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3.シャルロッテとセロン

26.“負けるが勝ち”とも言う

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 まだ身体は怠いが、まったく動けないわけではない。
 皆、長老の樹の下にいるからと言い残してシャルロッテが部屋を出た後、セロンは起き出して身支度を整えた。
 それから改めて、猛きものに勝利したことへの感謝の祈りを捧げる。
 床に置いたままの、ボロボロになってしまった鎧が目に入り、これは全部作り直しだな、と呟いた。剣も研ぎ直しでどうにかなればいいが。

「……まさか、泣かれるとは思わなかった」

 今さらのように顔を押さえ、小さく呟く。

 あの決闘を、腕の1本と引き換えに勝利できたら安いと思ったのは本当だ。青竜は、おそらくそろそろ熟年期を迎えるくらいに成熟した、力のある竜だった。神術もあらかた使い果たしていた自分が勝てるかどうかなんて、ほんとうにわからなかったのだ。
 勝ったところで、あれを押さえられる者がいなければ意味がなかったことも確かだ。妖精たちが来るまで時間を稼ぎ、自分が可能な限り弱らせれば、あとはどうにかできるだろうとは考えたが、いちかばちかであることに変わりはない。
 あの場に銀竜が居合わせたことには、戦神の采配を感謝するばかりだ。

 けれど、シャルロッテが泣くなんて、ほんとうに想像もしてなかった。
 このままなし崩しに、とも一瞬考えてしまったけれど、それではだめなのだ。それじゃ、シャルロッテは納得しない。
 何より自分が納得しない。

 小さく息を吐き、刃こぼれしてしまった長剣は置いたまま、小剣だけを腰に差して、セロンは外へ出た。

 家のある樹の下では、セロンが起きたことを知った稲妻が待ち構えていた。
 やっと起きたのかと仁王立ちに見下ろす稲妻に「お前の怪我はどうだ?」と問うと、そんなものとっくに治っていると鼻を鳴らした。お前とは鍛え方が違うのだ、という態度に、つい笑ってしまう。

「お互い無事でよかったよ」

 ぽんぽんと首を叩くと当たり前だと嘶かれて、今度は苦笑してしまう。稲妻は、溜息のような吐息を漏らしてセロンをじろりと見た。あんな無茶をしたんだから、しばらくは自重しろとでも言いたいのだろう。



 長老の樹の下には、妖精たちと、町から来た司祭の姿があった。もちろん、銀竜が姿を変えた妖精と……。

「ステン殿。それに、マルク高司祭も」
「おお、セロン。聞いたぞ。シャルロッテとフェイレーンが連絡を寄越したので、大急ぎで来たんだ」
「猛きものの剣たるにふさわしい戦いぶりだったと聞いておりますよ」
「いえ、今回は、戦神のご加護と采配に救われました」
「何を言ってる、もっと驕ってもいいんだぞ!」

 恐縮するセロンの背を、バン、と叩いてステンが豪快に笑う。

「いえ、ほんとうに……ところで青竜はどこに」
「ああ、あれだそうだ」
「……あれが?」

 ステンの示した先には、手を振るシャルロッテと銀竜の足元に、縄をかけられて座る妖精がいた。

「ほら、あんたが勝者なのよ。早く後始末してちょうだい」
「だが、なぜ妖精の姿に?」

 シャルロッテに急かされつつも、セロンは首を傾げる。青竜に変身能力があるという話は聞いたことがない。

「僕が“強制変身”の魔術を掛けたんだ。あの図体のままじゃ、扱いに困るからね」

 不貞腐れた顔で憎々しげにセロンを睨む妖精は、青味の強い灰色の髪に明るい黄色の目で、確かに普通の妖精とは違う、青竜を思わせる色だった。

「青竜悪しき惨殺者マルスヴァークリック

 青竜はじろりとセロンを見上げる。その顔を見れば、自分がこんな状況になったのは自業自得などではなく、ここにいる者たちが全員で結託して自分を嵌めたせいだ、とでも考えていることは丸わかりだった。

「お前の負けだ。先にも述べたように、お前は“贖罪”と“使命”を受け入れ、己の罪と横暴を償え」

 セロンは、黙り込んだまま睨むだけの青竜の返答を、じっと待つ。

「マルスヴァークリック」

 とうとう銀竜が静かに青竜を呼んだ。
 青竜の身体がびくりと震える。

「君は“古の約定”に従って戦い、負けたんだよ。僕と司祭が立会人としてたしかに見届けた。その君が約定での定めに従わないと言うのかい? そんな竜の恥晒しなど、死んだほうがマシだと思うんだけど」

