24 / 32
灰色の世界の天上の青
終
しおりを挟む
煙は消えた。
またさやさやとそよぐ風と芳しい花の香りが戻ってきたこの場に、少しくすんだ“光霊”がひとつだけ、未だふわふわとあたりを漂っている。
「“彼”か」
オーウェンは小さく眉を寄せる。
あの悪魔大公の言うとおり、生前に信仰を持たなかったものに神々の導きはなく……つまり、彼はこの後、十天国界にも九層地獄界にも行くことはできないということだ。おそらくは、その辺縁に広がる果てしない煉獄で、気まぐれな何かに拾い上げられるまで悠久の時を彷徨うことになるのだろう。
できればどうにか……だが、神ならぬ身にはどうしようもない。
「君はこっちにおいで」
不意に、トーレが“彼”へと手を差し伸べた。
オーウェンは小さく目を瞠り、トーレを振り向く。
「トーレ殿」
「彼は愛を知る者だ。それに彼の遺した角には夜の女神の守護が宿り、君たちは彼を通して夜の女神へと祈りを捧げていた……そうだね?」
ヴィエナはほっとしたように頷いた。
「では、トーレ殿、彼は……」
「我が麗しの女神を通して、夜の女神に頼んでみよう。夜は愛を育む時でもあり、二柱の女神の仲は良い。それにきっと、彼にはその資格がある」
「ありがたい。どうかよろしく頼む」
トーレは肩を竦めて、それから、ふと笑みを浮かべた。
「それよりも君だ。君は見事にかの悪魔の恨みを買ったようだけど、百二十年後、どうするつもりだい?」
「ああ、それなら心配はしていない」
「なぜ?」
オーウェンは笑う。
「我がカーリス家が、黙って悪魔の襲来を待つと思うか?
我らの家訓は“先手必勝”だ。力を付け、準備が整ったなら、こちらから九層地獄界に乗り込み、かの悪魔を討ち取ってやるさ。いかに悪魔といえど、自分の世界で滅びを迎えたなら、二度と蘇ることはできないのだろう?」
トーレが噴き出した。イレイェンも、呆れた視線をオーウェンへ向ける。
「これだから、戦神教会は殴るしか能がないって言われるのよ」
「さすが猛きものの司祭だ。そんな発想、私にはなかったね」
「とはいえ、相手が悪魔大公とあっては一筋縄ではいかないだろう。正直、何年かかるかはわからん。だが我々だって今のままではないのだ。人間を見縊るなと、かの悪魔には思い知らせてやろうではないか」
ぽかんと驚いたように見上げるヴィエナの頭に手を置いて、オーウェンはくつくつと楽しそうに笑った。
「さて、トーレ殿、イレイェン殿。私とヴィエナを“鹿角の町”へ送っていただけないか。そろそろ妹の子が産まれているはずなのだ。顔を見に行きたい」
「え、オーウェン様、エルヴィラさんの赤ちゃんが産まれるの?」
「ああ。ちょうど屋敷を出る時に産気づいたのだ。お前も行きたいだろう?」
「行きたいです!」
再度“門”を通り、ふたりは町へと戻った。
未だに足元がふわふわとしていて、ヴィエナには現実感に乏しいように感じられる。
終わってみたらあっという間だった。
印は消えたと言われたけど、どうにも実感がわかない。やはり部屋に帰ったら自分でもちゃんと確認しよう。
「まずは教会長に、悪魔の脅威は去ったことを報告せねばならないな」
ヴィエナの手を引いて街路を歩き出しながら、オーウェンがぶつぶつと呟き始めた。見上げると、眉間に皺を寄せ宙を睨みつつ、あれこれと考えを巡らせていた。
