、ノエが本当に結婚する気があるのかどうかさえ疑わしくなってしまう。
 心ここに在らずといったようすでがちゃがちゃ乱暴に食器を洗うヘルッタに、「どうしたの」とレンが声をかけた。

「レン様、ノエがやっぱり結婚やめるって言ったらどうしよう」
 レンが軽く眉をあげてヘルッタを見つめた。ヘルッタはじっと手元を見つめたままくっきりと眉を寄せて、口をへの字に曲げていた。
「ヘルッタはどうしたいの?」
「ノエと結婚したい。領主様は好きな人のお嫁さんになっていいって言ったもの。だから私、ノエの第一夫人になるって決めたのに……」
 うつむくヘルッタに、レンは軽く苦笑する。
「ヘルッタはノエ高神官が好きなのね」
「あの、ノエと結婚したいって思うことが、ノエのこと好きだってことで、いいんだよね?」
 おそるおそる、という風に眉尻を下げて目を上げるヘルッタに、ふむ、とレンはしばし考える。
「そうねえ……」

 実のところ、レンの好き嫌いの判断基準というものは、人間のそれとは少しずれているようにも思えて難しい。けれど、聞くところによれば、たいていの人間の女は相手が好きかどうかを判断するする際……。

「ヘルッタは、ノエ高神官の子供を産みたいと思う?」
「産みたい! ノエの息子を産んで、ノエに喜んで欲しい!」
 間髪入れずに応えるヘルッタの勢いに、レンはつい笑顔になってしまう。
「なら、ヘルッタはノエ高神官が好きなのね」
 レンの言葉にヘルッタはハッと目を瞠り、それからこくりと頷いた。ノエと結婚したいし、産むなら絶対ノエの子供がいい。
 これが“好きだ”という気持ちなら、自分は間違いなくノエが好きなのだ。
「なら、先に作っちゃったら?」
「え? レン様、何?」
 レンの言葉がうまく入ってこなくて、ヘルッタはきょとんと目を瞬かせた。
「子供よ。別に順番が逆だって、やったもん勝ちじゃないかしら」
「え? え? 町って、先に契りを済ませるものなの?」
「そういう場合もあるってこと」
 ぽかんと口を開けたまま、ヘルッタはレンを凝視する。子供を作るのは夫婦の仕事で、だから、契りの夜は婚儀が終わってから迎えるもののはずだ。
「でも、夫婦じゃないと、子作りしたら……」
「別に悪いことじゃないわ。子供ができたから結婚するって夫婦だって、世の中には多いのよ。それに、夫婦には身体の相性だって大切なんだから、試してみて損はないわよね。決定的に趣味が合わなかったら悲劇なんだし」
「趣味? 相性?」
 想像もしてみなかったことを言われて、ヘルッタは目を白黒させる。
 子作りに趣味や相性があるなんて、母や姉から聞いてないし、教会の書物にも書いていなかった。
「ついでに言うなら、ヤることヤってしまったほうがかえって覚悟が固まるし、ノエ高神官にはいいんじゃないかしら。
 趣味っていうのは、そうねえ……例えば、ノエ高神官が子作りしながらヘルッタを噛みたいって言ったらどうする? 血が滲むくらいに強く」
「え……? 噛むの? 血が出るくらい?」
「例え話よ。でも、ヘルッタがそうされて嬉しいと思えればいいけど、普通は嫌でしょ? それを毎回、子作りのたびにやられて我慢できるかしら」
 真っ青になって考え込むヘルッタに、レンはまたくすりと笑う。
「だから、そういうのが趣味や相性ってこと」
「――夫婦ってそんなに大変なの? お姉ちゃんもお母さんも、そんなこと全然言ってなかったの。子供を作るにはどうすればいいかってことと、旦那様はどうすれば悦ぶかってことは教えてくれたけど」
 食器をゆすぎながら、ヘルッタはじっと考え込む。
 万が一、ノエが子作りの時に変わったことをしなきゃ悦べない人だったら、自分は我慢できるだろうか?
「ノエは、噛み付いたりするかな」
「さあ? 噛み付く人はさすがに希少で、そういるものでもないわね。
 ただ、お尻を叩かないとだめとか、逆に叩かれないとだめっていう人は結構いるのよね。この手の趣味ばかりは、実際ヤってみないと何とも言えないわ」
「えっ」