 静かに、にいっと笑う銀竜へ、青竜は怯えた目を向ける。

「……わかった。“贖罪”でもなんでも受け入れてやる。早くしろ」

 あくまでも不貞腐れた態度で、この後に及んでも偉そうな態度にセロンは小さく眉を顰め、「マルク高司祭」と教会長を呼んだ。

「この青竜に“贖罪”と“使命”をお願いします。彼がこれまで犯した暴虐を償い、善を理解できるように」
「うむ。そうだな……こやつには弱者への守護と救済を課すのが良かろう」

 ひくりと青竜の顔が引き攣った。なぜ、自分がそんなことをしなければならないのだと目を剥いて。
 マルク高司祭はそれに構わず、戦神の聖なる印をその額に押し付ける。

「“青竜マルスヴァークリックよ、戦いと勝利の神の聖なる御名において、お前に贖罪を求める。お前の過去の振る舞いを悔い改め、今ここより、猛き戦神の盾と剣たるにふさわしいものとしての心を持ち、行動せよ”」

 高司祭の聖印から光がこぼれるように湧き出て、青竜を取り巻いた。青竜はぎゅっと目を瞑り、身を縮こませている。

「“青竜マルスヴァークリックに、戦いと勝利の神の猛き御名において命ずる。青竜マルスヴァークリックは弱き者を護り、救うべし。虐げられるものを護り、救うべし。彼らを見捨てることなく、己が全力を尽くして護り、救うのだ”」

 青竜の額に押し当てた聖印が一瞬光り、そこに戦神の印を残す。“使命”を果たし終えた時に、はじめてこの印が消えるのだ。
 青竜は項垂れたまま、ぐう、と唸った。

「マルスヴァークリック」

 銀竜がにっこりと笑って、青竜の顔を覗き込んだ。

「君がちゃんと贖罪と使命を果たせるようになるまでは、しばらくそのままでいるといい」
「……なに!? 俺に、この弱々しい二本足のままでいろって言うのか?」
「そう。君が蔑む二本足の種族は、なかなかどうして侮れない力を持っているんだ。その証拠に、君は聖騎士セロンに負けたじゃないか。君はもう少し他種族へ敬意を持つべきだし、他種族を侮ってはいけないことを、もっとしっかりと理解しなきゃいけない。
 それと、戦えなくて困るというなら、二本足での戦い方を覚えればいいだろう? 彼らに頭を下げて教えを乞えばいいよ」

 青竜は呆然と自分の両手を見つめた。
 固い鱗もなく、白くふにゃふにゃと柔らかい皮膚だけに覆われた手だ。指先には、少し力をいれただけで剥がれる、丸くて脆い爪が付いているだけ。身体に繋がる腕もやたらと細くてすぐに折れてしまいそうで……。

「こんななりで戦いなんかできるものか。こんなひ弱な身体で何から何を護れと言うんだ。俺にできないことなんぞ課して、そんなに楽しいのか」
「そうでもないぞ」

 ぎりぎりと歯噛みして睨む青竜に、セロンはにやりと笑う。

「お前たち竜は爪や牙で戦うが、俺たちは武器を使う。だから、お前も武器を使って使命を果たせばいい。なんなら、俺が武器の扱いを教えてやるが?」

 すぐ死ぬ弱い地虫と蔑んできた、その“二本足”に憐れまれたと、青竜のプライドがずたずたなのだろう。言葉もなく、ただただ睨み続けるだけのマルスヴァークリックに、セロンは肩を竦めた。

「すぐにその気にはならなくても、そのうち学びたくなったら言えばいい。ヴォレラシアー殿の言うとおり、お前を負かしたのは、お前が“二本足”と蔑む人間の俺だ。そのことをじっくりと考えるんだな」

 ヴォレラシアーはくすりと笑う。

「マルスヴァークリック、君はここに留まって課せられたものを果たすために学んでもいいし、ここを立ち去ってもいい。
 でも、今の君はひ弱な“二本足”で、君は“二本足”で生きる方法を知らない。ここを出たら、あっという間に人買いに捕まって毛色の変わった妖精として売られるか、野垂れ死ぬかが関の山だろうね。
 だから、僕としてはここに留まることを勧めるよ」
「……うるさい」

 それっきり、またそっぽを向いて黙り込んだマルスヴァークリックに、ヴォレラシアーはやれやれと苦笑した。
 ともあれ、これで青竜の処遇は決まったし、しばらくはヴォレラシアーが付いているという。なら、いつまでもここにいることもないだろうと、集まっていたものたちは三々五々散って行った。



