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岩塩の町
貴様というやつは
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「都の侯爵家の姫様――ねえ。
なんとなく思い出したかな。あの、身分と顔の造作だけで、よくもまああんなに増長できるもんだと感心した姫様のことだよね」
「な、なっ! 姫様のことを――」
「当たってるでしょ?
よりによって“愛人になれ”だもんね。ストレートすぎて、さすがの僕もびっくりだよ。もうちょっと婉曲な表現だっていろいろあるだろうに。
誰も異議を唱えないことにも驚いたよ。あの姫様、終わってるよね。侯爵閣下も子育て大失敗だ」
ミーケルは肩を竦め、思い出し笑いをしながらやれやれと両手を上げて暴言を吐く。
そのあまりの取り繕わなさにエルヴィラのほうこそ驚いて、思わず周りを見回してしまう。
「なら、君はラッキーだったんじゃないの? あのままあの姫様のそばにいたって、たぶんいいことなんかひとつもなかったと思うよ。
君の父上だって、そんなくだらないことで君を勘当するんだ、器の大きさもたかが知れてるってことだろ? 大事な娘を守る気概もないヘタレ親父ってことだ」
あまりの言い様に、エルヴィラは唖然と口を開けたまま、言葉が出ない。
「よかったじゃないか。君はそういうダメダメな環境から自由になったってことだよ。どこにいようと何をしようと、君の心のままにってことだ」
「な、なんて……」
「それに、君の言う“はじめて”って、もしかしてこれのことかな?」
す、と屈んで目の高さにミーケルの顔が来る。
え? と思う間もなくまた口を塞がれ、舌を差し込まれ、口内を蹂躙された。
「ん、ん、んんんんっ!」
真っ赤になって涙目で狼狽えるエルヴィラに、ミーケルは笑むように目を細め、後頭部に手を添えてさらに追い込む。
ようやく解放されてはあはあと息を荒げるエルヴィラに、ミーケルはぺろりと唇を舐めて愉快そうに笑った。
「キスの時は目を伏せるものだって、教わらなかったの?」
「そ、そんなの知ら……も、四、回も……うっ、こんな……うっ、うう……」
エルヴィラはひくひく震えて、今度こそしゃくりあげ始めた。しかしミーケルはそんなエルヴィラを呆れた表情で見下ろして、鼻で笑い飛ばす。
「そんなに嫌なら、犬にでも噛まれたと思ってカウントしなければいいのに」
「そん、そんなの……うっ」
「君、相当箱入りだったんだね。あの姫様なんか足元にも及ばないほどに」
エルヴィラはだらだら泣き続けるばかりだ。
ミーケルはやれやれと溜息をつく。しかたないなと瞼にキスをすると、毛布にぐるぐる巻かれたまま震えているエルヴィラを抱え上げて、ベッドへと移動した。
「あ、う、何、何を……」
ベッドにそっと寝かされて、エルヴィラの顔から血の気が下りる。
しかしミーケルのあの艶やかな笑顔でにっこりと微笑まれた途端、思わず赤面して顔を逸らしてしまう。
「大丈夫、何もしないよ。でも、今夜の抱き枕役くらいはやって貰おうかと思って」
横に寝転がり毛布ごと抱えてくるミーケルに、エルヴィラは内心パニックだ。
近い。身体が近い。
おまけになんだかいい匂いがする。
これが男の匂いというものなのか。
心臓がばくばくする。
女と違う胸板の筋肉とか、意外に厚い肩とか、がっしりして骨ばった腕とか、何これどうしよう、どうしたらいい?
