月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第二部】東の国アル・ハダール

74 屋台の朝ごはん

「おはよう。今日もよろしく」

 僕がそう言って首を撫でると、馬はそれに答えるように鼻を鳴らした。
 その馬は帝都イスマーンまでの旅の途中、僕を乗せてきてくれたあの大きな黒い馬だ。まだまだ不慣れな僕のあやふやな手綱さばきに惑わされずにきちんと走ってくれて、賊に襲われた時はただしがみついていることしかできなかった僕を乗せて逃げのびてくれた賢くて度胸のある馬だ。
 前の世界で見覚えのあるサラブレッドと比べると足が太くて胴回りもすごい。
 すぐに鼻面を押し付けてきたりイタズラを仕掛けてくるヤハルの馬と違っていつもどっしりと構えていて顔も怖い。余りのド迫力に密かに黒王号と呼んでるんだけど、今もそれを思い出して小さく噴き出してしまった。

「いかがなさいましたか? 神子様」

 不思議そうにウルドが聞いてくる。

「あ、ごめん。なんでもない」

 こういう時は一緒になって笑える相手がいないことがちょっと残念に思う。僕の兄ちゃんはスポーツ万能のいわゆる陽キャってやつで僕とは正反対みたいなやつだったけど、同じ親の本棚見て成長してきたわけだから、もしも今ここにいたら一緒にこの大きな黒い馬を見て笑えたはずなんだよな。
 ふとそう思ったらちょっと心臓がズキッとした。いかんいかん、今日は楽しいことだけ考えよう。

 顔を上げるとサイードさんが鹿毛の立派な馬を連れてやってきた。そしてウルドから受け取った荷物を僕の馬にくくりつけてくれる。
 日よけのシュマグもちゃんと頭に巻いて「いってらっしゃいませ」って頭を下げるウルドに手を振って僕はサイードさんと一緒に宮殿の厩から外に出た。

 宮殿のある丘を降って街に出る。今はまだかなり朝早い時間で、開いているのは朝食を売る屋台ぐらいなものだ。
 今日はえらく早くに起こされて着替えてすぐに出てきたので、実はまだ朝ごはんを食べていない。一体どうするのかと思ってたんだけど、街の大通りの両脇にずらりと並ぶ屋台を見てあっ、もしかして! って思った。すると案の定、サイードさんが途中の大きな隊商宿の前で馬を降りて僕の馬と一緒に預けると「朝食は外で食べよう」って言ってくれた。やった!

「すごい、いろんな店があるんですね」

 思わず目移りしてあちこち見てしまう。
 以前、ダーヒル神殿領の市場スークに行ったことがあるけれど、あの時は途中で果物をちょっと食べたくらいで食事はしなかった。
 こっちの世界では屋台料理が豊富で、特に独身者や旅の人たち、そして忙しい商店の人なんかは三食屋台で済ますことも全然珍しくないらしい。

「わー、何食べようかな」

 僕が興奮していると、サイードさんが横から一つ一つ説明してくれた。

「あれは薄く焼いた種なしパンクマージュに肉や野菜を挟んだやつだ。あっちはミートパイファティールの店で向こうは薄焼きピザサラッハピラフファグルーもある」
「どれも美味しそうですね」

 結局、気になるものを片っ端から買っていって屋台の間に置かれたベンチに座って食べた。

「あ、これ美味しい」

 薄いクマージュを揚げた中にいろんな具が詰まっているのをハフハフと食べる。それから中国のちまきみたいに葉っぱで包まれたピラフファグルーも食べた。

「これ、こっちに来る途中に寄った国境の村でご馳走になったやつですよね。あそこは瓜を入れるのが珍しいとか言ってた」

 僕が言うとサイードさんは串焼きの肉を食べながら教えてくれる。

「そうだな。イスマーンでは鶏肉か羊肉と野菜が入っているのが多い」
「なるほど」

 地方によって具が違うって言ってたのは本当だったな、と思いながらバクバク食べていると、突然すっごく大きい男の人がどかっと隣に座って死ぬほどビックリした。

「あ、すみま……」

 日本人のサガで反射的に「すみません」って言って横にずれようとした時、目が合ったその顔を見て思わずベンチを蹴倒す勢いで立ち上がってしまった。

「ダ、ダルガート!?」

 するとダルガートは例の口角だけを上げるシニカルな笑みを見せて僕の膝から転げ落ちそうになったリンゴをキャッチした。

「神子殿にはお変わりなく」
「お、お変わりなくじゃないよ! ビックリした! あっ! っていうか僕、何度も夜に部屋に来るなら起こしてって言ったよね!? なんでいっつもいつの間にか来てそのままいなくなってんの!? ちょっとコラ、返事しろって!」

 って驚き半分照れ隠し半分で、ついあれこれ言ってしまう。そんな僕を相変わらず何考えてるかわかんない顔で見ると、腰から抜いたナイフで僕のリンゴを半分に割った。

「これは運のいい」
「え、なに?」

 ダルガートの呟きに僕がつい気になって覗き込むと、リンゴの中心が蜜の色で濃くなっている。

「あ、蜜だ。しかも星の形してる」
「いかにも」

 そう言ってダルガートが割ったリンゴを両方僕に渡してくれた。

「…………ありがとう」

 完全に誤魔化された気分でガシガシそれを齧っていると、サイードさんが珍しくくつくつと笑って言った。

「カイがダルガートにも会いたいと言っていたからな。なんとか都合をつけて貰ったんだ」
「え、じゃあもしかしてダルガートも一緒に行けるの……?」

 半分疑いながらそう聞くと、ダルガートは少し目を細めて頷いた。

「え、うわ、やった!」

 わー! すごい、三人だけで出掛けるとか初めてじゃないか? めちゃくちゃ嬉しい!
 思わず口から飛び出た言葉のあまりの子どもっぽさに、自分でも恥ずかしくなって一気にテンションが元に戻ってしまった。
 例によってすぐにカッと血が上って熱くなる顔をシュマグの裾で隠すと、左右からサイードさんとダルガートの低い笑い声が聞こえてくる。

 ……多分、今完全に『二人の保護者の間で縮こまってる子ども』みたいな図になってるよな……僕……。

 普通の人より遥かに体格のいい二人に挟まれて余計に小さくひ弱に見えているだろう自分を想像して、なんだか恥ずかしい以上に腹が立ってくる。
 僕だって今、毎日走ったりヤハルに相手して貰って木剣と棒術を練習してるんだ。二年三年経った頃にはきっともうちょっと逞しくなってるに違いない。
 そう自分を励ましてから、僕は残りのリンゴを一気に食べてしまった。


 それから隊商宿で預かって貰ってた馬を連れてきて『ほら、サイードさんがダルガートに似てるって!』と言った時、ダルガートはなんとも形容しがたい、ものすごく微妙な顔をしてサイードさんを見た。
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