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【第二部】東の国アル・ハダール
98 カハル皇帝の思いつき
「え、西の辺境ですか……?」
翌日、同じように宰相さんに呼び出された僕も、ヤハルに付き添われてカハル皇帝の元を訪れた。
通された部屋には他に陛下の義兄弟のサファル将軍とカーディム将軍、そして宰相さんが集まっていて、陛下の後ろにはいつものように筆頭近衛騎士としてダルガートが槍を携えて立っている。
任務中だからなのか、僕とは目を合わせようともせず微動だにしない彼に半分は納得しつつも、半分は少し残念に思いながらカハル皇帝に向き直った。するとカハル皇帝がなぜかニヤリと笑って言う。
「左様。サイードたちが駐屯兵に合流してから三月ほどが経つ。現地では大きな戦闘はないようだが、イコン河の修復に時間が掛かっておるそうだ」
「川の修復?」
思わず問い返すと宰相さんが教えてくれた。
今サイードさんたちがいる場所は街から遠く離れた辺境の地で、エルミラン山脈から続くイコン河のある辺りらしい。そこでは長年の渇水が祟って堤がひどく荒れていて、今後水量が順調に回復した場合に崩れた川岸から水が溢れて近くの牧草地に大きな被害が出ると予想されていたのを、サイードさんたちの部隊が指揮して直しているんだそうだ。
「騎兵団ってそういう仕事もあるんですね」
そういえばヤハルが前にそんな話をしていたな、と思い出して思わず呟く。すると宰相さんが眉を顰めて言った。
「通常ならばその土地の領主が人を使って修復させるものですが、あの辺りは渇水と寒さと度重なる異民族の襲来でアル・ハダール内でも最も過酷で貧しい土地柄なのでございます。ゆえに領民も少なく、工事に回せる余力がないのが現状でして……」
比較的気候が安定していて豊かな東と南の境界はその土地の領主と領兵が守っているが、冬の寒さと乾燥が特に厳しい西と北は国直属の騎兵団が交代で駐屯しているらしい。そういう場所では騎兵団の人たちは国境の警備だけでなく、その土地の住人や遊牧民たちの手を借りながら色々な災害や問題に対応しているのだそうだ。
「北のイコン河はアル・ハダールの南を流れるアルハン大河に続いて大きな川で、アル・ハダール北西部の生命線でございます。乾期の間もわずかに残った水と牧草目当てに遊牧民たちが密集して水争いも多発し、またそのせいで北方の異民族の標的になることも多く土地は荒れる一方でございました」
宰相さんが地図を広げて説明してくれる。
部屋の片側の見台に掛けられた大きな地図は以前にはなかったものだ。もしかしたらこの間宰相さんと話をしたのがきっかけでここに置かれたのかもしれない、と少し嬉しく思う。
そして宰相さんはアル・ハダールの北西のあたりを指差して言った。
「ところが神子殿が儀式にて召喚なされて以来水量が戻りつつあるとの報告が入り、国内の北西部を管轄する第三騎兵団の長であるサイード殿が帰還したのを機に、一気にイコン河の護岸の修復を進めているところでございます」
「そうだったんですか……」
だったらなかなかサイードさんが帝都に戻ってこれないのも朧気ながら理解できた。
異民族の侵入や厳しい気候など、アル・ハダールは三国の中でも最も厳しい土地柄だとダーヒル神殿の神殿長さんからも聞いている。先代の神子が亡くなってからの二十年間は特に大変だっただろう。
以前、神殿長さんが言っていた言葉が頭に浮かぶ。
――――西のイスタリアと南のエイレケには海がある。もちろん海の水を真水にする業はないが、それでも東のアル・ハダールよりははるかにマシじゃ
――――アル・ハダールはこの神殿領より東にあり、さらには極東の夷狄に囲まれておる国。慈雨の恵みに最も乏しく、また常に蛮族たちによる侵攻の危機に晒されておる。東の国が神子を勝ち得たのは今回が初めてのはず。昨日のハリファ・カハル陛下の喜びようも無理のないことじゃて。
そんなアル・ハダールでも最も過酷な場所でサイードさんは頑張ってるんだ。そう思うと何も知らずにただ『早く会いたい』なんて思っていた自分が恥ずかしくなる。
