宇宙航路は遥かにて(β版)

星川わたる

文字の大きさ
25 / 38

第25話 なまえ

しおりを挟む
 ぼくは隣席の85Kに声をかける。

「85K、名前をモニターに表示して」

 彼女は不思議そうな表情をうかべた。

「なまえ? わたしの?」

 モニターに「85K-L1LY」と表示された。

「これでいい? あ、できれば間違えないでね。L『1』LYだから。よく『1』を『I』と間違われるんだ。文書とかで間違って書かれて、何度も訂正して……はあ、ちょっときらいなんだよね、これ。いっそ改名――」

「『リリィ』、だな」

「……え?」

 あえて「1」を「I」に置き換え、ことばとして読めば「リリィ」と発音できる。故郷の星を出て以来、こんなに親しく話した相手がいなかったから分からなかったが、数字とアルファベットだけの「記号名」は呼びにくい。

「『リリィ』って、どうかな。いま急に考えたから、正式な名前じゃなくて、あだ名ってことで。気に入ってくれたら、そう呼ぶけど」

 彼女の顔が、さっと青ざめる。

「待って! だめ! 言っちゃだめ!」

 なんだか、いますぐにでも殺されるかのような声色になった。

「い、いまのは、聞かなかったことに、するから……」
「でも『リリィ』って、なかなかよくない?」

 彼女の発言を半分無視して、言ってみる。気に入らなければ、別のなまえを考えよう。

「やめて! 犯罪だよそれ!」

 彼女は青ざめたまま、すこし震えつつぼくを見る。

「め、『命名規制法』……知らないの? それとも、わざと言ってるの?」

 航海関係以外の法律には詳しくないが、ぼくもそれくらい知っている。

「知ってるよ、『命名規制法』――すべての星系・海域・天体そのほか地名、船名、人名などに名を付ける際、意味を持った単語を用いてはならない――つまりは、ことばのちからを恐れた誰かがつくっちゃった、変な法律だね」

 ことばにはちからが宿るという。その発言者の意図や、言葉の意味、また発音そのものまで、目には見えないが、それらには時に大きなちからが含まれるとか。
 大昔の科学だか魔法だかの学術会議で実際に確認され、恐れられるようになった。当時の資料がほぼなく、もう詳細はわからない。

 とにかく、昔の人がことばのちからを恐れすぎたために、何かに名前をつけることが規制されてしまった。いまは記号と番号のみで構成された「記号名」だけが、名前として使用できる。それ以外のものを名前としてつけた場合、その者は重罪となる……これは死刑だっけ、ちがったっけ?
 人命を軽視しがちなこの世界では、この法律に違反するのは確か殺人より罪が重いんだったと思う。彼女が驚くのも無理ないが――

「その法律、例外規定があるよね」

 「記号名」じゃなくて、ことばとして成立する「個有名」をつけられる例外規定。これを使えば罪じゃない。

「れ、例外規定って、満たせるはずないよ……7ST、あなた――」

「それ、本名じゃない。きみはこの名前、これをおれの本当のなまえだと言ってくれたけど……これはここで生活するために作っただけのもの。たしかに偽名なんだ」

 彼女はぼくを見て、目を見開く。そんなにびっくりしなくていい。
 いやまあ、これくらいが普通の反応なんだろうけど。ここでは。

「おれの故郷は、とても遠くにある。どこだか分からない。義勇団の船に乗せられてから相当遠くまで航行したようだし、このあたりの星じゃない。なんとか帰ろうと思って海図を調べあげたけど、記載がなかった。昔の伝記や冒険記に伝説、伝承、オカルトのたぐいまで調べても、ひとかけらの情報もないんだ」

 あの星……青くて美しいとされるぼくの故郷。義勇団の新規団員輸送で連れ去られ、その船は窓もモニターもなかったから、一目みることもなく別れた青い星。

「その星は、科学力なんてここの足元にもおよばない。魔法はそもそもなかった。でもあそこに『命名規制法』はないから、生まれるすべての人間が『個有名』をもつんだ。それから大地の名も、海の名も、星の名も、みんな」

 思い返せばなつかしい……そう、あらゆるものに名前があった。ひとが口に出し、伝えられていくなまえ――

「そこの主星は『太陽』。その第3惑星、名前は『地球』――そこが、おれがうまれて、なまえをつけられた星」

 やや驚きの表情でとまったままのこのひとは――たぶん、ぼくが放った情報の洪水を処理しきれていないのだろう。
 ぼくはここまできて、ようやくこのひとに自己紹介をする。本当は、誰にも教える気はなかったけれど――
 モニターを操作して、船内システムからひとつの画像ファイルを見つける。ファイル名をタップして、出てきた画像をウィンドウごと拡大し、彼女の席へまわす。

