月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第二部】東の国アル・ハダール

103 スフィア Ⅱ

 日が暮れてから灯りを持ち、ひと気のない聖堂に向かった。
 日中は神殿の人やお祈りに来た街の人たちでいっぱいの聖堂も夜はしんと静まり返っている。
 僕は聖壇を登って例の大きな球体を覗き込んだ。やっぱり、ここにも今まで見たのと同じ、半透明の不思議な球体の中に複雑に重なり合う輪っかがあった。
 どうだろう。ここのはピッタリ合っているのかな。灯りを下に置いて覗き込むと、ぽおっ、と中がほのかに明るくなった。こんなこと今まであったっけ?

 もっとよく見ようとべったり張りついて、掛けた体重を慎重に移動させる。なんとなく、もう少し、そう、ほんのちょっとだけ……と思った瞬間、いつかのように突然何かがあるべき場所に戻ったような感覚を覚えた。
 本当になんだろう、この感覚は。例えていうなら微妙にずれていたパズルのピースがぴったりはまったような。もしくはずれていたダイヤルロックがカチリ、と合わさったような。途切れていたシナプスが繋がって複雑なネットワークを形作るニューロンが一度に動き出すような。
 この不思議な感覚に浸りたくて、大きな球体に身体を預けて目を閉じる。

 大陸のあちこちにある神殿の、丸い、綺麗な半透明の不思議なスフィア。
 複雑に重なり合う銀色の輪と、そこに刻まれた目印。
 『鍵』が合えばスフィアは目覚め、動き出す。

 一つ、また一つと僕の中で繋がっていく何か。

 そう、このままこれ・・を放置してはいけない。このスフィアは、**は繋がっていたけれどまだ**はされていなくて、だからせっかくの*****がきちんと**せずに止まったままだったから、だから僕が。

 よくわからない言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。これは誰の声?
 僕は知ってる。知ってるはず。だってこれは、ここは、僕の――――

「神子様!」

 突然呼ばれて、ハッと意識を引き戻された。
 聖壇の下を見るとヤハルが心配そうにこちらを見上げていた。
 そうか、そうだよね。一人で部屋を抜け出したつもりでもヤハルに気づかれないわけがない。多分今まで黙って隠れて見守ってくれていたんだ。

「大丈夫。なんでもないよ」

 そう返して急いで聖壇を降りる。

「神子様、何かございましたか? このような夜更けに」
「え? ええと……」

 あれ、なんだっけ。何しに来たんだっけ。

「あ、そうそう。この丸いの、あちこちの神殿にあるから一応見て回ってるんだ」
「左様にございますか」

 でもなんでこんな夜中に? と言わんばかりの顔をしていたけれど、ヤハルはそれ以上聞いては来なかった。


     ◇   ◇   ◇


 結局、次の日からは神殿長さんに頼んで礼拝者たちの相手をする役目からは外して貰った。さすがに気持ちも表情筋も限界だったからだ。
 だって毎日自分の力不足を思い知らされてばかりいるのに、まるで神様みたいに周りから感謝され、崇められる居たたまれなさはとても言葉では表現できない。その代わり泊めて貰っている分を返すつもりで裏方仕事を頑張った。
 そして神殿の裏でこっそり帝都での日課だった鍛錬も復活させた。ヤハルも身体が鈍って仕方がないと言っていたから、その分たっぷり相手をして貰えて一石二鳥だ。

 その間も早くサイードさんとダルガートに会いたい気持ちは募る一方で、けれど安全な街で待つという宰相さんとの約束を思い出してはため息をつく毎日だった。
 そんな時、思いがけない誘いがなんとあの矍鑠たる領主様から入った。

「えっ、イコン河へ行かれるんですか?」
「うむ、なんとか今年の租税カタールの目途がようやくついて儂もようやく手が空いたでのう! ましてや陛下がこちらにおいでだというのにじっとはしておれん」

 すでに七十は越えていそうな小柄な領主様だが、その眼光は鋭く動きもキビキビとしていて威勢がいい。
 初めてこの街に来てお目に掛かった時もカハル皇帝ととても仲が良さそうだったが、この人も同じくらい型破りなご老人のようだった。
 ピンと背筋を伸ばして威勢よく話す領主様に感心しながら相槌をうっていると、領主様がさらに思いがけないことを言ってきた。

「そこでじゃ、神子殿もイコン河へ行かれたいとか。儂が御守りするゆえ、ともに参ろうぞ!」
「えっ!?」

 そりゃ嬉しいけど大丈夫なの!? と思わず言葉に詰まると、同席していた神殿長さんが笑って言った。

「我らが領主ラムナガル様は王朝交代の大戦おおいくさの折、わずか五十騎で要塞都市アグラムを落とされたほどの豪の方。安心して同行されるがよろしかろう」
「そ、そうなんですか。すごいですね」
 
 王朝交代の大戦ということは、つまり領主様とカハル皇帝は先のジャハール王を倒した同志ってわけか。なるほど納得しかない。すると隣でヤハルが驚いたように拳を胸に当て、礼を取った。

「どうしたの?」
「は……ッ、ラムナガル様といえば槍の名手として名高く、かつて北の猛虎と呼ばれた天下無双の豪傑であられます」
「なんの、その虎もすでに老いた。すでに名ばかりのものよ」

 やけにキリリとした顔で姿勢を正したヤハルに領主様が髭をしごいて豪快に笑う。いやいや、絶対本心じゃないですよねそれ……。ただ立っているだけなのに、少し剣を齧っただけの僕でもわかる隙のなさだ。
 すると領主様がちらり、と僕を見て言う。

「聞けば神子殿はイコン河の氾濫を防ごうと尽力しておる騎兵団の団長を案じてこのような辺鄙なところまで馬で駆けつけられたとか。それにも関わらずこのシャルラガンの神殿に留まり、熱心に民の声に耳を傾けご奉仕下さっておるとも聞いておる。頑張った子には褒美も必要じゃろうて。のう、イルファーンよ」
「確かに」

 と神殿長さんが頷く。
 完全にお子様扱いだけど、先日の神殿長さんに諭された時と同じく嫌な気持ちは全然しない。それどころか万歳三唱したい気分だ。

「イコン河まではここより三、四日の道のりじゃ。儂が責任をもって団長殿のところへお連れしようぞ」
「あ、ありがとうございます……!」

 飛び上がって喜びたいのを堪えてそう叫ぶと、神殿長さんが「良かったな」とばかりに頷いているのに気づいてとてつもなく恥ずかしくなった。
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