月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第二部】東の国アル・ハダール

閑話 ダルガートの仕事

 深夜、精魂尽き果てた神子がぐっすりと眠り込んだのを確認すると、ダルガートは身体を清めてやってから隣の続き部屋へと戻った。そしてそちらの扉から廊下に出る。
 しばらく歩いてから振り向くと、案の定中央神殿の神官として同行しているアスールが立っていた。

「どちらへ行かれるのですか、このような夜更けに」

 アスールが尋ねる。その目にはとても神官という職には似つかわしくない鋭さが見え隠れしていた。

 アスールは今回の神子の神殿行きに際して宰相のサルジュリークが遣わした男だ。
 ダルガートやヤハルたち帝国の騎士は神殿とは直接的な繋がりはなく、神官と騎士とでどちらの地位が高いのかも曖昧だ。万が一、東の神殿が神子に対して無礼な態度をとったり、逆に強硬手段に出ようとした時の防波堤として、宰相は中央神殿の上級神官であるアスールを同行させたと聞いている。
 確かにこの神殿で微妙な立ち位置にある神子のためにいち早く部屋を用意させたり細やかに立ち回っているが、結局はアスールは宰相が寄越した彼の手駒の一つだ。本当に神官かどうかさえも怪しい。
 とはいえ、使えるものは何でも使うのがダルガートのやり方だ。
 険のある目つきでこちらを見ているアスール神官に、ダルガートは答えた。

「国境だ。今一つ、確かめねばならぬことがある」

 するとアスールがわずかに目を見開いた。

「廊下への扉にはヤハルを立たせてある。続き部屋の前にはダーリクを。神子殿はすでにお休みだ。お側の守りを頼む」

 ダルガートがそう言うとアスールは一瞬驚いた顔をしたが、何かを考えてから頷いた。
 足早に戻っていくアスールを見送ることもなく、ダルガートはすぐに踵を返して裏口から外に出る。
 この神殿に着いてすぐに密かに確かめて回った時と同じく、夜でさえもこの神殿にはろくに警備の者も人の目もない。帝都であれほど熱狂的に求めていた神子がここにいるというのに、幾度も外敵に襲われている辺境の地とは思えないほどの手薄さだった。

 先のジャハール王の頃より近衛騎士を勤めているダルガートは、こうした屋内で主を守るということに長けている。だからこそこの神殿には外と繋がる出入口が意外と少なく、さらに神殿のそこここを行き来する者たちの足さばきを見ればとても剣や槍や武器としてのナイフを扱える技量がある者は一人としていないことにすぐに気が付いた。
 それゆえ、神子の守りは早々にヤハルと隠れて護衛に当たるもう一人に任せて、ダルガートは素早く秘密裡に神殿領内を動き回った。

 ここへ来る途中の道すがら、ヤハルに求められてダルガートは何度か彼と打ち合いをした。アジャール山での経験から思うところがあったのか、その時よりかなりの鍛錬を積んでいるのがよくわかる動きだった。
 そのヤハルが今、神子の部屋を守っている。それにあのアスール神官も、ダルガートより最も神子に近い場所の守りを任されたことで一層強い使命感をもって護衛に当たることだろう。
 彼が神官であろうがなかろうが、あの宰相が寄越したということは頭も腕も秀でた男であることは間違いない。そうダルガートは確信していた。

 ダルガートはあらかじめ裏手に回しておいた黒馬の手綱を取り、神殿を出てさらに東へと向かう。
 しばらく走ると見えてきたのは石造りの国境の壁だ。まるで天を衝くような巨大な壁を実際に自分の目で見たのは、これが初めてだった。
 国境にはいつの時代に誰が作ったのかもわからぬ巨大な壁があることは何かの折にダルガートも聞いて知っていた。けれどこれまで仕えた二人の王のどちらも国境を見たいと言い出したことがなく、それゆえダルガートも実際にここまで来たことはない。

 古く、強固な石壁を見上げながらふと、神子がこれを見たらなんと言うだろうか、と考える。
 以前、ダルガートが一足先にダーヒル神殿領を出発する時に、神子とサイードとダルガートとで神殿の上から砂漠を眺めたことがある。その時神子は景色よりも神殿の外壁や屋根の形を見たり触ったりしながら『これは建てられて何年くらい経つんだろう』とか『僕、昔から自然物よりも人間が作った物の方に感動する性質なんだよねぇ。日本最古の仏像とか黒部ダムとか竪穴式住居跡とかってすごいロマン感じない?』というようなことを話していた。
 その中にはダルガートが知らぬ言葉がいくつも出てきていたが、それでも神子がこれまで人が営んできた歴史や成り立ちに興味があるということぐらいは理解できた。
 ならばきっと『いつからここにあるのか誰も知らぬ』と言われるこの国境の壁を見たら面白いと思うのではないだろうか。そう考えた時、ふとあの好奇心の塊のような皇帝ハリファが一度も国境を見に行こうとしたことがないのが不思議に思えた。
 だがダルガートとて今まで一度も国境のことなど考えたこともない。今も神子を思い出さなければこんな疑問を抱くことさえなかっただろう。

 何か引っかかるものを感じながらも、ダルガートはもう一つしなければならない仕事を片付けるために馬首を返した。 
 今宵、幸い空には真円に近い月があり、元々夜目も利く。しかしダルガートの目には、皇帝ハリファよりの支援金を得て雇われた、常に国境を警備するための領兵は影も形も見えず、国境の壁を越えて異民族が入って来られるような場所も見つからなかった。

 それからダルガートは領主の館へと向かう。そこにも警備の兵はほとんどおらず、辺りは静まり返っていた。

(これでは領主が我らを館へ招きたがらぬのも当然か)

 ダルガートはそう納得する。
 あたりの村々は確かに家畜の数も少なくさびれてはいたが、荒らされた家などはなく、蛮族に襲われた形跡などどこにもない。
 そして度重なる東夷の襲来を伏せぐための領兵を雇うのに金が要る、という名目で少なくない国費を得ているにも拘らずその領兵がほとんど見当たらないのが明白な証拠であった。

(公費横領か)

 恐らく領主はダルガートが皇帝ハリファカハル直属の主騎であると知っていたのだろう。だからこそ敵の襲来があれば手助けする、という本来なら願ってもないはずの申し出を慌てて退け、それ以上の追及を避けるようにその場を逃げ出した。
 それだけでもこの地の領主がダルガートにとっては取るに足らぬ小者であることが容易に知れる。

(後の厄介は神殿の者たちか)

 あの神官は帝都を出てからずっと大人しくしているが、あの日帝都で衛兵やあの宰相にまで食って掛かってきた彼らの狂信的な目をダルガートははっきりと覚えていた。
 ダルガートは見るべきものを全て頭に収めると、再び神殿へと戻る。そして神子の部屋に入り、続き部屋への扉の前に控えていたアスールがすぐに立ち上がって鋭くダルガートを見るのに一瞥をくれた。

「領主は国境防衛のために得た国費を館に溜め込んでいる。そう宰相殿へ報告せよ」

 小声でそう言うと、アスールはじっとダルガートを見据えた後、音もなく神子の部屋から出て行った。
 これで領主の方の問題は早急に解決されるだろう。
 ダルガートは足音を殺して寝台に寄り、神子の寝顔を覗き込む。そして自分は神殿の外を見下ろす窓の前に椅子を置き、そこに座って夜を明かした。
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