月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第二部】東の国アル・ハダール

閑話 宰補・アドリーの思い

 珍しく不機嫌そうに茶を飲んでいる宰相を横目に、宰補アドリーは内心冷や汗をかく思いだった。
 宰相サルジュリークはアドリーにとっては直属の上司だ。一日のうちでともに過ごす時間も圧倒的に長い。なのに今のように彼が己の感情をアドリーにもわかるように表に出していることに驚きを禁じ得なかった。

(もしや、これも神子殿の影響なのだろうか)

 ふとそう思う。
 稀代の天才宰相と呼ばれ若き頃よりカハル皇帝の元で次々に内政改革を断行し、神子の恩寵も薄く先のジャハール王の失政に次ぐ失政で餓死者さえ大勢出していたこの東の帝国を、ここまで回復させてきた立役者だ。
 そんな彼でさえ、いや、武力以外の一国の土台を一人で預かる彼だからこそ『異世界から来た慈雨の神子』という存在を推し量るのにいつも以上に慎重に、そして疑い深くなっているのだろう。
 だからこそ彼らしくもなくこんな苛立たし気な顔をしているのかもしれない。

(だが、たまには宰相殿もこのようなお顔をされればいいのだ)

 常に笑みを浮かべた冷静沈着な宰相の姿は、頼もしくはあるがやはり親しみやすさにはいまいち欠ける。乱世であれば親しさなど無用の長物だろうが、この東の国に初めて慈雨の神子が来られた今は多少浮かれても罰は当たらぬのではないだろうか。

(それに宰相殿がここまで気を張っておられるのも、おそらくは自由闊達すぎる君主を戴いているからこそだろうしなぁ……)

 そもそも今回の神子召喚の儀式も、まさか一国の君主本人が国を留守にして自ら騎馬で駆けつけることなど普通ならありえないことだ。実際エイレケは王弟が、イスタリアは第一王女が代表としてやって来ていた。

(陛下も言い出したら即実行のお方であるし、その分生じやすい隙や憂患の種を潰して回ることが宰相殿の第一の懸念になっているからなぁ)

 アドリーはその元凶であるところのカハル皇帝と、彼に呼ばれた神子の方を見る。

「……一体、何を話されてるんでしょうね」

 思わず口をついて出た言葉に、宰相だけでなくカハル皇帝の二人の義兄弟たちも振り返る。
 そこには神子を間に挟んで座るサイードとダルガート、そして彼らを見ながらやけにニヤニヤ笑っているカハル皇帝の姿があった。

「……長兄がああいう顔をしている時はろくなことを言っちゃおらん」

 末弟のカーディムが半目で言う。二兄のサファルは黙して語らず、だ。
 カハルに何かを言われて慌てふためいている神子と、真面目腐った顔つきでカハルに何事かを答えているサイード、そしてまるで他人事のように顔色一つ変えずに座っているダルガートを見てアドリーは何度目かの疑問を抱いた。

「……あのお三方があのように並んで座っておられるのは、やはり不思議な感じがしますね」
「そうだな」

 宰相もそちらを見ながら頷く。するとカーディムが酒を呑みながら口を挟んだ。

「サイードとダルガートは以前より割と仲が良かったぞ」
「まさか」
「おいおい、そう無碍に否定するな」
「……あれでいて、気性は合うのかもしれんな」

 宰相の言葉にカーディムが呆れ、サファルが頷き言葉を添える。

「サイードは良いおとこだ。だから皆が彼と親しくなりたいと近づく。あれは度量の大きい男ゆえ、己を頼ってくるものを決して拒みはせぬからな」

 アドリーはサファルの太く穏やか声に聞き入った。

「だが、そうして彼の傍に立てたと喜んでいた者は、ある日ふと気づくのだ。自分が彼を頼ることはあれども、彼が自分に心を開き、何かを打ち明けてくれたことは一度もない、とな」
「……それは彼が幼い頃に一族郎党すべてを失ったという生い立ちゆえのものなのでしょうか」
「わからんな」

 サファルは首を振る。

「サイードの周りには目には見えぬ柔らかな壁がある。多くの人は彼を慕って近づくが、誰もその壁を打ち破り中へ入ることはできぬのだ」

 それを聞いて、アドリーは確かにそうだ、と思う。
 いかなサイードであっても不安や苛立ちや、また嬉しいことや悲しいこともあるだろう。だがそれを口に出して言ったところなど見たことがない。彼の心の内を知る者は誰一人いないのだ。
 サファルが酒を一口飲んで再び言った。

「だがダルガートは余人と違い、良くも悪くも相手に何かを期待していない。皆がサイードの信頼や庇護や愛情を求めて彼に近づくが、ダルガートはサイードから何かを得ようとはしないのだ。だからこそサイードにとって居心地のよい相手なのかもしれぬな」
「……では神子殿は? イシュクたるサイード将軍にとっては庇護の対象であるから、あのように常になく大事に守っているのでしょうか」

 宰相の言葉に再び上座を見ると、カハルに何かを言われて真っ赤になっている神子を庇うように手を回し、何か答えているサイードがいた。

 サイードはあれでいて己に厳しい分、決して他人にも甘くはない。ひたすらに公明正大で、良き所は褒めるが悪いところは言葉少ないながらもはっきりと指摘する。
 部下の失態も、上の叱責が度を過ぎれば庇うがたいていはそれもよき経験とばかりに表だってその咎を引き受けたりはしない。
 なのに今、カハルの揶揄いの矛先が自分に移るとわかっていても神子を庇い、ましてや手で抱き寄せてさえいるのだ。
 アドリーには充分すぎるほどの驚きだった。

