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第29話
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幼い妹の前で子供みたいに抱えられて、ボロボロ泣いて――本当に情けなくて、なんて心地いいのだろう。
人に甘えることは決して悪いことではない。私だってできることなら、可愛く甘えて過ごしたい。ただどうすれば良いのか、上手いやり方が分からなくて恥ずかしかっただけ。どうしても昔失敗したことが――母に「遊んで」と懇願した時に無視された恐怖が邪魔をするから。
ゴードンにしがみつく腕に力を籠めれば、彼の腕にも力が入る。たぶん私が思う存分甘えられるのは、この人だけだ。強くても、弱くても、甘えても、甘えられなくても、頼っても……何をしたって、何もしなくたって肯定してくれる。「生きていて良い」という当然のことを繰り返し教えてくれる、唯一の人。
「――そもそも、たかが8年しか生きていない新参者の分際で……厚かましくもセラスの所有権を主張してくること自体がおかしいだろう」
「でっ、でも……っ、でも、私のお姉ちゃんよ!? もう! お姉ちゃんを返して!! 返してったら!」
背中の方で、タン! タン! とカガリが繰り返し飛び跳ねる軽い音が聞こえた。私はハッとして、慌てて涙を拭う。
幸せを噛み締めるのに夢中になっていたけれど、今は泣いて甘えている場合ではない。彼に言うべき感謝も愛情も、あとでゆっくりと伝えれば良い――これから時間はいくらでもあるのだから。
頬を押さえ、目尻に溜まる涙を指先で払う。体を起こしてゴードンの顔色を窺えば、彼は不機嫌さを隠そうともせずに足元のカガリを見下ろしている。
「何が「お姉ちゃん大好き」、「私のお姉ちゃん」だ――それ以前に俺の婚約者だ、バーカ。俺の方が先に好きだったんだから、お前みたいな性格ブスは引っ込んでいろ」
まさか、あのゴードンの口からこんな低俗な言葉が飛び出るとは思わなかった。
彼は年齢の割に大人びていて、反抗期らしい反抗期もなく穏やかで――いや、もしかすると年上の私に合わせて、無理に背伸びしていただけ?
「バッ……バカじゃないし、ブスじゃないもん! あなただって私が大人になったら、お姉ちゃんよりも私のことを好きになるに決まってるし! 目が悪いんじゃないの!?」
「いいや、なんの価値もない石ころに興味はないな。せめてセラスくらいなんでもできて、人のために動けて、思慮深くなってから出直せ。バーカ、バーカ、バカカガリ……いや、バカガリ?」
「くぅう……! バカバカ言うなぁあ……!」
本気で憤慨している妹と、10歳も下の女の子相手に大人げなく本気でぶつかる婚約者。2人のやりとりを見ていると、なんだか色んなことが馬鹿馬鹿しくなってしまう。
思わずプッと噴き出して、声を上げて笑った。すっかり笑いが収まらなくなった私を見て、ゴードンもカガリもぽかんと呆けた顔をしている。
――その様がまたおかしくて、震えてしまう。
一体なんなんだろう、この2人。すごく幼稚だし、そもそも何を言い争っているのかも分からなくなってきた。
ゴードンはどうして……何に熱くなっているんだっけ? 私はカガリの、何に傷ついていたんだっけ?
「ど、どうして笑うの!? もしかして、お姉ちゃんも私のことバカでブスだと思ってる!? ひ……ひどい……」
「ち、違う、違う……ふふ、ごめんなさいね、あまりにも2人の仲が良いから、おかしくて――」
「「仲良くない!!」」
ぴったりと揃った声に、「やっぱり仲が良いじゃないの」と思った。口に出さなかったのは、これ以上ムキになられると腹が痛くなるまで笑うハメになりそうだったからだ。
ゴードンと言い争っている時はひとつも泣く気配がなかったのに、私に笑われているのではないか――という不安に襲われた途端、カガリはうるうると瞳を湿らせた。あれだけ饒舌だったくせに、赤い唇は小刻みに震えて「ふえ……んぐ……」と言葉にならない声を漏らしている。
――本当に驚きだけれど、この子は真剣に私のことが好きらしい。もしくは、私をブランド品か何かだと勘違いしているのか。
両親以外……外の『皆』とやらに認められていて、曲がりなりにも「ちょっと自慢だ」と言うからには、カガリは私にそれなりの価値を見出してくれているのだろう。そんな私に蔑ろにされるのが我慢ならないか、人に「コレは私の姉だ」と自慢できなくなるのが惜しいのか。
……さすがに穿った見方をしすぎだろうか?
