文字の大きさ
大
中
小
25 / 32
灰色の世界の天上の青
それからどうした/前編
(※本編のオーウェンは非常事態宣言モード、こちらのオーウェンは平常運転モードでお送りしています)
「ヴィエナ! お前の夫が帰ってきたぞ!」
「……オーウェン様、その、おかえりなさい」
「おお、我が愛しき妻よ……どうした? 元気がないようだが、何かあったか? 心配ごとでも?」
耳まで赤くなったヴィエナが「いつもと一緒だから」と小さく首を振ると、オーウェンはたちまち相好を崩し、両手を広げて抱き締める。
「つくづく初々しい妻だな、お前は」
「え、そんなこと、ないけど……オーウェン様が大袈裟すぎて、その……」
「それこそ、そんなことはないぞ?」
ひょいと抱き上げてにっこりと笑い、ヴィエナの額と両頬に順番にキスを落とし……それから最後にひとしきり抱き締めて、満面の笑顔で「やはり、帰宅してお前の顔をいちばんに見るのはいいものだ」と唇にキスをするまでがいつもの習慣だ。
……とにかく、オーウェンの一連の行動が何もかも大袈裟に見えて、ヴィエナにはいつまで経っても慣れることができない。
* * *
「兄上はいつもそうだぞ。中途半端に反応すると喜んでますます長くなるから、最初に思いっきり喜んで、そこからさりげなく離れるといいんだ。ソール兄上か父上がいれば、そっちに行く格好で簡単に離れられるんだけどな」
「そうなんですか」
「ヴィーって意外に計算してるよね」
少し前に産まれたばかりの赤ん坊をあやす義弟が、呆れ顔で肩を竦める。
「そうか? 実際、兄上が可愛がってくれるのは嬉しいけど、ずっと付き合ってるとなかなか終わらなくて困るんだぞ」
確かに長い。帰宅したオーウェンが一連の行動を済ませて満足するまで、いつもヴィエナはひたすら待っているが、本当に長い。
あちこち身体の調子を確認したり、あれこれと話しながら抱き締めたりを繰り返しつつ、オーウェンの気が済むまで延々と続くのだ。
それなのに……。
「あの、エルヴィラさん」
「なんだ?」
「あの、ちょっと……」
そう言いながら、ヴィエナがちらりとミーケルを見る。すぐに何かを察してか赤ん坊を抱いて「僕はランナルを寝かせて来よう」と部屋を出て行った。
「エルヴィラさんに聞きたいことがあって……オーウェン様のことで……」
「兄上のことか! よし、何でも聞くといい!」
「……オーウェン様は、本当はもっと大人の女の人が好きなんでしょうか」
「兄上の、好み……だと?」
もじもじと顔を赤らめるヴィエナに、エルヴィラが眉間を寄せて考え込む。今まで、あの兄と噂になった女性など皆無……だったはずだ。兄自身から女性の好みなど聞いたこともないし、もしかして長兄なら知っているのだろうかとも考える。
「兄上の好みの話は、残念だが聞いたことがないんだ。でも、今はヴィエナが兄上のタイプだと思う」
「そうでしょうか」
「だって、兄上はヴィエナに夢中じゃないか。前はしょっちゅう私を訪ねてきていたけど、最近はぜんぜんだぞ」
「そうなんですか?」
どことなく不安げな顔のヴィエナに、エルヴィラは首を捻る。
「ああ。だいたい、なんでそんなことが気になるんだ? 兄上はヴィエナが可愛くてしかたないのに」
「その……」
「うん」
「あの、私、オーウェン様のお嫁さんになったのに、まだちゃんとお嫁さんになれてないっていうか……」
ちゃんと? とさらに首を捻って……エルヴィラはカッと目を見開いた。
「なん……だと? 兄上が? 兄上はもしやヘタレなのか?」
「えっ、そんなことはなくて、その、私、子供みたいだし……」
じっと何かを見つめるヴィエナの視線をたどると、エルヴィラの胸元を見ていた。たしかに改めて見てみれば、ヴィエナの胸元はささやかで……だが、あの兄が体形ごときにこだわるなどとは、とても考え難い。
エルヴィラは小さく頷いた。
「兄上のことだから、何か考えがあるのかもしれない」
「考えですか?」
神妙な顔での呟きに、ヴィエナの眉尻が下がる……が、急にエルヴィラがにやりと笑い、ぐいと顔を近づけた。
「だがな、ヴィエナ義姉上。
我がカーリス家の家訓は“先手必勝”だ。つまり先んじたものにこそ勝利はもたらされる。兄上がもたもたしているのなら、義姉上が襲えばいい。きっと義姉上が勝つぞ」
「え……」
「私もそうだった。先手を取ってミケを襲った結果が今だ」
エルヴィラが不敵に笑った。
勝つと言われてもいったい何に勝つのかがよくわからなかったが、ヴィエナもとにかく頷いてみた。勝つというんだから何かに勝つんだろう。
「──そうだ、それにイヴリンだ! イヴリンはもっとすごいぞ。アライトが竜なのをものともせず、逃げ場を無くし追い込むことすらしてみせたんだ!
