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2.セロン

14.戦司祭ステン・アーハウス

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 稲妻の手綱を引いて、この町の戦神教会へと急ぐ。
 数日続いた強行軍でふたりともさすがにふらふらだったが、背を伸ばしてしっかりと歩を進める。
 ここで倒れて、みっともないところを見せるわけにはいかない。

 戦いと勝利の神は、もともと大陸北方で多く信仰されていた神だ。この町でも、数ある神々の教会の中でいちばんの信者数と規模を誇っている。
 教会はすぐに見つかった。
 町の中央広場に面したひときわ大きな教会がそれだった。
 荷物を降ろし、稲妻の世話を見習いに頼んで礼拝堂へと入る。
 まずは神へと祈りを捧げるのが先だ。神が遣わしてくださった稲妻の働きにより、無事に、しかも予定よりずっと早くここへ着けたのだから。

「聖騎士殿、ずいぶんとお疲れのようすだが、こちらへはいったい?」

 声を掛けられて振り向くと、初老の司祭だった。

「私はこちらの教会を預かる高司祭マルク・ロブネルと申します」
「“深淵の都”より参りました、聖騎士セロン・カーリスです。先ほど到着したばかりでして、少々の乱れはお許しいただければありがたいのですが」

 立ち上がり、礼を返す。おそらく、この教会を預かるお方なのだろう。

「構いませんよ、聖騎士セロン殿……ああ、セロン殿とはあなたでしたか」
「私が何か?」
「今朝、都の教会からあなた宛の手紙が届いたのですよ。なるほど、よかった、行き違いにならずお渡しできる」
「手紙、ですか?」

 さすがに驚いてしまう。今朝着いたということは、あの翌朝に出る北行きの船に頼んだということではないか。
 こちらへ、と案内されながら考える。
 手紙の送り主は、やはり父だろうか。勝手をした自分も、長兄のように破門と勘当を言い渡されるのかもしれないと、冷や汗が背を伝う。

 マルク高司祭の執務室と思しき部屋まで連れて来られ、机上にあった手紙を渡された。確認すれば、封蝋にはやはり教会と父の紋があった。
 開いてみると、教会からの辞令と、父と兄からの手紙で……それが、破門や勘当を伝えるものでなくてよかったと、心底、胸を撫で下ろす。

「セロン殿、どうしました?」
「……いえ、なんでもありません。ところで、マルク高司祭殿」

 ほう、と安堵の吐息を吐く俺を伺うように、マルク高司祭が首を傾げる。

「こちらへは、シャルロッテ・アーハウス殿に会いに参りました。彼女から、父君がこちらの司祭だとも聞いております。
 どうか、お取次をお願いできないでしょうか」
「おお、それでは、都ではシャルロッテと?」
「はい」

 マルク高司祭はにっこりと笑って頷いた。俺を応接室へと案内し、では、ステン司祭を呼んできましょうとそのまま部屋を出ていく。

 ……シャルロッテは、都でのことをどう話しているのだろうか。司祭の職を辞した理由は、父親にどう説明したのか。
 待つ間に、緊張が増していく。

 コツコツと扉を叩く音がして、ハッと顔を上げた。
 とてつもなくゆっくりと時間が流れた気がするが、実際にはたいしたほどでもなかったのだろう。
 がちゃりと扉が開くのに合わせ、立ち上がり……唖然とした。扉をくぐって入ってきたのは、熊とも見紛う大男だったのだ。
 都でも長身のほうだった長兄より拳ひとつ分はさらに高く、胴回りはもっと太い。こうも“丸太のような”と形容するにふさわしい腕は、めったにお目にかかれないだろう。
 金色の長く伸ばした髭をふたつに編んで垂らし、髪は首の後ろでひとつに結んでいる。典型的な“北の男”だ。

「はじめまして、“深淵の都”より参りました、聖騎士セロン・カーリスです」
「おお、これはこれは遠方からよく来た。俺はこの教会の戦司祭、ステン・アーハウスだ。娘が世話になったようだな」

 手を差し出し、握手を交わす。痛いくらいに思い切り握られて、この腕は見掛け倒しではないのだなと考える。

「ところで、カーリスと言ったか。カーリスとは、猛将殿の?」
「はい、ブライアンは私の祖父です」
「やはりそうか! その赤毛も目の色も、どうりでよく似ているはずだ!」
「祖父をご存知なのですか」
「昔、俺がまだ若造だった頃に少し稽古を付けてもらったんだ」

 にやりと笑ってバシバシと俺の肩を叩くステンに、「猛将の孫の割に、線が細いな」などと言われてしまう。

「上の兄のほうが、祖父に似ているかもしれません。兄は司祭ではありませんが」
「ほう?」
「故あって家を出ておりますが、兄は騎士として、兄弟の中でいちばん剣の腕にも秀でておりました」
「なるほど、それはいちど手合わせをしてみたいものだ」

 豪快に笑って、ステンは椅子を勧めながら自分も腰を下ろした。ギシリと大きく椅子が鳴って、一瞬大丈夫なのかと心配になる。

「それで、セロン殿は娘に会いたいと?」
「はい」
「……では、あれが急に司祭を辞めると言って戻ってきた理由をご存知か?」

 ステンの、氷のような淡い水色の目にまっすぐ見つめられて、思わず視線を逸らしたくなった。だが、ぐっと堪えて、「いえ」と小さく呟く。

「シャルロッテが話していないのであれば、私が話すわけには参りません」
「ふむ……」

 ステンは少し面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「娘はつまらんな。昔はあれだけ甘えてきたくせに、今じゃ母親にばかり寄って行く。俺のところになどまったく来ん」

