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1.シャルロッテ

01.猫を被って釣り上げる

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「だって、君は強いから。守ってくれる男なんて、必要ないだろう?」

 最初の初恋も、2度目の初恋も、3度目の初恋も、すべて同じセリフで振られた。ついでに言えば4度目も5度目もだ。
 しかも、決まって夕暮れの海岸で、赤く染まった沈む夕陽の目の前で。

 それに対する私の反応も、いつも同じだ。
 なんだそれなんだそれなんだそれ。
 ぐるぐるそう考えながら、「そう思うなら、しかたないわね」と引き攣った笑みを浮かべるのだ。
 そのままひとり海岸に取り残され、夕陽の沈みきった暗い海に向かい、「クソ弱いヘタレ男など滅べ。滅んでしまえ」と呪うまでがいつもの流れだった。



 ……彼らが「君は強いから」と言う原因も根拠もわかっている。
 だって、私はあの戦神脳筋神に仕える司祭で……しかも、戦いに特化した訓練を受けてる戦司祭で、下手な戦士顔負けなくらいに戦えるのだから。

 だが、だからって、年頃の娘に向かって「君は強いから男なんて必要ないだろう」というのはどんな言い草か。
 猛き戦神により無益な殺生を禁じられていなかったら、きっと各人3回くらいずつ殺してたんじゃないだろうか。
 この、胸の奥に受けた傷を癒すには、そのくらい必要だったはずだ。

 はあ、と溜息を吐く。

 そもそも私の外見に勝手に期待して、その期待と違うからさようならというのはどうなのよ。毎回毎回毎回毎回、どうしてそんな男ばっかりなのだ。
 女が強くたっていいじゃないか。
 だって私は戦神に仕えてるんだ。猛き戦いと勝利の神の戦司祭が、並の戦士程度に戦えなかったら話にならないんだぞ。

 そりゃ、片親が妖精だから骨格は華奢だし、筋肉もそれほど付いてない。パッと見には、とても戦神教会の戦司祭だなんて思えないだろう。
 黒っぽい色の髪に淡い緑の瞳が特徴の、母譲りの神秘的な雰囲気漂うふわふわした顔立ちというのも、期待を増幅させるのだろう。

 ……おまけに、皆、そもそも妖精という種族に夢を見すぎている。
 魔法を使い、森の中で動物たちときゃっきゃしながらふんわり生活している神秘的な種族……ってなんだそれ。
 妖精だって肉は食うし狩りはする。
 長弓ロングボウ長剣ロングソード持たせりゃ、戦神の司祭顔負けなレベルでガンガン戦うくらいにはすごい。

 そもそも、私の母を見てみろ。
 確かに見た目は折れそうな妖精美人かもしれないが、戦神教会の戦司祭と結婚しようとする猛者じゃないか。性格だって推して知るべしだ。
 おまけに弓の腕は町で一番だし、追跡術だって超一流。正直、母が本気で追いかけてきたら、逃げ切れる気がしない。
 さらに言えば、森に緑竜グリーンドラゴンが出たからって平気で狩りに行く豪胆さのどこに、皆が夢見るふんわりした妖精さんなんてイメージがあるというのだ。

 ……だがしかし。

 夜の帳が降りた水平線をじっと眺めて考える。
 癒し系ゆるふわが男受けするのもまた事実。

 つまり、だ。

 猛き戦神の聖なる御名にかけて、私、シャルロッテ・アーハウスは今後絶対に猫を被り倒し、この外見に見合う癒し系女子になることを誓います。


 * * *


「シャルロッテ司祭はこちらの部屋をお使いください」
「はい、ご案内ありがとうございます」
「いえ。なにぶん女性の少ない教会ですし、ご不便はあると思います。
 なるべく便宜をはかれるよう手配しますから、何かお困りのことがあればいつでも声をかけてください」
「助かります。たいていのことなら慣れておりますし、どうかお気遣いなく」

 大陸西方には、“深淵の都”と呼ばれる大陸一のとんでもない大都市がある。
 周囲をぐるりと巨大な城壁に囲まれ、大きな貨物船に軍船が何隻も停泊できる巨大な港と、東南北と3方向に向かう主要街道が集まる、この大陸のもっとも主要な都市である。
 住人だって、いったい何万人……いや、何十万人いるのかよくわからない。
 魔術師協会ウィザードギルドやこの世界アーレスに力を及ぼすほぼすべての神々の教会が存在し、大陸中からさまざまなものやひとが集まる、本当に大きな都市だ。
 町の端から端まで歩くと半日は軽くかかるほどにも広い。

 私は今日、その“深淵の都”の、戦いと勝利の神の教会に赴任してきた。
 生まれ故郷でもある、北方氷土近くの“凍らずの町”の教会で修練を積み、このたびその能力を認められての、いわば栄転だ。

 私を振った男どもよ、捨てた魚のでかさを知り、後悔するがいい。
 私はこの大都会で立派な“癒し系ゆるふわ”に転身し、貴様らなどよりずっとずっと強くたくましく有能な男を釣り上げてやろうではないか。

