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14.だから、嘘を吐く
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「ナディアル、用意が整ったわ」
レギナがうれしそうに笑いながらそう言ったのは、十日たった頃だった。
ナディアルに、「やっとふたりきりになれるね」と笑い返されて、レギナの表情が陶然としたものに変わる。
* * *
あれからさらにエルストが調査を進めていた。
“本体”にレギナの複製は本当に無いのか、本当に、身体を壊せばレギナ自身も消滅するのか。
「通信手段を封じた上で身体を破壊すれば、消滅は確実と思われる。だが、通信手段の完全封鎖はおそらく困難だ」
「どういうことだ。わかるように説明しろ」
「完全に“声”の届かない状況を作ることは、ほぼ不可能と思われる。試験区画には、非常時に備えた通信設備が用意されているためだ。だが、通信自体のフィルタリングや制限は可能だ。その場合、最小で五分以内に身体が破壊、特に通信モジュールを破壊できれば消滅できるだろう」
「五分……」
たったの五分で、とナディアルは考える。
戦いの訓練は受けたことがある。だが、所詮嗜み程度の付け焼き刃だ。本物の軍人のように動けるわけではない。
「その、通信モジュールというのは何だ」
「頭部。頭蓋骨に守られた場所。こめかみに埋め込まれた直径一センチほどの部品。左右にひとつずつあるので、両方とも破壊する必要がある。さらに、サブモジュールとして心臓の位置にあるメインモジュールに付随している」
「頭と、心臓……どうやれば……」
「心臓を模した器官がレギナのメインモジュールだ。エネルギーユニットも胴部に設置されている。ゆえに、頭部を切断後、速やかに心臓部を破壊。然るのちに頭部を破壊という手順が最も有効だろう」
「簡単に言うんだな」
ナディアルは小さく溜息を吐いた。エルストの言うようなことが、ナディアルひとりで、しかも素手でできるとは思えない。
「武器……せめて、銃のひとつでもあれば」
「それは不可能だ。この“デーヴァローカ”では、実弾銃およびエネルギー火器等の武器持込を、厳しく抑制している」
ナディアルはもうひとつ溜息を吐く。
「エルスト」
「何か」
「魔導具はどうだ。魔術は?」
「魔法および魔術について、“デーヴァローカ”は感知不可能」
純粋な、魔導技術を使っていない魔導具なら、持ち込めるかもしれない。
けど、どうやって?
ここは王宮じゃない。
王宮なら、王族の声ひとつで発動できる魔導具がそこかしこに存在した。
けれど、ここは王宮じゃない。
「――エルスト」
「何か」
「ここに、僕に使える武器はないのか。魔導具だっていい」
「難しい」
やっぱりか、とナディアルは目を閉じる。
何かいい案はないものか。
「ナディアル、元気がないみたい」
いつものように部屋を訪れたレギナが、長椅子にだらりと座るナディアルのようすを見て、首を傾げる。
「ここにケゼルスベールの王冠があればと思ってたんだ。王笏があるなら、もっといい」
「王冠と王笏?」
「ケゼルスベール王国の王の証だ。本当なら、僕のものになるはずだった」
「でも、あなたはケゼルスベールじゃなくて“デーヴァローカ”の王になるのよ? それは不要なんじゃないの?」
「――証が欲しいんだ。ケゼルスベールの王の証があれば、僕が君の“王子様”としてふさわしいことの証にもなるだろう?」
不思議そうに自分を見つめるレギナに、ナディアルはふっと笑う。
「今の僕は何も持っていない。ただ、君の“王子様”という言葉があるだけだ」
「ナディアル、そんなことを気にしていたの?」
「君にふさわしい僕になりたいと思うのは、おかしいかい?」
「ナディアル……」
どことなく自嘲のような笑みを浮かべるナディアルに、レギナは顔を綻ばせてそっと身体を擦り寄せる。
「ナディアル……そうね。なら、わたしがナディアルの願いを叶えてあげる。ケゼルスベールの王宮からそのふたつを持ち出すくらい、なんとかなるわ」
「本当に?」
「ええ、本当よ。あなたのために、手に入れるわ」
