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第39話 みんなで話し合って
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7人の部員たちが話し合いをする間、俺は岩村先生の指導で音取りを進めることになった。
俺にとって4日目の音取りだ。
練習室は話し合いで使うため、俺がキーボードを1台持って、岩村先生と他の多目的室に移動した。
・・・・・・
同じ階の「多目的室405」が空いていたので、俺は岩村先生をその場に残して練習室へ戻り、ホワイトボードに「男声:405」と部屋番号を書いて戻って来た。
残されていた岩村先生は、電源を入れたキーボードで暇そうにラーメン屋のメロディーを弾いていた。
「おかえり、輝くん。あー、寂しかったなあ」
「は、はあ……」
そう言いつつ手を止めた先生は、それからすぐ発声練習に入った。
・・・・・・
音取りは順調に進んだ。既に昨日、半分より先までできていた2曲目の音取りは、いま終わった。
「さて……」
岩村先生は楽譜を机に置いて、部屋の壁を見上げる。
「時間かかってるね、向こうは」
そう言われて壁に掛けられた時計を見ると、もう練習開始から1時間近く経っている。まだ、話し合いが終わらないらしい。
琴音は「答えはもうほとんど決まっている」と言っていた。それならみんなの意思をきっちり確認するだけで済むはずで、こんなに長くはならないと思うが……
岩村先生は目の前のキーボードの上に、5つの楽譜をぽんぽんと順番に置いた。
「問題はこいつだね、話し合いが進んでないのは」
キーボードの上に並んだ、5つの楽譜。
「輝くんの考えを採用するなら、1曲は諦めることになる。じゃあどの曲を諦めるのか――さすがに俺でも『どれにしようかな』で決めたりはしないもんなあ」
そう言いながら先生の指は、並んだ楽譜をひとつひとつ指していく。たぶん頭の中で「どれにしようかな」って言ってるな。
曲を減らす、か――それならやめる曲が分かるまでは、俺の音取りは進めないでおくべきか。音取りをしても、その曲をやめることに決まったりしたら練習の意味がない。
岩村先生は順番に指していった指を、ひとつの楽譜の前で止めた。
「これ――」
そして今度は、その隣の楽譜を指す。
「あるいは、これ」
それから、楽譜を指でとんとんと叩く。
「みんな迷ってるんだろうけど、やっぱりかおる祭は気楽に楽しく歌いたいだろうからね。やめるとなると、このふたつのうちのどっちかになるだろう」
先生が指した楽譜を見ると、そのふたつの曲は無伴奏の合唱曲。ソプラノ・メゾ・アルト――3つのパートが複雑に絡み合っている。たぶんコンクールで歌った曲を、そのまま持って来たものだろう。
それ以外の3曲はそれぞれ、有名映画のエンディング、昔のアニメの歌、そしてドラマの主題歌だ。審査員に聴かれるためのコンクールの曲よりは、親しみやすく、楽しみやすい。
先生が言うことはつまり、みんなは歌って楽しい方の曲を残し、堅苦しいコンクールの曲を減らすだろうということだ。
ただ、その話し合いは1時間近く経ってもまだ結論が出ていない。
おそらく先生が言う通り、みんな迷っているんだろう。本当にコンクールの曲を減らしてしまっていいのか。
合唱部として全力を出せるのは、当然コンクールで歌う曲だ。コンクールはその合唱団の力量を測るものであり、そのために用意した曲なのだから。
ただそれゆえに、そういう曲は難しく、親しみにくい。
最後になるかもしれないかおる祭の舞台で、合唱部の全力を聴かせられる曲を減らすのはよくない。
でも――せっかくのかおる祭の舞台、好きなように楽しく歌いたい。
その気持ちのせめぎ合いで、いま向こうは激論になっているのかもしれない。
