【完】初恋は、婚約破棄のその後に

虎戸リア

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5:そして始まる恋の予感

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 結局クリスは翌週の成人の儀を欠席し、国に無断で戻ったそうだ。成人の儀の主役だっただけに、各方面で大ひんしゅくを買ったが、流石王子だけあって罸も何もなかったそうだ。

 ただし、クリスの評判は地に堕ちた。そのおかげで相対的に婚約破棄を合意の下、事前に行っていた私の評価は一転した。

 落ちぶれ王子を捨てた賢女として持ち上げられるようになったのだ。

 そうして私の生活は少しだけ変わった。

 まず、これまでは遠慮していたのか、それとも女とやらを口説き落としてみたいのか、突然、沢山の男性から言い寄られる羽目になった。

 勿論、全て断った。

 ついでになぜか女子からも熱い視線を感じるようになったし、あのククリとかいう子もなぜか率先して私に話し掛けてくるようになった。

 どうにも話を聞く限り、クリスは俺の女には絶対に手を出すなと周囲に強く言っていたそうだ。

 なんてくだらない男だったんだろうか。

「お嬢様、しかし、なんで俺を」

 私が、中庭のいつもの木の下に座っていると、傍らに私を護るように立っているグラディウスが今さらな事を言い始めた。

「貴方が、追放されたのは私のせいだからよ」
「……そんな事はないんだけどな」

 グラディウスは約束通り、王子の行動や我が家の意思をその通りにマゴーシュ王家に伝えたようだ。だが、それによってマゴーシュ王は自身の息子のクリスではなく、私の立場を尊重したグラディウスを次第にいとうようになった。

 更に、祖国で荒れに荒れていたクリスは、次第に酒にのめり込み、王家の金で酒場に入り浸るようになった。そうして出会った悪い仲間達と共に国際条約で禁止されている類いの薬の売買に手を出したそうだ。

 クリスが犯罪者同然になったところをグラディウスが捕縛し、本来なら極刑なのを王族ということで免れ、王宮に幽閉されているという。もう、彼が表舞台に出てくる事はないだろう。そして、グラディウスは監督不行き届きという、なんとも理不尽な責任を取らされ、騎士長の辞任を強要されたのだ。

 それは実質的な国外追放だった。

 グラディウスは元々、それなりの名家の出身らしい。だけど、本人の気質的に貴族社会とは反りが合わず、若い頃に家を飛び出した。それからどういう経緯で騎士長になったかは定かではないけど、堅苦しい宮仕えを、馬鹿王子の尻拭いをこれ以上しなくてすむと、せいせいとしたそうだ。そして傭兵でもやるかと意気込んでいたグラディウスを、どこから聞き付けて来たのか、シャムが私の護衛として雇ったのだ。

『これからは、お嬢様に悪い虫が付くかもしれませんから。護衛がいないと、ですわ』

 そう言って、悪そうに微笑むシャムの行動の意図を察して、私は溜息をついた。今回の婚約破棄のせいで、私の今後の婚約は難しいと聞いた。もはや政治的な力はほとんどないとはいえ、一国家の王家であるマゴーシュ家と事を構える気ほど力のある家はもう少ないのだろう。まあ、王子を捨てた女を迎え入れる度胸のある男がいるとも思えないしね。

 父も母も、もはや諦めているように見えた。

 結婚なんて当分は考えたくないから丁度良いとさえ思っている私だが――嘘偽りではない本当の恋を、少しだけしてみたいと思っているのも事実だ。

 私はグラディウスの無精髭を見つめつつ、手のひらをひらひらと振った。

「とにかく、私に恩義は感じなくても良いから、しっかり護ってね。あ、そうだ、ねえグラディウス、私に剣を教えてよ。これからは女子も自分の身は自分で守る時代になるわよきっと」

 私はそう言って立ち上がると、グラディウスが腰に差していた剣を抜いた。

 見様見真似で構えてみる。剣って……結構重い……。

「ふむ……悪くないな」
「でしょ?」
「まだまだだけどな。しかし自分の身は自分で守るか……お嬢様らしく、俺は好きだぜそういうの。あの馬鹿王子のお守りするよりはずいぶんマシだ」

 そう言ってグラディウスが肩をすくめた。最初は遠慮していたが、最近は私ともこうして気軽に話してくれる。

 それが少し嬉しかった。

「マシって何よマシって」

 私は怒ったフリをして頬を膨らませた。

「お転婆お嬢様の護衛も楽じゃないって事だよ」

 グラディウスが私の背後に立つと、抱きしめるように手を私の前に回して、構えを直してくれた。そのちょっとした触れ合いが、決して嫌ではなかった。

「お転婆じゃないわ」
「そういう子に限ってそう言うんだよ……」

 溜息をつくグラディウスを見て、私はなぜだか分からないけど心の奥に暖かさを感じた。

「それはそうかも。私がお淑やかになれるように精々祈ってなさい」
「俺は神を信じていなくてな。ま、剣を握っている時点で説得力はあんまりなさそうだが」

 グラディウスの言葉を聞いて私は心から笑った。彼の優しく細められた目を見て、胸が高鳴る。

 私の初恋は――苦い婚約破棄を経て……ようやく始まりそうなのだった。
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