「ゴードン、下ろして。もう平気だから」
ひとまず笑いは収まったものの、乾かしたばかりの涙がまた目尻に浮いている。カガリと母を追い返したら、ゆっくり笑い直したいところだ。
「……俺はひとつも平気じゃない、聞こえなかったのか? お前が汚い手で触られるのは嫌だ」
「何が「平気じゃない」よ……さっきからなんの言い争いをしているんだか、全く分か――」
分からない、と最後まで言い切ることはできなかった。あっという間にゴードンの顔が視界いっぱいに広がって、口を塞がれたから。
足元から「はわぁ!」という甲高い声が聞こえてきて、すぐさま厚い胸板をドンと叩く。ゴードンはすぐに離れたけど、一体何がそんなに気に入らないのか、憮然とした表情のまま私を床に下ろした。
「――ちょっと! 時と場所を考えなさいよ!」
「2人きりなら、好きなだけして良いんだな」
「今そんな話はしていないわ。あなたカガリのことばかり言えないわよ、本当に子供なんだから……」
言いながら、ちらりとカガリの様子を窺えば、彼女は小さな両手で目元を隠している――けれど、指の隙間が広すぎて目が露出している。隠す気がない。
小さな唇が戦慄くと、「パパとママのも見たことなかったのに――」なんて告白が漏れ聞こえた。
私は誤魔化すように咳ばらいをしてから、彼女と目線を合わせるためにその場へ屈んだ。
「とにかく、母さんの説得は頼んだわよ。本当に私のことが好きなら、どうかお願い……幸せになりたいの、手伝ってくれる?」
頬を真っ赤に染めたカガリは、ゆっくりと目元を覆う手を下ろした。そうして私とゴードンを交互に見比べると、渋々頷く。
私は嬉しくなって――というか、安堵してカガリを抱きしめた。いつもより遠慮がちに回された小さな手が、私の制服の背中に皺をつくると――耳元でぽつりと呟かれたのは、「……いいなあ」だった。
その「いいなあ」が何に対する羨望だったのか、私は正確に理解できなかった。
人に甘えることは決して悪いことではない。私だってできることなら、可愛く甘えて過ごしたい。ただどうすれば良いのか、上手いやり方が分からなくて恥ずかしかっただけ。どうしても昔失敗したことが――母に「遊んで」と懇願した時に無視された恐怖が邪魔をするから。
ゴードンにしがみつく腕に力を籠めれば、彼の腕にも力が入る。たぶん私が思う存分甘えられるのは、この人だけだ。強くても、弱くても、甘えても、甘えられなくても、頼っても……何をしたって、何もしなくたって肯定してくれる。「生きていて良い」という当然のことを繰り返し教えてくれる、唯一の人。
「――そもそも、たかが8年しか生きていない新参者の分際で……厚かましくもセラスの所有権を主張してくること自体がおかしいだろう」
「でっ、でも……っ、でも、私のお姉ちゃんよ!? もう! お姉ちゃんを返して!! 返してったら!」
背中の方で、タン! タン! とカガリが繰り返し飛び跳ねる軽い音が聞こえた。私はハッとして、慌てて涙を拭う。
幸せを噛み締めるのに夢中になっていたけれど、今は泣いて甘えている場合ではない。彼に言うべき感謝も愛情も、あとでゆっくりと伝えれば良い――これから時間はいくらでもあるのだから。
頬を押さえ、目尻に溜まる涙を指先で払う。体を起こしてゴードンの顔色を窺えば、彼は不機嫌さを隠そうともせずに足元のカガリを見下ろしている。
「何が「お姉ちゃん大好き」、「私のお姉ちゃん」だ――それ以前に俺の婚約者だ、バーカ。俺の方が先に好きだったんだから、お前みたいな性格ブスは引っ込んでいろ」
まさか、あのゴードンの口からこんな低俗な言葉が飛び出るとは思わなかった。
彼は年齢の割に大人びていて、反抗期らしい反抗期もなく穏やかで――いや、もしかすると年上の私に合わせて、無理に背伸びしていただけ?
