Chorus! -終演の合唱部-

星川わたる

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第40話 似たもの同士

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 それから俺は、バスに乗ってまっすぐ家に帰った。

 今日は宿題の前に、やることがある。

・・・・・・

 すっかり暗くなった道を歩いて帰ってくると、家の前には白い軽自動車が止まっていた。
 これは父さんの通勤用の車。いつも帰りが遅いが、今日は俺より先に帰ってきたらしい。ちょっと珍しいことだ。

 父さんは同じ市内の学校で国語の教師をしている。だからよく、普段の会話の中に昔の物語や和歌、漢詩の1節を自然に混ぜてくる。物知りで、理知的な雰囲気が言葉の端々からにじみ出る。

 でも俺は知っている、今の愛読書は「転生先の異世界魔法は日本語詠唱最強でした」だ。
 父さんの今のトレンドは異世界転生もの。その前はゾンビものにはまっていた。

・・・・・・

 玄関を開けて「ただいまー」と言うと、台所の方から父さんがひょこっと顔を出した。

「おかえり、輝」

 落ち着いたやや低めの声。細めの四角い眼鏡をかけたその顔は、いつも少し微笑んでいるように見える。俺の父さん、海野うみのとおるだ。

 続いて台所の中から母さんの声がする。

「輝、おかえり。……あ、そうだ弁当箱、今出してきなさい。後から出されちゃ洗うの面倒だから」

 はい、今出します。

 ……それに父さんもいるなら、ちょうどいい。

 鞄から弁当箱を出して……それから、2枚の細長い水色の紙を取り出す。
 台所に入ると、右手に持っていた弁当箱を母さんががっちりつかんだ。

「はい、確保」

 弁当箱が取り上げられて、左手の細長い水色の紙だけが残る。
 それに目を止めたのは、父さんだった。

「輝、そっちの手に持ってるのはなに?」

 父さんがそう聞いてくれて、なんだか少し助けられた気がした。
 この紙、もらってはきたが、なんだか――特に母さんに渡すのは気が引けて、何と言い出せばいいか困っていた。

「えっと、これ――かおる祭のチケット。ふたり分、もらってきたから」

 少し歯切れ悪く言う俺に、父さんは目を細めて微笑む。

「へえ、招待してくれるんだ。ねえ律、見に行こうよ。輝の文化祭」

 そう父さんは言ったが――

「私はいいかな」

 母さんはあっさりと答えた。

「どうして? せっかく輝が持ってきてくれたんだし、ふたりで行こうよ」

 そう言う父さんに、母さんはガスコンロの上の鍋に向かい、背を向けたまま言った。

「だって今の学校、私の変な噂話流れてるんだもん。伝説だとかなんとか言って。それに――」

 一旦言葉を切ってから――

「もう学校なんて興味ないし」

 本当に興味なさそうに、そう言った。
 そんな母さんの背中に向かって、父さんは微笑みながら言う。

「母校じゃないか、律。また見に行けるいい機会ができたんだ、少し懐かしみに行ってもいいだろう?」

 優しげに語りかける父さんに、母さんはまだ背中を向けたまま答える。

「もう時代が違うもの。私にとっての『学校』はあの頃の澄香高校――もう20年も経っているんだから。まだあの頃の面影はあっても、もうあの頃の空気はないでしょ?」

 そう言って、向こうを向いたまま肩をすくめる。

「時間が経ってるんだから――『あの頃の空気』は、もうその『時間』が変えちゃったでしょ。20年前の生徒だった私にはもう、他校と変わらないよ」

 他校と変わらない――
 昔学校で散々伝説を残すような過ごし方をした本人が、そう言う。

 ……20年後の誠澄高校も、俺にとって、そうなるんだろうか。

 母さんはこちらを振り向いた。

「ほら、今の文化祭は今の生徒で楽しみなさい。卒業したらもう、今のその空気はなくなっちゃうんだから。後からまた懐かしめるなんて思ってたら、後悔するよ」

「……うん」

 手に持った水色のチケットは、受け取られなかった。

・・・・・・

 それから3人での夕食を終えて、部屋に戻ろうと階段を上りかけた時だった。

「輝――」

 階下から父さんの声がして、振り返っる。
 俺を見上げて立っていた父さんは片手に持った車の鍵を、俺に振ってみせた。

「時間があったら、ちょっと付き合ってくれないかな」

 ――? 今から車でどこかへ?

