月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第二部】東の国アル・ハダール

73 帝都での日々【オアシスの聖廟編】




「えっ、遠乗りに? サイードさんと?」
「ああ、行かないか?」
「も、もちろん行きたい!」

 サイードさんからの思いがけない誘いに、思わず一も二もなく飛びついてしまった。するとサイードさんも少し目を細めて「では明日は一日空けておいてくれ」と言って先に朝食を切り上げると、いつものように騎兵団の訓練のために部屋を出て行った。
 僕は嬉しくて種なしパンクマージュを手に持ったまま思わず「どこへ行くんだろう?」とか「天気いいかな?」とかあれこれ考えてしまう。うわ、すごい楽しみだ。


     ◇   ◇   ◇


 僕がアル・ハダールの帝都イスマーンへ着いてから一か月近くが経った。その間ずっとカハル皇帝が用意してくれた、綺麗な庭の見える宮殿の奥の部屋で生活をしている。
 毎日の日課もほぼ決まっていて、朝はサイードさんがいれば一緒に朝食を食べる。そしてサイードさんは騎兵団の仕事に行って、泊りがけで視察やなんかに行かない限りは夜にここに戻って来てくれる。
 僕は朝食の後は動きやすい服に着替えて外に行く。そして馬に乗ったり宮殿の裏手なんかの邪魔にならないところでヤハルに相手をしてもらって身体を鍛えたりしている。

 そう、サイードさんの部下で一緒にアジャール山へも登ったヤハルが第三騎兵団から異動して僕付きの主騎になった。
 神殿にいた時のように四六時中サイードさんが僕と一緒にいるわけにはいかないし、かといって『慈雨の神子』である僕を一人にしておくのはやっぱりよくないらしい。それで抜擢されたのがヤハルだった。

 僕としては騎士の花形でもある騎兵団から僕なんかのお守り役に回されたら不満じゃなかな? って心配だったんだけど、ヤハルは『神子殿をお守りするのはとても大事な役目であるし、それに自分が選ばれたのはとても光栄だ』と言ってくれた。
 多分僕に気を遣ってそういってくれてる部分はあるとは思う。でも後で宰相さんから聞いたところでは、ヤハルは元々帝国貴族の次男坊でなかなか育ちがいいらしい。でも次男だから家督を継ぐことはないので騎兵団に所属していたんだけど、先日長男であるお兄さんが亡くなってしまったらしい。
 それで将来的にヤハルが跡を継ぐことになったので、遠征が多く異民族と戦って命を落とす危険の高い騎兵団を辞めて帝都の中で王族を警護する近衛隊に入るよう、当主であるお父さんからの指示があったんだそうだ。
 それを聞いてサイードさんと宰相さんが手を回してヤハルを僕の近衛につけてくれたらしい。

 ヤハルのお兄さんのことは残念だし、そのせいでサイードさんに憧れてるヤハルが騎兵団を辞めなくちゃいけなくなってしまったのは気の毒だけど、でも気心の知れてるヤハルがついていてくれることになって僕は正直すごくホッとした。

 それもあって毎日午前中はヤハルと一緒に乗馬の練習をしたり剣の練習相手になって貰っている。といってもまだまだままごとレベルの訓練だけど。

 そして午後は宮殿内の図書館に通って勉強をしている。
 宰補のアドリーさんが先生役の人を手配してくれた。こちらの学校を首席で卒業したというアドリーさんの師父だったというおじいさんだ。なんとなく雰囲気があの神殿長さんに似ている。
 その人にこの世界の地理や歴史、それに身分制度のことや街の暮らしのことなんかを広く教えて貰っている。

 どうやら『慈雨の神子』としてしなければならない仕事というのはないらしい。
 三代前の神子はイスタリア国内をあちこち移動しながら水の足りないところで奇跡を起こしたりしたこともあったみたいだけど、そういうことは平和で敵が少なかったからこそできたことらしい。
 今のアル・ハダールには異民族が度々侵入してきて小競り合いを起こすので、あまり遠出はしない方がいいと言われた。

