狂える女神と死神憑きの王子

ぎんげつ

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15.狂える女神と死神憑きの王

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 本当は、レギナの顔なんて見たくもなかったのだ。

「レギナ」

 ナディアルはレギナを抱き上げた。
 視線だけを忙しなく彷徨わせるレギナの、怯えた顔を覗き込んで笑いかけ……横抱きのまま長椅子へと向かい、どさりと下ろす。
 それから、覆いかぶさるように手をついて見下ろして……少し考えて手足を拘束すると、長椅子の脚に結びつけた。

「ナディアル、わたしを愛してるって言ったのは、嘘……だったの?」
「言っただろう。僕は人間だ。だから嘘を吐く。息をするように、愛を囁くように、平然と嘘を吐く。人間だから」
「わたしを、どうするの」
「どうしようか」

 呆然とするレギナに目を細めて、ナディアルはちらりと壁を見た。
 壁に掲げられた、ごてごて装飾された飾り剣に視線が止まる。長椅子を離れるとその剣を鞘ごと手に取り、ほんの少しだけ抜いて、刃の輝きを確認する。
「所詮、飾りか。鋼じゃないんだな。けど、まあいい」
「ナディアル?」

 また、長椅子の傍らに佇み、灯りを反射してきらめく剣を見つめるナディアルに、レギナの喉がひくっと引き攣った音を立てた。

「レギナ、“死の王モーン”の下僕に成り果てた死者をどう滅ぼすか、知ってるか?」
「ナディアル?」
「手足を切り落とし、動きを封じた上で首を落とすんだ。それから聖職者の祝福の儀式で清め、最後に燃やして灰にする」
「ナディアル……わたし、ナディアルを愛してるの。本当よ」
「だけど、戦場でそこまでしている余裕はない。せいぜいのところ、脚を切り飛ばして、頭を潰すだけで終わりだという。大口径の銃で、いきなり頭を吹き飛ばして済ませることもあるんだそうだ」

 レギナの瞳が揺れている。
 化け物でも恐怖は感じるのかと、半ば感心しながらナディアルは微笑む。

「レギナは“永遠に一緒”と言った。お前と“死の王モーン”の下僕はどう違う?」
「わ、わたしは、死なんて知らない。わたしは、死者じゃないわ」 
「でも、“永遠に生きる”なんて、蘇った死者と変わらないじゃないか。それに、お前のその顔は死者のものだろう?
 クロディーヌは僕を売ったその後、王族を害したという罪で一族もろとも……赤子まで残らず、彼女に連なる全員が処刑されたんだ。
 もう、生きてはいない」
「そんなの、知らないわ。わたしは、ただ、ナディアルが好きな姿をって……」

 しゃりんと音を鳴らして、おもむろにナディアルが剣を抜いた。
 しばし刃を見つめ、その切っ先をレギナの喉から胸へと滑らせる。刃の動きと一緒にドレスが裂け、肌が露わになっていく。

「ああ、飾り剣なのになまくらじゃないのか。良く切れる」
「ナディアル……愛してるの、ナディアル。ねえ、ナディアル」

 目に涙を浮かべてうわ言のように繰り返すレギナを、ナディアルは無感動にじっとりと見つめる。

「――迷ってるんだ」

 剣を納めて、ナディアルはレギナの上に屈み込んだ。

「お前をどうすべきか」

 ほとんど鼻先がくっつくくらいに顔を寄せて、レギナの目を覗き込んだ。
 怯えてひたすらに視線を彷徨わせるレギナは、本当の人間のようだ。今のナディアルとレギナなら、いったいどちらが“人間らしい”のだろう。

「僕はお前の支配なんか望まない。軍国か化け物か、どっちの手の中で死ぬかを選べなんて、そんなのごめんだ」
「わたしはナディアルを死なせないわ」
 レギナの言葉に、ナディアルは鼻を鳴らす。
「お前に飼われて永遠を生きるのだって、冗談じゃない」
 ぐいと、ナディアルは手を伸ばす。
 レギナの喉を掴んでぐいぐい締め上げると、苦しそうな表情に変わり、身を捩らせてはくはくと喘ぐ。
「だから、お前は消してしまおうと思ったんだ。お前はただひとりで、今、この身体にしか存在しない。
 今なら“声”を封じて心臓を破壊すれば、お前は消えるんだろう?」
「ナディアル……わたし、ナディアルを……」
「それでも僕を愛してると言うのか? 単なる思い込みなのに? それとも、お前はこうして自分を滅ぼそうとしている奴でも愛せるのか? その“愛”とやらがどうして錯覚じゃないとわかる?
 それに、人間に作られたものが愛なんて理解できるものか」
「知らないわ。でも、わたし、ナディアルに抱かれて、たしかに満たされたのよ。わたしの中が暖かいものであふれて、完全になれたの。本当よ」
「性欲が満たされたの間違いだろう? お前は人間みたいに淫乱なだけの化け物なんだ。お前を満たしたのは愛じゃなくて淫欲だ」
「違う……違うわ、ナディアル。違うの。わたし、本当に完全になれたの」
「そんなもの、まやかしだ。化け物に本当の心なんかあるものか」
 さらに喉を締めて、ナディアルは嘲笑する。
「お前みたいな愛だの心だのを口にする化け物より、エルストのような、心があるフリをしない、化け物らしい化け物のほうがずっと信用できる」
「ナディアル……っ!」
 つ、とナディアルの指がレギナの身体を辿る。
「だいたい、完全ってなんだ。完全なんて、この世界に存在するものか。ここは創造主オルですら見捨てた世界オルなんだぞ。そんなものはどこにもない」
「ナディアルは……エルストのような人形を愛してるの?」
「愛? そんなもの、どこにあるって? エルストのような人形ゴーレムのほうが信用できる、ただそれだけに決まってるだろう。どこまでも命令に忠実で、人間のように勝手に主人あるじを変えることもないからな」

