蛮族嫁婚姻譚その4:氷原の狩人と戦士になりたい娘

ぎんげつ

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戦い

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 とにかく目についた木全部から、ほんの少し染み出して固まってる樹脂を見つけては、ナイフで樹皮ごと削り取った。
 それからハイドラを相手に防戦に徹するヴァロを振り返り、まだ無事なまま戦っていることを確認する。

 必死に集めた樹脂を、荷物から乱暴に取り出した手鍋に放り込み、適当に並べて火をつけた練炭の上に乗せた。
 火打ち石や火口箱しかなかったら、こんなにスムーズに点火できなかっただろう。火起こし棒があってよかった。
 ついでに松明にも火を付けて、練炭のそばに置く。

 本当なら、直火ではなく湯煎でやらないと危ないけれど、そんな暇はない。
 エリサはチラチラと戦いの様子を伺いながら、矢筒をひっくり返して散らばった矢を手に取った。
 樹脂の溶けた鍋をいったん火から下ろして、少々雑に、鏃に樹脂を絡めては雪の上に置いていく。本当なら、確実に着火するよう細く裂いた布を巻いたり、きちんとバランスを見たりしなくてはいけないけど、とてもそんな余裕がない。
 とにかく火を付けて射られればいい。

 十本じゃ心許ない。でも、手持ちの全部の矢に塗るほど、樹脂の量も暇もない。
 せめて二十は作って、そうしたらすぐにヴァロに加勢して……。

 ギャン、という悲鳴が聞こえた。
 フロスティの声だ。

 ハッと顔を上げて、エリサは樹脂を塗り終わった矢と転がしていた松明を掴んで立ち上がった。
 できた矢は、十あるかないかくらいだった。
 でも、フロスティが負傷したなら、きっとヴァロも危ない。

「ヴァロさん!」

 戦いの場が見えたところで、エリサは松明を横に置き、握り締めていた矢をすべて地面に並べる。
 最初の一本のやじりを松明の火で炙り、火がついたことを確認して弓を引き絞った。後肢を不自然に引きずりながら、それでもハイドラの身体に齧り付くフロスティと、傷だらけになりながら五つの首の注意を引くヴァロを確認して、エリサは矢を放つ。

 ――けれど、矢はハイドラの手前で落ちてしまった。

 樹脂を塗った分、鏃が重くなってるんだ。
 もっと近づかないと、矢が届かない。

 エリサは弓を肩に引っ掛けると、矢と松明を持って木立ちの影を出る。
 ヴァロが危ないと叫ぶけれど、それに構わず、ここなら届くだろうという場所からもう一度矢に火を付けて弓を引き絞る。

「――当たった!」

 今度こそ、ハイドラの首の中ほどに矢が当たって、エリサは思わず声を上げる。その、火矢を射掛けられた首がぐるりとエリサを向いて、かぱりと口を開けた。

「エリサ、避けろ!」
「――え?」

 ゴォ、と刺すような冷気がエリサを襲う。
 咄嗟にマントに包まるように蹲ったけれど、まるで雪嵐に吹きっ晒しにされたみたいな凍てつく寒さだ。

「エリサ!」

 でも、生きてる。大丈夫……そう返したいのに、歯の根が合わないほどガチガチと身体が震えて、うまく声が出ない。身体もうまく動かない。
 置いてあった松明の火も消えてしまった。

「あ……」

 パリパリと薄く凍りついたマントを払って、エリサは身体を起こす。ハイドラの凍てつく息のせいで、手がかじかみ過ぎて痺れたように感覚がない。
 それでもどうにか矢と松明を拾い上げて、腰につけた荷物袋を探る。
 起き上がったエリサをちらりと確認して、ヴァロがホッと息を吐いた。

「エリサ、下がれ! もっと安全な場所から弓を射るんだ!」

 エリサは首を振る。
 安全な場所からじゃ、火矢は届かない。
 なんとか取り出した火起こし棒を擦り付けて、もう一度松明に火を点す。
 首は五本もあるのだ、あの冷たい息はきっとまた来る。だから、今度はいつでも避けられるように、構えていないといけない。
 松明は地面に置いて、今度はハイドラの動きに注意しながら弓を構える。

 急に、グラートがピィと甲高く鳴いて、上着の合わせから顔を出した。

「グラート、危ないからおとなしく入ってて」

 手が離せないし、何よりまたあの息が来たりしたら、グラートまで凍ってしまう。
 けれど、グラートはエリサの言葉に構わず、キョロキョロと忙しなく周囲を見回した後、じっとハイドラを見据えた。

「え?」

 急に、視界がクリアになったように感じた。
 それから目――ハイドラの目が、妙に気になる。

「あ、そうか」

 目を射抜ければ、ヴァロの戦いも楽になるかもしれない。
 エリサは慎重に狙いを付けて、矢を放つ。
 今度こそ狙った場所に矢が当たって、ハイドラの悲鳴が響く。遠くで鳥が一斉にバタバタと飛び立つ音が聞こえる。