 時間か。宿題があるけど……まあ、いいや。後でなんとかなる。
 それに現役教師の父さんのことだから、その辺は考えてくれているだろう。

「いいよ、行く」

 そう言って俺は、上りかけていた階段を下りた。
 父さんは笑顔を俺に返してから、台所に向け声をかけた。

「律、ちょっと出かけてくるよ。すぐ戻るから」

「ちょっとだけにしなさいね。行ってらっしゃい」

・・・・・・

 父さんの通勤用の車にふたりで乗り込む。俺を助手席に乗せた父さんは車を出して、夜の住宅地を抜け幹線道路へと車を進めていった。

 それにしても、どうして今出かけるのだろう。それにどこへ?

「父さん、今からどこ行くの?」

 横から聞く俺に、父さんは事も無げに答えた。

「ちょっと先のドラッグストア。あそこ、宅配用ロッカーあるでしょ」

 ああ、あそこか。宅配の受け取り、ね。

 ……。

 うん――? 宅配?

「荷物取りに行くの?」
「うん、そう」

 さらりと答える父さんだが、ちょっと――怪しい。

「……どうして宅配用ロッカー? 家宛てじゃなくて」

 いぶかしみつつ、聞いてみる。家宛てにしておけば、母さんが家にいたら受け取ってくれるはずなのに。

「うん、まあ……まあね」

 急に歯切れが悪くなった父さん。
 そうか、また――

「……母さんに言えないもの、通販で買ったね? 今度はなに?」

 ――いつものパターンだ。

 優しそうな顔で、実際優しくてしっかりしている父さんだが、時々こういう事をする。突然高い本やら何やらを買ってきて、後で母さんに怒られている。

 その父さんは、なんだか言い訳がましく言った。

「いや、ちゃんとした本だよ。それはもう立派な本さ」

 ああ、本か。レア度でいえばノーマルだな。割とよくある。

「いやいや、ほんとにちゃんとした本だって。とっても立派な本なんだ」

 父さんは、何も聞いていないのに勝手に言い訳している。
 ……でも、それほど言うなら聞いてみたい。それは一体――

「――何の本?」
「でっかい辞書」

 父さんは当然とばかりに即答した。
 でっかい辞書って、なんだ? いわゆる『鈍器』ってやつ? でかいの?

「どれくらいの大きさ?」
「ふふふ、聞いて驚け――」

 そう言われると驚きたくなくなるな。よし、意地でも驚かないようにしよう。

「全13巻、20万円!」
「はあ――?」

 思わず声が出てしまった。
 それから父さんは得意げにしゃべりだす。

「日本最大の国語辞典だよ! 市の中央図書館にはあるんだけどね、休みの日にいちいち行くの面倒でさ。ちょっとずつお金貯めて、ついに買ったんだ」

 だいぶ嬉しそうだ。
 でも、国語辞典って――

「13巻って、どういうこと?」

「1巻には収まらない分量だからね、ひとつの国語辞典が13巻に分かれているんだ。だいたい大学図書館にしかないようなものだよ。ああ、それがついに俺だけの物に――」

 珍しくテンションが高い父さん。
 でも、大丈夫なんだろうか。

「20万って、高すぎない?」
「まあこういうものは、それくらいの値段だよ」

 あっさりとそう言った。
 まあ父さんが言うなら、そうなんだろう。ただ、それでも――

「……さすがにそれ、母さんに黙って買うのはまずくない?」

 一番の問題点はそこだと思うが――

「俺の小遣いからひねり出したんだ、家計に影響はない!」

 びしっとそう断言された。

 しかし――

「でもなんか、バレたら怒られそうな気がするんだよなあ……」

 情けない声でそう言う父さん。やっぱり問題あるんじゃないか。

「でも――」

 そう言って父さんは、引き締まった声で滑らかに言った。

「こいつは学校の図書室や、その辺の図書館には置いてない。こんな辞書、一生触らずに終わる人の方が多いと思うよ。だから輝も見たい時は言って。単語ひとつ引くだけでも、ひとつ経験にはなるはずだろうから」

