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第9話
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――翌日商会に顔を出した私は、ゴードンに会うよりも先に商会長の元を訪れた。そうして、産休中の母と入れ替わりで自分を雇って欲しいと直談判したのだ。
商会としては、働く人手は多い方が良いに決まっている。生まれた時から私を知る商会長からしても、少なくとも素性は確かだ。親子ともども世話になっているのだから、雇うこと自体は構わないと言ってくれた。
ただ、なぜなのか問われて答えに困窮した。一体どこから……何から話せば良いのか分からない。まだたったの15歳、高等科の卒業年齢にも満たない小娘だ。入れ替わりで働くというのは、何も一時的という話ではないだろう。母は仕事を完全に辞めて、子育てに集中するつもりだ。
生まれた子供がある程度大きくなれば、子離れするかも知れない。とは言え、果たしてそれは何年後の話だろうか。思う存分子育てがしたくて、仕事は長女に任せて休職しました――なんて、周りがどう思うか分かったものではない。
そんな状況下で、あれだけ心の弱った母が復職などできるはずがないのだ。
「――次の子供は、失敗したくないそうです」
「失敗? まさか、セラスの後に流産でも経験していたのか? そんな話は聞いたことがなかったのに……」
「いいえ、母は、私の育て方を失敗したのです。父も母も、子供らしい可愛げのある子を育てたいと――次の子もまた私のように育ったら、母はもう生きていけないかも知れません」
変に隠したところで、どうせいつか露呈するのだ。苦く笑って告白すれば、商会長はたっぷりと沈黙してから「そうか」と呟いた。
いざ口にしてみれば、なんてことはないようにも思えた。ただ、どうしても情けなさや申し訳なさはある。両親の願いを長年勘違いしたまま、厚かましく生きていたという恥ずかしさもあった。
商会長は私を――私たち一家を、どんな目で見るのだろうか。ドクドクと脈打つ心臓の音が耳のすぐ横で聞こえた。
「経緯は大体分かった、詳しくは聞かん。ただ、まあ……何か困ったことがあれば言いなさい。おしめをしていた時から知っているんだから、セラスだって私の娘みたいなものだ」
「……商会長、私もう子供じゃないんですから、おしめなんて言わないで下さい。レディですよ?」
私がおどけて肩を竦めれば、商会長は笑って頭を撫でてくれた。昨夜の一件でささくれ立った心が、ほんの少しだけマシになった気がした。
「どうせ近いうちに本物の娘になるさ、ゴードンは本気だろうから」
「まだ世間知らずのお坊ちゃんですから、いつか気が変わると思いますけど?」
「次期商会長を指して世間知らずのお坊ちゃんとは、言ってくれるじゃないか。セラスは最低賃金からスタートで良いな?」
「あっ、え、嘘! すみませんでした、口が滑りました!」
両手を合わせて慌てて頭を下げれば、商会長はクツクツと喉を鳴らした。本気で最低賃金にするつもりなどないことが分かっている私もまた、破顔した。
家の問題は何ひとつとして解決していないけれど、なんだか商会で働くのも悪くない気がしてくる。職員は顔見知りばかりで、皆良くしてくれるし――商会長夫妻とも、次期商会長とも仲が良いし。
正直、教員になりたいという夢には後ろ髪を引かれる思いだった。けれどそれも、いつか諦めがつくだろう。
ゴードンが本気なら『経理』を目指すのだって悪くはない。例え両親に愛されなくたって、義理の両親に愛されればそれで構わないのだから。
「――セッ……セラスが、商会で働く? 子守じゃなくて? 職員としてか!?」
「だから、何度もそう言っているじゃない」
商会長と話した後にゴードンを迎えに行った私は、彼にも要点だけかい摘まんで説明した。
まさか、私は両親に失敗作と思われているの――なんて10歳のボクちゃんに話せる訳もなかったので、子育てに集中したい母と入れ替わりで働くのだと。
ゴードンは目を丸めて沈黙したあと、パッと喜色ばんだ顔で私を見上げた。学校帰りに友達と遊ぶことなく真っ直ぐに帰宅して、私に宿題を見させているせいか――ひとつも日に焼けていない不健康な肌が、赤く染まっている。
「それは、まあ、良いことだな! セラスは計算が早いから商会の仕事も向いている! 俺も初等科学校を卒業したらすぐに働くから、2年後には肩を並べられるな」
「私は受付の事務員で、ゴードンは商会長の引継ぎを学ぶんだから肩は並ばないわよ」
「しかもおばさんが子育てに集中するってことは、セラスは子守せずに済むじゃないか。セラスがしないなら俺は絶対に遊ばないからな! なぜなら、お前の妹か弟の世話にはなっていないからだ!」
「なんか、薄情なヤツね……ある意味商人っぽいけれど」
興奮した様子のゴードンの手を引いて、商会が管理する倉庫の中を歩く。前々から商会長夫妻より、手が空いたらゴードンを連れて倉庫の見学をさせて欲しいと言われていたのだ。
どんなものを取り扱っているのか、どのように保管しているのか――次期商会長に、意識と責任感をもたせたかったのだろう。
大はしゃぎのカルガモは、しかし「あっ!」と声を上げると足を止めてしまった。
「でもセラス、先生の勉強はどうするんだ? 商会で働きながら勉強するのは大変そうだな……俺はずっと商会に居れば良いと思うけど、いつかおばさんが帰ってきたら辞めて先生になるんだろう?」