- 七星 優輝 -

 おそらく見たこともないであろう表意文字をみつめる彼女に、ぼくはぼくの本名を教える。

「読みは『ナナホシ ユウキ』。『ナナホシ』は先祖から受け継がれてきた姓で、七つの星、ってことだろう。『ユウキ』は両親からもらった。読みそのままだと勇気と読めるけど、その文字の意味は、やさしいかがやき。親がそうやってつけたんだ」

 あぜんと文字をみている彼女が、口をひらくのには時間がかかった。

「これ、……この文字、『ナナホシ』、『ユウキ』?」

「そう、七星優輝。おれは個有名保持者なんだよ。だから、『命名規制法』の例外規定――すでに個有名を持つ者は本法の適用をうけない――この規定により、おれには個有名の命名権がある」

 彼女は聞いているのかいないのか、画像ファイルの文字をたどたどしく指でなぞっている。それは漢字だ、面倒だぞ。

「それは覚えなくていいから。それ地球でもわりと複雑な文字だったから。さすがにきみでも、今すぐは無理」

 彼女はまだモニター上のぼくの名前に手をのばしたまま、こちらを向いた。その彼女の黒いひとみを、まっすぐみつめる。

「で、どう? きみのなまえ。急なことだから、まずあだ名として、『リリィ』って……嫌、かな?」

 しばらく固まっていた彼女が、なぜか恥ずかしそうに、上目づかいでぼくをみる。

「い、いいです、そのなまえ。わたし、もらいます。ありがとう……」

 このひとにしては珍しい、消えそうな声。個有名をつけられるのって、こんなふうになるものなのか。

「『リリィ』……わたしが、『リリィ』……」

 胸に手を当てて繰り返している彼女に、ひとつリクエストする。

「それでさ、リリィ。おれにもひとつ、あだ名つけてよ」

 がたん、と音を立てて、彼女の腕が操縦盤にぶつかった。理解できない、ということは表情からよくわかる。

「あだ名とはいえ、いまきみは個有名保持者。だからその名をすてないかぎり、きみにも『命名規制法』の例外規定が適用される。おれもきみに、あだ名で呼ばれてみたいんだけどな」

 命名規制法があるかぎり、この世界ではあだ名さえ許されない。でも、死ぬまでぼくといっしょに行くと言ってくれたひととなら、こんな贅沢もしていいだろう。

 彼女はまたしばらく固まっていたが、理解したのか、急にモニターを触りはじめた。「7ST-7037」と表示して、「七星 優輝」と並べて、じっとみている。

 ――さすがに長い。ぼくはべつに待てるが、彼女がこんなに動かないのはおかしい。急に想像もしていなかたことをさせられて、負担が大きすぎるのか……
 あだ名は後でも考えられる、ここは――

「な、な……」

 なにか言った……消えそうな声だ。

「『ナナ』、って、どう、ですか?」

 敬語になって、がちがちに緊張している。ぼくが急にリクエストしたせいだから、ちょっとかわいそうだ。
 それにしても、どうして「ナナ」だろう。ぼくにあんまり似合わないような。

「えっと、どうしてそれ思いついたの?」

 彼女は消え入りそうな声のまま、下を向いて説明する。

「あなたのなまえ、個有名の最初が、『なな』。それから、記号名に、『7』がみっつ……」

 ……まだ続きがありそうだ。

「……あと、こんなの関係ないけど、わたしの誕生日、7月7日で、おなじ『なな』、だから」

 なるほど、「なな」には確かに縁がある。もとの名字の読みに通じているし、いいかもしれない……後半は彼女の願望だろうけど。
 さすがにわかる。ぼくのあだ名を「ナナ」にして、自分の誕生日もがっちり覚えさせる気だ。もしかして、ぼくが彼女の名前を覚えていなかったこと、まだ恨んでるかな。

「よし、これからぼくは『ナナ』。あらためてよろしく、『リリィ』。きみの誕生日も、ぜったい忘れないから。この名にかけて」

 リリィが、くすりと笑う。よしだいじょうぶ、ネタは通じた。

「よろしく、『ナナ』。……ありがとう」

 彼女の黒いひとみにみつめられつつ、横目で計器盤を確認する。船内システム時刻、今日の日付けは6月12日。

 6月12日、なに記念日だかわからないが、たぶんこれが、いつか思い出す記念の日付けになるだろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...