「何もかもレギナを頼ってばかりなんて、呆れられてしまいそうだ」
するりとナディアルの身体を撫でて、レギナは微笑む。
「いいの。ナディアルが喜んでくれることが、わたしの喜びだから」
頰を押し当てるレギナを抱き締めて、ナディアルは小さく嘆息した。
「……ときどき不安になるんだ。レギナは僕を愛してると言うけれど、本当は、何の力もない、ただの毛色のいい子供でしかない僕を、しかたなく受け入れているだけなんじゃないかって」
「ナディアル、そんなこと絶対にないわ」
慌てたように見上げるレギナの顔を、目を眇めてじっと見つめる。
「僕は、レギナを信じていいの?」
「わたしは本当のことしか言わない。わたしは嘘なんて言わないわ」
「でも……」
「わたしは事実しか言わないの。ナディアルは確かにわたしの王子様よ。わたしはナディアルを愛してる」
「そう……レギナ、ありがとう。僕も愛してるよ」
うっすらと笑って、ナディアルはレギナを抱き締め返す。
この部屋を不在にする間、レギナはナディアルのために新しい身体を作っているのだと言う。あれやこれやと、思考錯誤しながら……化け物が本当に思考錯誤なんてできるのかは謎だが。
――化け物の手で作られる、化け物と同じ新しい身体か。
やけにおかしくて、笑いが込み上げる。
肩を震わせるナディアルの傍らには、エルストがまるで王族を護る近衛騎士のように、微動だにせず佇んでいた。
人間は、どんなに縛ってもいつのまにか己の忠誠の対象を変えてしまう。では、心を持たない化け物はどうなのか。
「エルスト」
「何か」
「お前は嘘を吐くのか?」
「私に、人間のように嘘を吐く機能はない」
「お前が自分で主人を決めることはあるのか。お前の今の主人は誰だ」
「私が自身の設定を書き換えることはない。
私の現在の最優先順位者はナディアルだ」
「そうか」
ナディアルは、小さく小さく息を吐く。
必ず嘘を吐くものと必ず真実を述べるもの。どちらがどれなのかがわからない時、真実を見抜くためにはどんな質問を投げればいいか……そんな謎かけがあったな、と思い出す。
嘘と真実、常にどちらかしか述べないというのは、同じことじゃないのか。
人間は嘘と真実を混ぜる生き物だ。だから、いつも信用すべきかどうかを思い悩むことになる。
けれど、エルストとレギナ……化け物は、嘘を吐かないと言った。
そんな“機能”はないと。
「申し訳ありません、殿下」
あの時、クロディーヌは告げた。
今の自分にとって、いちばん大切なのは夫と子供だと。
守るためにしかたなく、なのだと。
なら、デジレは、ジゼルはと目で探せば、ふたりとも捕らえられてしまったのだと告げられた。
家族を盾に取られ、どうしようもなくて。
背後に近衛を連れて、クロディーヌは続けた。
どうしようもないから自分を売るのか、とナディアルはぼんやり考えただけだった。何もかもが夢うつつのようだった。あの時、クロディーヌの言葉にどう返したのか、ナディアルはよく覚えていない。
* * *
「ねえ、ナディアル、驚いた?」
その部屋へと案内して、レギナは楽しそうに蕩けるように笑った。
「お城の部屋を真似てみたの。調度も内装も、ナディアルのもとの部屋を再現したのよ。どう?」
「……すごいな」
滑らかな、金属のような扉が開いた先は、ナディアルがよく知っている部屋のように見えた。ここは王宮かと錯覚するほどに、よく似た部屋だった。
木や石が貼られて漆喰と絵画に飾られた壁に、毛足が長く複雑な織の絨毯が敷き詰められていた。厚く柔らかな生地のカーテンに、居心地のいい長椅子。それから、彫刻と飾り彫りで飾られた、温かみのある重厚な執務机と椅子。
部屋の隅には甲冑が置かれ、壁には飾り剣が掲げられている。
「窓……?」
「本物の窓ではないけど、窓枠を作って環境映像を映しているの」
「映像? 幻術みたいなものか」
「そうよ」
踊るような足取りで中へと進み、「ナディアル、気に入った?」とレギナは伺うように小首を傾げた。
ナディアルが笑ってうなずき返すと、ますます嬉しそうに笑いながら手を引いて、執務机へと向かう。
「これは?」
「開けてみて。約束のものよ」