「現地からは月に二度報告が届き、危急の際には伝信が届くことになっております」
と、宰相さんが言う。伝信ってのはこの間ダルガートから聞いた伝書鳩みたいなやつのことだ。
今のところ特筆すべき事件や事故は起こっていないらしいけど、月に二度の報告じゃあ全部が全部向こうのことが分かるはずもない。
するとカハル皇帝も同じことを思っていたのか、突然パン! と両手を叩いて行った。
「だがそれだけでは現地のことは何もわからぬ。だからこそ儂がひと駆け辺境へ行ってこようと言っておるのだ!」
「えっ!?」
と思わず声を上げたのは僕だけだった。
他の人たちはすでにこのことを知っていたのか、まるで動じていない。それどころか義兄弟のサファル将軍とカーディム将軍は「そりゃあいい考えだ」みたいな顔をしているし、宰相さんは恐ろしく冷え冷えとした笑みを浮かべていて、そして陛下の後ろのダルガートはまったくの無表情だった。
「昨夜から何度も申し上げておりますが、そう軽々しく一国の王がただ思いつきで行動するは愚の骨頂。兵をすぐにでも向かわせ詳しい報告をさせまするゆえ、陛下には今しばらくご自重願わしく」
「だが下手の考え休むに似たりと言うだろう!」
「急いては事を仕損ずるとも申します」
カハル皇帝と宰相さんの間にバチバチと見えない火花が飛んでいる。そして二人の会話から、昨晩ダルガートが呼び出されたのはこの件についてだったのか、と察しがついた。
確かに宰相さんが言う通り、一国の王がそう簡単にそんな危ない辺境へフラフラ出歩いちゃいけないのはわかる。でもただじっと待ってられない気持ちも痛いほどわかるんだよなぁ……。
すると虎髭のカーディム将軍がいつもの銅鑼声で言った。
「よい考えではないか。幸い先の神子さんの活躍で東の辺境には二兄の第二騎兵団が配備されて東夷どもにも目を光らせているし、儂の治める南もアルハン大河に水が戻って蛮族たちもそう簡単にはこちらへ渡ってはこれぬ。帝都は儂らと宰相殿が睨みを聞かせておるゆえ、長兄はひとっ走り西へ行きサイードに発破をかけてこられるとよろしかろう!」
いつもどっしりと構えた大人の風格溢れるサファル将軍も立派な髭を撫でながら頷いている。うーむ、二人揃って基本脳筋なんだな……やっぱり……。
カハル皇帝の思いつきにすっかりノッてしまっている義兄弟を尻目に宰相さんとダルガートを見ると……二人とも恐ろしく冷え冷えとした顔と死ぬほどの無表情のままだった。仲悪いっていうけど結構似てないか? この二人。
それにしてもカハル皇帝のこういう発言はいかにもこの人らしいな、と思う。
元奴隷騎士からのたたき上げというだけあって、いつでも型破りで僕のような若造にもすごく気さくに肩を叩いて話し掛けてくれるし、いくら悲願の『慈雨の神子』を得るためとはいえ自ら神殿まで来てしまう破天荒さだ。しかも思い立ったら単身馬を駆ってあちこち行ってしまう行動派で、精鋭の護衛騎士たちでも追いつけないくらいの乗り手でもあるらしい。
一国の君主としては結構めちゃくちゃなのかもしれないけれど、この人にはそれをやってのける実力と胆力と、そして周りを納得させてねじ伏せられる確かな実績がある。
カハル皇帝の義兄弟である将軍たちは、多分ずっと昔からそれを目の当たりにしていて、だから陛下に全幅の信頼を置いているし、反対もしないんだろう。
やりたいこと、思いついたことをさらりとやってのけれる実力があるということはこういうことなんだ。ずっとサイードさんのことが心配で、でも自分からは何もできずにがむしゃらに剣を振るうしかなかった僕にはそれがとても羨ましい。と思ったその時だった。
「というわけで、だ。神子殿!」
「へっ?」
な、何? 突然の流れ弾に思わずビクッとすると、カハル皇帝は満面の笑みを浮かべて言った。
「お主もともに行こうかのう!」
この時の僕の咄嗟の判断は我ながら近来稀に見る出色の出来だったに違いない。
「はいっ! 喜んで!」
