人を愛するのには、資格が必要ですか?

卯月ましろ@低浮上

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第30話

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「たくさん叫んで喉が渇いたでしょう? せっかくだから飲んで行きなさい」
「うん、ありがとう」

 氷が溶けてしまって、コップに入ったオレンジジュースは上部が黄色に薄まっている。カガリはそれをストローで混ぜてから、ちらりと私を見た。――今まで彼女が何かを飲む時、いつも母がコップとストローを持って甲斐甲斐しく介助していたのだ。

「……母さんも見ていないし、自分で飲んでみたら?」

 何の気なしに提案すれば、カガリは喜色ばんで大きく頷いた。そうして意気揚々と――というか、あまりにも勢いよくジュッ! とストローを吸い込むと、張り切りすぎて気管に入ったのか「エフン!!」と噴き出す。
 別にストローを使うのが初めてという訳でもないのに、不器用すぎる。いや、1人きりで飲むのが初めてだったから、浮かれて思い切り吸い込んでしまったのだろうか。

「ちょっともう、何やってるの? 落ち着いて飲めば良いのに……ほら、チーンしなさい」
「ぷぇえ……っ、お鼻痛ぁい……」

 丁度いいところに濡れタオルがあって助かった――ジュースを零した服は早めに洗濯しないと、後でシミになりそうだけれど。

 涙目になりながら鼻をかむカガリを見て、ゴードンがまた「バカガリ」と呟いた。
 その言葉がしっかりと耳に届いたらしく、カガリは私の手から――今、自分が鼻をかんだばかりの――タオルを奪い取ると、ゴードンに向かってぶんと投げつけた。しかし彼が「汚い」と言いながら難なくそれをキャッチしたので、小さな妹はリスのように頬を膨らませる。

 ……今日は本当に驚かされてばかりだ。子供みたいにムキになるゴードンも、これほどアグレッシブに動くカガリも初めて見た。

「まあ、なんて言うか――母さんのことさえなければ、カガリのことは割と好きよ。可愛いし」
「……割とじゃヤダ。ゴードンの方が下なら我慢するけど」
「なんで呼び捨てなんだよ。「お姉ちゃん」の旦那なんだから、お義兄にいちゃんだろうが」
「そういうことは結婚してから存分に言いなさいよ。――とにかく、「何もできません」って顔してじっとしているよりも、今日みたいに元気いっぱいの方が見ていて楽しいわ。……正直ちょっと傲慢なところは鼻につくけれど、変におとなしくていじめられるよりはマシね」
「……お姉ちゃんみたいに強い方が良いってこと? 可愛くなくても?」

 悪気なくそんな問いかけをしてくる妹に、可愛らしさと憎らしさの狭間で揺れる。呆れるのと同時に笑いが込み上げて来て、結局「仕方のない子」という感想に落ち着いた。

ではね。くれぐれも家の中では、弱く可愛くありなさいよ。母さんを安心させて、父さんの気苦労を減らしてやりなさい」
「……うん。でも、お姉ちゃんはそれで良いの? パパとママと離れて、ゴードンだけで――」

 カガリは両手の指をいじいじと突き合わせている。意外と心配してくれているのだろか――私は迷わずに頷いた。

「ゴードンさえ居れば良いの。私が私で居られるのは、ゴードンの隣だけだから」
「――――――――もっと言ってくれ」
「はいはい、後でね」

 大きな体をしているくせに、ゴードンは両手で顔を覆って縮こまった。隠れていない耳が真っ赤に染まっているのがおかしくて、広い背中を平手で叩いた。

「お姉ちゃんは……お姉ちゃんは、ゴードンの前だとよく笑うし、ちょっとだけ可愛いね」
「ちょっとじゃない、世界で一番可愛いんだ。本当に分からず屋だな」
「どっちもうるさいわよ」
「……ねえ、やっぱり私もお姉ちゃんみたいになりたいから、学校が終わったらここでお勉強しても良い? 遊んでなんてワガママ言わない、置いてくれるだけで良いの。家に居ると何もできないから、私には隠れる場所が必要なの……お友達の家に行くって言うと、ママはついてこようとするし」

