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web版【第一部】おまけ&後日談
回想 市場にて 1
「市場に行ってみないか?」
夕食の折りにサイードがそう言うと、カイが肉と野菜の串焼きにかぶりつきながら目を輝かせた。
「それってここの窓から見える、神殿の下の街のことですよね」
「ああ、そうだ」
サイードは食後の茶を飲みながら答える。
「その後、頭の怪我も問題ないようだし、三国の合議も今日終わった。一度気分転換に行ってみるか?」
「い、行きたいです……!」
「なら明日、行こう」
そう言うとカイが嬉しそうに笑ったのを見て、サイードも口元をわずかに緩めた。
今日、午後の訓練の時にカイの近従であるウルドがサイードの元へやって来た。
ウルドは本来ならサイードに直訴することなど許されない身分だが、彼の主人である神子に関することについてだけはその越権を許されている。
そして確かにウルドが言う通り、夕飯の時に見たカイの顔はあまり晴れやかなものではなかった。
最近はようやく食欲も戻ってきたようで食事の量も増えてサイードも安心していただけに、ウルドが言う通り何か心を重くすることがあったのなら少しでも憂いを軽くしてやりたい。
「今日、三国の合議が一応の決着を見た。明日はそれを祝して宴が持たれるが、その後カハル陛下は一足先に本国へ戻られるだろう。ダルガートも一緒だ」
「……そうですか」
カイが少し眉を曇らせて頷く。
「彼ぐらいしか陛下に遅れをとることなく馬を駆り、護衛仕ることができる者はそういないからな」
「え、ってそれってどっちかっていうとダルガートがスゴイって話じゃなくて、陛下がめちゃくちゃスゴイって話ですよね」
「そうだな」
するとカイはおかしそうに笑った。
「その後本隊が帰路、我らは後から少人数でゆっくり帝都イスマーンを目指すことになる」
「ゆっくり……、それって僕が馬に乗れないからですよね」
「そうだ。それまでにいくらか練習をして、俺が貴方を乗せて行こう」
サイードは空いた茶器を置いてカイを見る。
「今回の旅はカイに我らがアル・ハダールの地をゆっくりと見て来て欲しい、という陛下のお心遣いだ。途中、街や村に寄りながらゆっくりと進もう。だからあまり気負わずにいて欲しい」
「はい、ありがとうございます」
そう言って笑いながらまた食事に戻ったカイを見て安堵する。そして一体神殿長は何を彼に見せたのだろうか、とサイードは思った。
◇ ◇ ◇
「これは神子殿、それにサイード殿ではないか。そなたらも街を見に行くのか」
神殿の入口で二人を見るなりそう言ってパッと大輪の花が咲いたような笑みを見せたのは、豪奢な金色の髪がひと目を惹くイスタリアの次期女王、レティシアだった。その後ろには彼女の主騎クリスティアンがいつものように控えている。
「先日の非礼をお詫び申し上げる」
さりげなく騎士クリスティアンと神子との間に立ち、宴の席で一方的に席を立ち不敬を働いたことをサイードは詫びる。だがレティシア王女はコロコロと笑って答えた。
「なに、そのようなこと。神子殿の一大事だったのじゃ。気にすることはない。じゃが、そなたとはもっと話がしたい。どうじゃ、酒を好まぬのなら茶を進ぜるゆえ、そなたの武勇伝を妾に聞かせてはくれまいか?」
「語るほどのことは何も」
そう言ってサイードは王女の誘いを言外に断る。
宴の席でレティシア王女はまるでサイードを婿に望んでいるような言葉を発していた。さすがに額面通りをそれを受け取ることはしないが、サイードの方にはこれ以上レティシアと交友を深める気はさらさらなかった。
おまけに今も王女の後ろから突き刺さるような視線を向けてくる男の手前、あまり甘いことを言うわけにはいかない。
するとサイードの隣でカイも頭を下げて彼女に言った。
「あの、僕も突然席を立ってしまって申し訳ありませんでした」
「なんの。あのような酒の席など、神子殿のような童には気疲れするだけじゃのう」
「……童?」