当然のように夢の行く末を訪ねてくれた幼馴染に、鼻の奥がツンと痛んだ。
商会としては、働く人手は多い方が良いに決まっている。生まれた時から私を知る商会長からしても、少なくとも素性は確かだ。親子ともども世話になっているのだから、雇うこと自体は構わないと言ってくれた。
ただ、なぜなのか問われて答えに困窮した。一体どこから……何から話せば良いのか分からない。まだたったの15歳、高等科の卒業年齢にも満たない小娘だ。入れ替わりで働くというのは、何も一時的という話ではないだろう。母は仕事を完全に辞めて、子育てに集中するつもりだ。
生まれた子供がある程度大きくなれば、子離れするかも知れない。とは言え、果たしてそれは何年後の話だろうか。思う存分子育てがしたくて、仕事は長女に任せて休職しました――なんて、周りがどう思うか分かったものではない。
そんな状況下で、あれだけ心の弱った母が復職などできるはずがないのだ。
「――次の子供は、失敗したくないそうです」
「失敗? まさか、セラスの後に流産でも経験していたのか? そんな話は聞いたことがなかったのに……」
「いいえ、母は、私の育て方を失敗したのです。父も母も、子供らしい可愛げのある子を育てたいと――次の子もまた私のように育ったら、母はもう生きていけないかも知れません」
変に隠したところで、どうせいつか露呈するのだ。苦く笑って告白すれば、商会長はたっぷりと沈黙してから「そうか」と呟いた。
いざ口にしてみれば、なんてことはないようにも思えた。ただ、どうしても情けなさや申し訳なさはある。両親の願いを長年勘違いしたまま、厚かましく生きていたという恥ずかしさもあった。
商会長は私を――私たち一家を、どんな目で見るのだろうか。ドクドクと脈打つ心臓の音が耳のすぐ横で聞こえた。
「経緯は大体分かった、詳しくは聞かん。ただ、まあ……何か困ったことがあれば言いなさい。おしめをしていた時から知っているんだから、セラスだって私の娘みたいなものだ」
「……商会長、私もう子供じゃないんですから、おしめなんて言わないで下さい。レディですよ?」
私がおどけて肩を竦めれば、商会長は笑って頭を撫でてくれた。昨夜の一件でささくれ立った心が、ほんの少しだけマシになった気がした。
「どうせ近いうちに本物の娘になるさ、ゴードンは本気だろうから」
「まだ世間知らずのお坊ちゃんですから、いつか気が変わると思いますけど?」
「次期商会長を指して世間知らずのお坊ちゃんとは、言ってくれるじゃないか。セラスは最低賃金からスタートで良いな?」
「あっ、え、嘘! すみませんでした、口が滑りました!」
両手を合わせて慌てて頭を下げれば、商会長はクツクツと喉を鳴らした。本気で最低賃金にするつもりなどないことが分かっている私もまた、破顔した。
家の問題は何ひとつとして解決していないけれど、なんだか商会で働くのも悪くない気がしてくる。職員は顔見知りばかりで、皆良くしてくれるし――商会長夫妻とも、次期商会長とも仲が良いし。
正直、教員になりたいという夢には後ろ髪を引かれる思いだった。けれどそれも、いつか諦めがつくだろう。
ゴードンが本気なら『経理』を目指すのだって悪くはない。例え両親に愛されなくたって、義理の両親に愛されればそれで構わないのだから。
「――セッ……セラスが、商会で働く? 子守じゃなくて? 職員としてか!?」
「だから、何度もそう言っているじゃない」
商会長と話した後にゴードンを迎えに行った私は、彼にも要点だけかい摘まんで説明した。
まさか、私は両親に失敗作と思われているの――なんて10歳のボクちゃんに話せる訳もなかったので、子育てに集中したい母と入れ替わりで働くのだと。
ゴードンは目を丸めて沈黙したあと、パッと喜色ばんだ顔で私を見上げた。学校帰りに友達と遊ぶことなく真っ直ぐに帰宅して、私に宿題を見させているせいか――ひとつも日に焼けていない不健康な肌が、赤く染まっている。
「それは、まあ、良いことだな! セラスは計算が早いから商会の仕事も向いている! 俺も初等科学校を卒業したらすぐに働くから、2年後には肩を並べられるな」
「私は受付の事務員で、ゴードンは商会長の引継ぎを学ぶんだから肩は並ばないわよ」
「しかもおばさんが子育てに集中するってことは、セラスは子守せずに済むじゃないか。セラスがしないなら俺は絶対に遊ばないからな! なぜなら、お前の妹か弟の世話にはなっていないからだ!」
「なんか、薄情なヤツね……ある意味商人っぽいけれど」
興奮した様子のゴードンの手を引いて、商会が管理する倉庫の中を歩く。前々から商会長夫妻より、手が空いたらゴードンを連れて倉庫の見学をさせて欲しいと言われていたのだ。
どんなものを取り扱っているのか、どのように保管しているのか――次期商会長に、意識と責任感をもたせたかったのだろう。
大はしゃぎのカルガモは、しかし「あっ!」と声を上げると足を止めてしまった。
「でもセラス、先生の勉強はどうするんだ? 商会で働きながら勉強するのは大変そうだな……俺はずっと商会に居れば良いと思うけど、いつかおばさんが帰ってきたら辞めて先生になるんだろう?」
当然のように夢の行く末を訪ねてくれた幼馴染に、鼻の奥がツンと痛んだ。
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