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深淵の都
はじまり
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「あー……姫様、大変光栄なのですが、お受けできません」
仁王立ちする姫を前に、リュートを抱えた彼は優雅に微笑みながら一礼する。
「まあ、なぜなのです? このわたくしが、お前を愛人としてそばに侍らせてやろうというのよ」
「いやあ、無理なので」
あくまでも笑顔を崩さない彼は、まるで姫の我儘を馬鹿にして鼻で笑い飛ばしているようにも見えた。
「何が無理なのです!?」
「だって、姫様って僕のタイプじゃないですし」
然もありなん。
護衛騎士エルヴィラは、完全に他人ごとのように、その光景を眺めていた。
にっこりと、口調ほど済まなそうな表情には見えず、優雅に微笑む吟遊詩人。
少し癖のある艶やかな黒髪にほんのり垂れ気味の甘い翠玉の目は、たいていの女性なら魅了されずにはいられないのではなかろうか。
その彼の、主に顔に熱を上げているエルヴィラの主人である侯爵家の姫も、例に漏れずそのひとりだった。
これまで思い通りにならなかったことなど何もないという、筋金入りの甘やかされた姫だ。こんな風にあっさりと、検討の余地もなく自分の申し出が断られるなんて想像もしなかったのだろう。
しかも、美しさにかけてはこの“深淵の都”でもトップを争うほどだという自負もある。
なのに「タイプじゃない」と断られるなんて。
姫は驚愕のあまり、水面に浮かんだ魚のように口をぱくぱくとしている。
あーあ、もうちょっとうまい断りかたもごまかしかたもあるだろうに。
決して一線を越えず、ギリギリを綱渡りすれば、姫は面白いように貢いでくれるかもしれないのに。
そんなことを考えながら、エルヴィラは完全な傍観モードだ。
ついでに言えば、彼がもう少しうまいこと言いくるめて誤魔化してくれれば、この後自分たちが八つ当たりのとばっちりを受けることもないんだけど。
エルヴィラはこっそりと溜息を吐いた。
「でっ、では! お前はどのような者が好みだというのっ!?」
屈辱にわなわなと震えながら姫がそう問い質すと、彼は考えを巡らせるように首を傾げて、ぐるりと部屋を一瞥した。
それからにっこりと微笑んで、一歩前へと進む。
エルヴィラは自分の役目を思い出し、わずかに足を開いてどうとでも動けるような姿勢を作る。
どんな相手であろうとまんいちを考えて行動し、どんなことからも姫を守るのが護衛騎士の役目なのだから。
「どのような、といいますとね」
だが、詩人の彼は、姫ではなくエルヴィラの前に立った。
姫はぽかんと傍らに立つ護衛騎士と吟遊詩人を眺める。
エルヴィラも、彼の行動が読めずに訝しげな視線で睨め回すだけだ。
いったい何がどのような、なのか?
と、彼はいきなりエルヴィラを抱きしめて、ぶちゅうっと唇を塞ぐ。
「んっ!? ふ、ん、んんっ!?」
あまつさえ、舌まで差し込んで本格的に深く口付ける。
さすがのエルヴィラも混乱のあまり硬直している。
これまでとくにお付き合いした男性もおらず、婚約者のひとりもいないまま来てしまったというのに、初が、初がこれだと?
しかもこれは、ロマンス小説に出てくるディープキスというものではないのか。口の中をなんか変なものにぐにぐに弄られて気持ち悪いにも程がある。
――戦いと勝利の神よ、私の初がこれだなんて、嘘だと言ってくれ!!
周囲の誰もが、目の前で繰り広げられる光景にただ唖然と言葉を失い、赤面するばかりだった。エルヴィラ本人すらも、あまりの出来事に白目をむいたまま意識を飛ばしている。
姫は真っ白な顔色で大きく目を見開いたまま、ただただふたりを見つめている。
ひとしきり口内を蹂躙すると最後にぺろりと下唇を舐めてもう一度唇を啄ばみ、彼は姫にとても艶やかに微笑んだ。
その笑顔に呑まれてか、姫はまたかあっと赤面してしまう。
「そういうわけで、姫様はタイプではないと申し上げました。ですから姫様のお気持ちにお応えすることはできません」
歌うような口調で述べてことさら優雅に一礼し、もう一度にっこりと微笑むと、彼は茫然とする一同を残して瞬く間に立ち去っていった。
「――エルヴィラ」
「っ、は、はい、姫様」
ようやく我に返ったのか、へたへたと座り込んだまま立ち上がることもできないエルヴィラを、姫は真っ白な顔色のまま見下ろした。
「お前、もうここにいなくていいわ。家へお帰り」
怒りに震える声で言われて、ひゅっと息を呑む。
侯爵家からこの状況で解雇されたとなれば、自分の再就職はもちろん、下手したら我が家もお先真っ暗だ。
「そっ、そ、あれは、そんな」
「聞こえなかったの? お帰りと言ったの」
「ひっ、ひめ、さま……?」
「もう顔も見たくないわ」
「ひめ……」
では、私はどうすればよかったというのか。
狂犬に噛まれたのだと考えるにしたって、これはない。