「あれでよかったの?」
「ああ」

 シャルロッテに尋ねられてセロンは首肯する。この件に関してはあれで十分だろう。青竜が、真実、善たる存在になれば最高の成果と言えるだろうが、そればかりは今すぐに結果がわかることでもない。
 今は神の力に屈しているだけだが、年月を積み重ねることで、真に善に目覚め、変わるかもしれないのだ。

 皆と別れて、ステンはセロンと並んで歩き始めた。そのすぐ後ろをちょこちょこと小走りにシャルロッテが付いてくる。

「セロン」

 急にステンに呼ばれて、セロンは顔を上げる。

「ありがとう」
「え、いや、ステン殿、急に何を……」

 改まって礼を述べられて、セロンは慌てた。いったい何の礼なのかと。

「お前さんのおかげで、この森が荒らされずに済んだ。この森はエトナの故郷で、俺のふたつめの故郷でもある。お前さんがここにいてくれてよかったよ」
「ステン殿。それは猛きものの采配のおかげですよ。たまたま“古の約定”を知る私がここに居合わせたのも、たまたま私の受け持ちの場所に青竜が現れたのも、猛きものがそう采配したからです。私の功績じゃない」
「だが、それでも実際に青竜と戦い、下したのはお前さんだ。俺は、猛きものにもお前さんにも感謝している」
「ステン殿……私は、猛きものに仕える剣たる者として、なすべきことをなしただけですから」

 困ったように眉尻を下げるセロンの背をばしりと叩いて、ステンは豪快に笑った。

「何を言うか、お前さんは十分誇っていいことをしたんだぞ。戦神の聖騎士としても、ただの戦士としてもな」
「はあ……正直を言えば、姉にくらいは自慢しようかとも思ってますけど」
「なんだ、もっと広めてもいいんだぞ。なんなら、俺が町に来る吟遊詩人にでも片っ端から語ってやるが?」
「いや、詩人は、その……間に合ってますから」
「ん、そうか?」

 たぶん、この話も、あの義兄はきっとどこからともなく聞いて来るのではないだろうか。詩人である義兄に知られれば、間違いなくあらぬ方向の歌にしたてられ広められるというのに、このうえ他の吟遊詩人もとなったらどうなることか。
 セロンが眉を寄せて考え込むと、ステンはまた、わははと大きく笑う。

「まあ、それはそれとして、どうだ。これから俺と手合わせをせんか?」
「手合わせですか?」

 さすがにこの体調では少々厳しいか。
 だが、森にいるとなかなか得られない機会だ。
 悩むそぶりを見せるセロンに、シャルロッテが呆れたように鼻を鳴らす。

「ちょっと父さん! 黙って聞いてれば、セロンはさっき目が覚めたばっかりなのよ。無理に決まってるじゃない。
 セロン、あんたもよ。無茶はいい加減にしてよね!」
「おお、そういえばそうだったな」
「そうだったなじゃないわ。セロンもすぐに断りなさいよ」
「ああ、すまない」

 間に割り込むシャルロッテに、ステンもセロンも苦笑する。

「……ね、だから、父さんは久しぶりに私の相手をしてよ!」
「なんだ、結局はそれか。だが、可愛い娘のおねだりだ、こりゃ叶えてやらなきゃならんだろうな。どれ、久しぶりにシャルロッテの腕を見ておくか」

 ステンは笑いながらシャルロッテを抱えあげた。



「シャルロッテ」
「何?」

 さっそく、いつもの鍛錬場の真ん中で、ステンとシャルロッテは並んで用意を始めた。離れた柵の外側では、セロンと稲妻がそれを眺めている。

「お前さんはどうなんだね」
「どうって、何が?」
「決まってるだろう、セロンだ」

 はあ? とシャルロッテは思わず手を止めて、ステンを凝視した。

「そんなの、わかんないわよ」
「ほう、そうか、わからんか」
「それが、何?」
「駄目だと一刀両断ではないのだなと思ってな」
「な、父さん!」

 何を言い出すのかと慌てて声を上げるシャルロッテに、ステンはにやりと笑う。それから、急に真面目な顔をシャルロッテに向けた。

「シャルロッテ」
「何よ!」
「お前さんは、ほんとうにセロンに勝ちたいのか?」
「当たり前じゃない。猛きものは戦いには勝ってこそだと言ってるわ」
「だがな、シャルロッテ。“負けるが勝ち”という言葉もあるぞ?」
「何言ってるの? おかしくない? どうして敗北が勝利なのよ」
「まあ、少し落ち着いて考えるといい。お前さんは昔からじっくり考えるのは苦手だったが、たまには時間をかけてゆっくり考えるんだな」
「ちゃんと考えてるに決まってるじゃない」

 むうっと剥れるシャルロッテに、ステンはやれやれと肩を竦めた。


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