執務机の上に置かれていたのは、少し古びた長櫃に、頭よりもひと回り大きいくらいの箱だった。彫刻と彫金に飾られた、きらびやかなふたつの箱に、ナディアルは「まさか」と呟く。
おそるおそる蓋を開けると、中には金と宝石で飾られた小振りの王笏と王冠があった。どちらにも、ナヴァランクス王家とケゼルスベール王国、ふたつの紋章が大きく彫り込まれてれている。
「これは、本物?」
「もちろん」
「どうやって……」
「“人形”を行かせたの。お城のことはよく知っているし、隠している場所なんてすぐに見つけられたわ。持ち出すのに少しだけ苦労したけど、ナディアルのためだと思えばたいしたことなかった」
「そう……」
誇らしげに告げるレギナをちらりと見やって、ナディアルは王笏に手を伸ばした。そっと、その頭に嵌め込まれた宝石に指先で触れる。
「我が名はナディアル・ミッシェル・ド・ナヴァランクス。父祖アルベリク・ニコラ・ド・ナヴァランクスの末裔にして、正統なる王位継承者たる者」
宝石に、ぼうっとと小さな光が灯る。
これに触れるのは、立太子の儀以来だ。
「きれい」
光に見惚れるレギナに、ナディアルは、ふっと笑った。
次に王冠を手に取ると、留め具のピンを指に軽く刺した。たちまち、指の腹に小さな血の玉ができる。
「ナディアル?」
驚くレギナの前で、その血を王冠を飾る大きな翠玉に押し当てる。
「ナヴァランクスの王冠よ、我が名ナディアル・ミッシェル・ド・ナヴァランクスの名と血の証を受け入れよ。我は正統なるケゼルスベールの王なり」
すうっと、まるで石に溶け込むように、血痕が消えた。目を丸くしたレギナが驚いた表情で、「何?」と呟いた。
「魔法だよ」
「魔法なの?」
ナディアルは王冠と王笏をじっと見つめながら、小さく息を吐く。
「これで、僕は正統なるケゼルスベールの王だと認められたことになる。
異母弟は父上が亡くなった後に無理やり立ったから、王位継承の儀が済んでいなかったんだな」
それがどうしたのかと、レギナはやはり首を傾げる。
ナディアルは王冠を頭に乗せ、王笏をしっかりと握り締めた。不思議そうに自分を見つめるレギナに笑いかけ、おもむろに王笏を向ける。
「ナヴァランクス王家の末裔、ナディアル・ミッシェル・ド・ナヴァランクスが我が名と血統に掛けて命じる」
手にした王笏の、宝石の光が強さを増す。
「ナディアル? どうしたの? これは……」
「レギナ、動くな。お前は生涯その身体に縛られろ。唯一、その身体のみがお前の居場所だ。そこを出ることは、僕が許さない」
「ナディ、アル……?」
宝石から溢れでた光が、レギナを取り巻いた。ぎくりと避けようとするが、レギナの身体は石にでも変わったかのように動けない。
喘ぐように口を動かして、「ナディアル?」と小さく呼ぶ。
レギナの頬をそっとなぞって、ナディアルは啄むようにキスをした。
何度も自分を呼ぶレギナの唇を指でなぞり、もう一度、今度は深くキスをする。くすくすと笑いながら舌を絡め、ゆっくりと唇を離す。
「レギナ。君は本当に人間のようだ。たしかに、人間とまるで変わらない」
「ナディアル? 何を、したの……わたし、動けないの。おかしいの」
レギナが怯えた表情を浮かべる。何かの間違いでないかと、大きく見開いた目で、ナディアルをひたすらに見つめる。
「王家の宝は王族のためにある……と、父上は仰っていた。王冠と王笏、たった一人だけど、それで相手の精神を縛り、己の忠実な下僕にできるのだと。僕は、たったひとりを縛ったところで何ができると思っていたんだ、今日までね。
それとレギナ、どうやら君には本当に精神があったようだな」
「どうして、どうしてナディアル……」
ナディアルの唇が弧を描く。
「でも、レギナ。君はどう足掻いても人間にはなれないよ。だって、君は嘘を吐けないから」
「ナディアル……?」
「人間は嘘を吐くんだ。どんな人間でも……善人も悪人も、子供も年寄りも、皆、息をするように嘘を吐く。人間なら」
戸惑うレギナに、ナディアルは艶やかな笑みを向けた。
「レギナ、今はじめて君をかわいいと思う。
――もちろん、僕は人間だ。だから僕も嘘吐きなんだよ」
レギナがうれしそうに笑いながらそう言ったのは、十日たった頃だった。