 ステンの愚痴めいた言葉に父のことを思い出し、つい苦笑が浮かんでしまった。父親と娘の関係は、シャルロッテの家でも変わらないのだな、と。

「私の父は、姉のことを“お願いのあるときばかり甘えてくる”とこぼしておりましたが、どちらが良いんでしょうね」
「どこもそういうものか」

 やれやれと軽く両手を挙げて首を振り……ステンはおもむろに顔を寄せてくると、「それで?」とまた笑った。

「それで、うちの娘に会って、どうする気だ?」

 歯を剥き出すように笑うステンに問われて、言葉に詰まってしまう。
 その問いは、稲妻を走らせる間ずっと考えていたけれど、結局答えが出せずに終わったものだから。

「それは……」
「それは?」
「会って……とにかく会って、許されるなら……」

 そこまで言って、どきりとする。
 これではまるで……。

「ほほう。なら、俺とひと勝負してもらうしかあるまい」
「……え?」
「古来より、男親ならばここでこう言うものだろう? “俺より弱い奴に、俺の娘は渡さん”、とな。猛将の孫だというなら、それらしいところを示してみろ」

 反射的に、そういうものではない、と返しそうになったが思い止まった。
 いきなり来た男が娘に会いたいなんて言ったら、そういう反応になるのはしかたないのではないか。
 だけど、誤解をさせてしまっては……いや、誤解、なのか?
 否定しようとして否定できずに、言葉が止まってしまう。

「ほれ、どうする? 勝負を受けずとも構わんぞ。だが、それなら娘に会わせるわけにはいかん。どうするんだ?」
「……わかりました」
「そうこなくてはな!」

 ステンはまたもや豪快に笑って、テーブル越しにバシリと俺の肩を叩いた。

「よし、だが、さすがに今日いきなりというのは止めておこう。着いたばかりで本調子でもないのを打ちのめすのは公正ではない。そうだな……」

 ステンは楽しそうに俺の顔をじっと眺める。
 その表情は、健在だった頃の、手合わせをしようと言い出したときの祖父にそっくりで……さすが戦司祭というべきか。

「明後日だ。明後日にしよう。明日1日あれば調子は整うな?」
「はい」
「では明後日だ! 楽しみにしているぞ!」

 バンバンと何度も背を叩き、では明後日にやろうと言い残して、ステンは部屋を出て行った。



 俺はそのまま、教会の宿舎に滞在することになった。
 さすがに疲れ過ぎたか、借りた部屋へと入るなり、倒れ込むようにベッドに転がってしまう。身体が軋むようだ。
 ごろりと寝転がったまま、都の教会から届いた書状をもういちど取り出した。改めて中を読めば、間違いなく自分を教会付きから外すという文言が記されている。ただ外すのではなく、遍歴のために放浪を許すという通知だった。

 父と兄のはからいなのだろう。

 別に付けられていた兄からの手紙を見れば、予想したとおりだった。兄と姉が父に取り成して、単なる出奔ではなく、正式な修練のための放浪としたのだと述べてある。このうえなく個人的なことだというのに、これで良いのだろうか。少しだけ考えて、今回は甘えることにした。
 戦神と家族に感謝の祈りを呟きながら、道中ずっと無限袋に放り込んだままだった武具を取り出していく。ひとつずつ丁寧に確認しつつ磨き上げ……気が緩んだのか、そのまま途中で眠り込んでしまった。


 * * *


 翌朝はいつもどおりに目が覚めた。

 ここ数日、起きている間はずっと馬上だったせいか、身体が変に固まってしまった気がする。厩舎に寄って稲妻のようすを確認した後、鍛錬場へ赴くと、すでに幾人かの司祭や騎士が身体を動かしていた。
 皆、ステンほどではないものの、背は高く、身体の厚みもかなりのものだ。北の人間からすれば、俺などひょろひょろの頼りなげな若造にしか見えないだろう。

「あんたが聖騎士セロンか。俺はここの司祭のオロフだ」
「セロン・カーリスです。よろしく」

 さっそく声を掛けてきたオロフと握手を交わすと、彼は楽しそうに笑う。

「あんた、ステンの娘を賭けてステンと勝負することになったらしいな」
「いや、賭けてっていうのは」
「隠すな。今、教会の中はその話で持ちきりだぞ」
「ちょっと待ってくれ」

 慌ててオロフの腕を掴み、頭を寄せて声を落とす。

「娘を賭けてって、いったい娘の何を賭けるっていうんだ」
「そんなもん、ひとつしかないだろう。結婚だよ」
「──は?」

 照れるな、と思い切り背を叩かれて、げほっとむせてしまう。ステンに誤解されてしまったとは考えていたが、どうしてそこまで進んでいるんだ。
 しかも教会中に広まって?

「違う、誤解だ、結婚なんて……」
「ステンは強いぞ。あの身体のでかさは伊達じゃない。あんたくらいの重さなら、下手すると柵まで吹っ飛ばされちまうからな。せいぜいがんばれよ」

 オロフはまったくこちらの話を聞かない。ただ、俺を宥めるのか煽るのか、背をバンバンと叩くだけだ。

「ステンも悪い奴じゃないんだが、娘のこととなると別なんだよな。たぶん明日は本気で来るから、しっかり調整しておけよ」
「だから待ってくれ、違う、結婚なんて……」
「まあまあ、他人から言われて否定したくなるのはわかるが、今さらだ。
 いやあ、ステンに挑戦までするような気概のある奴は、はじめてだからな。皆、なんだかんだあんたを応援してるよ」

 はっはっは、と大きく笑って、オロフは去って行く。ステンに若干の誤解はあったかもしれないが、それがなぜここまでのことになっているのか。


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