 そういうわけで結構暇な僕とは逆に、サイードさんは毎日とても忙しくしている。
 自らが率いる第三騎兵団の団員たちの練兵を監督したり、詰所を回って自分の留守中の話に耳を傾けつつトラブルに対処したり、国境の駐屯先から戻ってきた兵たちから周辺の状況を聞き取ったりしているらしい。そしてその合間を縫って馬房に行っては自分が集め育てている馬たちの様子を見たりしている。
 僕も何度かついていって訓練を見学させて貰ったこともあった。

 神子の選定の儀式のためにしばらく国を離れていたせいなのか、最近状況が良くないのか、サイードさん自身も騎兵団を連れて何日も掛けて国境の方へ行ったりもしている。
 それでも忙しい中、度々僕の部屋に来てくれて、夕飯をとったり朝まで一緒にいてくれて本当に感謝しかない。

「あの、街に家があるって聞いたんですけど、そっちには戻らなくていいんですか?」

 ある日勇気を出して聞いてみたら、どうやらそっちの家は騎兵団団長としての体裁を整えるためにもカハル皇帝より下賜されたけれど、実際はいちいち城下に降りるのが面倒でずっと宮殿内に貰った私室で生活していたらしい。
 確かに朝から晩まで動いてるし、万が一の時は夜中だろうが出陣することもあるらしいからなぁ……。
 でも職場に住んでるみたいなその状況で果たしてちゃんと休みは取れてるんだろうか、とちょっと心配だ。

 でもそれとは別に、サイードさんの話を聞いて僕はものすごくホッとした。というのも、もしかしてサイードさんには国に戻れば奥さんとか、そういう女の人がいるんじゃないか、ってちょっとだけ心配していたからだ。
 だって地位もあって顔もよくて親切で頼りがいあって優しくて、って、もうまさに完璧が服を着て歩いてるようなサイードさんに付き合ってる女の人がいないはずないじゃん? お嫁さんになりたい人なんて行列ができるくらいいそうじゃん?
 でも街の家に全然帰ってないんじゃ奥さんなんているわけないね。
 我ながら遠まわしに聞く辺り女々しいというか情けないけど、メンタル弱ってる時にとどめを刺されたら立ち直れる自信がまったくないからな……。

 それはともかく、休みがないといえばダルガートもそうだ。
 とにかくカハル皇帝が活発な人で、帝都に戻ったばかりの頃は宮殿内の執務室で溜まった決裁に追われていたらしいけど、今は毎日のように視察と称して領土内のあちこちに行っているらしい。
 カハル皇帝の筆頭近衛であるダルガートは当然その全部についていくので、彼ともなかなか会えないでいる。
 でもたまに帝都に戻っている時は僕が寝てるところにやって来て隣で寝て、僕が目を覚ます前にまたいなくなっているらしい。そうウルドに教えて貰った。
 僕だってたまには顔が見たいから来たら起こして、ってサイードさんに頼んでそう伝えて貰ってるはずなのにそうしてくれないのは親切なのか意地悪なのか、判断に迷うところだ。

 とにかく、そんな感じで僕とサイードさんとダルガートは未だにゆっくり三人で会えていない。サイードさんとはかろうじて顔を合わせているけどダルガートは全然だ。
 思えばエルミランの聖廟やアダンを倒した後の一夜は、すごく大変だったししんどかったけど、でも三人だけになれたすごく貴重な時間だったんだなあ、と懐かしく思う。

 そうやってちょっと寂しく思ってたから、さっきサイードさんが僕を遠乗りに誘ってくれてものすごく嬉しかった。どこへ行くのかとか全然聞いてないけど、そういうのは全部サイードさんに任せておけば間違いないだろう。
 ダルガートに会えないのは残念だけど、サイードさんと久々にゆっくり話ができそうでワクワクしている。

 そこでハッと我に返って僕は隣に座って給仕をしてくれているウルドに聞いた。

「遠乗りってことは馬だよね。何か持ってく物とかあるのかな」

 するとウルドはいかにも頼りになるお兄さん、って感じの顔を綻ばせて「すべてご用意いたします。どうぞお任せ下さい」と言った。
 実際何がいるのかはまるで判らず仕舞いだがものすごい安心感だ……。なので申し訳ないけど僕は全部ウルドにお任せしてしまって、その日一日はふわふわと浮かれた気分で過ごしてしまった。
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