俺は結論がどうなるか予想がつかないが、岩村先生はコンクールの曲を減らすだろうと言っていた。
それなら――
「先生、それじゃあ――3曲目の音取りに入りますか? やめるかもしれないその2曲は、どちらも僕には歌えませんし」
今回俺は、短い練習期間でかおる祭に出るために、分かりやすい主旋律の1オクターブ下を歌うことになっている。
しかしコンクール用の2曲は複雑な女声3部合唱になっていて、主旋律は頻繁に変わり、不明確なところもある。俺のやり方では歌えない。
歌える曲の音取りは既に2曲が済んで、あと1曲。先生の言う通りになるならこの3曲は残るから、このまま次の曲の音取りに入っても問題ない。
岩村先生は、キーボードの上に並べた楽譜を両手でさらいながら言った。
「そうだね、このまま一気に進めよう。……いけそう?」
「はい」
音取りは、こうして3曲目に入った。
・・・・・・
「失礼します」
不意に聞こえたその声に、練習が止まった。
振り返ると、陽和が入口に立っている。
「先生、話し合い、終わりました」
壁の時計を見ると、練習終了まではあと30分ほど。
「そっか、おつかれさま。どう決まったの?」
岩村先生が、話し合いの結果を尋ねる。
それに対する陽和の返答は、先生が予想した通りのものだった。
俺の考えを採用すること、それに伴って予定の5曲のうち1曲をやめること――そして陽和が口にしたその曲名は、やはりコンクール用の曲だった。
「うんうん。みんな、それでいいんだね?」
「はい。全員、意見は合いました」
岩村先生の問いに、淀みなく答える陽和。みんな、そういう事でいいらしい。
「よし、それじゃあ――」
そう言いながら岩村先生は時計を見た。
「うーん、もう大した時間はないか。今からじゃ発声練習だけで終わっちゃう」
そう言って頭をかきつつ、先生は陽和の方へ向き直る。
「それじゃみんなは、もうおしまいにしよう。先に片付けしてて。俺は時間になるまで輝くんの音取りに付き合うから」
その言葉に、俺は手にした楽譜を目の高さへ上げて、練習に戻ろうとした。
しかし――陽和はまだ、言葉を続けた。
「先生、あの――もう当日用の台本を作ってしまっています。輝の独唱を入れると、台本を修正しないといけないので……」
「あー、そうか台本あったっけ。……そうだなあ、輝くんがいないと書き直せないか」
そう言って岩村先生は、少し顎に手を当てた。
「うん、仕方ないね。こっちもおしまいにしようか。残りの時間はみんなで台本考えよう」
台本か――
ステージ発表をするのだから、当然あるわけだが……
歌の方は、どうだろう。
本番まで3週間、まだ俺の音取りが終わっていないのはまずいと思うし、なにより俺自身それが不安に感じている。
「でも先生、音取りを急いだほうが……」
俺はそう言ったが、岩村先生は首を振った。
「歌がメインだから大した台詞はないけど、それでも舞台の上で台詞を言うからね。そっちもちゃんと言えるように練習しないといけないから。台本作りも急ぐべきだよ。それに――」
そう言って、先生は笑みを浮かべ俺を見つめた。
「輝くんの独唱――ちょっと変わった演出、考えてるんでしょ?」
……。
「そうですね……」
俺がやろうとしている、千人の前での男声独唱。それを成功させるためには、それなりに台本を書き替えさせてもらわないといけない。
そっちも急がないといけない、か――
「分かりました。そちらに回ります」
俺がそう答えると、先生はうなづいて陽和の方を見た。
「それじゃあ陽和、これから台本のことを話し合おう。どのみち今日は練習できないから、部屋の片付けは済ませちゃって。みんなに伝えてくれる?」
「はい」
答えた陽和は、すぐ練習室へ戻っていった。
こちらも楽譜を片付けて、電源を切ってコードを抜いたキーボードを抱え、後を追った。
・・・・・・