*****
【アーレス世界地図】
仁王立ちする姫を前に、リュートを抱えた彼は優雅に微笑みながら一礼する。
「まあ、なぜなのです? このわたくしが、お前を愛人としてそばに侍らせてやろうというのよ」
「いやあ、無理なので」
あくまでも笑顔を崩さない彼は、まるで姫の我儘を馬鹿にして鼻で笑い飛ばしているようにも見えた。
「何が無理なのです!?」
「だって、姫様って僕のタイプじゃないですし」
然もありなん。
護衛騎士エルヴィラは、完全に他人ごとのように、その光景を眺めていた。
にっこりと、口調ほど済まなそうな表情には見えず、優雅に微笑む吟遊詩人。
少し癖のある艶やかな黒髪にほんのり垂れ気味の甘い翠玉の目は、たいていの女性なら魅了されずにはいられないのではなかろうか。
その彼の、主に顔に熱を上げているエルヴィラの主人である侯爵家の姫も、例に漏れずそのひとりだった。
これまで思い通りにならなかったことなど何もないという、筋金入りの甘やかされた姫だ。こんな風にあっさりと、検討の余地もなく自分の申し出が断られるなんて想像もしなかったのだろう。
しかも、美しさにかけてはこの“深淵の都”でもトップを争うほどだという自負もある。
なのに「タイプじゃない」と断られるなんて。
姫は驚愕のあまり、水面に浮かんだ魚のように口をぱくぱくとしている。
あーあ、もうちょっとうまい断りかたもごまかしかたもあるだろうに。
決して一線を越えず、ギリギリを綱渡りすれば、姫は面白いように貢いでくれるかもしれないのに。
そんなことを考えながら、エルヴィラは完全な傍観モードだ。
ついでに言えば、彼がもう少しうまいこと言いくるめて誤魔化してくれれば、この後自分たちが八つ当たりのとばっちりを受けることもないんだけど。
エルヴィラはこっそりと溜息を吐いた。
「でっ、では! お前はどのような者が好みだというのっ!?」
屈辱にわなわなと震えながら姫がそう問い質すと、彼は考えを巡らせるように首を傾げて、ぐるりと部屋を一瞥した。
それからにっこりと微笑んで、一歩前へと進む。
エルヴィラは自分の役目を思い出し、わずかに足を開いてどうとでも動けるような姿勢を作る。
どんな相手であろうとまんいちを考えて行動し、どんなことからも姫を守るのが護衛騎士の役目なのだから。
「どのような、といいますとね」
だが、詩人の彼は、姫ではなくエルヴィラの前に立った。
姫はぽかんと傍らに立つ護衛騎士と吟遊詩人を眺める。
エルヴィラも、彼の行動が読めずに訝しげな視線で睨め回すだけだ。
いったい何がどのような、なのか?
と、彼はいきなりエルヴィラを抱きしめて、ぶちゅうっと唇を塞ぐ。
「んっ!? ふ、ん、んんっ!?」
あまつさえ、舌まで差し込んで本格的に深く口付ける。
さすがのエルヴィラも混乱のあまり硬直している。
これまでとくにお付き合いした男性もおらず、婚約者のひとりもいないまま来てしまったというのに、初が、初がこれだと?
しかもこれは、ロマンス小説に出てくるディープキスというものではないのか。口の中をなんか変なものにぐにぐに弄られて気持ち悪いにも程がある。
――戦いと勝利の神よ、私の初がこれだなんて、嘘だと言ってくれ!!
周囲の誰もが、目の前で繰り広げられる光景にただ唖然と言葉を失い、赤面するばかりだった。エルヴィラ本人すらも、あまりの出来事に白目をむいたまま意識を飛ばしている。
姫は真っ白な顔色で大きく目を見開いたまま、ただただふたりを見つめている。
ひとしきり口内を蹂躙すると最後にぺろりと下唇を舐めてもう一度唇を啄ばみ、彼は姫にとても艶やかに微笑んだ。
その笑顔に呑まれてか、姫はまたかあっと赤面してしまう。
「そういうわけで、姫様はタイプではないと申し上げました。ですから姫様のお気持ちにお応えすることはできません」
歌うような口調で述べてことさら優雅に一礼し、もう一度にっこりと微笑むと、彼は茫然とする一同を残して瞬く間に立ち去っていった。
「――エルヴィラ」
「っ、は、はい、姫様」
ようやく我に返ったのか、へたへたと座り込んだまま立ち上がることもできないエルヴィラを、姫は真っ白な顔色のまま見下ろした。
「お前、もうここにいなくていいわ。家へお帰り」
怒りに震える声で言われて、ひゅっと息を呑む。
侯爵家からこの状況で解雇されたとなれば、自分の再就職はもちろん、下手したら我が家もお先真っ暗だ。
「そっ、そ、あれは、そんな」
「聞こえなかったの? お帰りと言ったの」
「ひっ、ひめ、さま……?」
「もう顔も見たくないわ」
「ひめ……」
では、私はどうすればよかったというのか。
狂犬に噛まれたのだと考えるにしたって、これはない。
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【アーレス世界地図】
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