あと、クレア義姉上だって、最初は義姉上のほうからソール兄上を襲って落としたと聞いてる。やっぱり先んずれば勝つんだ!」
ヴィエナが目を丸くする。ヴィエナの知ってる常識では、襲うなんてはしたないことだと思っていたのに。
だが、ここに立派な前例がいるのだ。ヴィエナが数ある前例に習ったところで、問題ないのではないか。
「わ、私、頑張ろうかな」
「ああ、頑張れ。ガバァッと行けばいい。兄上相手に先手を取れることはなかなかないからな、寝込んだところに不意を打つんだ」
にこにこと肩を叩かれて、ヴィエナはぐっと拳を握りしめた。うまくできるかわからないが、今夜にでもさっそく試してみよう。
隣室にいたミーケルには、声の大きなエルヴィラの言葉がしっかりと聞こえていた。あの義兄殿なら確かに何か考えているのだろうし、エルヴィラとヴィエナの企みはロクでもないとわかるが、それとこれとは別だ。こういうおもしろそうなことは、放って眺めておくに越したことはない。
こういうものを元に自分の歌を増やすのも、立派に詩人の仕事なのだ。
* * *
「我が愛しき妻ヴィエナよ、帰ったぞ!」
「お、おかえりなさい、オーウェン様」
いつものようにオーウェンが両手を広げ、ヴィエナを抱き締める。額と頬に順番にキスを落とし、最後に唇を塞ぐところまで、いつもどおりだ。
「今日は何か良いことでもあったか?」
「ええと……エルヴィラさんの赤ちゃんを見に行ってきたの」
「そうか。どうだった?」
「前よりも顔がしっかりしてきたねって話をして……ぐずってもミーケルさんの子守唄ですぐ寝ちゃうから、すごいねって話したの」
「彼は一流の詩人だからな」
話しつつひょいと抱き上げ、さらにキスをしながらオーウェンは部屋へと向かった。ヴィエナを降ろして司祭服を脱ぐと、それを受け取ったヴィエナがハンガーに掛ける。最後に洗いものをまとめて、ふたりで洗い場へ置きに行くのもいつもどおりだ。
夕食の後は風呂場に置いた大きなタライにオーウェンがお湯を作り、それで身綺麗にする。暑い季節なら水のままでもいいが、近頃はだいぶ気温も下がってきたから、もっぱらお湯を使うことにしていた。
たまにオーウェンの背を流したり、その逆にオーウェンに背を流してもらったりすることもある……とはいえ、本当に流すだけで終わるのだけど。
ヴィエナは夜に備えてしっかりと身体を清め、髪も洗いあげた。
最後にイヴリンに分けてもらった薔薇の香りの香油で整えて、どこにもおかしなところはないかと念入りに確認する。
これで、戦いの準備はばっちりだろう。
エルヴィラは言っていた。戦って勝ちとるのがカーリス流だと。
だから自分も戦って、オーウェンを勝ち取るのだ。
「どうしたヴィエナ……おお、今日はいい香りだな」
ベッドに潜り込んでオーウェンに抱きつくと、さっそく香りに気付かれた。嬉しくて、なんとなく腕に力がこもる。
「イヴリンさんに香油を貰ったから、つけてみたの」
「そうか、良かったな」
こくりと頷いてオーウェンの身体に顔を埋めると、「どうした?」とオーウェンが笑いながら抱き返してきた。
「今日はずいぶん甘えん坊だな」
まさか、これから襲うつもりだなどとは答えられず、ただ顔を押し付けた。
……オーウェンが眠ってしまったらと考えるだけでどうにも恥ずかしくて、押し付けた顔が上げられない。
もぞもぞとひたすらくっつくだけのヴィエナにオーウェンはくすりと笑ってしまう。自分の妻が可愛くてしかたないという顔だ。
「おいで」
抱え込むように少し身体を引き上げて、オーウェンは目を閉じる。
これまでは、ヴィエナの件に掛かりきりで、担当する聖務のほとんどを他の司祭に変わってもらっていた。だが無事に解決した今、そのほぼすべてが元どおりとなったこともあり、それなりに忙しい。
毎日、ほぼ夜明けとともに起き出して教会へ向かうため、オーウェンの夜は早いのだ。