 そういえば、教会の本にも、お尻や胸を叩いてる絵があったような気がする。その時はどうして叩いてるのかがさっぱりわからなくてあまりよく見なかったけれど、そういうことだったのか。
 もし、ノエが叩いたり叩かれたりが好きだったらどうしよう。

「レン様、ちゃんと確かめたほうがいいのかな」
「そこは、ヘルッタ次第かしらね」
「うん……」
 眉根を寄せて、ヘルッタはじっと考え込む。


 * * *


 イェルハルドの執務室で、ノエとイェルハルドは向かい合って座っていた。

「それで、君はどうするんだ?」
「どうすると言われても」

 歯切れの悪いノエの言葉に、イェルハルドは小さく吐息を漏らす。
 元婚約者との経緯について、さわりだけは聞いているし、ノエに対して同情する気持ちもある。
 けれど、それとこれとは別だ。
「私はあの子の後見人なんだよ。はっきりしてくれないと困る。もし君がその気もないのに弄んでいるというなら、私も考えなければならないしね」
「弄ぶつもりなんて……イェルハルドの心配するようなことにはならないさ」
 ノエは苦笑を浮かべて、けれど、すぐ押し黙ったまま、視線を泳がせた。イェルハルドが疑わしそうに、その顔をじろりと見やる。
「君が元婚約者を忘れられないというならしかたない。ただ、それならはっきりきっぱりとあの子に婚約の破棄を申し渡さなきゃいけない。
 それとも、このまま気を持たせてずるずると先延ばしにして、ある日突然、やっぱり結婚できないと告げる気か?
 ――君がされたように」
「それは!」
 思わず声を荒げるノエを、イェルハルドがじっと見つめる。
「そんなことは、しない」
 顔を顰めるノエに、イェルハルドはもう一度息を吐いた。
「正直言って、私としては君がヘルッタと結婚するもしないもどちらでもいいんだよ。ただ、はっきりしないままずるずる行くのは困るだけで」
「わかってるよ」
 伏し目がちにテーブルへと視線を落としたまま、ノエはごしごしと手のひらで顔をこする。イェルハルドの心配は、もっともなことなのだ。
 だが、イェルハルドは「いや、違うんだ」と肩を竦める。
「君の考えてることと、私が心配してることは少し違うんだよ。
 君も知ってるとおり、あの子たちは町とまったく違う環境で育ち、独特の価値観と行動力を持っている。
 だから……このままではいつになっても君が決断しないと判断したとたん、取り返しのつかないことをしでかしそうな気がして、それが怖い」

 特に、ヘルッタはパルヴィと一番仲が良い娘だ。
 ヘルッタだってパルヴィに負けないくらい行動力がある。はっきりしないノエに業を煮やしたヘルッタが、パルヴィと同等かそれ以上のことをこともなげにやらかしそうで、どうにも心配でしかたない。

「ヘルッタは頭のいい子だ。君が心配するようなことはないよ」
「だといいんだけどね」
 はあ、と今度は大きく溜息を吐いて、イェルハルドはじろりとノエへと視線を動かした。眉間に軽く皺を寄せて、「ノエ」と呼ぶ。
「それは置いても、結論はさっさと出してくれ。パルヴィも心配しているし、あまり先延ばしにされるようでは、やはり私も考えなければならない」
「わかってる」
 どうにも冴えない返答にイェルハルドはしばし考える。
「とりあえず、三日だ」
「三日? それはずいぶん……」
「これまでも考える機会はあったはずだぞ」
「いや、そうだけど」
「とにかく、三日後に、君の思うところを聞かせてくれ。その後に、ヘルッタも交えてしっかり話をしよう」
「――わかったよ」