 するとカーディムがあっさりと答える。

「そりゃあ、あれだ。あの神子さんは考えがまるきり顔に出るだろう。サイードにとっちゃ腹の探り合いをする必要のない相手というのは楽だし、信用できるんだろうよ」
「……そんなものですか」

 まだ納得いかなさそうな顔で宰相が呟いた。
 アドリーは神子やサイードとダルガートを見ながら、先程カーディムが言っていた言葉を思い出す。

――――どうやらサイードも神子さんを大層気に入っている様子じゃないか。相思相愛でいいことだ。

 相思相愛、まさにその通りだとアドリーは思う。

 これまでサイードは彼に憧れ近づいてくる者を決しておのれの懐に入れることはしてこなかった。特に女人にはひどく堅苦しい態度でこれを退けていたと聞く。
 それは彼女たちの中に第三騎兵団の長たる彼の力と権勢を取り込もうと親兄弟に差し向けられた者たちがいたからだろう。だが、純粋に彼に惚れていた者もいたはずだ。
 なのにしがらみを嫌っての事なのか、サイードは彼女らをなんの未練もなくあっさりと拒む。
 ならば妓楼に馴染みの女の一人や二人はいるのだろうが、とかく彼の私生活については長年騎士たちの間でも謎のままだった。

 そんな彼が初めてあんなにも心細やかに守り、時には笑顔さえ見せる。初めは「イシュク」としての責任ゆえかと思ったが、あの様子を見ているとそうとばかりも思えなかった。

「神子殿とおられる時のサイード殿は、ひどく穏やかな顔をされておりますね。そして神子殿もとても安心しておられるようです」

 再びカハルに何かを言われた神子がふいに笑った。思わずアドリーはそれに目を奪われる。十七とは思えぬ、子どものような笑顔だった。

「あの笑顔を守りたい、と思っておられるのかもしれませんね」

 アドリーが言うと、同じく神子を見ていたカーディムやサファルが頷いた。アドリーはなんとなく晴れやかな思いで考える。

(あのような顔を見せられては、サイード殿が閨までも警護を怠らぬ気持ちもわかろうというもの)

 アドリーは神殿にいた頃からサイードが神子の寝所でともに寝起きしていたことを知っていた。
 初めの内アドリーは、右も左もわからぬ異国で不安がる神子をなだめてやるためにサイードがそうしているのだと思っていた。だが今はそれだけではないのでは、と思うようになっている。それほど彼ら二人の間に時折よぎる空気の色は、甘い。
 そしてそれはサイードだけでなく、あのダルガートとの間にも感じられるものだった。

 アドリーは、先程神子を呼びにきたダルガートが彼にだけ見せたごくごくかすかな笑みを思い出す。彼があんな顔をするのを見たことは今まで一度もなかった。
 だが、アドリーはそのことを誰かに言ったことは一度もなかったし、ましてや批難するつもりも毛頭なかった。

 国でも指折りの勇将であるサイードには、彼の名声や優秀な血を求めてこの先多くの縁談や女たちからの秋波が寄せられるだろう。いや、見事神子を得た今となっては彼を狙っている者たちは数えきれないほどいるはずだ。
 確かに、アドリーとてサイードが生涯子をなさずに彼の血が途絶えてしまっては非常に惜しいことだとは思う。それでも、アドリーはできることならこのまま誰にも知られず、彼らがもっとも良き愛を育んでいけたらよいと思うのだ。

(神殿で神子殿はサイード殿だけでなくダルガート殿をも自らの守護者イシュクであると言われたという)

 三人、という形は、普通なら二人が一人を争ったりただならぬ緊張感を産みそうなものだが、不思議と彼らの間にそのようなものはない。
 あのカルブの儀式をともに乗り越えた慈雨の神子と彼のイシュクたちとの間には、余人が入り込めぬ何かがきっとあるのだろう。
 話が終わったのか、揃ってカハルに礼を取り立ち上がった三人の姿を見てアドリーはそう思った。

「まるで一幅の絵のようだのう」

 酒杯を手にしみじみとそう呟いたのはカーディムだった。
 丈高く堂々たる体躯の二人の騎士と、その間に立つ白き衣を纏った『慈雨の神子』。サイードが神子の手を取り、その後ろでダルガートが辺りを睥睨しながら二人を守っているようだ。
 その姿を見れば騎士たちがいかに神子に心を傾けているかがひと目でわかる。確かにカーディムの言うとおり、美しく心打たれる絵のような光景だった。

「…………まあ、仲が良いのはいいことだ」

 サファル殿の重々しいひと言に宰相も肩をすくめて頷く。
 その椀に淹れ直したお茶を注ぎながら、アドリーはこっそり微笑んだ。





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【お知らせ】

繁忙期突入&ここまでは絶対に書こう!と作っておいたプロット分を書き尽くしてしまったので、すみませんがここで一旦お休みさせて頂きます;;申し訳ありません;;
ここから先はまたお話がちゃんと固まったら書きたいと思います。

代わりといってはなんですが、前々から書き溜めていた別の話を予約投稿してあるので、もし良かったらよろしくお願いします。

『鬼に金棒、エルフに恋。~森のエルフは荒ぶる剣鬼に愛されたい~』
直情型の鬼人の剣士と彼に片思いしていたエルフのファンタジーラブコメです。
ノーストレスで超お気軽に読めるタイプの話ですw
ちょっとえちちなシーンが多いので苦手な方&電車で読む際はご注意下さい。

※作者プロフィールや著者近況の「登録作品」タブから行けます。
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