うとうとしつつ、けれど本当に眠り込まないように注意しながら、ヴィエナはじっと時を待った。
ほどなくして、オーウェンの呼吸がすうすうと穏やかな寝息に変わった。ヴィエナを抱えていた腕もわずかに緩み、どうやら本格的に寝入ったようだ。
いよいよか。
参考にとエルヴィラから借りて斜め読みしたロマンス小説を思い出す。
これがヴィエナの考えるシチュエーションにいちばん近いはずだというエルヴィラの言葉どおり、その物語の中では、令嬢が奥手な騎士に痺れを切らし……という内容で。
ヴィエナはごくりと喉を鳴らした。
ドキドキと心臓の鼓動が激しくなる。
先手必勝、先手必勝と頭の中で唱えながら、オーウェンを揺らさないようにそっと起きあがった。横を向いたオーウェンの身体を、ゆっくりゆっくり、慎重に仰向けにしていく。
何しろ鍛えているし、結構な長身なのでかなり重かった。だけど、かなり良い体勢にできたのではないか。
オーウェンの寝息を確かめて、震える手を寝巻きの合わせにかける。
止め紐を順番にゆっくり解いていく。時折、オーウェンが深く息を吐くたびにびくりと手を止めて……何度も何度も様子を伺いながら、ようやく胸を肌蹴るところまできた。
あとは下履きを脱がせて、その先は……。
もういちどごくりと喉を鳴らし、ゆっくりと手を下へと移動する。
参考書で、令嬢は騎士に眠り薬を盛っていたから起きる心配はなかった。けれど、オーウェンにはそんなもの飲ませていない。いつ起きるかわからない。
だが、今さらやめられない。なるべく静かに、手早くやるしかない。
ちらりと見えている紐を解こうと、ゆっくり引っ張って……。
「ヴィエナ、何のいたずらだ?」
いきなり手を掴まれて、オーウェンが起き上がった。
「お、お、オーウェン、様、起きて……」
ヴィエナは竦み上がって震えてしまう。いったいいつから目を覚ましていたのだろうか。すっかり眠っているものとばかり思っていたのに。
「お前のようすがどうもおかしいから、何かあるのかと思ったのだが……ヴィエナ、どうしたのだ」
「あっ、あっ、あの、あの……」
「ん?」
「だっ、だって……」
「どうした。落ち着いて、ゆっくり話してごらん」
落ち着いてと言われたところで、すぐに落ち着けるはずもない。
ヴィエナは青くなったり赤くなったりしながら舌をもつれさせ、どうにもおたおたするだけになってしまう。
「慌てるなヴィエナ。何か理由があるのだろう? ほら、深呼吸をして」
すーはーすーはーと何度か大きく息を吸っては吐いて……ヴィエナは真っ赤になって、視線をぐるぐる回す。
こうなってしまうと、やはり小さくて弱い自分では戦って勝つのは無理だ。エルヴィラのような筋肉もなく、体術なんてまったく知らない。
なのに、オーウェンを押さえつけて……なんて、絶対無理だ。
「あ、わた、お、オーウェン様……オーウェン様の」
「私が、どうかしたのか」
「おー、オーウェン、様の、お、おっ……」
「お? ほら、慌てず、落ち着いてゆっく……」
「わっ、私っ、オーウェン様のっ、お嫁さんに、なるっ、のっ!」
「……は?」
もう結婚しているのに? としばしぽかんと首を傾げて……オーウェンはその言葉の意味するところを悟り、いっぱいに目を見開いた。
驚きのあまりか、ヴィエナの腕を掴む手からするりと力が抜けて……今だ、とヴィエナは思い切り力任せにオーウェンに伸し掛った。
「ヴィエナ! お前の夫が帰ってきたぞ!」
「……オーウェン様、その、おかえりなさい」
「おお、我が愛しき妻よ……どうした? 元気がないようだが、何かあったか? 心配ごとでも?」
耳まで赤くなったヴィエナが「いつもと一緒だから」と小さく首を振ると、オーウェンはたちまち相好を崩し、両手を広げて抱き締める。
「つくづく初々しい妻だな、お前は」
「え、そんなこと、ないけど……オーウェン様が大袈裟すぎて、その……」
「それこそ、そんなことはないぞ?」
