月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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web版【第一部】おまけ&後日談

回想 後朝


※エイレケの騎士アダンを倒し、三人で初めて一緒に夜を過ごした後のお話です。
(書籍と一部内容が被っています)
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 初めて三人で情を交わした翌朝、サイードは寝台が軋む音で目を覚ました。
 よほど疲れたのかぐっすりと眠り込んで起きる気配もないカイの向こうでダルガートが服を身に着けている。恐らく朝の祈りの時間に合わせて皇帝ハリファの護衛を交代するのだろう。
 顔を上げると、南側の窓から夜明けの薄明りが差し込み始めたところだった。

「もうそんな刻限か」

 サイードが呟くとダルガートが器用に片方の眉を上げて同意した。

「この褥はいささか寝心地が良すぎましたな」
「確かに」

 頷いて、己の懐のあたりで眠っているカイを見下ろす。

「……無事で良かった」

 思わずそう嘆息すると、ダルガートが唇を引き結んで頷いた。

 カルブの儀式を終えた神子の披露目の宴で突然カイが席を立ち、その直後にエイレケの兵に攫われたと聞いた時は心底肝が冷えた。エイレケに出し抜かれたのはこれで二度目だ。
 かつて一族全てを殺されたサイードは、もう二度と大事なものを奪われてなるものか、とイスタリアの王女の目の前で宴の席を蹴って神殿を飛び出した。
 恐らく同席していた宰補のアドリーが上手く取りなしてくれたとは思うが、イスタリアには後で不敬を詫びねばなるまい。



 あの時、槍を携え神殿を飛び出し、皇帝ハリファカハルの大盤振る舞いに浮かれ騒ぐ人々を掻き分けて街の大門を出た。そしてエイレケの陣を前にした途端、途轍もない突風に煽られてエイレケの天幕が吹き飛び、騎士や従士たちが吹き荒れる砂に巻かれて息が出来ず次々に倒れていくのを目の当たりにした。
 一瞬、何が起こっているのかわからなかったが、なぜか自分の周りだけ何かに守られているかのように風も砂も吹き付けてこないと気づいた時に、これはカイがもたらした力なのだと悟った。
 後はただ、渦巻く突風の中心へと行けば良かった。

 エイレケの騎士団長アダンに首を絞められているカイを見つけた時は、怒りで腸が煮えくり返る思いだったが、無事彼を取り戻すことができて本当に良かった。

「申し訳ござらぬ」

 突然、ダルガートが言う。

貴兄きけいとの約束をたがえてしまった」

 その言葉にサイードは顔を上げた。

 ここしばらく、ダルガートと共に神子を守りながら初めて知ったことがある。それは、ダルガートの黒い目がいつも以上に凍てついている時こそ、彼の内側では激しい感情が渦巻いているということだ。
 そして今、彼がまさしくそういう目をしている理由もサイードにはわかっていた。

 彼の言う約束とは、以前カルブの儀式の前にサイードがダルガートに『神子を頼む』と言ったことを指しているのだろう。ダルガートは昨夜、カイを部屋に一人残したせいでアダンに攫われ、怪我まで負わせてしまったことを悔いているのだ。

 とは言えあのタイミングでカイが宴の席を離れ、部屋に戻ってしまったのは誰も予想のできなかったことだし、あの時もダルガート自身は扉の前から離れず、急ぎ他の騎士を使って事の次第をカハル皇帝やサイードに知らせてくれたのだ。

「いや、カイ自身に何も知らせず秘密裡に囮にしようとした我ら全員の過ちだ。貴兄ばかりの責ではない」

 それを言うなら己の至らなさのせいでいたずらにカイを動揺させ、あのように宴の席で突然席を立たせるようなことをしてエイレケの兵に付けこまれる隙を作った自分こそ一番の非がある。

「かたじけない」

 そう呟くダルガートに、サイードは首を振った。
 そしてふと、自分の言葉が足りなかったせいでカイを不安にさせてしまったことを思い出す。
 サイードは少し考えてからダルガートに言った。

「本当に、貴兄には感謝しているのだ。俺は恐らく貴兄がいなければ神子とこのようにはならなかった」

 かつて、サイードは自分の力の足りなさゆえに一族郎党全てを失った。それ以来、いつかまた失うことを恐れて、愛する人やかけがえのない友を作ることを避けていた。
 大事なものができたとしても、自分がそれを守り切れる自信がなかったからだ。
 だからカイに出会い、彼に心惹かれるようになっても、自分は守護者イシュクとしての役目を越えるようなことをするつもりはなかった。