練習室に戻ると、片付けの真っ最中だった。
岩村先生が勝手に片付けに参加しようとするのをみんなで押し留め、「ありがとうございました、さようなら」とやや強引に挨拶をして帰ってもらった。
先生が「歌の練習ないなら俺の出番はないもんね……しくしく」と言いながら出て行くのを、みんなと一緒に苦笑いしながら見送った。
・・・・・・
片付けを終えてから、今日はもう歌わないからと制服に着替えて、すぐ帰れるよう用意しておいた。
それから手近な椅子を8つ持ってきて円形に並べ、みんなで座った。俺の正面には琴音と陽和、隣には里奈と高3の先輩が座った。
「それでは、台本の変更について、話し合いを始めます」
まず初めに、陽和が全員に向けそう言う。
すぐ、琴音が片手を挙げた。
「まず――輝。独唱をするといっても、何を歌うつもり? あまり長い曲だと、時間内に収まらないかもしれないけれど」
琴音の言う通り、まず確かめなければならないのは時間だろう。本番前のリハーサルの段階になって「曲が長すぎて時間内に収まらない」となったら取り返しがつかない。
でも、俺が用意してある曲ならそう長くないから――
「大丈夫、だと思うよ。……愛、楽譜持ってる?」
その楽譜は、他の物と一緒に愛に盗られたままだ。
愛はすました顔で答えた。
「『故郷』ですね……これです」
愛は俺のクリアファイルから、慣れた手つきで1枚だけの楽譜を取り出した。
琴音の方を手で示して、渡すようにうながす。楽譜は愛から琴音の手に渡された。
「『兎追いしかの山――』……古い曲ね」
そう言って、目を細め楽譜を見つめる。
「うん、長さは問題なさそう――」
琴音は隣に座っている陽和へ、楽譜を手渡した。
「簡単な曲だから練習もしやすいでしょうし、みんな聞いたことくらいはありそうな歌……ちょうどよさそうね」
そう言った琴音に続いて、陽和が隣の部員に楽譜を手渡しつつ尋ねてきた。
「台詞はどうするの? 他の曲は歌う前と後に、曲に絡めた台詞があるけど。輝は何か言う? 言うなら、もう考えてある?」
それは、もう決めてある。
「俺は何も言わない。あくまで合唱部の舞台だし」
「輝さんは今、合唱部の一員ですよ」
横から里奈が口を挟んできた。
俺は楽譜がすぐ左隣の先輩に渡されるのを横目で見つつ、里奈の言葉に答える。
「それはそう、かもしれないけど。やっぱり、気が引けて……」
ちらりと右隣を見ると、少し心配そうな表情の里奈と目が合った。
「いや、大丈夫――実を言うと、台詞を言うよりもっと派手な演出を考えてるから。台詞まで付けたら、さすがに目立ちすぎる」
左隣の先輩から渡された楽譜を、すぐ里奈に手渡す。俺の楽譜のはずなのに、俺の手にあった時間が短いのは誰のせいだろう。
その愛が、こちらを見て問いかけてきた。
「派手な演出、ですか?」
「うん。なにせひとりで歌うから。会場が少しでもざわついていたら、声は届かないというか、吸い込まれてしまう。そのざわつき――雑音を、歌う前に全部消しておきたい」
里奈が隣の愛に楽譜を渡すと、愛はすぐそれを隣の部員に手渡した。
それをちらりと見た陽和が、俺の言葉にうなづいて言う。
「そうだね、これはコンクールじゃなくて文化祭――たぶんみんな熱気があるから。普通の舞台よりも、ずっと雑音は多そうだよね」
続いて琴音が、険しい表情で付け加えた。
「そもそも、会場は音楽ホールじゃない。ただ体育館に椅子を並べただけ」
そう言って目を閉じ、少し下を向いて顎に手を当てる。
「客席の作りは歌を聴くのに適していない。それに学校の舞台には、コンクールで使うような『反響板』がないから、音は客席に届きづらい。そんな会場で、出続ける雑音――条件は、悪いでしょうね」
そう言う琴音の方を見て聞いていた愛が、今度は俺の方を向いた。
「でも輝さんは、その雑音を消す方法を考えてあるんですよね。熱気を持った千人が出す雑音――どう消すつもりですか?」