隣でカイが首を傾げる。恐らくレティシア王女の目にカイは十四、五の子どもに映っているのだろう。サイードはあえて訂正することなく、カイの代わりにレティシアに尋ねた。
「今宵は三国合議終結の宴があるとか」
「そうじゃ。妾も招待を受けておる」
「では王女殿下のご帰国は」
「そうさの、明後日か明々後日か……あの太鼓腹の狸殿の後じゃな」
「狸?」
またカイが首をひねっている。するとレティシア王女がまた笑って言った。
「妾はその前にぜひ土産が欲しいと思ってのう」
「土産?」
サイードは不審に思って聞き返す。
三国で最も栄えているイスタリアは貿易が盛んで、その国の王位継承者ならば自国はもちろん他国の珍しい宝石でもドレスでもなんでも手に入るだろう。
それに引き換え神殿領にある街のスークで売られている物は巡礼者相手の土産物が半分、地元の住人向けの食料や雑貨が半分といったところだ。
とてもイスタリアの王女が欲しがるようなものがあるとは思えなかった。
だがサイードの疑問に気づいたのか、レティシアは扇で口元を隠して小声で言った。
「我が国ではこのように気軽にお忍びで街へ行くことなどできぬからのう。欲しいのは土産物ではなく土産話じゃ」
王女らしからぬお転婆な言葉にサイードはつい王女の後ろに控えるクリスティアンを見る。すると王女の主騎はやはり整った白皙の美貌に似合わぬ険のある目つきでサイードを睨み返してきた。
「そうじゃ、神子殿もともに街へゆこうではないか」
突然王女がパチリ、と扇を閉じて言った。
「え、僕ですか?」
カイが驚いたように目を見開く。すると三日月のように目を細めてレティシアが言った。
「その通り。神子殿は当分の間我が国へはお越し頂けぬと決まったからの。せめて少しなりとも話がしたいのじゃ」
サイードは毎晩、三国合議の内容を宰補のアドリーから聞いている。
神子の来訪の確約を要求してきたイスタリアとエイレケだったが、イスタリアについては少なくとも三年は待つように皇帝カハルは求めたと聞いている。ちなみに度々神子を害そうとしたエイレケについては言わずもがなだ。
するとカイが少し考え込んだ後に頷いた。
「じゃあぜひ一緒に」
夕食の折りにサイードがそう言うと、カイが肉と野菜の串焼きにかぶりつきながら目を輝かせた。
「それってここの窓から見える、神殿の下の街のことですよね」
「ああ、そうだ」
サイードは食後の茶を飲みながら答える。
「その後、頭の怪我も問題ないようだし、三国の合議も今日終わった。一度気分転換に行ってみるか?」
「い、行きたいです……!」
「なら明日、行こう」
そう言うとカイが嬉しそうに笑ったのを見て、サイードも口元をわずかに緩めた。
今日、午後の訓練の時にカイの近従であるウルドがサイードの元へやって来た。
ウルドは本来ならサイードに直訴することなど許されない身分だが、彼の主人である神子に関することについてだけはその越権を許されている。
そして確かにウルドが言う通り、夕飯の時に見たカイの顔はあまり晴れやかなものではなかった。
最近はようやく食欲も戻ってきたようで食事の量も増えてサイードも安心していただけに、ウルドが言う通り何か心を重くすることがあったのなら少しでも憂いを軽くしてやりたい。
「今日、三国の合議が一応の決着を見た。明日はそれを祝して宴が持たれるが、その後カハル陛下は一足先に本国へ戻られるだろう。ダルガートも一緒だ」
「……そうですか」
カイが少し眉を曇らせて頷く。
「彼ぐらいしか陛下に遅れをとることなく馬を駆り、護衛仕ることができる者はそういないからな」
「え、ってそれってどっちかっていうとダルガートがスゴイって話じゃなくて、陛下がめちゃくちゃスゴイって話ですよね」
「そうだな」
するとカイはおかしそうに笑った。
「その後本隊が帰路、我らは後から少人数でゆっくり帝都イスマーンを目指すことになる」
「ゆっくり……、それって僕が馬に乗れないからですよね」
「そうだ。それまでにいくらか練習をして、俺が貴方を乗せて行こう」
サイードは空いた茶器を置いてカイを見る。