ひょいと抱き上げてにっこりと笑い、ヴィエナの額と両頬に順番にキスを落とし……それから最後にひとしきり抱き締めて、満面の笑顔で「やはり、帰宅してお前の顔をいちばんに見るのはいいものだ」と唇にキスをするまでがいつもの習慣だ。
……とにかく、オーウェンの一連の行動が何もかも大袈裟に見えて、ヴィエナにはいつまで経っても慣れることができない。
* * *
「兄上はいつもそうだぞ。中途半端に反応すると喜んでますます長くなるから、最初に思いっきり喜んで、そこからさりげなく離れるといいんだ。ソール兄上か父上がいれば、そっちに行く格好で簡単に離れられるんだけどな」
「そうなんですか」
「ヴィーって意外に計算してるよね」
少し前に産まれたばかりの赤ん坊をあやす義弟が、呆れ顔で肩を竦める。
「そうか? 実際、兄上が可愛がってくれるのは嬉しいけど、ずっと付き合ってるとなかなか終わらなくて困るんだぞ」
確かに長い。帰宅したオーウェンが一連の行動を済ませて満足するまで、いつもヴィエナはひたすら待っているが、本当に長い。
あちこち身体の調子を確認したり、あれこれと話しながら抱き締めたりを繰り返しつつ、オーウェンの気が済むまで延々と続くのだ。
それなのに……。
「あの、エルヴィラさん」
「なんだ?」
「あの、ちょっと……」
そう言いながら、ヴィエナがちらりとミーケルを見る。すぐに何かを察してか赤ん坊を抱いて「僕はランナルを寝かせて来よう」と部屋を出て行った。
「エルヴィラさんに聞きたいことがあって……オーウェン様のことで……」
「兄上のことか! よし、何でも聞くといい!」
「……オーウェン様は、本当はもっと大人の女の人が好きなんでしょうか」
「兄上の、好み……だと?」
もじもじと顔を赤らめるヴィエナに、エルヴィラが眉間を寄せて考え込む。今まで、あの兄と噂になった女性など皆無……だったはずだ。兄自身から女性の好みなど聞いたこともないし、もしかして長兄なら知っているのだろうかとも考える。
「兄上の好みの話は、残念だが聞いたことがないんだ。でも、今はヴィエナが兄上のタイプだと思う」
「そうでしょうか」
「だって、兄上はヴィエナに夢中じゃないか。前はしょっちゅう私を訪ねてきていたけど、最近はぜんぜんだぞ」
「そうなんですか?」
どことなく不安げな顔のヴィエナに、エルヴィラは首を捻る。
「ああ。だいたい、なんでそんなことが気になるんだ? 兄上はヴィエナが可愛くてしかたないのに」
「その……」
「うん」
「あの、私、オーウェン様のお嫁さんになったのに、まだちゃんとお嫁さんになれてないっていうか……」
ちゃんと? とさらに首を捻って……エルヴィラはカッと目を見開いた。
「なん……だと? 兄上が? 兄上はもしやヘタレなのか?」
「えっ、そんなことはなくて、その、私、子供みたいだし……」
じっと何かを見つめるヴィエナの視線をたどると、エルヴィラの胸元を見ていた。たしかに改めて見てみれば、ヴィエナの胸元はささやかで……だが、あの兄が体形ごときにこだわるなどとは、とても考え難い。
エルヴィラは小さく頷いた。
「兄上のことだから、何か考えがあるのかもしれない」
「考えですか?」
神妙な顔での呟きに、ヴィエナの眉尻が下がる……が、急にエルヴィラがにやりと笑い、ぐいと顔を近づけた。
「だがな、ヴィエナ義姉上。
我がカーリス家の家訓は“先手必勝”だ。つまり先んじたものにこそ勝利はもたらされる。兄上がもたもたしているのなら、義姉上が襲えばいい。きっと義姉上が勝つぞ」
「え……」
「私もそうだった。先手を取ってミケを襲った結果が今だ」
エルヴィラが不敵に笑った。
勝つと言われてもいったい何に勝つのかがよくわからなかったが、ヴィエナもとにかく頷いてみた。勝つというんだから何かに勝つんだろう。
「──そうだ、それにイヴリンだ! イヴリンはもっとすごいぞ。アライトが竜なのをものともせず、逃げ場を無くし追い込むことすらしてみせたんだ!