「シャルロッテ司祭、他に何か気になることはありますか?」
「いえ、大丈夫です。もし何かあれば、その時にお伺いさせてください」

 ここまで案内してくれた少し年配の司祭が、柔和そうな笑顔で頷く。

「では、長旅お疲れ様です。本日はこのままお休みください」
「はい、そうさせていただきます」

 しとやかな笑みを浮かべ、司祭に丁重に礼を述べた。
 部屋へ入り扉を閉めて、持っていた荷物をぽいと置いて、部屋の中をぐるりと見回して……はあ、とひとつ息を吐く。

 猫を被るのって疲れる。
 めちゃくちゃ肩が凝る。

 とはいえ、やると決めたのだからやり遂げるのだ。地を出すのは、首尾よく目標を達成してからでいい。

「さて、と」

 もう少し着替えを買い足したほうがよいだろう。なんせ、実家から持参した平服だけで“癒し系ゆるふわ”を装うのは無理がある。
 まだ日は高いから、今から行けば夕刻までには戻ってこられるだろう。さっさと行って、済ませてしまうに限る。



 教会の通用門で市場の場所を聞くと、商業区の、それも平民が使うような店が集まるあたりまで、教会からは結構な距離だということだった。
 都に来たばかりなら道に迷ってしまうのではないかと言われ、私も悩んでしまう。さすがに簡単な説明を受けただけで、各地区を分ける門を超えて迷わず戻って来られるかはわからない。

「あ、聖騎士セロン!」
「はい?」

 話していた司祭が、通りかかった赤毛の聖騎士を呼び止めた。

「確か、早番でしたよね。もう帰るのですか?」
「ええ、そうですけど、何か?」

 聖騎士セロンは、訝しむような胡乱な視線をちらりと私に向ける。
 仮にも同じ教会の司祭に向ける視線ではないだろう。だが、すぐにセロンは私から視線を外し、司祭へと戻してしまった。
 司祭は、一連のそれには気づいていないようだった。

「では、申し訳ないのですけど、シャルロッテ司祭を市場広場へ案内して差し上げてはくれませんか。本日到着したばかりなので、都には不案内なのですよ」
「市場広場ですか?」
「はじめまして、聖騎士殿。シャルロッテ・アーハウスと申します。わたくし、本日こちらに到着したばかりでして……荷物を最小限にして参りましたので、少し足りないものを買い足せればと思ったんです」
「聖騎士セロン・カーリスです。そういう事情でしたら、ご案内しましょう」

 聖騎士らしく爽やかに微笑んで、セロンはゆっくりと歩き始めた。さっきの胡乱な顔はいったいなんだったのかと、こちらのほうが訝しむほどに違う笑顔だ。

 なんだろうか。聖騎士のくせになんだったのだ、さっきの態度は。間違っても司祭に向けていい視線ではない。
 教会内の序列だって、聖騎士の上に司祭が立っているのだぞ。

 妙に気に障り、解せぬと考えていると、急にセロンが立ち止まった。

「シャルロッテ司祭、どうかしましたか?」

 頭の中を読まれたかと焦り、“癒し系ゆるふわ”を意識したほんわかふんわりという笑顔を浮かべる。いいえ何もと返すと……なぜだかセロンの顔が引き攣ったように見えて、首を傾げてしまった。
 まさか、私の被った猫がバレた……わけではないよな。まだ会って一刻二時間も経っていないのだから、バレるはずがない。

 どことなく、お互いがお互いをじっとり観察しているような空気を漂わせて、私はセロンについて行った。


 * * *


 市場広場は、たいそうな賑わいだった。
 あまりにすごい人の波をぽかんと惚けたように眺めていたら、横に立つセロンがくすりと笑う気配がした。
 慌てて我に返り、こほんとひとつ咳払いをする。

「何を買いたいんです?」
「あ、着替えをいくつかで……」

 セロンは少し考えて、こちらですねと歩き始めた。私も慌てて後を追った……が。

 こんな人混みなど歩いた経験のない私は、たちまち人の波に流され阻まれて、セロンを見失ってしまう。
 さっきまで見えていた赤毛と戦神教会の聖騎士隊の赤い隊服がもう見えない。人に紛れてどこかに行ってしまった。
 声を張り上げて呼べば気づいてくれるかもしれない。だが……。

癒し系ゆるふわが、大声あげたりなんかしないよね」

 小さく呟いて、どうしようかとあたりを見回した。
 たしかこっちに向かっていたはずだからとゆっくり歩きながら、どうにかあの赤毛か隊服が見えないものかと目を凝らす。

「おい」

 聞き覚えのある声に振り向くと、セロンだった。
 少しほっとして、「セロン殿」と返し、癒し系ゆるふわにふさわしい微笑みをおっとりと浮かべる。

「よかった、迷子になってしまうかと思いました」
「……すみませんでした。失礼でなければ、手を」

 だが、すっと差し伸べられた手を、ついついじっと見てしまう。
 なぜなら……微笑みかけた時の彼の顔が、明らかに引き攣っていたからだ。見間違いでもなんでもなく引き攣っていた。

「どうしましたか?」
「あ、いいえ。ありがとうございます」

 淑女よろしくセロンの手に自分の手を乗せると、私たちは再び歩き出した。
 なるべく歩調を合わせ、お互いの気配に注意しながら。
 おかしいなと考えながら。
 さっきの顔はなんだったのかと訝しみながら。
 セロンの少し後ろを、手を引かれて歩きつつ、じっとり考える。

 まさか、本当に私の被った猫がバレてるわけじゃないよな?


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