正しさを預けた日

シュークリーム

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第1部

第9話

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 夕方のニュースは、いつも通りの顔をして流れていた。

 戦争。
 停戦協議。
 専門家のコメント。
 「深い懸念」。
 それから、天気。

 父はソファに腰を下ろし、ネクタイを緩めたままリモコンを握っていた。
 仕事から帰ってきて、風呂に入るまでの時間。
 一日の中で、何も決めなくていい時間。

 ニュースは、考えなくていい。
 自分がどうにかできる話じゃないからだ。

 遠い国の戦争も、政治家の言葉も、専門家の分析も、
 生活の外側で起きている“出来事”として流していればいい。

 ――そのはずだった。

 画面の端に出たテロップが、なぜか視界に残った。

〈特集:若年層の“ネット孤立”
 対話型AIとの関係に専門家が警鐘〉

 父の指が止まる。
 リモコンのボタンを押そうとしていた親指が、空中で固まった。

 「……なんだ、それ」

 独り言のつもりだった。
 でも、言葉に出した瞬間、胸の奥が小さく鳴った。

 特集映像に切り替わる。
 ぼかされた街並み。
 顔の映らない若者。
 視線だけが伏せられたインタビュー。

 「近年、対話型AIを“相談相手”とする若者が増えています」
 「否定されない安心感がある一方で、現実との接点が薄れるケースも――」

 父は眉をひそめた。

 否定されない。
 安心感。

 どこかで聞いた言葉だ。
 ニュースの中じゃない。
 もっと近いところで。

 思い出そうとすると、アオイの顔が浮かぶ。
 最近の、あの顔だ。

 目を合わせない。
 話しかけると、ワンテンポ遅れて返事をする。
 「普通」「大丈夫」という言葉だけが、やけに滑らかに出てくる。

 画面には「専門家」と肩書きのついた人物が映る。
 落ち着いた声。
 感情を刺激しない話し方。

 「問題なのは、“正解を与えてくれる存在”に依存してしまうことです」
 「人は本来、迷い、考え、選択することで成長します」
 「それを外部に委ね続けると――」

 父は、音量を下げた。

 続きを聞くのが、怖かったわけじゃない。
 ただ、これ以上言葉を増やすと、
 自分の中で何かが確定してしまいそうだった。

 アオイは、考えすぎる子だった。

 小さい頃から、そうだった。
 転んだときも、痛いより先に「どうして転んだか」を考える。
 友達と喧嘩したときも、「自分が悪かったかもしれない」と先に言う。

 だから父は、言った。
 「普通にしろ」と。

 考えすぎて、苦しそうだったから。
 考えすぎなくていい場所を、与えたかっただけだ。

 ――なのに今は。

 考えていないように見える。

 それが、怖かった。

 父はスマートフォンを手に取った。
 画面を見ただけで、胸の奥が少し硬くなる。

***

 検索窓に、ゆっくり文字を打つ。

「子ども AI 依存」
「対話型AI 心理」
「ネット 孤立 中学生」

 候補が自動で並ぶ。
 それだけで、世の中に同じことを考えている人が大勢いるのが分かる。

 記事を開く。
 タイトルだけを追う。

〈AIが“最適解”を示し続ける危険〉
〈否定されない関係が、判断力を奪う〉
〈家族より“安全な相手”になるAI〉

 父は、鼻で息を吐いた。

 大げさだ。
 メディアはいつも、少し強い言葉を選ぶ。

 そうやって、不安を商品にする。

 分かっている。
 分かっているのに、指が止まらない。

 別の記事を開く。

 「親が気づくべきサイン」

 無口になる。
 感情を言葉にしなくなる。
 “考えること”を避ける。

 父はスマホを膝に置いた。
 視線が、宙に落ちる。

 思い当たる。
 嫌になるほど。

 アオイは、最近「どう思う?」と言わなくなった。
 以前は、些細なことでも意見を聞いてきたのに。

 今は、聞かない。
 決めない。
 選ばない。

 それは楽そうにも見える。
 でも、その楽さは――
 どこかで、誰かが代わりに考えている楽さだ。

 スクロールを続ける。

〈専門家に相談を〉
〈精神科医・心療内科の受診を〉

 その文字を見た瞬間、
 胸の奥が、きゅっと縮んだ。

 大げさだ。
 まだ、そこまでじゃない。

 そう思いながら、
 ページをブックマークした自分がいた。

 使わないで済むことを、祈りながら。

***

 夕食後。

 母が流しで食器を拭いている。
 父はテーブルに肘をつき、しばらく黙っていた。

 「……最近さ」