あと、クレア義姉上だって、最初は義姉上のほうからソール兄上を襲って落としたと聞いてる。やっぱり先んずれば勝つんだ!」
ヴィエナが目を丸くする。ヴィエナの知ってる常識では、襲うなんてはしたないことだと思っていたのに。
だが、ここに立派な前例がいるのだ。ヴィエナが数ある前例に習ったところで、問題ないのではないか。
「わ、私、頑張ろうかな」
「ああ、頑張れ。ガバァッと行けばいい。兄上相手に先手を取れることはなかなかないからな、寝込んだところに不意を打つんだ」
にこにこと肩を叩かれて、ヴィエナはぐっと拳を握りしめた。うまくできるかわからないが、今夜にでもさっそく試してみよう。
隣室にいたミーケルには、声の大きなエルヴィラの言葉がしっかりと聞こえていた。あの義兄殿なら確かに何か考えているのだろうし、エルヴィラとヴィエナの企みはロクでもないとわかるが、それとこれとは別だ。こういうおもしろそうなことは、放って眺めておくに越したことはない。
こういうものを元に自分の歌を増やすのも、立派に詩人の仕事なのだ。
* * *
「我が愛しき妻ヴィエナよ、帰ったぞ!」
「お、おかえりなさい、オーウェン様」
いつものようにオーウェンが両手を広げ、ヴィエナを抱き締める。額と頬に順番にキスを落とし、最後に唇を塞ぐところまで、いつもどおりだ。
「今日は何か良いことでもあったか?」
「ええと……エルヴィラさんの赤ちゃんを見に行ってきたの」
「そうか。どうだった?」
「前よりも顔がしっかりしてきたねって話をして……ぐずってもミーケルさんの子守唄ですぐ寝ちゃうから、すごいねって話したの」
「彼は一流の詩人だからな」
話しつつひょいと抱き上げ、さらにキスをしながらオーウェンは部屋へと向かった。ヴィエナを降ろして司祭服を脱ぐと、それを受け取ったヴィエナがハンガーに掛ける。最後に洗いものをまとめて、ふたりで洗い場へ置きに行くのもいつもどおりだ。
夕食の後は風呂場に置いた大きなタライにオーウェンがお湯を作り、それで身綺麗にする。暑い季節なら水のままでもいいが、近頃はだいぶ気温も下がってきたから、もっぱらお湯を使うことにしていた。
たまにオーウェンの背を流したり、その逆にオーウェンに背を流してもらったりすることもある……とはいえ、本当に流すだけで終わるのだけど。
ヴィエナは夜に備えてしっかりと身体を清め、髪も洗いあげた。
最後にイヴリンに分けてもらった薔薇の香りの香油で整えて、どこにもおかしなところはないかと念入りに確認する。
これで、戦いの準備はばっちりだろう。
エルヴィラは言っていた。戦って勝ちとるのがカーリス流だと。
だから自分も戦って、オーウェンを勝ち取るのだ。
「どうしたヴィエナ……おお、今日はいい香りだな」
ベッドに潜り込んでオーウェンに抱きつくと、さっそく香りに気付かれた。嬉しくて、なんとなく腕に力がこもる。
「イヴリンさんに香油を貰ったから、つけてみたの」
「そうか、良かったな」
こくりと頷いてオーウェンの身体に顔を埋めると、「どうした?」とオーウェンが笑いながら抱き返してきた。
「今日はずいぶん甘えん坊だな」
まさか、これから襲うつもりだなどとは答えられず、ただ顔を押し付けた。
……オーウェンが眠ってしまったらと考えるだけでどうにも恥ずかしくて、押し付けた顔が上げられない。
もぞもぞとひたすらくっつくだけのヴィエナにオーウェンはくすりと笑ってしまう。自分の妻が可愛くてしかたないという顔だ。
「おいで」
抱え込むように少し身体を引き上げて、オーウェンは目を閉じる。
これまでは、ヴィエナの件に掛かりきりで、担当する聖務のほとんどを他の司祭に変わってもらっていた。だが無事に解決した今、そのほぼすべてが元どおりとなったこともあり、それなりに忙しい。