すかさずカハル皇帝の尻馬に乗ってサイードさんの近くまで行く権利を分捕った僕を宰相さんが「えっ?」という顔で見る。ちなみにダルガートは相変わらず目を合わさず顔色一つ変えていなかった。
翌日、同じように宰相さんに呼び出された僕も、ヤハルに付き添われてカハル皇帝の元を訪れた。
通された部屋には他に陛下の義兄弟のサファル将軍とカーディム将軍、そして宰相さんが集まっていて、陛下の後ろにはいつものように筆頭近衛騎士としてダルガートが槍を携えて立っている。
任務中だからなのか、僕とは目を合わせようともせず微動だにしない彼に半分は納得しつつも、半分は少し残念に思いながらカハル皇帝に向き直った。するとカハル皇帝がなぜかニヤリと笑って言う。
「左様。サイードたちが駐屯兵に合流してから三月ほどが経つ。現地では大きな戦闘はないようだが、イコン河の修復に時間が掛かっておるそうだ」
「川の修復?」
思わず問い返すと宰相さんが教えてくれた。
今サイードさんたちがいる場所は街から遠く離れた辺境の地で、エルミラン山脈から続くイコン河のある辺りらしい。そこでは長年の渇水が祟って堤がひどく荒れていて、今後水量が順調に回復した場合に崩れた川岸から水が溢れて近くの牧草地に大きな被害が出ると予想されていたのを、サイードさんたちの部隊が指揮して直しているんだそうだ。
「騎兵団ってそういう仕事もあるんですね」
そういえばヤハルが前にそんな話をしていたな、と思い出して思わず呟く。すると宰相さんが眉を顰めて言った。
「通常ならばその土地の領主が人を使って修復させるものですが、あの辺りは渇水と寒さと度重なる異民族の襲来でアル・ハダール内でも最も過酷で貧しい土地柄なのでございます。ゆえに領民も少なく、工事に回せる余力がないのが現状でして……」
比較的気候が安定していて豊かな東と南の境界はその土地の領主と領兵が守っているが、冬の寒さと乾燥が特に厳しい西と北は国直属の騎兵団が交代で駐屯しているらしい。そういう場所では騎兵団の人たちは国境の警備だけでなく、その土地の住人や遊牧民たちの手を借りながら色々な災害や問題に対応しているのだそうだ。
「北のイコン河はアル・ハダールの南を流れるアルハン大河に続いて大きな川で、アル・ハダール北西部の生命線でございます。乾期の間もわずかに残った水と牧草目当てに遊牧民たちが密集して水争いも多発し、またそのせいで北方の異民族の標的になることも多く土地は荒れる一方でございました」
宰相さんが地図を広げて説明してくれる。
部屋の片側の見台に掛けられた大きな地図は以前にはなかったものだ。もしかしたらこの間宰相さんと話をしたのがきっかけでここに置かれたのかもしれない、と少し嬉しく思う。
そして宰相さんはアル・ハダールの北西のあたりを指差して言った。
「ところが神子殿が儀式にて召喚なされて以来水量が戻りつつあるとの報告が入り、国内の北西部を管轄する第三騎兵団の長であるサイード殿が帰還したのを機に、一気にイコン河の護岸の修復を進めているところでございます」
「そうだったんですか……」
だったらなかなかサイードさんが帝都に戻ってこれないのも朧気ながら理解できた。
異民族の侵入や厳しい気候など、アル・ハダールは三国の中でも最も厳しい土地柄だとダーヒル神殿の神殿長さんからも聞いている。先代の神子が亡くなってからの二十年間は特に大変だっただろう。
以前、神殿長さんが言っていた言葉が頭に浮かぶ。
――――西のイスタリアと南のエイレケには海がある。もちろん海の水を真水にする業はないが、それでも東のアル・ハダールよりははるかにマシじゃ
――――アル・ハダールはこの神殿領より東にあり、さらには極東の夷狄に囲まれておる国。慈雨の恵みに最も乏しく、また常に蛮族たちによる侵攻の危機に晒されておる。東の国が神子を勝ち得たのは今回が初めてのはず。昨日のハリファ・カハル陛下の喜びようも無理のないことじゃて。
そんなアル・ハダールでも最も過酷な場所でサイードさんは頑張ってるんだ。そう思うと何も知らずにただ『早く会いたい』なんて思っていた自分が恥ずかしくなる。
