月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第二部】東の国アル・ハダール

94 半月刀と香油【西の辺境編】


 この国でよく使われている武器の一つに半月刀シャムシールというのがある。緩やかなカーブの半月型の片刃の剣で、まっすぐな剣と比べて『突く』という戦い方が出来ない代わりに重心の差を利用した『斬る』威力に特化している。
 特に騎馬で戦うために作られた剣で、湾曲した刃を振り下ろして斬りつけることで直刀以上の破壊力を発揮できるのだ。

「さあ、神子殿!」
「ぐ…………ッ!!」

 ガキン! と音がしてヤハルが僕の剣を受け止める。

「もっとです! もっと早く! もっと体重を乗せて!」

 跳ね返された剣に掛かる重さを剣を逸らすことでなんとか逃がし、その間に体勢を立て直してもう一度斬りかかった。

「その調子です、神子殿!」

 決して止まらず足を前に前に出して、ヤハルの構える剣めがけて振り下ろす。受け止められても逸らされても決して手は緩めない。流された剣先をそのまま遠心力を利用して持ち上げ、再び振り下ろす。
 シャムシールは片手剣だけれど日本刀と比べると刃が厚くてかなり重い。二、三キロはありそうだ。その重さと刃の鋭さで敵を叩き斬るシャムシールを使いこなすのに必要なのは技量よりも腕力とスタミナだろう。
 帝都イスマーンに来てから毎日鍛えてはいるけれど、正直僕の筋力も体力もまだまだだ。それなのに、ついこの間までサイードさん率いる第三騎兵団の騎士だったヤハルとここまで戦えているのには訳がある。

 この間、東の神殿へ行って以来、とにかく調子がいい。力がみなぎっているような感じがする。多分、神殿にあったあのジャイロスコープに似た謎の球体のせいじゃないだろうか。
 いくつも異なる角度で重なり合った輪を動かして、そこに刻まれた記号のようなものをピッタリ合わせた時に、何かが何かにぴったりと繋がったような感覚を覚えた。
 その瞬間、突然透明になった球体から神殿正面のバルコニーを抜けてまっすぐに飛び出した光の意味は今でもわからない。
 でも東の辺境から帝都に向かって逃げ出した時、僕の中でも何かがカチッと上手く嵌ったのを実感した。
 あれ以来、僕の中でどんどんエネルギーが湧いてくるような感覚がずっと続いている。

「神子殿! もうお終いですか!?」
「まだまだ……っ!」

 ハッ、ハッ、と同じリズムで呼吸を刻んで前に出る。上段はヤハルの耳の辺り、中段は脇腹、下段は脛を狙って勢いよくシャムシールで薙ぎ払う。
 その時、ガン! と一層大きな音とともに打ち返された剣の勢いをうまく受け損ねて、剣先を地面に落としてしまった。

「くそ……っ!」

 思わず舌打ちをすると、ヤハルが額の汗を拭って言う。

「いいえ、ひと月前と比べれば長足の進歩にございます。神子殿」
「そういうヤハルだって前より強くなってるよね」

 すると僕の代わりに乾いた地面にめり込んだシャムシールを抜きながらヤハルが笑った。

「旅の途中、ダルガート殿に鍛えられましたゆえ」
「あー、そういえばそうだったね」

 東の辺境への行き帰りにヤハルが休憩や野営の度にダルガートに打ち合いを挑んでいたのを思い出す。

「以前、皇帝ハリファカハルはダルガート殿を評して『あれほどのシャムシールの使い手はなかなかおらぬ。あれがいなければ我が首はとっくに蛮族どもかハゲワシの餌になっていただろう』とおっしゃっておいででございました」
「へえ、そうなんだ」
「はい。それ以来ぜひ一度太刀筋など見せて頂きたく思っておりましたが、ダルガート殿は皇帝ハリファの筆頭近衛騎士、我ら騎兵団と顔を合わせる機会はなかなかありませぬが、先だっての神子殿の辺境行きで思いがけずその機会を得られた次第でございます」
「そうか……同じ騎士でも帝都の外の治安を守ったり他国の兵と戦う騎兵団と、帝都と宮殿内を警護する近衛部隊は一緒に訓練とかしないもんなんだね」
「左様にございます」

 ヤハルが頷いてから合図をすると、すかさず傍に控えていた従士が水を持ってきてくれた。

「神子殿も、剣に立ち向かうことへの恐れがだいぶ薄らいできたように見受けられます。それがまず始めの第一歩でございますよ」
「うーん、そうだね」

 もちろん、今だって生身でぶつかっていくのは怖いに決まっている。でも、平和だった日本と違ってこの世界では、こっちがぐずぐずしている間に相手は殺しに掛かって来るのだ。それはダーヒル神殿領から帝都イスマーンまでの旅の途中、盗賊に襲われてサイードさんの馬を失った時に肌で感じたことだった。
 その時、サイードさんの名が浮かんだついでにヤハルに尋ねる。

「ヤハル。その後サイードさんたちのことで何かわかった?」
「いいえ、西の辺境からは十日前の報告より後は何も」
「そう……」

 僕たちが東の神殿へ行くよりも前からサイードさんは第三騎兵団の精鋭を引き連れて、異民族との小競り合いが多いという西の方へ行っている。彼らが帝都を出発してからもう三か月が経とうとしているのに、月に一度報告の兵が来るのみで一向に戻ってくる気配はなかった。