毎日、ほぼ夜明けとともに起き出して教会へ向かうため、オーウェンの夜は早いのだ。
うとうとしつつ、けれど本当に眠り込まないように注意しながら、ヴィエナはじっと時を待った。
ほどなくして、オーウェンの呼吸がすうすうと穏やかな寝息に変わった。ヴィエナを抱えていた腕もわずかに緩み、どうやら本格的に寝入ったようだ。
いよいよか。
参考にとエルヴィラから借りて斜め読みしたロマンス小説を思い出す。
これがヴィエナの考えるシチュエーションにいちばん近いはずだというエルヴィラの言葉どおり、その物語の中では、令嬢が奥手な騎士に痺れを切らし……という内容で。
ヴィエナはごくりと喉を鳴らした。
ドキドキと心臓の鼓動が激しくなる。
先手必勝、先手必勝と頭の中で唱えながら、オーウェンを揺らさないようにそっと起きあがった。横を向いたオーウェンの身体を、ゆっくりゆっくり、慎重に仰向けにしていく。
何しろ鍛えているし、結構な長身なのでかなり重かった。だけど、かなり良い体勢にできたのではないか。
オーウェンの寝息を確かめて、震える手を寝巻きの合わせにかける。
止め紐を順番にゆっくり解いていく。時折、オーウェンが深く息を吐くたびにびくりと手を止めて……何度も何度も様子を伺いながら、ようやく胸を肌蹴るところまできた。
あとは下履きを脱がせて、その先は……。
もういちどごくりと喉を鳴らし、ゆっくりと手を下へと移動する。
参考書で、令嬢は騎士に眠り薬を盛っていたから起きる心配はなかった。けれど、オーウェンにはそんなもの飲ませていない。いつ起きるかわからない。
だが、今さらやめられない。なるべく静かに、手早くやるしかない。
ちらりと見えている紐を解こうと、ゆっくり引っ張って……。
「ヴィエナ、何のいたずらだ?」
いきなり手を掴まれて、オーウェンが起き上がった。
「お、お、オーウェン、様、起きて……」
ヴィエナは竦み上がって震えてしまう。いったいいつから目を覚ましていたのだろうか。すっかり眠っているものとばかり思っていたのに。
「お前のようすがどうもおかしいから、何かあるのかと思ったのだが……ヴィエナ、どうしたのだ」
「あっ、あっ、あの、あの……」
「ん?」
「だっ、だって……」
「どうした。落ち着いて、ゆっくり話してごらん」
落ち着いてと言われたところで、すぐに落ち着けるはずもない。
ヴィエナは青くなったり赤くなったりしながら舌をもつれさせ、どうにもおたおたするだけになってしまう。
「慌てるなヴィエナ。何か理由があるのだろう? ほら、深呼吸をして」
すーはーすーはーと何度か大きく息を吸っては吐いて……ヴィエナは真っ赤になって、視線をぐるぐる回す。
こうなってしまうと、やはり小さくて弱い自分では戦って勝つのは無理だ。エルヴィラのような筋肉もなく、体術なんてまったく知らない。
なのに、オーウェンを押さえつけて……なんて、絶対無理だ。
「あ、わた、お、オーウェン様……オーウェン様の」
「私が、どうかしたのか」
「おー、オーウェン、様の、お、おっ……」
「お? ほら、慌てず、落ち着いてゆっく……」
「わっ、私っ、オーウェン様のっ、お嫁さんに、なるっ、のっ!」
「……は?」
もう結婚しているのに? としばしぽかんと首を傾げて……オーウェンはその言葉の意味するところを悟り、いっぱいに目を見開いた。
驚きのあまりか、ヴィエナの腕を掴む手からするりと力が抜けて……今だ、とヴィエナは思い切り力任せにオーウェンに伸し掛った。
感想 0
あなたにおすすめの小説
【本編完結】伯爵令嬢に転生して命拾いしたけどお嬢様に興味ありません!