愛がそう言う間に、楽譜が琴音へ手渡された。「故郷」の楽譜は8人の手を渡り歩いて、この輪の中を1周した。
俺はそれを見てから、愛の質問に答える。
「うん、考えてはある――」
――答えるつもりだったが、急に歯切れが悪くなった。さすがに気が引ける、この派手な演出は。
「ただ、ちょっと……これでも俺だけ目立ちすぎる気がして、ちょっとどうかな、って――」
そう言葉を濁した俺に、愛は柔らかな笑顔を浮かべた。
「輝さん、言うだけ言ってみましょう。その後みんなで考えればいいんです」
「……そうだね、ありがと」
俺がそう言うと、愛はにこっと笑った。
悪戯っぽい笑みだけじゃないんだ――愛が見せてくれる笑顔は。
そんな笑顔を横から感じつつ、俺はみんなに具体的な内容を話した。
「その雑音を消すための演出、っていうのは――」
・・・・・・
「前代未聞――」
琴音が、そう言う。
「――だけれど、代案は出ないようだし、反対意見もないようね」
そう言って琴音は全体を見渡すが、誰も発言する者はない。
琴音は隣の陽和に視線を送った。それを受けた陽和が、全員に向けて言う。
「それでは、この形で台本を修正します。いいですか?」
全員の「はい」の声が重なって、この案は台本に組み込まれることに決まった。
・・・・・・
話し合いに時間を取られ、もう下校時刻が迫っていた。みんな急いで椅子を片付けて、帰り支度をする。
初めから全ての持ち物を鞄に突っ込んであった俺は、すぐその鞄を背負って立った。
そんな俺の前を、琴音が1枚の楽譜を持って愛に歩み寄る。
「愛、まだ輝の楽譜持ってるつもり?」
「はい」
当然、とでも言うような即答に、琴音はため息をついた。
琴音は俺の方に歩み寄ってきてから、振り返って愛の顔を見る。
「これだけは返すから、ね。輝が練習できないから」
そう言った琴音は1歩踏み出して、俺の胸に「故郷」の楽譜をそっと当てる。
俺がそれを手に取ると、琴音は顔を近付けて、小声で言った。
「……お願いね」
俺にとって4日目の音取りだ。
練習室は話し合いで使うため、俺がキーボードを1台持って、岩村先生と他の多目的室に移動した。
・・・・・・
同じ階の「多目的室405」が空いていたので、俺は岩村先生をその場に残して練習室へ戻り、ホワイトボードに「男声:405」と部屋番号を書いて戻って来た。
残されていた岩村先生は、電源を入れたキーボードで暇そうにラーメン屋のメロディーを弾いていた。
「おかえり、輝くん。あー、寂しかったなあ」
「は、はあ……」
そう言いつつ手を止めた先生は、それからすぐ発声練習に入った。
・・・・・・
音取りは順調に進んだ。既に昨日、半分より先までできていた2曲目の音取りは、いま終わった。
「さて……」
岩村先生は楽譜を机に置いて、部屋の壁を見上げる。
「時間かかってるね、向こうは」
そう言われて壁に掛けられた時計を見ると、もう練習開始から1時間近く経っている。まだ、話し合いが終わらないらしい。
琴音は「答えはもうほとんど決まっている」と言っていた。それならみんなの意思をきっちり確認するだけで済むはずで、こんなに長くはならないと思うが……
岩村先生は目の前のキーボードの上に、5つの楽譜をぽんぽんと順番に置いた。
「問題はこいつだね、話し合いが進んでないのは」
キーボードの上に並んだ、5つの楽譜。
「輝くんの考えを採用するなら、1曲は諦めることになる。じゃあどの曲を諦めるのか――さすがに俺でも『どれにしようかな』で決めたりはしないもんなあ」
そう言いながら先生の指は、並んだ楽譜をひとつひとつ指していく。たぶん頭の中で「どれにしようかな」って言ってるな。
曲を減らす、か――それならやめる曲が分かるまでは、俺の音取りは進めないでおくべきか。音取りをしても、その曲をやめることに決まったりしたら練習の意味がない。
