婚約者が別人なので、本物を捜します

ぎんげつ

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3.王子様を救い出せ

姫は憤慨する

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 すえた黴臭さが鼻につく。
 淀んだ埃混じりの空気にくしゃみをひとつしたら、身体中が激痛に襲われた。思わず呻き声が喉から漏れる。

「……乙女?」

 返事はなかった。
 ほかに人の気配はなく、目を開けているのかどうかもわからないほどの暗闇があたりを包んでいた。
 身体を起こそうと力を込めたとたん、突き刺すような痛みが全身を貫いて、また、冷たい石畳にごろりと横たわる。
 ぜいぜいと荒く息を吐いて、痛みをやり過ごす。
 しかたない。
 寝転がったまま短い呪文で小さな光を呼び出すと、たちまちあたりは明るく照らされた。視線だけを動かして周りを見回せば、そこはおそらく塔の地下……ネリアーの知らない一角だった。

「ああ……やはり壊れましたか」
 胸元をまさぐって、割れた護符アミュレットを取り出す。ずいぶん昔に見つけてからずっと身につけていたそれが、今回ようやく役割を果たしたのだ。

 “生命の守護”……文字通り、“即死”をもたらす魔術などから一度だけ身を守る護符だ。けれど、ただ、“即死しない”というだけであり、身体が受ける衝撃までは軽減してくれない……いや、“死なない程度に”軽減はしてくれるというほうが正しいだろう。
 おかげで、生命は助かっても意識が戻るまで結構な時間がかかったし、身体中が痛くてたまらない。

 大きく深呼吸を繰り返して、ゆっくり、ゆっくりと身体を起こす。
 関節は軋み、頭も疼くように痛む。相当な出血もあったのだろう。長衣ローブは血糊でべっとりと汚れていた。
 しかし、そのおかげでこうしてとどめを刺されず生き残れたのだ。体力自慢の戦士でもない者が、“死の魔紋 デス・シンボル”に耐えて生き残るなんてあり得ない。だから、ネリアーは当然死んだものとして、ここへ打ち捨てられたのだ。
 使われていない、空気の淀んだ部屋の割に、周囲は綺麗だった。なら、もちろんあれがいるのだろう……“掃除屋”が。
 このまま動けなければ、ネリアーも“ゴミ”として食われてしまう。今、自分に使える魔術は……と考えて、ネリアーは朗々と呪文の詠唱を始めた。
 それに、ここに共に捨てられていないということは、トーヴァは生きているということだ。すぐに探し出さなければ。



「姫殿下、お怪我は?」
「大丈夫。でも、首がちょっとだけ痛いの」
「失礼いたします」
 カーティスが確認すると、よほど強く掴まれたのか、アルトゥールの手の形にうっすらと痣ができていた。
 カーティスはすぐに小さく癒しの聖句を唱えてその痣を消す。
「まあ、痛くなくなったわ!」
「それでは、何が起きたのかお話しいただけますね? その、“誘い火ウィスプ”がどこから来たのかも含めて」
「ええ、もちろんよ」
 ガウンを持って現れたアンヌが、ジェルヴェーズの肩に着せ掛けた。室内履きを履かせ、厚手の膝がけを手に、ジェルヴェーズを別室へと促す。
 ふわりふわりと揺れる“誘い火”は、ジェルヴェーズに纏わりつくようにゆっくりと漂っていた。まるで、よく懐いた小鳥のように。

「アルトゥール殿下を名乗る者は、たぶん転移の魔術でこの部屋に来たのよ。だって、扉も窓も開けずに部屋にいたのだもの」
 クレールの用意した気を落ち着かせる薬草茶を飲みながら、ジェルヴェーズは、あのアルトゥールとの会話を思い出した。
 まるで、自分は“魔導師メイガス”のような偉い魔術師なのだという態度と言葉は、とてもアルトゥール本人だとは思えなかった。