ななのん早川梅乃、享年25才。お祭りの日に通り魔に刺されて死亡…したはずだった。死後の世界と思いしや目が覚めたらシルキア伯爵の一人娘、クリスティナに転生!きらきら~もふわふわ~もまったく興味がなく本ばかり読んでいるクリスティナだが幼い頃のお茶会での暴走で王子に気に入られ婚約者候補にされてしまう。つまらない生活ということ以外は伯爵令嬢として不自由ない毎日を送っていたが、シルキア家に養女が来た時からクリスティナの知らぬところで運命が動き出す。気がついた時には退学処分、伯爵家追放、婚約者候補からの除外…―― それでもクリスティナはやっと人生が楽しくなってきた!と前を向いて生きていく。
※本編完結してます。たまに番外編などを更新してます。
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
前世では美人が原因で傾国の悪役令嬢と断罪された私、今世では喪女を目指します!
鳥柄ささみ美人になんて、生まれたくなかった……!
前世で絶世の美女として生まれ、その見た目で国王に好かれてしまったのが運の尽き。
正妃に嫌われ、私は国を傾けた悪女とレッテルを貼られて処刑されてしまった。
そして、気づけば違う世界に転生!
けれど、なんとこの世界でも私は絶世の美女として生まれてしまったのだ!
私は前世の経験を生かし、今世こそは目立たず、人目にもつかない喪女になろうと引きこもり生活をして平穏な人生を手に入れようと試みていたのだが、なぜか世界有数の魔法学校で陽キャがいっぱいいるはずのNMA(ノーマ)から招待状が来て……?
前世の教訓から喪女生活を目指していたはずの主人公クラリスが、トラウマを抱えながらも奮闘し、四苦八苦しながら魔法学園で成長する異世界恋愛ファンタジー!
※第15回恋愛大賞にエントリーしてます!
開催中はポチッと投票してもらえると嬉しいです!
よろしくお願いします!!
【完結】僻地の修道院に入りたいので、断罪の場にしれーっと混ざってみました。
櫻野くるみ王太子による独裁で、貴族が息を潜めながら生きているある日。
夜会で王太子が勝手な言いがかりだけで3人の令嬢達に断罪を始めた。
ひっそりと空気になっていたテレサだったが、ふと気付く。
あれ?これって修道院に入れるチャンスなんじゃ?
子爵令嬢のテレサは、神父をしている初恋の相手の元へ行ける絶好の機会だととっさに考え、しれーっと断罪の列に加わり叫んだ。
「わたくしが代表して修道院へ参ります!」
野次馬から急に現れたテレサに、その場の全員が思った。
この娘、誰!?
王太子による恐怖政治の中、地味に生きてきた子爵令嬢のテレサが、初恋の元伯爵令息に会いたい一心で断罪劇に飛び込むお話。
主人公は猫を被っているだけでお転婆です。
完結しました。
小説家になろう様にも投稿しています。
異世界に来て10年、伝えられない片想いをしている――伴侶と認識されているとは知らずに
豆腐と蜜柑と炬燵異世界に来て、10年。
田中緑(26歳)は、町の食事亭で働きながら、穏やかな日常を過ごしている。
この世界で生きていけるようになったのは、あの日――
途方に暮れていた自分を助けてくれた、一人の狼の半獣人のおかげだった。
ぶっきらぼうで、不器用で、それでも優しい人。
そんな彼に、気づけば10年、片想いをしている。
伝えるつもりはない。
この気持ちは、ずっと胸の中にしまっておくつもりだった。
――けれど。
彼との距離が少しずつ変わっていくたび、
隠していたはずの想いは、静かに溢れはじめる。
これは、
10年伝えられなかった片想いが、
ゆっくりと形を変えていく物語。
※番外編含めて完結済みです。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
一般女官、辺境伯領で無双中。やってることはただの事務と家事だけど
たぬきち25番辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※タイトル変更しました。
※他サイト様にも掲載中
可愛らしい人
はるきりょう「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」