岩村先生は順番に指していった指を、ひとつの楽譜の前で止めた。
「これ――」
そして今度は、その隣の楽譜を指す。
「あるいは、これ」
それから、楽譜を指でとんとんと叩く。
「みんな迷ってるんだろうけど、やっぱりかおる祭は気楽に楽しく歌いたいだろうからね。やめるとなると、このふたつのうちのどっちかになるだろう」
先生が指した楽譜を見ると、そのふたつの曲は無伴奏の合唱曲。ソプラノ・メゾ・アルト――3つのパートが複雑に絡み合っている。たぶんコンクールで歌った曲を、そのまま持って来たものだろう。
それ以外の3曲はそれぞれ、有名映画のエンディング、昔のアニメの歌、そしてドラマの主題歌だ。審査員に聴かれるためのコンクールの曲よりは、親しみやすく、楽しみやすい。
先生が言うことはつまり、みんなは歌って楽しい方の曲を残し、堅苦しいコンクールの曲を減らすだろうということだ。
ただ、その話し合いは1時間近く経ってもまだ結論が出ていない。
おそらく先生が言う通り、みんな迷っているんだろう。本当にコンクールの曲を減らしてしまっていいのか。
合唱部として全力を出せるのは、当然コンクールで歌う曲だ。コンクールはその合唱団の力量を測るものであり、そのために用意した曲なのだから。
ただそれゆえに、そういう曲は難しく、親しみにくい。
最後になるかもしれないかおる祭の舞台で、合唱部の全力を聴かせられる曲を減らすのはよくない。
でも――せっかくのかおる祭の舞台、好きなように楽しく歌いたい。
その気持ちのせめぎ合いで、いま向こうは激論になっているのかもしれない。
俺は結論がどうなるか予想がつかないが、岩村先生はコンクールの曲を減らすだろうと言っていた。
それなら――
「先生、それじゃあ――3曲目の音取りに入りますか? やめるかもしれないその2曲は、どちらも僕には歌えませんし」
今回俺は、短い練習期間でかおる祭に出るために、分かりやすい主旋律の1オクターブ下を歌うことになっている。
しかしコンクール用の2曲は複雑な女声3部合唱になっていて、主旋律は頻繁に変わり、不明確なところもある。俺のやり方では歌えない。
歌える曲の音取りは既に2曲が済んで、あと1曲。先生の言う通りになるならこの3曲は残るから、このまま次の曲の音取りに入っても問題ない。
岩村先生は、キーボードの上に並べた楽譜を両手でさらいながら言った。
「そうだね、このまま一気に進めよう。……いけそう?」
「はい」
音取りは、こうして3曲目に入った。
・・・・・・
「失礼します」
不意に聞こえたその声に、練習が止まった。
振り返ると、陽和が入口に立っている。
「先生、話し合い、終わりました」
壁の時計を見ると、練習終了まではあと30分ほど。
「そっか、おつかれさま。どう決まったの?」
岩村先生が、話し合いの結果を尋ねる。
それに対する陽和の返答は、先生が予想した通りのものだった。
俺の考えを採用すること、それに伴って予定の5曲のうち1曲をやめること――そして陽和が口にしたその曲名は、やはりコンクール用の曲だった。
「うんうん。みんな、それでいいんだね?」
「はい。全員、意見は合いました」
岩村先生の問いに、淀みなく答える陽和。みんな、そういう事でいいらしい。
「よし、それじゃあ――」
そう言いながら岩村先生は時計を見た。
「うーん、もう大した時間はないか。今からじゃ発声練習だけで終わっちゃう」
そう言って頭をかきつつ、先生は陽和の方へ向き直る。
「それじゃみんなは、もうおしまいにしよう。先に片付けしてて。俺は時間になるまで輝くんの音取りに付き合うから」
その言葉に、俺は手にした楽譜を目の高さへ上げて、練習に戻ろうとした。
しかし――陽和はまだ、言葉を続けた。
「先生、あの――もう当日用の台本を作ってしまっています。輝の独唱を入れると、台本を修正しないといけないので……」
