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3.シャルロッテとセロン

21.同じものの裏と表

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 カン、と軽い音が立って、くるくると木剣が宙を舞った。
 シャルロッテはむうっと眉根を寄せて、不機嫌そうな顔になる。

 セロンが森に来てひと月、だんだんと力負けする回数が増えている。動きを読まれることも増えている。非常におもしろくない。

「なんか、ずるいわ」
「何がだ?」

 はあ、と息を吐き、汗をぬぐってセロンは首を傾げる。

「私もあんたみたいな体力お化けになれればいいのに」
「俺はそうでもないぞ。本当の体力お化けってのは、うちの長兄みたいなのだ。俺と姉上を続けて相手にしても、まだ次兄と手合わせする余裕があるんだからな」
「あんたの家、やっぱりおかしいわ」

 何度も大きく息を吐きながら、シャルロッテは口を尖らせて、ふと何かを思いついたようにセロンを見上げた。

「ちょっと訂正。あんたの家も、あんた自身もおかしい」
「そうか?」

 困ったように眉尻を下げて、セロンはもういちど首を傾げる。おかしいと言われても、ずっとこれが普通だったのだ。

「つまりあんたは箱入りの世間知らずだったってことね」
「箱入り……」

 してやったりという顔で笑われて、セロンは眉を顰める……が、機嫌よく鎧を外し始めたシャルロッテの姿に、まあいいかと思い直す。

「それにしても、この森は本当に平和なんだな」
「そうよ」

 このひと月、セロンも森の見回りを手伝ったりしたものの、危険な魔物など、痕跡すら見かけたことはなかった。
 熊のような猛獣ですら、野伏レンジャー森の祭司ドルイドの手にかかれば、おとなしく森の奥へと帰っていくのだ。まるで魔法にでもかけられたかのように。
 感心するセロンに、シャルロッテは得意げに胸を反らし……それから、ふと思いついたように北に連なる険しい山々を指差した。

「ほら、あの北壁山脈の雲が掛かった頂が見えるでしょ? あそこには銀竜シルバードラゴンの巣穴があるの。だから悪いものは山を越えられない。森の中も野伏レンジャー森の祭司ドルイドが見回ってるし、北の蛮族だって、海側から山を迂回するから、内陸寄りのこの森まで来ることはないわね」
「なるほどな」

 確かに、銀色の竜は空に近い、険しい高山の頂に雲の宮殿を作って巣にするのだと聞いたことがある。どこまで本当なのかは知らないが、あの雲の中に巣穴があるのは確かなのだろう。

「じゃ、またあとでね」

 防具を外し終わり、ひらりと踵を返して歩き出すシャルロッテに、ああ、と応えた。そのままわずかに目を細め、じっと眩しそうに離れて行く背を見つめる。
 このひと月で、近づいたような遠ざかったような……こうして手合わせの相手になるんだから、嫌われてはいないんだろう。
 けれど、取りつく島のないシャルロッテの背中に、ここから進むにはやはり残された2回のどちらかで勝たねばならないのだろうとも思える。
 思わず溜息を吐くと、カツカツという蹄の音に、ぶるるという鼻息が聞こえた。振り向くと、やはり“黄金の稲妻”だった。

「なんだ、どうした?」

 稲妻は、軽く目を細めて鼻を鳴らした。うまくやってるじゃないか、とでも言うように。
 セロンは苦笑を浮かべてその太い首を叩く。

「……そうか? 何がどううまくなのかさっぱりだけど……まあ、追い出されないんだから、そういう意味ではうまくいってるのかもしれないな」

 まだそんな言い草をと目を眇める稲妻をごまかそうとしてか、セロンは「お前も風呂に行くか?」と笑う。
 ぴくりと耳を震わせて、稲妻は頷くように首を振った。しかたない、ごまかされてやろうと首を反らし、先頭に立って歩き始める。この森に来て以来、稲妻はずいぶん温泉を気に入ったらしい。足取り軽く進んでいく稲妻の後を追って、セロンも笑いながら歩き始める。


 * * *


「シャル」
「あ、フェイレーン、どうしたの?」
「明日の巡回はセロンと行ってくれって、伝言だよ」

 家に戻る途中、にこにことやってきたフェイレーンにいきなり言われて、シャルロッテはつい眉を顰めてしまう。

「フェイレーン。私、セロンとばっかり組まされてる気がするんだけど」
「そりゃそうさ。君たちは同じ教会だし、セロンは君に馴染んでいるんだ。馴染んでる同士で組ませたほうがいいだろう?」
「馴染んでるって、それ、どうなの?」

 むう、と渋面になるシャルロッテの眉間にできた皺を伸ばすように指で撫でながら、フェイレーンは笑った。

「馴染んでるだろう? シャルは、なんだかんだ彼の行くところに必ず付いていくじゃないか」
「そんなことないわよ。ただ、なんていうか、余所者の町育ちなのに大丈夫かって気になるだけで」

 くっくっと肩を震わせるフェイレーンを憮然と眺めて、シャルロッテは思い切り溜息を吐いた。セロンが来てからというもの、森の皆がなにかしらと自分と彼をセットで扱おうとするのだ。納得がいかない。