頭を胸に押しつけるように抱え込まれ、毛布越しに優しく背を撫でられながら、エルヴィラは静かに慌てた。
この歳になるまで、そんな経験は、兄たちを別にすればまるで無かった。
皆無だった。
「眠れないなら子守唄でも歌ってあげようか?」
ミーケルが低く囁くように歌い出す。
さすが吟遊詩人を名乗るだけあって、ミーケルの歌声はとても染み入るようだ。
とんとんと小さな子供にするように背を叩かれ、心地よい歌声に導かれるように、エルヴィラはすうっと眠りに落ちて――
* * *
翌朝。
窓から差し込む光と覚えのない部屋に、エルヴィラはいったいここはどこだろうと考えながらむくっと起き上がった。
朝の鐘はもう鳴ってしまったのだろうか。
それに、昨日は――
ハッと気づいて周りを見回す。
自分と、自分の荷物の他には何もない。
「え、あっ、ま、まさか……」
また、逃げやがったのか。
そう気づいたエルヴィラは、思わずシーツを握り締めた。不測の事態に慌ててたとはいえ、ようやく見つけた獲物の前で眠り込んだあげく、まんまと逃げられるなんて――このエルヴィラ・カーリス、一生の不覚。このままでは、“都”の親兄弟はもちろん死んだ祖父にも顔向けができない。
考えるほどに握り締めた拳の力が増し、身体がわなわなと震えだす。
「くっ……くくっ……ふ、は、ははは!」
おもしろい。それほどまでに私をコケにするというのか。
エルヴィラの腹の底から笑い声が湧き上がり、哄笑に変わる。
「ふふ……クソ詩人め。
ならば、あくまでも逃げるというならば、追い詰めてみせようではないか」
肩を震わせ、なおも笑いながらエルヴィラは呟いた。
昨晩、あれだけ動揺してみっともなくだらだら泣いていたことは忘却の彼方だ。
責任をどう取らせるかも、この際どうでもいい。そんなもの、後から考える。
今は湧き上がる怒りに身を任せ、窓の外を睨みつけるのみ。
「吟遊詩人ミーケル。私をこうもコケにした報い、その身に存分に味わわせてやろうではないか。
このエルヴィラ・カーリスから逃げ切れると思うなよ」
*****
「岩塩の町」
モデルはザルツブルク。
名物料理は「ザルツブルガー・ノッケルン」というクソデカスフレ料理。うまい。うまいけど本気でデカすぎてやばい。せめてハーフサイズを作ってくれよと思う。
ググるとわかるけれど、頭くらいの食べ飽きるサイズが来る。大人二人でも完食無理だった。
個人的にはアプフェルシュトゥルーデルという林檎を薄いクレープみたいな生地に巻き込んで作るケーキが好き。
なんとなく思い出したかな。あの、身分と顔の造作だけで、よくもまああんなに増長できるもんだと感心した姫様のことだよね」
「な、なっ! 姫様のことを――」
「当たってるでしょ?
よりによって“愛人になれ”だもんね。ストレートすぎて、さすがの僕もびっくりだよ。もうちょっと婉曲な表現だっていろいろあるだろうに。
誰も異議を唱えないことにも驚いたよ。あの姫様、終わってるよね。侯爵閣下も子育て大失敗だ」
ミーケルは肩を竦め、思い出し笑いをしながらやれやれと両手を上げて暴言を吐く。
そのあまりの取り繕わなさにエルヴィラのほうこそ驚いて、思わず周りを見回してしまう。
「なら、君はラッキーだったんじゃないの? あのままあの姫様のそばにいたって、たぶんいいことなんかひとつもなかったと思うよ。
君の父上だって、そんなくだらないことで君を勘当するんだ、器の大きさもたかが知れてるってことだろ? 大事な娘を守る気概もないヘタレ親父ってことだ」
あまりの言い様に、エルヴィラは唖然と口を開けたまま、言葉が出ない。
「よかったじゃないか。君はそういうダメダメな環境から自由になったってことだよ。どこにいようと何をしようと、君の心のままにってことだ」
「な、なんて……」
「それに、君の言う“はじめて”って、もしかしてこれのことかな?」
す、と屈んで目の高さにミーケルの顔が来る。
え? と思う間もなくまた口を塞がれ、舌を差し込まれ、口内を蹂躙された。
「ん、ん、んんんんっ!」