「それに、お前とのこれからのこともだ。教会長に報告の上、公表しよう。あまりお前を待たせてはよくない。
家も探さねばなるまい。さすがに宿舎にあのままというのは……だが、こちらはすぐというわけにはいかないだろう。すまんがヴィエナ、しばらくはこれまでのように宿舎での生活になってしまう。なるべく早く探すが、少し辛抱してくれ。
あとは、都に手紙を送らねばならんな。いつになるかは確約できんが、早いうちに父上や母上、それから婆様にもお前を紹介する。できれば“聖女の町”にも行って、兄夫婦とも顔を合わせたい」
「あの、あの、オーウェン様」
「ん?」
怒涛のように告げられて、ヴィエナは目を白黒させてしまう。
今言われたことすべてをオーウェンのペースで進められたら、自分はついていけないのではないだろうか。
「いっぺんに言われても、私、よくわからないから――」
「ああ、すまん。少し気が急いてしまったようだ」
オーウェンは破顔してヴィエナを抱き上げると、額にキスをした。たちまちヴィエナの顔に血が上り、真っ赤に染まる。
「おっ、オーウェン様」
「どうした? 真っ赤だぞ」
「だっ、だってここ、外で、道端で!」
「大丈夫だ、問題はない」
ヴィエナは、オーウェンが他人の前でも全力で妹を馬鹿可愛がりする人間だったことも思い出す。
つまり、その、オーウェンの何のてらいもなく臆面もない愛情表現は、今後ヴィエナに向けられるということで――妹相手ですらあれだったのに、それが伴侶相手となったら、いったいどれほどだろうか。
そろりと上目遣いに見上げるヴィエナに、オーウェンは、「これから少し忙しくなるな」とにっこりと微笑んだ
またさやさやとそよぐ風と芳しい花の香りが戻ってきたこの場に、少しくすんだ“光霊”がひとつだけ、未だふわふわとあたりを漂っている。
「“彼”か」
オーウェンは小さく眉を寄せる。
あの悪魔大公の言うとおり、生前に信仰を持たなかったものに神々の導きはなく……つまり、彼はこの後、十天国界にも九層地獄界にも行くことはできないということだ。おそらくは、その辺縁に広がる果てしない煉獄で、気まぐれな何かに拾い上げられるまで悠久の時を彷徨うことになるのだろう。
できればどうにか……だが、神ならぬ身にはどうしようもない。
「君はこっちにおいで」
不意に、トーレが“彼”へと手を差し伸べた。
オーウェンは小さく目を瞠り、トーレを振り向く。
「トーレ殿」
「彼は愛を知る者だ。それに彼の遺した角には夜の女神の守護が宿り、君たちは彼を通して夜の女神へと祈りを捧げていた……そうだね?」
ヴィエナはほっとしたように頷いた。
「では、トーレ殿、彼は……」
「我が麗しの女神を通して、夜の女神に頼んでみよう。夜は愛を育む時でもあり、二柱の女神の仲は良い。それにきっと、彼にはその資格がある」
「ありがたい。どうかよろしく頼む」
トーレは肩を竦めて、それから、ふと笑みを浮かべた。
「それよりも君だ。君は見事にかの悪魔の恨みを買ったようだけど、百二十年後、どうするつもりだい?」
「ああ、それなら心配はしていない」
「なぜ?」
オーウェンは笑う。
「我がカーリス家が、黙って悪魔の襲来を待つと思うか?