ナディアルに、「やっとふたりきりになれるね」と笑い返されて、レギナの表情が陶然としたものに変わる。
* * *
あれからさらにエルストが調査を進めていた。
“本体”にレギナの複製は本当に無いのか、本当に、身体を壊せばレギナ自身も消滅するのか。
「通信手段を封じた上で身体を破壊すれば、消滅は確実と思われる。だが、通信手段の完全封鎖はおそらく困難だ」
「どういうことだ。わかるように説明しろ」
「完全に“声”の届かない状況を作ることは、ほぼ不可能と思われる。試験区画には、非常時に備えた通信設備が用意されているためだ。だが、通信自体のフィルタリングや制限は可能だ。その場合、最小で五分以内に身体が破壊、特に通信モジュールを破壊できれば消滅できるだろう」
「五分……」
たったの五分で、とナディアルは考える。
戦いの訓練は受けたことがある。だが、所詮嗜み程度の付け焼き刃だ。本物の軍人のように動けるわけではない。
「その、通信モジュールというのは何だ」
「頭部。頭蓋骨に守られた場所。こめかみに埋め込まれた直径一センチほどの部品。左右にひとつずつあるので、両方とも破壊する必要がある。さらに、サブモジュールとして心臓の位置にあるメインモジュールに付随している」
「頭と、心臓……どうやれば……」
「心臓を模した器官がレギナのメインモジュールだ。エネルギーユニットも胴部に設置されている。ゆえに、頭部を切断後、速やかに心臓部を破壊。然るのちに頭部を破壊という手順が最も有効だろう」
「簡単に言うんだな」
ナディアルは小さく溜息を吐いた。エルストの言うようなことが、ナディアルひとりで、しかも素手でできるとは思えない。
「武器……せめて、銃のひとつでもあれば」
「それは不可能だ。この“デーヴァローカ”では、実弾銃およびエネルギー火器等の武器持込を、厳しく抑制している」
ナディアルはもうひとつ溜息を吐く。
「エルスト」
「何か」
「魔導具はどうだ。魔術は?」
「魔法および魔術について、“デーヴァローカ”は感知不可能」
純粋な、魔導技術を使っていない魔導具なら、持ち込めるかもしれない。
けど、どうやって?
ここは王宮じゃない。
王宮なら、王族の声ひとつで発動できる魔導具がそこかしこに存在した。
けれど、ここは王宮じゃない。
「――エルスト」
「何か」
「ここに、僕に使える武器はないのか。魔導具だっていい」
「難しい」
やっぱりか、とナディアルは目を閉じる。
何かいい案はないものか。
「ナディアル、元気がないみたい」
いつものように部屋を訪れたレギナが、長椅子にだらりと座るナディアルのようすを見て、首を傾げる。
「ここにケゼルスベールの王冠があればと思ってたんだ。王笏があるなら、もっといい」
「王冠と王笏?」
「ケゼルスベール王国の王の証だ。本当なら、僕のものになるはずだった」
「でも、あなたはケゼルスベールじゃなくて“デーヴァローカ”の王になるのよ? それは不要なんじゃないの?」
「――証が欲しいんだ。ケゼルスベールの王の証があれば、僕が君の“王子様”としてふさわしいことの証にもなるだろう?」
不思議そうに自分を見つめるレギナに、ナディアルはふっと笑う。
「今の僕は何も持っていない。ただ、君の“王子様”という言葉があるだけだ」
「ナディアル、そんなことを気にしていたの?」
「君にふさわしい僕になりたいと思うのは、おかしいかい?」
「ナディアル……」
どことなく自嘲のような笑みを浮かべるナディアルに、レギナは顔を綻ばせてそっと身体を擦り寄せる。
「ナディアル……そうね。なら、わたしがナディアルの願いを叶えてあげる。ケゼルスベールの王宮からそのふたつを持ち出すくらい、なんとかなるわ」
「本当に?」
「ええ、本当よ。あなたのために、手に入れるわ」
「何もかもレギナを頼ってばかりなんて、呆れられてしまいそうだ」
するりとナディアルの身体を撫でて、レギナは微笑む。
「いいの。ナディアルが喜んでくれることが、わたしの喜びだから」
頰を押し当てるレギナを抱き締めて、ナディアルは小さく嘆息した。