真っ赤になって涙目で狼狽えるエルヴィラに、ミーケルは笑むように目を細め、後頭部に手を添えてさらに追い込む。
ようやく解放されてはあはあと息を荒げるエルヴィラに、ミーケルはぺろりと唇を舐めて愉快そうに笑った。
「キスの時は目を伏せるものだって、教わらなかったの?」
「そ、そんなの知ら……も、四、回も……うっ、こんな……うっ、うう……」
エルヴィラはひくひく震えて、今度こそしゃくりあげ始めた。しかしミーケルはそんなエルヴィラを呆れた表情で見下ろして、鼻で笑い飛ばす。
「そんなに嫌なら、犬にでも噛まれたと思ってカウントしなければいいのに」
「そん、そんなの……うっ」
「君、相当箱入りだったんだね。あの姫様なんか足元にも及ばないほどに」
エルヴィラはだらだら泣き続けるばかりだ。
ミーケルはやれやれと溜息をつく。しかたないなと瞼にキスをすると、毛布にぐるぐる巻かれたまま震えているエルヴィラを抱え上げて、ベッドへと移動した。
「あ、う、何、何を……」
ベッドにそっと寝かされて、エルヴィラの顔から血の気が下りる。
しかしミーケルのあの艶やかな笑顔でにっこりと微笑まれた途端、思わず赤面して顔を逸らしてしまう。
「大丈夫、何もしないよ。でも、今夜の抱き枕役くらいはやって貰おうかと思って」
横に寝転がり毛布ごと抱えてくるミーケルに、エルヴィラは内心パニックだ。
近い。身体が近い。
おまけになんだかいい匂いがする。
これが男の匂いというものなのか。
心臓がばくばくする。
女と違う胸板の筋肉とか、意外に厚い肩とか、がっしりして骨ばった腕とか、何これどうしよう、どうしたらいい?
頭を胸に押しつけるように抱え込まれ、毛布越しに優しく背を撫でられながら、エルヴィラは静かに慌てた。
この歳になるまで、そんな経験は、兄たちを別にすればまるで無かった。
皆無だった。
「眠れないなら子守唄でも歌ってあげようか?」
ミーケルが低く囁くように歌い出す。
さすが吟遊詩人を名乗るだけあって、ミーケルの歌声はとても染み入るようだ。
とんとんと小さな子供にするように背を叩かれ、心地よい歌声に導かれるように、エルヴィラはすうっと眠りに落ちて――
* * *
翌朝。
窓から差し込む光と覚えのない部屋に、エルヴィラはいったいここはどこだろうと考えながらむくっと起き上がった。
朝の鐘はもう鳴ってしまったのだろうか。
それに、昨日は――
ハッと気づいて周りを見回す。
自分と、自分の荷物の他には何もない。
「え、あっ、ま、まさか……」
また、逃げやがったのか。
そう気づいたエルヴィラは、思わずシーツを握り締めた。不測の事態に慌ててたとはいえ、ようやく見つけた獲物の前で眠り込んだあげく、まんまと逃げられるなんて――このエルヴィラ・カーリス、一生の不覚。このままでは、“都”の親兄弟はもちろん死んだ祖父にも顔向けができない。
考えるほどに握り締めた拳の力が増し、身体がわなわなと震えだす。
「くっ……くくっ……ふ、は、ははは!」
おもしろい。それほどまでに私をコケにするというのか。
エルヴィラの腹の底から笑い声が湧き上がり、哄笑に変わる。
「ふふ……クソ詩人め。
ならば、あくまでも逃げるというならば、追い詰めてみせようではないか」
肩を震わせ、なおも笑いながらエルヴィラは呟いた。
昨晩、あれだけ動揺してみっともなくだらだら泣いていたことは忘却の彼方だ。
責任をどう取らせるかも、この際どうでもいい。そんなもの、後から考える。
今は湧き上がる怒りに身を任せ、窓の外を睨みつけるのみ。
「吟遊詩人ミーケル。私をこうもコケにした報い、その身に存分に味わわせてやろうではないか。
このエルヴィラ・カーリスから逃げ切れると思うなよ」
*****
「岩塩の町」
モデルはザルツブルク。
名物料理は「ザルツブルガー・ノッケルン」というクソデカスフレ料理。うまい。うまいけど本気でデカすぎてやばい。せめてハーフサイズを作ってくれよと思う。
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