 国語の先生がそう言うなら、まあ。

「分かった。後で俺も見てみる」

 で、こうして俺を連れてきた理由は――

「それで俺に、その20万円の共犯者になれ、っていうこと?」

 そう聞いたら、父さんは笑った。

「まさか。そんな事はしないよ」

 そうか、よかった。

「それより――」

 父さんは笑うのをやめて――

「今日輝が持ってきてくれた文化祭のチケット、あれが欲しくてね。後で1枚ちょうだい――って、言いたかっただけさ」

 そう、言った。

「後でこっそり持ってきて。それからステージ発表の時間、分かったら教えてね」

 ……チケットを1枚だけ、か。

 母さんはあんな態度だった。かおる祭には来ないだろう。すると欲しいのは、父さんの分か?
 でも、それだと……

「母さん置いて、ひとりで来るの? 後でもめない?」

 俺がそう言うと、父さんは軽く笑った。

「俺はこれでも、教師だからね。いっつもいろんな生徒を見てるわけだ。その目線で見るとね、律もまだ子供っぽいところあるんだよ」

 なんだか愛しげに、そう言う。

「さっきはあんな態度とってたけど、当日になったら行くと思うよ。輝の文化祭」

 ……そう、だろうか。
 もし仮に、そうなるとしても――

「でも母さん、チケット受け取らなかった」

 そう、母さんはチケットを持たずに来ることになる。
 かおる祭の一般公開日は友人用か家族用のチケットを持つ人しか入れないと聞いている。父さんだけチケットを持っていても――

 そう思ったが、父さんは事も無げに答えた。

「澄香……いや、誠澄高校の文化祭って、卒業生は名簿で確認取れたらチケットなしでも入れない? うちの学校はそうだけど」

 ……それは、確認してない。

「たぶん入れるよ。それが分かってるから、律はチケットを受け取らなかったんだろう」

 え……
 どうして? 別にチケットで入っても問題ないだろう。なぜチケットを使おうとしない?

 そう思っていた俺に、父さんは言った。

「もしチケットを受け取ったのに行かなかったら、少なくとも輝はがっかりするだろう?」

 ……少しがっかりするだけだ。

 父さんは言葉を続ける。

「だから律はチケットは突っ返しておいて、行くかどうするか、考えるのを後に回したんだ。……子供っぽいっていうの、そういうとこ」

 そう言ってから、父さんはため息をついた。

「でもひどいよなあ。俺のチケットまで突っ返すなんて。俺はチケットがないと入れないのに……俺、ひとりで留守番?」

 父さんはまた情けない声で言う。
 大丈夫、父さんの分は後でちゃんと持っていくから。

「輝、文化祭、楽しみにしてるよ。輝も思いっきり楽しんで」
「……うん」

 ふたりとも、見に来てくれるのかな。

「そうそう。ここでの話は内密にね。律の話と……『20万円』」

 急に話を戻す父さん。どうして20万円を強調するんだ。
 ……まあ、優しい父さんに不利なことをするつもりは、元からない。

「うん、秘密にする。どっちも」

 俺はそう言った。

 ……。

 あれ……?

 ちょっとまてよ。

「あの、父さん」
「うん?」

 普通に運転してるけど……

「ドラッグストア、もう通り過ぎた」
「あ――」

 後から父さんに聞いたが、俺と話している間に本来の目的地を忘れた父さんは、いつもの通勤ルートをそのまま走っていたそうだ。

・・・・・・

 急いでドラッグストアに戻ると、父さんは宅配用ロッカーから段ボール箱を重そうに、そしてなんだか幸せそうに運び出し、車に積んだ。

 それから今度はちゃんとまっすぐ家に帰り、車を止めた。

「荷物はバレないように後から降ろす。手ぶらで家に入るんだ」

 なぜだかキリッとした表情で言う父さん。
 言われた通り手ぶらで、ふたりそろって玄関へ入る。

「ただいま」

「おかえり」

 俺と父さんと母さんと――3人の声が、短く交わされた。

・・・・・・

 部屋で宿題に手を付けて、しばらくして。

「だからどうしてそんな高いものをコソコソと買うの!」

 階下から、母さんの声がする。
 今日もしくじったな、父さん。

「堂々と買えばいいでしょ、自分のお金なんだから!」

 そう叱りつけている母さん。

「そういう所、学生の頃から進歩がないの!」

 学生の頃から……

 ああ、似たもの同士か。
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