我らの家訓は“先手必勝”だ。力を付け、準備が整ったなら、こちらから九層地獄界に乗り込み、かの悪魔を討ち取ってやるさ。いかに悪魔といえど、自分の世界で滅びを迎えたなら、二度と蘇ることはできないのだろう?」
トーレが噴き出した。イレイェンも、呆れた視線をオーウェンへ向ける。
「これだから、戦神教会は殴るしか能がないって言われるのよ」
「さすが猛きものの司祭だ。そんな発想、私にはなかったね」
「とはいえ、相手が悪魔大公とあっては一筋縄ではいかないだろう。正直、何年かかるかはわからん。だが我々だって今のままではないのだ。人間を見縊るなと、かの悪魔には思い知らせてやろうではないか」
ぽかんと驚いたように見上げるヴィエナの頭に手を置いて、オーウェンはくつくつと楽しそうに笑った。
「さて、トーレ殿、イレイェン殿。私とヴィエナを“鹿角の町”へ送っていただけないか。そろそろ妹の子が産まれているはずなのだ。顔を見に行きたい」
「え、オーウェン様、エルヴィラさんの赤ちゃんが産まれるの?」
「ああ。ちょうど屋敷を出る時に産気づいたのだ。お前も行きたいだろう?」
「行きたいです!」
再度“門”を通り、ふたりは町へと戻った。
未だに足元がふわふわとしていて、ヴィエナには現実感に乏しいように感じられる。
終わってみたらあっという間だった。
印は消えたと言われたけど、どうにも実感がわかない。やはり部屋に帰ったら自分でもちゃんと確認しよう。
「まずは教会長に、悪魔の脅威は去ったことを報告せねばならないな」
ヴィエナの手を引いて街路を歩き出しながら、オーウェンがぶつぶつと呟き始めた。見上げると、眉間に皺を寄せ宙を睨みつつ、あれこれと考えを巡らせていた。
「それに、お前とのこれからのこともだ。教会長に報告の上、公表しよう。あまりお前を待たせてはよくない。
家も探さねばなるまい。さすがに宿舎にあのままというのは……だが、こちらはすぐというわけにはいかないだろう。すまんがヴィエナ、しばらくはこれまでのように宿舎での生活になってしまう。なるべく早く探すが、少し辛抱してくれ。
あとは、都に手紙を送らねばならんな。いつになるかは確約できんが、早いうちに父上や母上、それから婆様にもお前を紹介する。できれば“聖女の町”にも行って、兄夫婦とも顔を合わせたい」
「あの、あの、オーウェン様」
「ん?」
怒涛のように告げられて、ヴィエナは目を白黒させてしまう。
今言われたことすべてをオーウェンのペースで進められたら、自分はついていけないのではないだろうか。
「いっぺんに言われても、私、よくわからないから――」
「ああ、すまん。少し気が急いてしまったようだ」
オーウェンは破顔してヴィエナを抱き上げると、額にキスをした。たちまちヴィエナの顔に血が上り、真っ赤に染まる。
「おっ、オーウェン様」
「どうした? 真っ赤だぞ」
「だっ、だってここ、外で、道端で!」
「大丈夫だ、問題はない」
ヴィエナは、オーウェンが他人の前でも全力で妹を馬鹿可愛がりする人間だったことも思い出す。
つまり、その、オーウェンの何のてらいもなく臆面もない愛情表現は、今後ヴィエナに向けられるということで――妹相手ですらあれだったのに、それが伴侶相手となったら、いったいどれほどだろうか。
そろりと上目遣いに見上げるヴィエナに、オーウェンは、「これから少し忙しくなるな」とにっこりと微笑んだ
0
あなたにおすすめの小説
ざまぁに失敗したけど辺境伯に溺愛されています
木漏れ日
恋愛
天才魔術師セディが自分の番である『異界渡りの姫』を召喚したとき、16歳の少女奈緒はそれに巻き込まれて、壁外という身分を持たない人々が住む場所に落ちました。
少女は自分を異世界トリップに巻き込んだ『異界渡り姫』に復讐しようとして失敗。なぜかロビン辺境伯は少女も『異界渡りの姫』だと言って溺愛するのですが……
陰陽の姫シリーズ『図書館の幽霊って私のことですか?』と連動しています。
どちらからお読み頂いても話は通じます。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!
カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。
前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。
全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
お気に入り1000ありがとうございます!!
お礼SS追加決定のため終了取下げいたします。
皆様、お気に入り登録ありがとうございました。
現在、お礼SSの準備中です。少々お待ちください。
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる