月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第二部】東の国アル・ハダール

96 ダルガートの教え

 それから数日後にヤハルとともに中央神殿へ行き、神殿がやはり真南ではなくもっと西よりの方角を向いていることをこの目で確認してきた。
 祈りの間と呼ばれる場所の最上段にはやっぱり不思議な半透明の球体があって、その中に東の神殿で見たのと同じ不思議な記号の刻まれた金属らしき輪が組み合わさったものがあった。ここでは記号のようなものはピッタリ合っていて、どこにもおかしなところは見受けられなかった。
 ちなみにここでも神殿の人たちは、先日ともに東の辺境へ行ったアスール神官も含めて皆「そこへ上がれるのは神子のみだ」と言って誰もその球体を見ようとはせず、神殿を建てる時の方角についても詳しい話は何一つ聞き出せなかった。

 結局疑問は何一つ解決せず、もやもやした気分のまま帝都に戻った僕の日常はそれからも全然変わらなかった。
 朝起きて鐘の合図とともに見よう見まねで太陽神ラハルに祈りを捧げ、日々の糧に感謝の言葉を唱えて朝食をとる。
 午前中は身体を鍛えて剣の腕を磨き、午後は図書室で本を読み漁る。
 その間も東の神殿であの奇妙な球体を見て以来僕の内側から滾々と湧いてくるような力は少しも衰える気配はなかった。お陰で訳の分からない高揚感とサイードさんの不在に塞ぐ気持ちとが混ざり合って、ひどく落ち着かない気分を味わい続けてる。

 昨日、ヤハルが第三騎兵団の詰所でサイードさんとともに西へ行った一団からの報告を聞いてきてくれた。
 小さな小競り合いはあれども大きな騒乱はなく、ただ北西から流れるイコンという川の橋が何者かによって落とされた形跡があり、堤も一部荒らされていたとか。
 通常ならその領地の領主が人手を募って修復するものらしいけど、その辺りは渇水と寒さとでアル・ハダール内でも最も過酷で貧しい土地柄らしく、余力がないんだそうだ。
 そういう時は騎士団の人たちがその土地の住人や遊牧民たちの手を借りながら直したりするらしい。
 サイードさんの戻りが遅い理由がそんなのばかりならいいんだけど、やっぱり落ち着かない。



     ◇   ◇   ◇


 夜、どうにも寝つけなくて寝台から起き上がると、剣を持って中庭に出た。
 僕が使わせて貰ってる部屋はカハル皇帝の宮殿のかなり奥にあって、綺麗に整えられた庭に出ることができる。
 これまでも日中に出て花を眺めたり池に泳ぐ魚を見たりしたことはあったけど、夜に出るのは初めてだ。
 空には丸い月が浮かんでいて、それだけ見ているとここがまったくの異世界だなんて嘘じゃないかと思ってしまう。

 僕は軽く肩や足首を回すと、遠心力で持ち上げた剣先をピタリ、と止めてまっすぐに前を見据えた。
 初めは軽く腕だけを回す。そして今度は移動しながら段々力を込めて、剣を振り上げては見えない敵に向かって一気に斬りかかる。

 もっと。もっと強く。もっと前へ。ただ無心に、ひたすら闇と一緒にこの不安や苛立ちを振り払うように。

「く……っ!」

 随分長いこと剣を振り回していたけれどやっぱり心は晴れず、ついに疲れて剣を取り落としてしまった。

「いてて……」

 やっぱり力任せに振るってるだけじゃ駄目だ。すぐにスタミナ切れるし腕も肩も痛くなってしまう。その時、ふと人の気配がして振り向くと、部屋へ入る扉のところに腕を組んで立っている大きな人影があった。

「……ダルガート」

 カハル陛下の護衛の任務が終わって緩やかな服に着替えたダルガートが、扉の木枠にもたれて僕を見ていた。力任せの無様な剣捌きを見られてしまったことに少々バツが悪くなる。思わず俯くと、ダルガートが来て僕の後ろに立った。