 ちなみに初めてのハマームで突然の発情に戸惑うカイを慰めてやろうとして、うっかり彼を泣かせてしまったのは本気で誤算だった。

 突然見知らぬ世界へやって来て涙を堪えながらひどく怯えている神子を見て、サイードは昔弟妹とともに面倒を見ていた生まれたての仔羊を思い出した。まるで親にはぐれた仔羊が飢えと寒さに震えているようだ、と。
 だから風呂に入れて少しでも温めて落ち着かせて何か食べさせようとした結果、いらぬ世話までしてしまったというわけだ。

 だが、カイが嵐を呼んでしまわぬように、と懸命に感情を抑え必死に堪えている姿を見てどんどん絆されていき、ついには彼へのひとかたならぬ恋情を自覚するに至った。
 それでも、もしもカイに求められれば慰めはしても、自分の方から一線を越えるつもりは毛頭なかったのだ。

 だが、思いがけずダルガートもカイを特別に思っていると知り、さらにはカイが自分とダルガートを同じように愛していると打ち明けてきた。
 例え自分の力が及ばないときでもきっと彼がカイを守ってくれると思ったからこそ、サイードはようやく安心してカイをおのれの唯一愛する人と思い定めることができたのだ。

「昨夜、カイが二人同時に愛することは許されることなのか、と言っていたが」

 不安そうにそう尋ねたカイの顔を思い出しながら、サイードは言う。

「だが、俺は貴兄にならカイを任せることができる」

 ダルガートはただ黙ってサイードを見ていた。
 その時、遠くから明け一つの鐘の音が聞こえてきた。間もなく朝の祈りが始まる。
 ダルガートは寝台の端に落ちていた被り布を掴むと、眠っているカイのこめかみに口づけてからサイードに言った。

「後はお頼み申す」
「ああ、任された」

 ダルガートが手早く砂漠の蛇クドゥラと呼ばれる形に被り布を巻くと、天蓋のベールをめくって寝台から降りる。そこにはすでに待機していた近従が靴を揃えて拝跪していた。

「本日より三日間の予定で三国間での協議が始まるとか」

 靴を履きながらダルガートが言う。

「それが終われば私は陛下とともに一足先に帝都へ戻ることになるかと」
「そろそろ宰相殿が痺れを切らして陛下の帰還を催促する使者を山ほど寄越してくる頃だろうしな」

 大陸一の切れ者と名高い名宰相のあまりに鋭い舌鋒を思い出しつつ、サイードは苦笑した。

「陛下が」

 ダルガートが夜着の上に近従が差し出した上着を羽織る。

「神子殿はサイード殿らとともに途中の街々を見物がてらゆるりと戻られるが良かろう、と仰せでござった」
「承知した」

 すると最後にダルガートがサイードとカイの二人を見下ろして言った。

「私も同じことを申し上げる。貴兄だからこそ、神子殿を安心してお任せできる」
「……感謝する」
「なんの」

 そして微かに口角を上げる。

「道中、神子殿には楽しく、つつがなくお過ごしになれるよう」
「努力しよう」

 近従を従え、閨から去っていくダルガートの後姿を見送って、サイードは再び傍らの少年に目を落とした。

 昨夜、サイードたちの腕の中で乱れ喘いだ姿が嘘のようなあどけなさで昏々と眠っている。だが窓より差し込み始めた明けの光に照らされて見れば、そこここに散らばる鬱血の痕や目元にわずかに残る赤みが情事の激しさと快楽の深さを物語っているようだ。

 閉じられたその目蓋をそっと撫で、エイレケのアダンに殴られたこめかみの様子を見、喉に残る青痣に眉を顰める。そしてサイードは再び頭を褥に落としてカイを抱き寄せた。

 朝の祈りが終わり、今日という一日が動き出すまであと少し。
 カイが目覚める前に馬たちの様子を見に行って来ようか。そう思うが、このまま彼が目覚める瞬間にどんな顔をするのか見ていたい、とも思う。

(まさか、この俺がそんなことを思う日が来るとはな)

 あと数日もすればこの神殿を出て、カイとともに帝都イスマーンへと戻ることになる。その間、カイにはどんな場所、どんなものを見せてやれるだろうか。

 遠く乾いた砂の大地とどこまでも続く蒼天の美しさを、風に流れ形を変える白い雲の楽しさを、ところどころに現れるオアシスの湧き水の清らかさを、そしてそこに住む人々とたくさんの生き物たちを。全部カイに教えてやりたいと思う。
 そしてそれは自分にとってもとても楽しいことに違いない。

 サイードはかつて幼い弟妹にそうしてやったように眠るカイの前髪をそっと梳いてやりながら、密かに笑みを浮かべた。
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