「次!」

 エリサは次の矢を拾い上げて火を点ける。
 無事な首がエリサを見たが、とにかく目だ、とその首の目を狙い返す。
 深呼吸して矢を放つと、今度も狙った目に命中した。
 痛みにのけぞった首が、当てずっぽうにエリサを狙って凍える息を吐き掛ける。
 咄嗟に松明を拾って、エリサは横飛びに転がった。それから、すぐに走って残りの矢を回収すると、位置を変えて次の目を狙う。
 火起こし棒は、あと一本しか残っていない。
 息を喰らうたびに松明が消えていたら、火矢で狙うどころじゃない。

 火を点けて、慎重に、けれど素早く狙いを定めて、ハイドラの目を射抜く。
 火で焼いた傷ならハイドラも再生できない。とにかく全部の目を潰せれば、倒せるかもしれない。

 矢をひとつ射るたびに松明を拾い、素早く場所を変えて次の矢を射る。
 エリサはひたすらそれを繰り返す。
 息をかわし損ねて凍りそうになったけれど、どうにか耐えた。
 樹脂を塗った矢が尽きるのが早いか、目を潰しきれるのが先か……ヴァロが動けるうちにやり切って、それから逃げるか倒すかを考えないと。

「――え、なんで?」

 残った首はあと二本だった。
 目を潰された首は盲滅法に空中を噛んだり息を吐き掛けたりしていた。
 なのに。

「共食い? なんで?」

 無事な首がいきなり、目を潰された首に噛み付いた。
 力任せに喰い千切られた首が急速に力を失い、パタリと垂れ下がる。そのままどんどん萎びて、枯れた花のようにぽとりと落ちてしまう。

「エリサ、逃げろ!」

 ヴァロが叫ぶけれど、エリサは動けない。
 何が起こるのかがわからない。

 けれどとにかく、次の矢を射らないとどうしようもない。
 エリサは火矢をつがえ、狙いを付ける。
 そのエリサの目の前で、今しがた首が落ちたばかりの場所から肉が盛り上がった。
 放った火矢は狙いを逸れ、ハイドラの身体を掠めて飛んでいってしまった。
 エリサの目の前で、盛り上がった肉はみるみるうちにまた、ハイドラの首となる――しかも、二本の首に。

「そんな……」

 火の傷は再生できなくても、自分がつけた傷なら再生できるということか。
 こんな知恵が働くから、こいつはこれほど大きくなるまで生き残れたのか。

 それでも、ヴァロひとりを残してここから逃げ出すなんて、と、エリサはまた弓を引き絞る。
 火矢は残り数本。とても、全部の頭の目を潰すには足りない。もう一度樹脂を塗る時間は作れるだろうか。次はもっとたくさん作らないと間に合わない。手持ちの矢はあと何本残ってるだろうか。
 なんとか皆で逃げ出す隙を作らないと。

 次の矢は、なんとか目に当てられた。
 ほっとしてヴァロを見ると、右腕を庇いながら、左手で剣を振るっていた。

 どうしよう。

 弓は上達したけれど、エリサの剣の腕ではヴァロの足手纏いにしかならない。火矢の数も足らない。普通の矢だって、あと何本残っているかわからない。

 ヴァロの様子では、火矢なんて作ってる暇があるなら矢を射掛けたほうがいいだろう。矢でどうにか援護して、木々が密になった森の中なら、ハイドラも動きにくいはずだ。だから、どうにかヴァロが下がれる隙を作って、フロスティも一緒に森の中に逃げ込んで、援軍が来るまで引き回して――。

 ぐいと目元を拭って、エリサは矢をつがえる。
 泣いている暇があるなら、一本でも多く、速く、正確に矢を射るのだ。

「ヴァロさん、撤退、しよう!」

 ヴァロがちらりとエリサを振り返る。
 珍しく逡巡しているのか、下がろうとしない。

「ヴァロさん!」

 矢を放ち、素早く次をつがえる。火矢の残りは少ないから、普通の矢だ。火は、もっとここぞというところで使うべきだろう。
 早く、と急かすように、エリサはまた矢を放つ。
 逃げ回るのだって体力が必要だ。
 余力がなければ、あっという間に追いつかれて食べられてしまうのだから。

 ヴァロはやっと決めたのか、じりじりと後じさるように下がり始めた。ハイドラから目を離さず、ゆっくりと森へ向かって。
 エリサも、ヴァロに合わせてゆっくりと移動しながら矢を射る。
 ヴァロを狙う首を牽制するように、狙いを定めて……残り少ない矢を、無駄撃ちすることがないように、慎重に。
 エリサの放った矢は、吸い込まれるようにハイドラの急所を穿った。

 もう少し、もう少しで森に逃げ込める。

 けれど、一度捕らえた獲物は絶対に逃がさないということなのか、ハイドラの首が一斉にヴァロへと向いて、凍てつく息を吐き出した。

「ヴァロさん!?」

 あんなの、どうやって避けろというのか。どうしたって避けられない――エリサの膝がくずおれる。
 ハイドラの吐く凍てつく息で空気が凍り、ヴァロの周囲が真っ白に染まる。

「や……やだ、ヴァロさん」

 でも、早く助けないと。
 震える足でどうにか立ち上がり、エリサはヴァロへ駆け寄ろうと一歩を踏み出す。

 ――と同時に、ドン、と爆発音が轟いた。

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