 やけに真剣な表情で言われて目をみはるけれど、カガリの提案が良いものだとは思えなかった。

 商会で働く者はみな仕事で忙しく、今は子守専門の職員も居ない。子供が手伝えるような仕事もないし、「置いてくれるだけで良い」とは言ったって子供である以上は誰かが保護しなければならない。

 そもそも、母になんと言って商会へ通うつもりなのか――どうせまた揉めるだけだろう。
 けれど彼女は、私が首を横に振る前に畳みかけた。

「あのね? ママには、「お姉ちゃんは結婚して居なくなるし、すごく寂しいから今のうちに遊んでもらう」って言うつもり。きっと、泣き真似すれば許してくれると思うの」
「泣き真似……確かに要領よく生きなさいとは言ったけれど、いきなり恐ろしいことを言い始めたわね」
「やれることは、なんでもやりたいの! このままじゃ……一生恥ずかしいままじゃ、悔しいから」

 カガリは可愛らしい目を吊り上げると、キッとゴードンを睨みつけた。先ほど彼にこき下ろされたことを、かなり根に持っているらしい。

「お願い、ママを説得できなかったら諦めるから……それに、お姉ちゃんとゴードンの結婚を許してあげてって、いっぱい話すから!」
「……ゴードン、どうする? あなたがカガリを焚きつけた責任もあるみたいだけど?」
「うーん……商会長夫妻はなんだかんだ言って子供好きだから、大人しくできるなら問題なさそうな気はする。生意気でバカだけど、カガリもと言えばそれまでだし――俺のことを「お義兄ちゃん」と呼ぶなら許可してやっても良い」
「あなた、本当に大人げないわね……交渉や契約条件を持ち出すあたり、どこまでも商人らしいけれど……」

 ゴードンが「それができないなら立ち入り禁止だ」と言い切れば、カガリはグッと口をへの字に曲げた。そうしてたっぷり――それはもうたっぷりと間を空けてから、ようよう「オ、ニ、イ、チャ、ン」とぶつ切りで呼んだ。

 満面の笑みを浮かべるゴードンから商会の立ち入りを許可されたのち、少し経ってから商会長夫妻と母がやってきた。商会長夫妻の顔色を見るに、どうも話し合いは上手く折り合いがつかなかったらしい。憮然とした表情の母が「カガリ、早く帰りましょう」と妹を抱き上げる。

 ――けれど、カガリさえ味方につけてしまえばこちらのものだ。まだひとつも手を付けられていないクッキーを土産として持たせて、彼女の耳元で「お願いね」と囁く。
 母の前だからと、まるで何も分かっていない子供のように「クッキーありがとう、お姉ちゃん!」と無邪気に笑うだけの妹は、とんでもない役者だと思う。

 末恐ろしいような、心強いような――思わずゴードンと顔を見合わせて笑った。まだ問題ばかりだけれど、少しずつ上手く行くような気がした。見つめ合ったままどちらからともなく手指を絡ませて、強く握り締める。
 この人さえ居れば母が何をしようが気にならない。私はとっくに、ゴードンしか見えていないのかも知れない。

 満ち足りた気持ちでいると、視界の端にこちらを見つめるカガリが映った。親指をくわえている様は、まるで腹を空かせた幼子のようだ。

 そういえばあの子はさっき、何を「いいなあ」と羨ましがったのだろうか?
 結婚そのもの? あれだけ喧嘩していたし――容姿に強くこだわる子だから、失礼ながらという伴侶を羨ましがっているとは思えない。
 頼りになる味方が付いていること? ……よく分からないけれど、あれだけ愛らしい妹から羨望の眼差しをぶつけられるのは、ことほか気分が良かった。
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