 僕はどうしてもサイードさんの近況が知りたくて、ヤハルに頼んで第三騎兵団まで度々様子を聞きに行ってもらったり、宰相さんに尋ねたりしている。
 向こうではアル・ハダールの領地に侵入しては家畜や牧草、水を盗もうとする異民族を追い払ったり、西の辺境に散らばる街や村と連携して国境の守りを固めたりしているらしい。

 アル・ハダールの西、及び北方は第三騎兵団の管轄だとかで、兵団を四つに分けて半年ごとに交代で駐屯しているらしい。
 騎兵団の長であるサイードさんは有事の際に備えて帝都に残っていることが多いそうだけど、ここしばらく神子の召喚に備えてアル・ハダールを離れていたから代わりに今回は前線まで様子見がてら行っているのだ。
 大事な任務なんだからあれこれ余計な口出しが出来ないのはわかっているけれど、やっぱり無事に帰ってきて欲しいし早く顔が見たいなぁと思う。
 今頃サイードさんはどうしてるかな、と考えながらヤハルから受け取った水をごくごく飲んでいると、突然上から野太い声が振ってきた。

「おう。東の神殿から帰ってきてから随分と心持ちが変わったようだな、神子さんよ」

 そう言ったのは声がデカくて身体もデカい、豪快な虎髭の将軍カーディム様だ。カハル皇帝とは義兄弟の契りを交わした仲だそうだけど、こうしてやたらと気軽に従士や騎士たちの訓練場に現れてはよく発破をかけてくる。

「あー、そうかもしれないですね」
「まあ、剣の腕前を鍛えるのはいいことだ! もっと精進するがいい!」

 ドン、と背中を叩かれて思わず吹っ飛びそうになった。ヤハルが慌てて僕を支えて声を上げる。

「カ、カーディム将軍……! 神子殿は小柄なお方ゆえ……」
「おう、そうであったのう! もっと食ってもっと大きくならねばならんぞ、神子さんよ!」
「…………善処します」

 果たしてこの年からでも身体って大きくできるもんなんだろうか?


     ◇   ◇   ◇


 「お疲れ様でございました、神子様」

 部屋に戻るとすぐに近従のウルドが出迎えてくれた。そのまま部屋に備え付けられた蒸し風呂ハマームに直行して汗を流す。
 僕も数か月ここで暮らすうちに、ウルドにあれこれ世話を焼いてもらうことにすっかり慣れてしまった。というのも人に頭洗って貰ったり背中擦って貰ったり、結構無茶な訓練でビキビキしてる身体をマッサージして貰うのがあまりにも気持ちが良かったからだ。
 人間、贅沢に慣れるのはあっという間なんだな。恐ろしい限りだ。

 この日も少しざらざらした布で全身こすってもらって水を被って、それから布を何枚も重ねたタイル張りの台に寝転がって疲労に強張る身体をほぐしてもらう。それからいい匂いのする香油を全身に塗ってもらうのだ。
 こっちは大陸のど真ん中だけあってかなり空気が乾燥しているから、常に香油などで皮膚を保護した方がいいらしい。お陰で今の僕は自分でも驚くくらいつやつやのピカピカで、おまけにしっとりすべすべだ。
 ちなみに今日ウルドが選んだのはさわやかな柑橘類に似た香りのものだった。

 この世界ではハマームで焚く香や肌や髪に塗る香油、衣類に焚き染めるお香など、いろんな場面でいろんな匂いを楽しむものらしい。
 香りも本当に様々で、僕が気に入っているのはレモングラスみたいなスッキリした匂いや今日の柑橘っぽい香り、初めてこの世界で嗅いだラヴァンドラなどだ。
 どの香りを選ぶかはその時の気分や、あとTPOもあるらしい。そこらへんは全然わからないので全部ウルドにお任せ状態だ。
 ちなみに帝都に着いた最初の晩にダルガートと再会した時、ウルドがやたらと濃厚で重い香りの香油を選んだ理由はなんとなく怖くて聞いていない。


「神子様、お着替えを」

 ウルドに声を掛けられて身体を起こし、服を着せてもらう。
 こっちでの僕の普段着は上三つくらいボタンのついた丸首のシャツとズボンとブーツだ。その上から前で合わせる膝丈ぐらいの上着を羽織って腰帯を結ぶ。
 あまり華美な服装に慣れていない僕はこういうごくシンプルな形の服にしてもらっているけれど、肌ざわりはすごくいいしよく見ると所々に細かく刺繍がしてあってかなり手がかかっているのがわかる。

 手首には柔らかな革のバンドのような物を巻いて、その上から銀細工の細い腕輪や色とりどりのビーズみたいなのを繋げた紐をぐるぐる巻いて結ぶ。
 本当は僕のような身分の人は耳飾りを付けるのが正式なんだそうだけど、耳たぶに穴をあけるのが怖くてそれはやっていない。
 というか『僕のような身分』ってなんなんだろう。神殿関係者ってことかと思ったけど、東の神殿の上級神官であるナルド神官や、同行してくれた帝都の中央神殿の人だというアスール神官だってそんな耳に飾りなんて付けていなかった。
 じゃあ単に位が高い人っていう意味かと思ったけど、宰相さんも皇帝陛下もその義兄弟の将軍たちだってつけてないし、サイードさんもダルガートの耳にももちろん何もない。
 一体どういう意味なの? ってウルドに尋ねたら、なぜか少し困ったような顔をしたので聞くのを辞めた。またいつか誰かに聞いてみよう。

 着替えが終わったら昼ご飯を食べてお茶を飲んで、それからもう一度身支度を整える。今日はこれから宰相さんに会うのだ。
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