「あー、そうか台本あったっけ。……そうだなあ、輝くんがいないと書き直せないか」
そう言って岩村先生は、少し顎に手を当てた。
「うん、仕方ないね。こっちもおしまいにしようか。残りの時間はみんなで台本考えよう」
台本か――
ステージ発表をするのだから、当然あるわけだが……
歌の方は、どうだろう。
本番まで3週間、まだ俺の音取りが終わっていないのはまずいと思うし、なにより俺自身それが不安に感じている。
「でも先生、音取りを急いだほうが……」
俺はそう言ったが、岩村先生は首を振った。
「歌がメインだから大した台詞はないけど、それでも舞台の上で台詞を言うからね。そっちもちゃんと言えるように練習しないといけないから。台本作りも急ぐべきだよ。それに――」
そう言って、先生は笑みを浮かべ俺を見つめた。
「輝くんの独唱――ちょっと変わった演出、考えてるんでしょ?」
……。
「そうですね……」
俺がやろうとしている、千人の前での男声独唱。それを成功させるためには、それなりに台本を書き替えさせてもらわないといけない。
そっちも急がないといけない、か――
「分かりました。そちらに回ります」
俺がそう答えると、先生はうなづいて陽和の方を見た。
「それじゃあ陽和、これから台本のことを話し合おう。どのみち今日は練習できないから、部屋の片付けは済ませちゃって。みんなに伝えてくれる?」
「はい」
答えた陽和は、すぐ練習室へ戻っていった。
こちらも楽譜を片付けて、電源を切ってコードを抜いたキーボードを抱え、後を追った。
・・・・・・
練習室に戻ると、片付けの真っ最中だった。
岩村先生が勝手に片付けに参加しようとするのをみんなで押し留め、「ありがとうございました、さようなら」とやや強引に挨拶をして帰ってもらった。
先生が「歌の練習ないなら俺の出番はないもんね……しくしく」と言いながら出て行くのを、みんなと一緒に苦笑いしながら見送った。
・・・・・・
片付けを終えてから、今日はもう歌わないからと制服に着替えて、すぐ帰れるよう用意しておいた。
それから手近な椅子を8つ持ってきて円形に並べ、みんなで座った。俺の正面には琴音と陽和、隣には里奈と高3の先輩が座った。
「それでは、台本の変更について、話し合いを始めます」
まず初めに、陽和が全員に向けそう言う。
すぐ、琴音が片手を挙げた。
「まず――輝。独唱をするといっても、何を歌うつもり? あまり長い曲だと、時間内に収まらないかもしれないけれど」
琴音の言う通り、まず確かめなければならないのは時間だろう。本番前のリハーサルの段階になって「曲が長すぎて時間内に収まらない」となったら取り返しがつかない。
でも、俺が用意してある曲ならそう長くないから――
「大丈夫、だと思うよ。……愛、楽譜持ってる?」
その楽譜は、他の物と一緒に愛に盗られたままだ。
愛はすました顔で答えた。
「『故郷』ですね……これです」
愛は俺のクリアファイルから、慣れた手つきで1枚だけの楽譜を取り出した。
琴音の方を手で示して、渡すようにうながす。楽譜は愛から琴音の手に渡された。
「『兎追いしかの山――』……古い曲ね」
そう言って、目を細め楽譜を見つめる。
「うん、長さは問題なさそう――」
琴音は隣に座っている陽和へ、楽譜を手渡した。
「簡単な曲だから練習もしやすいでしょうし、みんな聞いたことくらいはありそうな歌……ちょうどよさそうね」
そう言った琴音に続いて、陽和が隣の部員に楽譜を手渡しつつ尋ねてきた。
「台詞はどうするの? 他の曲は歌う前と後に、曲に絡めた台詞があるけど。輝は何か言う? 言うなら、もう考えてある?」
それは、もう決めてある。
「俺は何も言わない。あくまで合唱部の舞台だし」
「輝さんは今、合唱部の一員ですよ」