「現地からは月に二度報告が届き、危急の際には伝信が届くことになっております」
と、宰相さんが言う。伝信ってのはこの間ダルガートから聞いた伝書鳩みたいなやつのことだ。
今のところ特筆すべき事件や事故は起こっていないらしいけど、月に二度の報告じゃあ全部が全部向こうのことが分かるはずもない。
するとカハル皇帝も同じことを思っていたのか、突然パン! と両手を叩いて行った。
「だがそれだけでは現地のことは何もわからぬ。だからこそ儂がひと駆け辺境へ行ってこようと言っておるのだ!」
「えっ!?」
と思わず声を上げたのは僕だけだった。
他の人たちはすでにこのことを知っていたのか、まるで動じていない。それどころか義兄弟のサファル将軍とカーディム将軍は「そりゃあいい考えだ」みたいな顔をしているし、宰相さんは恐ろしく冷え冷えとした笑みを浮かべていて、そして陛下の後ろのダルガートはまったくの無表情だった。
「昨夜から何度も申し上げておりますが、そう軽々しく一国の王がただ思いつきで行動するは愚の骨頂。兵をすぐにでも向かわせ詳しい報告をさせまするゆえ、陛下には今しばらくご自重願わしく」
「だが下手の考え休むに似たりと言うだろう!」
「急いては事を仕損ずるとも申します」
カハル皇帝と宰相さんの間にバチバチと見えない火花が飛んでいる。そして二人の会話から、昨晩ダルガートが呼び出されたのはこの件についてだったのか、と察しがついた。
確かに宰相さんが言う通り、一国の王がそう簡単にそんな危ない辺境へフラフラ出歩いちゃいけないのはわかる。でもただじっと待ってられない気持ちも痛いほどわかるんだよなぁ……。
すると虎髭のカーディム将軍がいつもの銅鑼声で言った。
「よい考えではないか。幸い先の神子さんの活躍で東の辺境には二兄の第二騎兵団が配備されて東夷どもにも目を光らせているし、儂の治める南もアルハン大河に水が戻って蛮族たちもそう簡単にはこちらへ渡ってはこれぬ。帝都は儂らと宰相殿が睨みを聞かせておるゆえ、長兄はひとっ走り西へ行きサイードに発破をかけてこられるとよろしかろう!」
いつもどっしりと構えた大人の風格溢れるサファル将軍も立派な髭を撫でながら頷いている。うーむ、二人揃って基本脳筋なんだな……やっぱり……。
カハル皇帝の思いつきにすっかりノッてしまっている義兄弟を尻目に宰相さんとダルガートを見ると……二人とも恐ろしく冷え冷えとした顔と死ぬほどの無表情のままだった。仲悪いっていうけど結構似てないか? この二人。
それにしてもカハル皇帝のこういう発言はいかにもこの人らしいな、と思う。
元奴隷騎士からのたたき上げというだけあって、いつでも型破りで僕のような若造にもすごく気さくに肩を叩いて話し掛けてくれるし、いくら悲願の『慈雨の神子』を得るためとはいえ自ら神殿まで来てしまう破天荒さだ。しかも思い立ったら単身馬を駆ってあちこち行ってしまう行動派で、精鋭の護衛騎士たちでも追いつけないくらいの乗り手でもあるらしい。
一国の君主としては結構めちゃくちゃなのかもしれないけれど、この人にはそれをやってのける実力と胆力と、そして周りを納得させてねじ伏せられる確かな実績がある。
カハル皇帝の義兄弟である将軍たちは、多分ずっと昔からそれを目の当たりにしていて、だから陛下に全幅の信頼を置いているし、反対もしないんだろう。
やりたいこと、思いついたことをさらりとやってのけれる実力があるということはこういうことなんだ。ずっとサイードさんのことが心配で、でも自分からは何もできずにがむしゃらに剣を振るうしかなかった僕にはそれがとても羨ましい。と思ったその時だった。
「というわけで、だ。神子殿!」
「へっ?」
な、何? 突然の流れ弾に思わずビクッとすると、カハル皇帝は満面の笑みを浮かべて言った。
「お主もともに行こうかのう!」
この時の僕の咄嗟の判断は我ながら近来稀に見る出色の出来だったに違いない。
「はいっ! 喜んで!」
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