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【第二部】東の国アル・ハダール
99 旅の支度
「…………つまり、神子殿はあくまで現場には出ず、安全な街で例の神殿修行を行ってくる、と。そういうことでございますか」
「どうだ、それなら文句なかろうて」
冷え冷えとした宰相さんの声にカハル皇帝が満足げに頷いている。僕はうっかり失言でもしてこの天から降ってきたようなチャンスをふいにせぬよう、ひたすら黙って畏まっていた。
「何も大勢で仰々しく行こうというのではない。儂がちょっと向こうの様子を見てくる間、神子殿はシャルラガンの神殿におればよい。そなたたちも言っておっただろう? 一度神殿の仕事とやらをよくよく観察して、その上で神子殿の身の振り方を考えたい、とな」
「確かにそうですが……」
まだ渋い顔をしている宰相さんを、カハル皇帝がふと真顔で見た。
「……これも先日そなたと話していたことだ。我らはこれまで重要なはずの国境と辺境の地にあまりにも無関心すぎた、とな」
そう言われて宰相さんが目を見開く。そして何かを考え込んだかと思うと、一つ頷いて答えた。
「では期限をふた月に。それまでには必ずお戻りくださりますよう」
「うむ。留守の間はそなたと二弟に任せる。差配頼むぞ」
「御意」
そう言って宰相さんはものすごく綺麗なお辞儀をすると、黒絹の衣を翻して部屋から出て行った。多分急いでいろんな手配をするんだろう。
そして……これは僕も結局行っていいことになったのかな? 僕が恐る恐るカハル皇帝の顔を見るとニカッ、と笑われた。そして虎髭のカーディム将軍には「良かったなぁ! これでサイードに会いにゆけるぞ、おい!」と勢いよく背中を叩かれる。全部お見通しってわけですね。恥ずかしい……。
するとサファル将軍が「それで長兄、供はいかがなされるのか」と聞いた。
「先程も言ったが大事にするつもりはない。ダルガートのみでよかろう」
「いやいや義兄上。さすがにそれは手薄が過ぎるだろう。もう二、三人いれば何かあった時に早馬で寄越すこともできようが」
「そうだのう、しかし儂やダルガートについて来れる者か……」
と思案し始めたカハル皇帝に思わず青褪める。いや、あの、僕も一緒に行くのであまり馬鹿みたいに速く行かれるとちょっと困ってしまうんですが……。
後ろで控えていたヤハルも同じことを思ったのか、少々顔色が悪い。するとこんな時に頼りになるのはやっぱりダルガートだった。
近衛部隊の中で誰が最も騎乗に優れているか、いっそ騎兵団から誰かを派遣するかで盛り上がっているカハル皇帝とカーディム将軍をよそに、ダルガートがサファル将軍に視線を向ける。するとすぐにそれに気づいたサファル将軍が二人を遮り、僕の護衛も含めた上での適切な人選をするよう言ってくれた。
お陰で片道十五日間の、比較的穏当らしい日程が組まれることになった。良かった。
◇ ◇ ◇
それからはもう大変な一日だった。
思い立ったら吉日、今にも帝都を飛び出して行きそうなカハル皇帝に合わせて僕も大急ぎで出立の準備をしなければいけないのだ。なのに誰に何をどう指示したらいいのかまるでわからない。
とりあえず急いで部屋に戻ると驚くウルドに「ごめん! また辺境に出掛けることになったから大急ぎで荷造りして貰えるかな!?」と聞いた。
「畏まりましてございます」
そんなこと突然言われても困るだろうに、ウルドは顔色一つ変えずにそう言って頭を下げた。本当に僕には過ぎた近従さんだよ……。
「ええと、確か二か月で行って帰ってくるって言ってた。旅程は片道十五日だって。あと僕が滞在するのはシャ……シャルなんとかの街の神殿で、そこで神殿の普段の仕事とかいろいろ勉強してくる予定だよ」
すると扉の外の護衛の人と引継ぎを終えたヤハルが部屋に入ってきて僕の拙い説明を補足してくれる。
「シャルラガンはアル・ハダールの北西に位置するかなり大きな街にございます。サイード様たちはそこから馬で四、五日ほど北へ行った村を拠点にイコン河の辺りにおられるとか」
「そこへ陛下が視察に行っている間、僕はええと、シャルラガンの神殿で留守番しつつ神殿修行をするってことだね」
「恐らくはそうなるかと」
するとウルドが少し考えてから言った。
「では行き帰りの旅着と街で過ごすための服、あとは神殿でお過ごしになる際の神官服と領主様などに招かれた際の貴服をご用意いたします」
そこでふと眉を曇らせる。
「前回は近従は付けず、とのことでございましたが、今回は陛下の御遠征のお供であれば陛下の近従とともにわたくしも同行させて頂けるのでございましょうか。街着はともかく神官服と貴服は着付けなどのお支度のこともございますし……」
「あー、そうだよね。皇帝陛下ともあろう人が傍仕えの一人も連れずに遠出はしないよね。だったら僕も……」
と言いかけたところ、ヤハルがものすごく微妙な顔をして僕を見た。
「…………まさか、カハル皇帝ってお供も連れずに泊りがけの遠出とかされる人なの?」
「……何分、身分にも形式にもこだわらず、その上ご自身も相当な剣の遣い手であられますゆえ……」
「そういえばさっきも、初めはお供はダルガート一人でいいなんて言ってたね……」
「左様にございますね……」
え、でも皇帝陛下だよ? 本人が強いから護衛はダルガートだけでいいっていう意味であって、身の回りの世話とかはまた別の話なんじゃないの?
するとウルドが心配そうな顔で言った。
「他の近従から聞いたことでございますが、陛下とダルガート様含む数名の近衛兵はダーヒル神殿領から帝都までわずか十日あまりで駆けられたとか……」
「と、十日!?」
いくら安全な道を選んでゆっくり進んだとはいえ、僕たちは四十日掛かった距離を!?
「……それだけ速く馬を駆れる人でしかも体裁にはこだわらないとなると、もしかしたら本当に傍仕えは連れずに行かれるかもしれないね……」
「そうなるとこちらもあまり遅れをとるわけにはいかず、騎乗できぬ近従を連れて行くには……」
そう言ってヤハルがウルドを見た。確かウルドは身分の問題で馬には乗れないのだ。
「でもウルドがいなくて着れるような服なの?」
「それは……ではあまり凝った服は持っていかぬように……?」
「しかしシャルラガンの神殿はなかなかの規模と聞き及んでおりまする。それに領主様のご招待などあった時に平服ではさすがに……」
思わず三人でうーん、と唸っていると、扉が開いて誰かが入って来た。
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