「バッ……バカじゃないし、ブスじゃないもん! あなただって私が大人になったら、お姉ちゃんよりも私のことを好きになるに決まってるし! 目が悪いんじゃないの!?」
「いいや、なんの価値もない石ころに興味はないな。せめてセラスくらいなんでもできて、人のために動けて、思慮深くなってから出直せ。バーカ、バーカ、バカカガリ……いや、バカガリ?」
「くぅう……! バカバカ言うなぁあ……!」
本気で憤慨している妹と、10歳も下の女の子相手に大人げなく本気でぶつかる婚約者。2人のやりとりを見ていると、なんだか色んなことが馬鹿馬鹿しくなってしまう。
思わずプッと噴き出して、声を上げて笑った。すっかり笑いが収まらなくなった私を見て、ゴードンもカガリもぽかんと呆けた顔をしている。
――その様がまたおかしくて、震えてしまう。
一体なんなんだろう、この2人。すごく幼稚だし、そもそも何を言い争っているのかも分からなくなってきた。
ゴードンはどうして……何に熱くなっているんだっけ? 私はカガリの、何に傷ついていたんだっけ?
「ど、どうして笑うの!? もしかして、お姉ちゃんも私のことバカでブスだと思ってる!? ひ……ひどい……」
「ち、違う、違う……ふふ、ごめんなさいね、あまりにも2人の仲が良いから、おかしくて――」
「「仲良くない!!」」
ぴったりと揃った声に、「やっぱり仲が良いじゃないの」と思った。口に出さなかったのは、これ以上ムキになられると腹が痛くなるまで笑うハメになりそうだったからだ。
ゴードンと言い争っている時はひとつも泣く気配がなかったのに、私に笑われているのではないか――という不安に襲われた途端、カガリはうるうると瞳を湿らせた。あれだけ饒舌だったくせに、赤い唇は小刻みに震えて「ふえ……んぐ……」と言葉にならない声を漏らしている。
――本当に驚きだけれど、この子は真剣に私のことが好きらしい。もしくは、私をブランド品か何かだと勘違いしているのか。
両親以外……外の『皆』とやらに認められていて、曲がりなりにも「ちょっと自慢だ」と言うからには、カガリは私にそれなりの価値を見出してくれているのだろう。そんな私に蔑ろにされるのが我慢ならないか、人に「コレは私の姉だ」と自慢できなくなるのが惜しいのか。
……さすがに穿った見方をしすぎだろうか?
「ゴードン、下ろして。もう平気だから」
ひとまず笑いは収まったものの、乾かしたばかりの涙がまた目尻に浮いている。カガリと母を追い返したら、ゆっくり笑い直したいところだ。
「……俺はひとつも平気じゃない、聞こえなかったのか? お前が汚い手で触られるのは嫌だ」
「何が「平気じゃない」よ……さっきからなんの言い争いをしているんだか、全く分か――」
分からない、と最後まで言い切ることはできなかった。あっという間にゴードンの顔が視界いっぱいに広がって、口を塞がれたから。
足元から「はわぁ!」という甲高い声が聞こえてきて、すぐさま厚い胸板をドンと叩く。ゴードンはすぐに離れたけど、一体何がそんなに気に入らないのか、憮然とした表情のまま私を床に下ろした。
「――ちょっと! 時と場所を考えなさいよ!」
「2人きりなら、好きなだけして良いんだな」
「今そんな話はしていないわ。あなたカガリのことばかり言えないわよ、本当に子供なんだから……」
言いながら、ちらりとカガリの様子を窺えば、彼女は小さな両手で目元を隠している――けれど、指の隙間が広すぎて目が露出している。隠す気がない。
小さな唇が戦慄くと、「パパとママのも見たことなかったのに――」なんて告白が漏れ聞こえた。
私は誤魔化すように咳ばらいをしてから、彼女と目線を合わせるためにその場へ屈んだ。
「とにかく、母さんの説得は頼んだわよ。本当に私のことが好きなら、どうかお願い……幸せになりたいの、手伝ってくれる?」
頬を真っ赤に染めたカガリは、ゆっくりと目元を覆う手を下ろした。そうして私とゴードンを交互に見比べると、渋々頷く。
私は嬉しくなって――というか、安堵してカガリを抱きしめた。いつもより遠慮がちに回された小さな手が、私の制服の背中に皺をつくると――耳元でぽつりと呟かれたのは、「……いいなあ」だった。
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