 それに……。

「あいつ、わたくしはストーミアン家と縁続きの王家の人間だから、魔法使いを産ませるのにちょうどいいなんて言ったのよ」
「――魔法使いを、産ませる?」
 カーティスが顔色を変える。ジェルヴェーズは、人を人と思わない偽物の態度に憤懣やるかたなしという怒りようだ。
「そうよ。わたくしの血統には竜の血が混じっているはずだからって。“悪魔混じり”や竜の末裔には魔法使いが産まれやすいはずだから、なんていうのよ。わたくしを何だと思っているのかしら! 馬や犬と同じ扱いだなんて、失礼だわ!」
 ジェルヴェーズは偽物への怒りを吐き出した。何より腹立たしいのは、偽物が本当にアルトゥールとそっくりなことだった。
「――姫殿下」
 ジェルヴェーズの話に、じっと考え込んでいたカーティスが、顔を上げた。その真剣な顔に、ジェルヴェーズはつい怒りを引っ込めて首を傾げる。
「なあに、カーティス」
「姫殿下は、“月の魔女”の話を、聞いたことがありますか?」
「月の魔女? どこかで……ああ、思い出したわ。以前、オーリャ様から聞いたの。“暁の国”が滅んだのは、“大災害ディザスター”が起こったことがそもそもの原因だけど、本当はそれだけじゃ足りなかったんだって。
 “月の魔女”と呼ばれる魔法使いが、大悪魔アーチデヴィルを呼び出して魔導師たちの滅びを願ったことが追い討ちになったのだ、とも言われているんですってね」

 カーティスはジェルヴェーズの話になるほどと頷いた。その物語は、カーティスも聞いたことのあるものだった。
 事実とは違うけれど。

「父を通して告げられたこととはいえ、なぜ私がこの件に関わることになったのかと、少し疑問だったのです。この地にも立派な戦神教会があり、私よりも熟練した司祭も聖騎士もいるのに、なぜ私なのかと。
 たとえ、ここが母にゆかりのある地だとしても、疑問ではあったのです」
「そうなの? お母さまにゆかりがあるって?」
 カーティスが何を言いたいのかわからず、ジェルヴェーズは困惑する。

 神が何を考えてカーティスをここへ寄越したのかなんて、もちろんジェルヴェーズにはわからない。
 けれど、カーティスは何かが腑に落ちたのか、すっきりした表情だった。

「私の母は、その“月の魔女”の末裔なのですよ。
 魔女が大悪魔に魔導師の滅亡を願ったのは本当のことですが、そもそも、魔女がそう願うことになったのは、奴らの実験が原因だったのです」
「実験? 実験て、魔術の……あ、まさか?」
「はい。偽物の殿下が語った、“魔法使いを産ませる”という実験です」
 にっこりと笑って、カーティスは続ける。
「私の母の祖は、“月の魔女”と呼ばれる魔法使いでした。
 彼女はどういう理由でか魔導師たちに捕まってしまい、魔法使いを安定して生みだすための実験施設に囚われたのだそうです。
 “大災害”の起こった日、魔女はそれに乗じて施設を逃げ出しました。そして、今、伝わっているように、悪魔を呼び出して魔導師たちの滅びを願ったといいます」
「そう、本当のことだったの……」
 ジェルヴェーズも侍女たちも、驚きを隠せないという表情だった。

 無理もない。“悪魔に願う”というのは、すなわち、己の魂を担保に悪魔と取引をするということなのだ。
 それは、どんな理由があろうと堕落だと断じられることでもある。

「もし、あの偽の殿下が魔導師の後継を名乗り、非道な行いを目論んでいるというなら、魔女にゆかりある私こそが食い止めよということなのでしょう。
 私の祖でもある、“魔女”のしでかした悪魔との取引のつけを、ここで支払えということなのかもしれません」
「まあ……まあ!」
 ジェルヴェーズはまん丸に目を見開いた。
 そうだとすれば、カーティスは確実に神の遣わした天よりの助けということではないか。ならば、アルトゥールを助けられない道理がない。
「すごいわカーティス! わたくしたちには、間違いなく戦いと勝利の神の後ろ盾があるということだもの! 負ける気がしないわ!」
 