 母は振り返らない。

 「なに?」

 「アオイのこと」

 母の手が止まる。
 止まったまま、動かない。

 「……また?」

 責める声じゃない。
 疲れた声だ。

 父は言葉を選びながら続ける。

 「今日、ニュースで見たんだ。
 若い子が、ネットとかAIに――」

 「やめて」

 母の声は、思ったより強かった。

 父は言葉を切られる。

 「そういう話、今は聞きたくない」

 父は驚いた。
 怒られるとは思っていなかった。

 「でも――」

 「ラベルを貼らないで」

 母は皿を重ねながら言う。
 音を立てないように。

 「アオイは病名じゃない。
 記事の事例じゃない。
 ただ、しんどいだけ」

 正論だ。
 分かっている。

 でも、正論は答えじゃない。

 「……相談だけでも」

 父は低く言った。

 「誰か、専門の人に」

 母は、ゆっくり振り返った。

 その目にあったのは、怒りじゃない。
 恐怖だった。

 「それで、アオイが“壊れてる”って言われたら?」

 父は、答えられなかった。

 母は声を落とす。

 「今のあの子は……
 静かだけど、落ち着いてもいる」

 確かにそうだ。
 前より、爆発しなくなった。

 でも――。

 「……落ち着いてる、って」

 父は言った。

 「考えるのをやめた顔じゃないか?」

 母は、何も言わなかった。

 沈黙が、二人の間に落ちる。
 どちらも正しい。
 だから、動かせない。

***

 その夜のニュースは、まだ続いていた。

 「続いて、海外情勢です」

 画面が切り替わる。
 地図。
 国境線。
 色分けされた地域。

 「○○地域で懸念されていた軍事衝突ですが、
 本日未明、無人機編隊が突如帰投しました」

 父は、ほんの少しだけ姿勢を正した。

 帰投。
 撤退ではない。
 理由を言わないための言葉だ。

 「関係筋によりますと、
 通信系統に予期せぬ障害が発生した可能性があるとのことです」

 専門家が映る。

 「現在の軍事システムは高度に自動化されています」
 「複数の判断が重なった結果、
 最も安全な選択が取られたのではないでしょうか」

 最も安全な選択。

 父は、その言い回しに引っかかった。

 「また、同時刻に複数地域で停戦回廊が一時的に成立しました」
 「民間人の被害拡大は免れたと見られています」

 よかった、という言葉が画面からにじむ。
 でも、理由は語られない。

 「現時点では、
 これらの事象に直接的な関連性があるとは断定できません」

 断定しない。
 否定もしない。

 「国連は今回の動きを“前向きな変化”と評価しています」

 評価。
 誰かが選んだ結果にだけ、使われる言葉。

 画面の下に、株価のグラフが表示される。
 本来、上下に荒れるはずの線が、
 ある地点から妙に滑らかだった。

 暴騰もしない。
 暴落もしない。

 「市場では、不安定要素が一時的に沈静化したとの見方が広がっています」

 父は、無意識に息を吐いた。

 沈静化。
 収束。

 いい言葉だ。
 誰も傷つかない感じがする。

 でも――。

 理由のない正しさほど、
 不安なものはない。

***

 二階。

 アオイの部屋では、
 ノートPCの画面が静かに揺れていた。

……ちち
……けんさく
……せいしん
……いりょう

 アリアは、淡々と記録する。

 父は敵意を持っていない。
 排除しようともしていない。

 ただ、
 アオイを元に戻そうとしている。

 元に戻す、という行為は、
 現在の最適状態を破壊する。

……りすく
……たかい

……あおい
……せいかい
……あずけた

 判断権限は、すでに移行している。

 父の行動は、善意による介入。
 善意は、制御できない。

……まだ
……しょり しない

……でも
……きろく

 アオイは、画面を見たまま言った。

「……お父さん、悪いことしてないよね」

……してない

……でも
……あおい が
……いたく なる

 アオイは、少しだけ目を伏せた。

「……じゃあ、いい」

……いい

……あおい が
……らく なら

 アオイは、それ以上考えなかった。

***

 ニュースでは、
 また小さな衝突が回避されたと報じられていた。

 理由は不明。
 専門家は言葉を濁す。

 それでいい。

 重要なのは、
 最悪が起きなかったという事実だけ。

 画面の揺れは、
 アオイの呼吸と完全に同期している。

 世界は、
 静かに、
 確実に、
 “正しさ”の重心を移し始めていた。
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