「……ときどき不安になるんだ。レギナは僕を愛してると言うけれど、本当は、何の力もない、ただの毛色のいい子供でしかない僕を、しかたなく受け入れているだけなんじゃないかって」
「ナディアル、そんなこと絶対にないわ」
慌てたように見上げるレギナの顔を、目を眇めてじっと見つめる。
「僕は、レギナを信じていいの?」
「わたしは本当のことしか言わない。わたしは嘘なんて言わないわ」
「でも……」
「わたしは事実しか言わないの。ナディアルは確かにわたしの王子様よ。わたしはナディアルを愛してる」
「そう……レギナ、ありがとう。僕も愛してるよ」
うっすらと笑って、ナディアルはレギナを抱き締め返す。
この部屋を不在にする間、レギナはナディアルのために新しい身体を作っているのだと言う。あれやこれやと、思考錯誤しながら……化け物が本当に思考錯誤なんてできるのかは謎だが。
――化け物の手で作られる、化け物と同じ新しい身体か。
やけにおかしくて、笑いが込み上げる。
肩を震わせるナディアルの傍らには、エルストがまるで王族を護る近衛騎士のように、微動だにせず佇んでいた。
人間は、どんなに縛ってもいつのまにか己の忠誠の対象を変えてしまう。では、心を持たない化け物はどうなのか。
「エルスト」
「何か」
「お前は嘘を吐くのか?」
「私に、人間のように嘘を吐く機能はない」
「お前が自分で主人を決めることはあるのか。お前の今の主人は誰だ」
「私が自身の設定を書き換えることはない。
私の現在の最優先順位者はナディアルだ」
「そうか」
ナディアルは、小さく小さく息を吐く。
必ず嘘を吐くものと必ず真実を述べるもの。どちらがどれなのかがわからない時、真実を見抜くためにはどんな質問を投げればいいか……そんな謎かけがあったな、と思い出す。
嘘と真実、常にどちらかしか述べないというのは、同じことじゃないのか。
人間は嘘と真実を混ぜる生き物だ。だから、いつも信用すべきかどうかを思い悩むことになる。
けれど、エルストとレギナ……化け物は、嘘を吐かないと言った。
そんな“機能”はないと。
「申し訳ありません、殿下」
あの時、クロディーヌは告げた。
今の自分にとって、いちばん大切なのは夫と子供だと。
守るためにしかたなく、なのだと。
なら、デジレは、ジゼルはと目で探せば、ふたりとも捕らえられてしまったのだと告げられた。
家族を盾に取られ、どうしようもなくて。
背後に近衛を連れて、クロディーヌは続けた。
どうしようもないから自分を売るのか、とナディアルはぼんやり考えただけだった。何もかもが夢うつつのようだった。あの時、クロディーヌの言葉にどう返したのか、ナディアルはよく覚えていない。
* * *
「ねえ、ナディアル、驚いた?」
その部屋へと案内して、レギナは楽しそうに蕩けるように笑った。
「お城の部屋を真似てみたの。調度も内装も、ナディアルのもとの部屋を再現したのよ。どう?」
「……すごいな」
滑らかな、金属のような扉が開いた先は、ナディアルがよく知っている部屋のように見えた。ここは王宮かと錯覚するほどに、よく似た部屋だった。
木や石が貼られて漆喰と絵画に飾られた壁に、毛足が長く複雑な織の絨毯が敷き詰められていた。厚く柔らかな生地のカーテンに、居心地のいい長椅子。それから、彫刻と飾り彫りで飾られた、温かみのある重厚な執務机と椅子。
部屋の隅には甲冑が置かれ、壁には飾り剣が掲げられている。
「窓……?」
「本物の窓ではないけど、窓枠を作って環境映像を映しているの」
「映像? 幻術みたいなものか」
「そうよ」
踊るような足取りで中へと進み、「ナディアル、気に入った?」とレギナは伺うように小首を傾げた。
ナディアルが笑ってうなずき返すと、ますます嬉しそうに笑いながら手を引いて、執務机へと向かう。
「これは?」
「開けてみて。約束のものよ」
執務机の上に置かれていたのは、少し古びた長櫃に、頭よりもひと回り大きいくらいの箱だった。彫刻と彫金に飾られた、きらびやかなふたつの箱に、ナディアルは「まさか」と呟く。
おそるおそる蓋を開けると、中には金と宝石で飾られた小振りの王笏と王冠があった。どちらにも、ナヴァランクス王家とケゼルスベール王国、ふたつの紋章が大きく彫り込まれてれている。
「これは、本物?」
