私たちの離婚幸福論

030 二人の庭園

ゼノンはふっと息を整え、窓の外に見える庭園へと目を向けた。



「もしよろしければ…久しぶりに庭園散策に付き合っていただけませんか？」



ルシェルは首を傾げ、でもすぐに頷いた。



「ええ、そうしましょう」



二人は庭園を歩きながら、静かな時間を共有する。



「ルシェル様、先日の光華祭であなたの姿を見て、やはり特別なものを感じました」



ゼノンの声は低く、でも柔らかい。



「特別…ですか？」



ルシェルは小さく笑った。



「はい。あなたの立ち居振る舞い、笑顔、話し方、そのすべてが、私には特別に感じるのです」



ゼノンはしばらく間を置き、視線を落とした。



「そういえば、花冠のお礼がまだでしたね…」



「お礼ならあの時も聞きましたよ。それに、あれは私の気持ちですので」



「…とても…嬉しかったです。だから改めて、ありがとうございました」



「ええ。喜んでいただけてよかったです」



二人は互いに恥ずかしそうに、庭園の花を見ていた。



そのとき、遠くから足音が近づくーー。



ノアとイザベルだった。



「皇后陛下、王子殿下ご機嫌よう」とイザベルが声をかける。



「ええ」



ルシェルは無表情でイザベルに答える。



イザベルの隣で、ノアは何も言わず呆然としている。

ルシェルにはノアがどこか疲れているように見えた。



（ノアはどこか調子が悪いのかしら…？疲れて見えるわ…）



「私、この庭園に来るのは初めてなんです！どうしても見てみたくて…陛下にお願いして連れてきてもらったんです！」



「…そう」



ここはノアがルシェルのために作った庭園だ。

この場所には、二人だけの思い出がたくさんある。



（私はこの庭園すら彼女に奪われてしまうのかしら…）



ルシェルは徐々に気持ちが沈んできた。



「皇后陛下、我々はそろそろ戻りましょうか？」



ルシェルの気持ちを察したのか、ゼノンが心配そうに声をかける。



「ええ、そうですね」



ルシェルが無理に笑顔を作り、ゼノンと共にその場を後にしようとした、その時ーー。



「…っ」



少し苦しげな声を出すと、ノアが額に手を当て、顔を歪める。

そして、突然その場に倒れた。



「陛下！！」



イザベルがノアの腕を揺すり、声をかける。



その様子に気づいたルシェルが、咄嗟にゼノンの手を払いのけ、ノアに駆け寄る。



「…」



ゼノンはルシェルに振り解かれた手をしばらく見つめていた。



「ノア！しっかりしてーー！誰かーー！！」



ルシェルが大きな声で護衛を呼び、護衛のカインが駆け寄る。



「カイン、陛下を寝室に連れて行って！それから、すぐに宮廷医を呼んでちょうだい！」



「はい！皇后陛下！」



ノアの額には汗が浮かび、浅く呼吸を繰り返す。

ライラックの香りが風に乗り、過去の断片が再び意識をかすめる。



カインはノアをおぶり、寝室まで急いで連れて行った。



＊＊＊



ーーノアの寝室。



「ありがとう、カイン。助かったわ」



「いえ、私は勤めを果たしただけですので」



カインは、ノアが幼い頃から信頼している護衛の一人だ。



ノアの診察を終えた宮廷医は、怪訝そうな顔をしている。



「ノアは大丈夫なの…？」



ルシェルが不安そうに聞く。



「はい、皇后陛下。陛下は疲れが溜まっておられたのかと思われます。睡眠も十分に取れていないようですので、しばらくの間は安静にして下さいますよう」



「…そう、わかったわ。ありがとう」



しばらくして、ノアの瞳がゆっくりと開いた。

その瞬間、ルシェルの顔を見つめ、わずかに微笑む。



「…ルシェル……」



声は弱々しいが、確かに彼女を認識していた。



「…陛下…私のことが…わかるのですか……？」



ノアが不思議そうな顔をしている。



「なんだ、陛下だなんて…他人行儀だな。どうしたんだ…ルシェル？」



ルシェルは驚きを隠せない。



「…まさか…宮廷医！どういうことなの！？ノアは…陛下は…記憶が戻ったの…！？」



宮廷医も驚いている。



「…そのようです、皇后陛下。私にも何が何だかさっぱりで…」



「…ルシェル…？一体どうしたんだ？大丈夫か？」



「…ええ、ノア。大丈夫よ…」



ルシェルはしばらくの間嬉しさに浸ったが、ゼノンのことが頭をよぎった。



（さっき…彼の手を振り解いてしまったわ…）



「陛下…大丈夫ですか…？心配しました、急に倒れられて…」



イザベルがノアに声をかけると、ノアは一瞬頭を抱えて、「イザベル…？」と彼女の名を呼んだ。



「はい、陛下のイザベルですよ！」



ノアは何かを思い出したかのように、顔面蒼白になった。



「…俺はなんてことを……そんな…まさか…」



ノアが急に涙を流し、言葉を失う。



「…ノア、大丈夫？」



ルシェルがノアに声をかけると、ノアはルシェルの腕を掴み、抱き寄せた。



「…ルシェル…ルシェル…すまない…俺はなんてことを…」



ノアは涙を流しながらルシェルに謝り続けた。



「…皆…申し訳ないのだけれど、私と陛下を二人きりにしてくれないかしら…」



カインや宮廷医は「はい、皇后陛下」と頭を下げて寝室を出ていった。

だが、イザベルだけは留まろうとした。



「…なぜ追い出すのですか！私も陛下のそばに居させて下さい！」



「…」



ルシェルはノアを見る。



「…イザベル、ルシェルと二人で話したいんだ…」



ノアがイザベルにそう言うと、イザベルは力が抜けたようにしゃがみ込んだ。



「ユリアナ…イザベルを支えてあげてちょうだい」



「はい、皇后陛下。イザベル様、私につかまってください」



ユリアナに支えられて、イザベルは寝室をあとにした。