 レギナの眦から、ほろりと雫がこぼれ落ちた。大きく目を見開いたまま、呆然とナディアルを見返す。

「ナディアルは、誰も愛していないのね」
「化け物のくせに、まだそんなことにこだわってるのか。しつこいな。僕が誰かを愛するなんて、あるものか」

 呆然とした表情のまま、レギナはナディアルをじっと見つめる。
 いつも蕩けるように微笑み愛を囁いたナディアルはいない。消えてしまった。ただ蔑むように、口の端で冷たく自分を笑うナディアルだけがいる。

「ナディアル……わたしを愛して。わたしを愛して、完全なものにして」
「無理だ」

 ナディアルはひとつ息を吐くと、再び剣を抜いた。煩わしそうに目を眇め、「まず首を落とせ、だったな」と呟く。
 レギナの喉が、ひくりとしゃっくりのような音を立てる。

「ナディアル、お願いよ。わたしに愛をちょうだい。かわりに、わたしはあなたを王にするから」
「こんな、何もない“デーヴァローカ”の王位にどんな意味があるんだ。治める国土も民もない名ばかりの王に、何の意味がある?」
「わたしなら、あなたをケゼルスベールの王にできるわ」

 ナディアルはレギナの言葉を鼻で笑い飛ばす。
 ケゼルスベールの要所はすべて、軍国に抑えられた後だろう。いかに“科学”という力の後押しがあったところで、大軍を相手に何ができるのか。

「“デーヴァローカ”は研究用ステーションだけど、もともとは軍事用だったの。星間航行も可能で、ここからケゼルスベールまでならすぐに飛べる。防衛のための兵装だってあるから、軍国の兵装程度に遅れを取ったりしない。
 たしかに、今すぐ直ちにとはいかないわ。準備は必要だから。
 でも、ナディアルのためにケゼルスベールを取り返すくらいなら、“デーヴァローカ”でどうにでもなるの。本当よ」
「――ステーション? 星間? 意味不明なことを言って、僕を煙に巻く気か」
「違う、わたしのもと居た世界ところ……“果て”の向こう側でのことなの。“デーヴァローカ”は竜よりも速く遠くまで空を飛べて、軍国の誇る最新の大砲よりも、もっと強力な火器を備えているの。信じて、ナディアル」
「だったら、なぜ今までそれを使わなかった」
「だって、必要なかったもの」
「必要ない?」
「王や国という概念はもちろん知ってるわ。けれど、そんなものはいらないの。わたしが欲しいのは、“王子様ナディアル”だけだもの。ナディアルが、わたしを完全にしてくれるのよ。わたしは、ナディアルに愛されて完全になりたいだけなの」

 ただじっと自分を凝視するナディアルに、レギナが必死に訴える。
 まるで、人間のように。

「あなたがわたしに愛を囁いてくれるなら、わたしはあなたの望むことをするわ。ねえ、だから、ナディアル、わたしを愛して。
 愛してくれたら、わたしがあなたをケゼルスベールの本当の王にするから」

 フリでも構わないと言うつもりだろうか。
 偽りで構わないと。

 レギナの何かを見出そうとするかのように、ナディアルはじっと見つめる。

「お願い、わたしに愛を囁いて。優しく抱いて、ナディアル。昨日までそうしてくれたみたいに」

 愛を与える限り、王として担ぎ上げてやろう、か。
 ナディアルは薄く笑う。
 はたして、そんなものが愛と呼べるのか。
 化け物には、そこまで考えが及ばないということなのか。

「なら、お前が僕に嘘を吐かない限り、愛を囁いてやろうか」
「ナディアル?」

 レギナが顔を上げる。ほんのりと目を輝かせて、瞠目する。

「ナディアル、本当に?」
「お前の“主人”を僕と定め、お前が僕に従う限り、本当に」
「ナディアル……」
「もうひとつ、僕は嘘を吐く。人間だから。それでも構わないなら、いくらでもお前に愛を囁いてやる。
 どうする、レギナ」
「ナディアル、わたし……」


 * * *


 王国歴三八二年の冬のある日、巨大な銀の球体が、突然、ケゼルスベールの王宮上空に現れた。

 同時に、長らく行方不明となっていた第一王子、ナディアル・ミッシェル・ド・ナヴァランクスが帰還し、ケゼルスベール王として即位を宣言する。
 ナディアル王は瞬く間に王宮を制圧すると、正統なる王の証を示し、異母弟シャルルとその一門を、軍国にケゼルスベールを売った売国奴として処刑した。
 さらには、自らが“忌まわしきもの”あるいは“まつろわぬ女神”デーヴァの預言者、もしくは代理人であることも広く布告する。
 この、空に浮かぶ銀の球体が女神の神殿であるということも。

 王国に駐留していた軍国ハーゼルの軍はもちろん黙っていない……だが、女神の神殿より放たれた女神の鉄槌は、瞬く間に駐留軍も駆逐してしまう。

 翌年、ケゼルスベール王国は国号をケゼルスベール神政国へと、ナディアルの称号を王から神王へと改め、この年を神政歴元年と定めた。

 この一連の出来事に、周辺国……特に軍国ハーゼルは警戒心もあらわに直ちに国境の守りを固めた。
 ケゼルスベールは自領を出ることなく沈黙し、平穏を保っている。


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