「もちろん」
「どうやって……」
「“人形”を行かせたの。お城のことはよく知っているし、隠している場所なんてすぐに見つけられたわ。持ち出すのに少しだけ苦労したけど、ナディアルのためだと思えばたいしたことなかった」
「そう……」
誇らしげに告げるレギナをちらりと見やって、ナディアルは王笏に手を伸ばした。そっと、その頭に嵌め込まれた宝石に指先で触れる。
「我が名はナディアル・ミッシェル・ド・ナヴァランクス。父祖アルベリク・ニコラ・ド・ナヴァランクスの末裔にして、正統なる王位継承者たる者」
宝石に、ぼうっとと小さな光が灯る。
これに触れるのは、立太子の儀以来だ。
「きれい」
光に見惚れるレギナに、ナディアルは、ふっと笑った。
次に王冠を手に取ると、留め具のピンを指に軽く刺した。たちまち、指の腹に小さな血の玉ができる。
「ナディアル?」
驚くレギナの前で、その血を王冠を飾る大きな翠玉に押し当てる。
「ナヴァランクスの王冠よ、我が名ナディアル・ミッシェル・ド・ナヴァランクスの名と血の証を受け入れよ。我は正統なるケゼルスベールの王なり」
すうっと、まるで石に溶け込むように、血痕が消えた。目を丸くしたレギナが驚いた表情で、「何?」と呟いた。
「魔法だよ」
「魔法なの?」
ナディアルは王冠と王笏をじっと見つめながら、小さく息を吐く。
「これで、僕は正統なるケゼルスベールの王だと認められたことになる。
異母弟は父上が亡くなった後に無理やり立ったから、王位継承の儀が済んでいなかったんだな」
それがどうしたのかと、レギナはやはり首を傾げる。
ナディアルは王冠を頭に乗せ、王笏をしっかりと握り締めた。不思議そうに自分を見つめるレギナに笑いかけ、おもむろに王笏を向ける。
「ナヴァランクス王家の末裔、ナディアル・ミッシェル・ド・ナヴァランクスが我が名と血統に掛けて命じる」
手にした王笏の、宝石の光が強さを増す。
「ナディアル? どうしたの? これは……」
「レギナ、動くな。お前は生涯その身体に縛られろ。唯一、その身体のみがお前の居場所だ。そこを出ることは、僕が許さない」
「ナディ、アル……?」
宝石から溢れでた光が、レギナを取り巻いた。ぎくりと避けようとするが、レギナの身体は石にでも変わったかのように動けない。
喘ぐように口を動かして、「ナディアル?」と小さく呼ぶ。
レギナの頬をそっとなぞって、ナディアルは啄むようにキスをした。
何度も自分を呼ぶレギナの唇を指でなぞり、もう一度、今度は深くキスをする。くすくすと笑いながら舌を絡め、ゆっくりと唇を離す。
「レギナ。君は本当に人間のようだ。たしかに、人間とまるで変わらない」
「ナディアル? 何を、したの……わたし、動けないの。おかしいの」
レギナが怯えた表情を浮かべる。何かの間違いでないかと、大きく見開いた目で、ナディアルをひたすらに見つめる。
「王家の宝は王族のためにある……と、父上は仰っていた。王冠と王笏、たった一人だけど、それで相手の精神を縛り、己の忠実な下僕にできるのだと。僕は、たったひとりを縛ったところで何ができると思っていたんだ、今日までね。
それとレギナ、どうやら君には本当に精神があったようだな」
「どうして、どうしてナディアル……」
ナディアルの唇が弧を描く。
「でも、レギナ。君はどう足掻いても人間にはなれないよ。だって、君は嘘を吐けないから」
「ナディアル……?」
「人間は嘘を吐くんだ。どんな人間でも……善人も悪人も、子供も年寄りも、皆、息をするように嘘を吐く。人間なら」
戸惑うレギナに、ナディアルは艶やかな笑みを向けた。
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――もちろん、僕は人間だ。だから僕も嘘吐きなんだよ」
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王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
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