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40.迫る距離
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直はこれ以上見ていられず、視線を落とした。
何も言わないまま、恒一に背を向けて、一歩足を踏み出した。
背中に、声が飛んできた。
「逃げるな」
強い調子ではなかった。
怒鳴っているわけでもない。
それなのに、胸の奥を直接掴まれたような気がして、直の足が止まった。
振り返れないまま、立ち尽くした。
「……逃げてるつもりは、ありません」
絞り出すように言うと、すぐ後ろで足音が止まったのが分かる。
距離は近い。
振り返れば、すぐそこに恒一がいる。
「じゃあ、どうして辞める」
低い声だった。
問い詰めるというより、確かめるような響き。
直は唇を噛んだ。
ここまで来て、何も言わずに済ませられるはずがない。
それでも、言葉にしてしまえば、自分の心は壊れてしまう気がした。
「……」
長い沈黙が落ちた。
恒一は追及しなかった。
ただ、待っていた。
その沈黙が、かえって直を追い詰めた。
「……見てしまったんです」
ようやく直は観念し、短いため息をついてからそう言った。
恒一の気配が、わずかに揺れる。
「何をだ」
即座に返ってきた問いに、胸が締めつけられる。
聞かれると思っていた。
だが、答えを用意していたわけではない。
「……自分が、見なくていいものを」
それ以上は、言えなかった。
恒一が何か言いかけて、言葉を飲み込む気配がした。
短い沈黙のあと、低く息を吐く音が聞こえる。
「それだけで、辞める理由になるのか」
責める調子ではない。
むしろ、理解しようとしている声音だった。
その優しさが、直にはつらい。
「なります」
迷いのない即答だった。
「僕にとっては、それで十分でした」
直はようやく振り返り、恒一を見た。
三日ぶりに見る顔は、ひどく疲れて見えた。
それでも、真っ直ぐこちらを見ている。
「桐原部長にとって、僕はただの部下なんだって」
声が、かすれる。
「……それが、はっきり分かったので」
それは事実であり、直が自分を守るために選んだ結論だった。
これ以上期待しなければ、傷つかずに済む。
恒一が何か言おうとして、また黙る。
その沈黙が、直には耐え難い。
「だから」
視線を逸らし、一歩、後ずさる。
「これ以上、近くにいない方がいいと思いました」
逃げだ。
分かっている。
それでも。
「……葉山」
名前を呼ばれて、心臓が跳ねた。
「それは、お前の思い込みだ」
静かだが、はっきりした声だった。
直は小さく笑った。
「そうかもしれません。でも」
視線を上げ、まっすぐ恒一を見る。
「僕は、そう思ってしまったんです」
それだけ言うと、直は今度こそ背を向けた。
追いかけてくる足音は、なかった。
けれど背中に残る視線だけが、近づいたまま、離れてくれなかった。
何も言わないまま、恒一に背を向けて、一歩足を踏み出した。
背中に、声が飛んできた。
「逃げるな」
強い調子ではなかった。
怒鳴っているわけでもない。
それなのに、胸の奥を直接掴まれたような気がして、直の足が止まった。
振り返れないまま、立ち尽くした。
「……逃げてるつもりは、ありません」
絞り出すように言うと、すぐ後ろで足音が止まったのが分かる。
距離は近い。
振り返れば、すぐそこに恒一がいる。
「じゃあ、どうして辞める」
低い声だった。
問い詰めるというより、確かめるような響き。
直は唇を噛んだ。
ここまで来て、何も言わずに済ませられるはずがない。
それでも、言葉にしてしまえば、自分の心は壊れてしまう気がした。
「……」
長い沈黙が落ちた。
恒一は追及しなかった。
ただ、待っていた。
その沈黙が、かえって直を追い詰めた。
「……見てしまったんです」
ようやく直は観念し、短いため息をついてからそう言った。
恒一の気配が、わずかに揺れる。
「何をだ」
即座に返ってきた問いに、胸が締めつけられる。
聞かれると思っていた。
だが、答えを用意していたわけではない。
「……自分が、見なくていいものを」
それ以上は、言えなかった。
恒一が何か言いかけて、言葉を飲み込む気配がした。
短い沈黙のあと、低く息を吐く音が聞こえる。
「それだけで、辞める理由になるのか」
責める調子ではない。
むしろ、理解しようとしている声音だった。
その優しさが、直にはつらい。
「なります」
迷いのない即答だった。
「僕にとっては、それで十分でした」
直はようやく振り返り、恒一を見た。
三日ぶりに見る顔は、ひどく疲れて見えた。
それでも、真っ直ぐこちらを見ている。
「桐原部長にとって、僕はただの部下なんだって」
声が、かすれる。
「……それが、はっきり分かったので」
それは事実であり、直が自分を守るために選んだ結論だった。
これ以上期待しなければ、傷つかずに済む。
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その沈黙が、直には耐え難い。
「だから」
視線を逸らし、一歩、後ずさる。
「これ以上、近くにいない方がいいと思いました」
逃げだ。
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「それは、お前の思い込みだ」
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「僕は、そう思ってしまったんです」
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追いかけてくる足音は、なかった。
けれど背中に残る視線だけが、近づいたまま、離れてくれなかった。
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