 部屋の隅に転がっていた剣を拾って、杖代わりに立ち上がった。意匠は凝っているけれど、たいして強くもない魔法剣だった。だから、“掃除屋”に食われることもなく放置されていたのだろう。
 がくがくと膝が笑う。全身の痛みに苛まれて脂汗が滲む。

 たった今呼んだばかりの犬へ先導するようにと命じて、ネリアーはゆっくりと一歩踏み出した。
 召喚したのは、“妖精犬ク・シー”と呼ばれる妖精族フェイの一種だ。妖精犬は狼より一回り小さいが、目と鼻が利き、ひとの言葉を解するほど頭がいい。

 幸いにも、扉はすぐに開いた。ゴミ捨て場に鍵など不要ということだろう。
「人の気配と臭いを探して辿ってください」
 犬はわかったというように頷き返した。すぐに鼻をひくひくとひくつかせ、あたりを伺う。

 ここでも運が味方したのか、部屋の外はあまり広くないようだった。細い通路に沿って少し歩いただけで、すぐ別な扉があったのだ。
「どうですか?」
 犬はあまり自信がないというそぶりでネリアーを見返す。人か何なのかよくわからないが、何かの気配はあるらしい。

 アタリなら問題ない。
 けれど、ハズレだったら、何が出てくるかわからない。

 ネリアーは小さく吐息を漏らす。
「毒食らわば皿までというのは、私の主義ではないのですが……これも乙女のためと思えばしかたない」
 長衣の隠しにかろうじて残っていた魔術の触媒を、指先で探る。
 扉が鍵で閉ざされているのは、ここに何かが閉じ込められているということだろう。少なくとも、誰にも知られていないこの区画で扉に鍵を掛ける意味というと、そのくらいしか思いつかない。
 魔術の鍵も通常の鍵も、解錠の魔術で開く。
 ネリアーは難なく扉を開いて中を覗き込む。

「ここにも、ですか」
 リュドミラと並んで横たわるトーヴァを見つけ、安心したのも束の間。念のためにと確認したそこには、やはり魔紋が仕掛けられていた。
 さすがにもう護符はない。
 次にあれを食らえば、ネリアーは確実な死を迎えるだろう。
 解呪を試みることは可能だが、魔紋はほぼ最高位に近い難易度の魔術だ。仕掛けた魔術師の練度を考えると、そうそう解けるとも思えない。
 それよりもずっと簡単なのは……。

「“混沌の海にたゆたいし力と我が名において、喜びの原に棲まう獣の王……”」

 新たに姿を現したのは、通常よりもふた回りは大きい巨大熊ダイアベアだった。おとなしくじっと命令を待つ熊に、ネリアーは「あちらへ行け」と魔紋を指差す。
 命令どおり魔紋へと突進した熊は、すぐに短い生を終えた。

 “死の魔紋”は、何かひとつを殺せばしばらくは機能が停止する。
 熊を殺した魔紋から輝きが失せたことを見届けて、ネリアーは即座にトーヴァの傍らへと急いだ。
 横たわって意識のないトーヴァのようすを素早く見て取ると、すぐに部屋の外へと引きずり出す。
 それだけで息が切れて朦朧としてくるようだ。
「乙女……」
 荒い呼吸と身体中を襲う痛みを落ち着かせてから、ネリアーは魔術感知の呪文を唱え、トーヴァの状態をつぶさに調べた。

「“時留めの眠り”、ですか」
 掛けられていたのが致命的な魔術でなかったことに、ほっと安堵する。
 この魔術によって眠らされた者は、その瞬間で時を止めたまま永遠に眠り続けるのだ。誰かに目覚めさせられるまで、身体を損なうことなく永遠に。
 そして、この眠りを目覚めさせる方法は……。
 眠るトーヴァの上に屈み込みその頬をするりと撫でる。
 自分の手元にいるのであれば、このまま眠り続けるのでも構わない。けれど、声を聞くことも表情の移ろいを愛でることもできないのはいただけない。

「乙女、私の乙女。どうか目を覚ましてください」

 眠り続けるトーヴァに囁いて、ネリアーはそっと唇を重ねた。
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