 * * *


 昼間の診察はいつもどおり平和に終わった。
 この数日の療養のおかげで体力を回復した“谷”の男たちは、ハイラムの指導で運動を始めている。足を失くした者には、後々鍛冶屋を招いて義足を作る手配もした。しばらくは杖を突いての行動になるし、多少の不自由も我慢してもらわなければならないが。
 脚が曲がってついてしまった者の、骨の継ぎ直しの日も決めた。薬の手配も終わっている。こちらも、レンやハイラムの手伝いもあることだし、問題もないだろう。ヤーナにも、しばらくはこの施療院を手伝ってもらうことに決まった。
 概ねすべてが順調に進んでいる。

 ヘルッタも、だいぶ慣れてきたようだ。
 レンやノエの手元をよく見ているし、物覚えも悪くない。今からしっかり教えれば、十年もすればどうにか一人前くらいにはなれるのではないか。



 いつものように、たいした話をするわけでもなく、夜も更ける。
 いつものようにヘルッタを部屋へ送り、ねだられるままに“おやすみなさいのキス”をして、ノエは自室へと戻る。

 あれほど懐かれて、どう断ればいいのか……と考えながら扉を閉めて、ふと顔を上げると部屋の中に誰かが待っていた。
 誰かが……いや、真っ暗な部屋の中、月明かりに浮かんだ影がひとつ。
 その顔に赤く光る目は……。
「レンさん?」
 赤い目が笑むようににいっと細まった。
 とりあえずはレンであることがわかって、ノエもほっと息を吐く。
「どうしたんですか、明かりも灯さずに。ハイラム殿は?」
「離れで少し待ってもらってます」
「そうですか。では、用なら手短にどうぞ。こんな夜更けにご婦人だけで男の部屋に来るなんて、あまりいいことじゃありませんし」
「ええ、世界中どこにいってもたいていはそういうものなので知ってます。でも、今日は特別なんですよ」
「特別?」
 少し笑いを含んだような声が返って、ノエは怪訝そうに顔を顰めた。
「――すみませんノエ高神官。私、かわいい子には味方したくなっちゃって」

 キラリ、とレンの目が底光りしたような気がした。なぜか視線を外せなくて、魅入られたようにひたすらじっと見てしまう。
 まずい、と思う。

「レン、さん……?」
「ノエ高神官にはここへ来る前にお話ししましたよね、“誘惑者”と呼ばれる私の種族のこと。ハイラムは私の目を“邪眼”だって言ってましたが……別に悪いことをするつもりはありませんし、後々変な効果が残ることもないですから、安心してください」

 ごくりとノエの喉が鳴った。何かを言おうとしても、言葉が浮かばない。

 考えてみれば、いかにハイラムの妻とはいえ、レンはそもそも“魔”と言われる種族だ。こんな状況で安心しろと言われて、即、安心できるものか。
 無意識に首にかけた聖印を求めようとしたけれど、手が……いや、身体が、金縛りにでもあったかのように動かない。

「私がここで何をするつもりかは、ちゃんとハイラムには話してありますよ。まあ……少し呆れられましたけど。
 ハイラムが駄目と判断すれば止めに来るはずですから、大丈夫です。
 それに、そもそものところはヘルッタ次第なので、このまま朝まで何もない可能性も高いんですよ。だから……ね」
 口元に指を立てて一歩踏み出すと、レンはにんまりと笑った。
「ノエ高神官、とりあえず今夜はぐっすりと、夜明けの礼拝か、ヘルッタが起きてもいいというまで眠っててください」
 レンの目の輝きが増す。
 とたんにノエの瞼が重くなる。
 だんだんと意識が遠くなって……。
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