「でも、シャルロッテはセロンが嫌いじゃないだろう?」
「たしかに嫌いじゃないけど、でも、それだけだわ」
「それだけ、ねえ」
「何が言いたいのよ」

 いやべつに、とやっぱり笑ったままのフェイレーンに、シャルロッテはやっぱり納得がいかなかった。そもそも、セロンの態度が都にいたころとは全然違うことが悪い。都にいたころの態度を考えたら、馴染んでる以前のはずだったのに。
 “かみの妖精”に比べれば、確かに森妖精はちょっとお調子者だ。けれど、こうしてひとのことをあれこれ邪推するのはどうなのか。シャルロッテ自身の思いを蔑ろにしてるんじゃないのか。
 ……なのに、正面切って嫌なのかと訊かれると、そう嫌というわけでもない自分にも納得がいかない。

「とにかく、明日は君とセロンの当番だから、よろしく頼むよ」
「わかったわよ」

 やっぱり膨れたままのシャルロッテに、フェイレーンはまた笑う。

「……ねえ、シャル」
「なあに?」
「そろそろ、どうして100年なのかを話す気にならないかい?」
「え?」

 不意に、けれど穏やかに尋ねられて、シャルロッテは視線を逸らしてしまう。

「エトナもステンも僕も、皆、君のことを心配してる。君が北に帰ってきたのはうれしいさ。けどね、それは君がちゃんと笑って帰ってきてくれたらの話だ。あんなに思いつめた顔をして戻ってきたのに、心配しないわけがないだろう?」
「フェイレーン……」
「セロンがその事情に関わってるというのは、どことなく察しているよ。もし、君の憂いの原因が彼だというなら、僕も含めて皆、君の味方だ。彼が二度と君の前に現れることがないようにと行動することだって辞さないさ」
「え」
「君は僕らの血を分けた姉妹なんだから、当たり前だろう?」

 笑みは浮かべているけれど、至極真剣なフェイレーンの目の光に、シャルロッテはごくりと喉を鳴らす。
 森妖精は基本的には陽気で呑気な性格だが、妖精族の中でもいちばんの同族思いだ。特に、同じ氏族の者に対する愛情はとても深く重いと言われている。

「あのね、フェイレーン」
「うん?」
「確かに、私が100年ここに引っこむって話に、セロンは関わってるわ。でも、セロンのせいってわけじゃないの」

 少し決まり悪そうに話し始めるシャルロッテに、フェイレーンはあくまでも穏やかな笑顔で、先を促した。

「どっちかっていうと、セロンは巻き込まれたほうなのよ。魔術師教会ウィザードギルドの依頼で地下迷宮に入った先で、へまをして迷子になった私を助けに来てくれたのが、セロンなんだから」
「なら、君の恩人てことになるんじゃないか」

 目を瞠るフェイレーンに、シャルロッテはやっぱり決まり悪そうに頷いた。

「その時に、ふたりともちょっとした呪いにかかって困ったことになったんだけど……私がへまをしなければ、セロンも呪われたりしなかったことは確かだわ」
「呪い? もう大丈夫なのかい?」
「うん。ちゃんと教会の司教様に解いてもらったし、もう問題ないの」
「なら、いいんだけど」
「だから、100年の直接の引き金はその時の呪いだったんだけど、それまでの無理が祟って疲れたせいよ。セロンは関係ないわ」

 ふむ、と考えるようにして、フェイレーンは「そういうことなら」と続ける。

「僕らが見ていたとおり、やっぱり、セロンはシャルへの思いからここまで君を追ってきたってことじゃないのかな?」
「……それはどうかしら」

 小さく吐息を漏らすシャルロッテを、フェイレーンは不思議そうに見つめる。

「何がそんなに引っかかってるんだい?」
「だって、そんなはずないもの」
「そんなはずないって、どういう風に?」

 シャルロッテの言葉に、フェイレーンは思わず首を傾げてしまう。迷宮で助けたことといい、ここまで追ってきたことといい、ステンに勝負を挑んだことといい、同じ教会ということを差し引いたって、セロンの好意は確かなものじゃないのか。
 なのに、シャルロッテの言うことの辻褄が合わないように思えておかしい。

「都じゃ、私たち別に仲が良かったわけでもないのよ。お互いなるべく関わらないようにしてて、顔を合わせれば喧嘩腰だったし、むしろ相性は悪かったわ」
「けれど、今のセロンにそんな雰囲気はないね」
「おかしいのよ。たとえ呪いのことがあったにしても、責任のことだってはっきりいらないって断ったのに……なんでセロンがあんな風に私を追いかけて来たのか、全然わからないわ。そんなはずないんだもの」

 フェイレーンは、はあ、と溜息を吐く。

「あのねシャル」
「なに?」
「好意と嫌悪は、同じものの裏と表なんだよ」
「いきなり何?」
「好意の対極は嫌悪じゃなくて無関心。好意と嫌悪は同じものだ。たまたまの巡りあわせで好意に傾いたか嫌悪に傾いたかの差でしかない」
「何よ。フェイレーンは、だから、私がセロンに好意を持ってるって言うの? そんなわけないわよ」
「まあ、確かに、どっちかにしか傾きようがないってこともあるけれど、それはよほどの場合だけだよ。シャルも思い込むばかりじゃなくて、もう少し冷静に、少し引いて考えてみるといいんじゃないかな」
「だって、絶対、そんなわけないじゃない。私、セロンには相当酷いこと言ってたって自覚はあるし、好意なんか持ちようがないわ」
「シャル。ひとの心に絶対はないよ?」
「フェイレーン!」
「まあまあ」

 むう、と眉間にくっきりと皺を寄せるシャルロッテの頭をぽんぽんと叩いて、「それはそれとして、明日の巡回は頼んだからね」とフェイレーンは笑った。


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