「肩の力を抜いて、剣の重さを上手く利用することを覚えられよ」
「重さを……?」
「左様」

 そう言うと、剣を握る僕の手を取って円を描くように半月刀シャムシールを振り上げる。

「肩と肘を起点に、力を剣先へ流すように」
「……んっ」

 そして剣の重さに体重を乗せるように勢いよく振り下ろした。たったそれだけでぶおん、と風を切る音が夜の闇に響く。それからダルガートは僕の腰を押して絶えず前に後ろに位置を変えさせながら、まるで鞭のようにしなやかに曲刀を振るい続けた。
 僕はひたすらダルガートに操られるようにシャムシールで闇を斬り裂く。ハッ、ハッ、と呼吸は荒く早くなっていくけれどそのリズムは一定で狂いがなく、どんどん身体が軽くなっていくような錯覚さえ覚えた。
 そうか、これが剣に体重を乗せるってことなのか。
 まっすぐな直刀と違って刀身がカーブしている半月刀は、振り下ろす威力が増す代わりに刃を返す時がとても重い。でもダルガートの言う通り意識して円を描くように、勢いと遠心力を利用して方向を変えると驚くほど速く勢いよく次の攻撃に移ることができるんだ。しかも身体に掛かる負担も少なく、その分長く剣を振るえる。

「お分かりか」
「……うん、なんとなくだけど」

 ハアハアと息の上がった肩にダルガートの手が乗せられた。そして剣ごと僕の手を持ち上げてまっすぐに剣を伸ばす。

「刀身の曲がり具合はそれぞれ違う。どのくらいの力で振り下ろすとどのくらいの速さで刀身のどの部分が届くのかを覚えるとよろしかろう」
「わかった」

 月明かりに眞金の切っ先が美しく光る。一瞬それに見蕩れているとダルガートが僕の手から剣を取って部屋へと促した。
 ウルドが灯してくれたらしい燭台の揺れる火が暗い部屋に影を作る。そのままダルガートに手を取られて蒸し風呂ハマームへ行き、汗に濡れた服を脱いだ。
 いつも控えているはずのウルドの姿はなぜか部屋にもハマームにもなくて、汗を拭くのも夜着に着替えるのも全部ダルガートがやってくれる。

 傲岸不遜という言葉がぴったりくるような強面で無表情なダルガートだけど、こういう時は見た目にそぐわぬ甲斐甲斐しさで僕の世話をしてくれる。
 例えばエルミランの山頂にある聖廟でサイードさんと二人で僕を着替えさせた時や、山から下りて神殿に戻った時に慣れない山歩きで疲労困憊していた僕の身体を洗って強張る筋肉をほぐしてくれたりした時もそうだった。それに東の神殿へ行った時もウルドの代わりに荷造りや身支度を手伝ってくれたなぁ、と思い出す。

「神子よ、お手を」
「うん」

 ダルガートに促されて腕を持ち上げる。すると彼は夜着の細くてすべすべした紐を僕の腰に二、三度巻きつけた。僕は自分の前に跪いて紐を結ぶダルガートの大きな身体を見下ろして、しみじみと思う。
 赤面症がコンプレックスで人付き合いを避けてきた僕が、まさかこんな堂々とした強くて確固たる地位もある大人の男の人に傅かれてここまで大事にしてもらえるなんて、未だに信じられない気持ちになる。
 思わずぼーっとダルガートを見つめていると、彼が顔を上げて目が合った。途端に気恥ずかしくなって視線を外す。そして誤魔化すように靴を探すと、それより早くダルガートが僕を抱き上げて寝台へと連れて行った。

「ありがとう」

 そう言うとダルガートがちら、と視線を寄越す。
 ダルガートはサイードさん以上に自分から話をすることは少ない。でもその沈黙は全然苦痛じゃないのが不思議に思える。
 昔の僕だったら誰かとずっと黙って顔を突き合わせているなんてあまりに落ち着かなくて、無理にあれこれ話そうとして後で後悔するパターンだっただろうからな。

 いつの間にか寝台の横の台にお茶が乗せられていた。僕たちがハマームにいる間にウルドが用意してくれたんだろうか。
 そういえばこうやって夜にごくごくたまにダルガートやサイードさんと二人きりになった時、ウルドはすっと姿を消してしまうのに、こんな風にいつの間にかお茶とか灯りとかが用意されていてびっくりする。
 ダルガートが刺繍の施された大きなクッションを引き寄せた。それにもたれて一息つくとすかさずお茶を手渡される。そして嬉しいことにダルガート自身も僕の隣に腰を下ろした。
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