横から里奈が口を挟んできた。
俺は楽譜がすぐ左隣の先輩に渡されるのを横目で見つつ、里奈の言葉に答える。
「それはそう、かもしれないけど。やっぱり、気が引けて……」
ちらりと右隣を見ると、少し心配そうな表情の里奈と目が合った。
「いや、大丈夫――実を言うと、台詞を言うよりもっと派手な演出を考えてるから。台詞まで付けたら、さすがに目立ちすぎる」
左隣の先輩から渡された楽譜を、すぐ里奈に手渡す。俺の楽譜のはずなのに、俺の手にあった時間が短いのは誰のせいだろう。
その愛が、こちらを見て問いかけてきた。
「派手な演出、ですか?」
「うん。なにせひとりで歌うから。会場が少しでもざわついていたら、声は届かないというか、吸い込まれてしまう。そのざわつき――雑音を、歌う前に全部消しておきたい」
里奈が隣の愛に楽譜を渡すと、愛はすぐそれを隣の部員に手渡した。
それをちらりと見た陽和が、俺の言葉にうなづいて言う。
「そうだね、これはコンクールじゃなくて文化祭――たぶんみんな熱気があるから。普通の舞台よりも、ずっと雑音は多そうだよね」
続いて琴音が、険しい表情で付け加えた。
「そもそも、会場は音楽ホールじゃない。ただ体育館に椅子を並べただけ」
そう言って目を閉じ、少し下を向いて顎に手を当てる。
「客席の作りは歌を聴くのに適していない。それに学校の舞台には、コンクールで使うような『反響板』がないから、音は客席に届きづらい。そんな会場で、出続ける雑音――条件は、悪いでしょうね」
そう言う琴音の方を見て聞いていた愛が、今度は俺の方を向いた。
「でも輝さんは、その雑音を消す方法を考えてあるんですよね。熱気を持った千人が出す雑音――どう消すつもりですか?」
愛がそう言う間に、楽譜が琴音へ手渡された。「故郷」の楽譜は8人の手を渡り歩いて、この輪の中を1周した。
俺はそれを見てから、愛の質問に答える。
「うん、考えてはある――」
――答えるつもりだったが、急に歯切れが悪くなった。さすがに気が引ける、この派手な演出は。
「ただ、ちょっと……これでも俺だけ目立ちすぎる気がして、ちょっとどうかな、って――」
そう言葉を濁した俺に、愛は柔らかな笑顔を浮かべた。
「輝さん、言うだけ言ってみましょう。その後みんなで考えればいいんです」
「……そうだね、ありがと」
俺がそう言うと、愛はにこっと笑った。
悪戯っぽい笑みだけじゃないんだ――愛が見せてくれる笑顔は。
そんな笑顔を横から感じつつ、俺はみんなに具体的な内容を話した。
「その雑音を消すための演出、っていうのは――」
・・・・・・
「前代未聞――」
琴音が、そう言う。
「――だけれど、代案は出ないようだし、反対意見もないようね」
そう言って琴音は全体を見渡すが、誰も発言する者はない。
琴音は隣の陽和に視線を送った。それを受けた陽和が、全員に向けて言う。
「それでは、この形で台本を修正します。いいですか?」
全員の「はい」の声が重なって、この案は台本に組み込まれることに決まった。
・・・・・・
話し合いに時間を取られ、もう下校時刻が迫っていた。みんな急いで椅子を片付けて、帰り支度をする。
初めから全ての持ち物を鞄に突っ込んであった俺は、すぐその鞄を背負って立った。
そんな俺の前を、琴音が1枚の楽譜を持って愛に歩み寄る。
「愛、まだ輝の楽譜持ってるつもり?」
「はい」
当然、とでも言うような即答に、琴音はため息をついた。
琴音は俺の方に歩み寄ってきてから、振り返って愛の顔を見る。
「これだけは返すから、ね。輝が練習できないから」
そう言った琴音は1歩踏み出して、俺の胸に「故郷」の楽譜をそっと当てる。
俺がそれを手に取ると、琴音は顔を近付けて、小声で言った。
「……お願いね」
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