「今回の旅はカイに我らがアル・ハダールの地をゆっくりと見て来て欲しい、という陛下のお心遣いだ。途中、街や村に寄りながらゆっくりと進もう。だからあまり気負わずにいて欲しい」
「はい、ありがとうございます」
そう言って笑いながらまた食事に戻ったカイを見て安堵する。そして一体神殿長は何を彼に見せたのだろうか、とサイードは思った。
◇ ◇ ◇
「これは神子殿、それにサイード殿ではないか。そなたらも街を見に行くのか」
神殿の入口で二人を見るなりそう言ってパッと大輪の花が咲いたような笑みを見せたのは、豪奢な金色の髪がひと目を惹くイスタリアの次期女王、レティシアだった。その後ろには彼女の主騎クリスティアンがいつものように控えている。
「先日の非礼をお詫び申し上げる」
さりげなく騎士クリスティアンと神子との間に立ち、宴の席で一方的に席を立ち不敬を働いたことをサイードは詫びる。だがレティシア王女はコロコロと笑って答えた。
「なに、そのようなこと。神子殿の一大事だったのじゃ。気にすることはない。じゃが、そなたとはもっと話がしたい。どうじゃ、酒を好まぬのなら茶を進ぜるゆえ、そなたの武勇伝を妾に聞かせてはくれまいか?」
「語るほどのことは何も」
そう言ってサイードは王女の誘いを言外に断る。
宴の席でレティシア王女はまるでサイードを婿に望んでいるような言葉を発していた。さすがに額面通りをそれを受け取ることはしないが、サイードの方にはこれ以上レティシアと交友を深める気はさらさらなかった。
おまけに今も王女の後ろから突き刺さるような視線を向けてくる男の手前、あまり甘いことを言うわけにはいかない。
するとサイードの隣でカイも頭を下げて彼女に言った。
「あの、僕も突然席を立ってしまって申し訳ありませんでした」
「なんの。あのような酒の席など、神子殿のような童には気疲れするだけじゃのう」
「……童?」
隣でカイが首を傾げる。恐らくレティシア王女の目にカイは十四、五の子どもに映っているのだろう。サイードはあえて訂正することなく、カイの代わりにレティシアに尋ねた。
「今宵は三国合議終結の宴があるとか」
「そうじゃ。妾も招待を受けておる」
「では王女殿下のご帰国は」
「そうさの、明後日か明々後日か……あの太鼓腹の狸殿の後じゃな」
「狸?」
またカイが首をひねっている。するとレティシア王女がまた笑って言った。
「妾はその前にぜひ土産が欲しいと思ってのう」
「土産?」
サイードは不審に思って聞き返す。
三国で最も栄えているイスタリアは貿易が盛んで、その国の王位継承者ならば自国はもちろん他国の珍しい宝石でもドレスでもなんでも手に入るだろう。
それに引き換え神殿領にある街のスークで売られている物は巡礼者相手の土産物が半分、地元の住人向けの食料や雑貨が半分といったところだ。
とてもイスタリアの王女が欲しがるようなものがあるとは思えなかった。
だがサイードの疑問に気づいたのか、レティシアは扇で口元を隠して小声で言った。
「我が国ではこのように気軽にお忍びで街へ行くことなどできぬからのう。欲しいのは土産物ではなく土産話じゃ」
王女らしからぬお転婆な言葉にサイードはつい王女の後ろに控えるクリスティアンを見る。すると王女の主騎はやはり整った白皙の美貌に似合わぬ険のある目つきでサイードを睨み返してきた。
「そうじゃ、神子殿もともに街へゆこうではないか」
突然王女がパチリ、と扇を閉じて言った。
「え、僕ですか?」
カイが驚いたように目を見開く。すると三日月のように目を細めてレティシアが言った。
「その通り。神子殿は当分の間我が国へはお越し頂けぬと決まったからの。せめて少しなりとも話がしたいのじゃ」
サイードは毎晩、三国合議の内容を宰補のアドリーから聞いている。
神子の来訪の確約を要求してきたイスタリアとエイレケだったが、イスタリアについては少なくとも三年は待つように皇帝カハルは求めたと聞いている。ちなみに度々神子を害そうとしたエイレケについては言わずもがなだ。
するとカイが少し考え込んだ後に頷いた。
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