月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第三部】西の国イスタリア

116 サイードの過去

「神子よ、あれがイスタリアの王都カナーンでございます」

 そう言ってアドリーが指さした先には色鮮やかな美しい宮殿とその周りを取り巻く大きな街が、そしてその向こうに今まさに沈まんとする夕日を浴びて赤く輝く水平線があった。海洋貿易が盛んでイシュマール大陸でも最も豊かであると言われる西の王国は確かに遠目に見ても大きくて栄えているように見える。
 今から行っても街を囲む城壁の閉門には間に合わない。ここで最後の野営をするため、皆が馬を降り支度をし始めた。僕も一緒に途中で拾い集めてきた薪や水を馬から下ろす。

 ふと気づくとサイードさんがいなかった。僕に何も言わずにどこかに行ってしまうなんて普段ならありえないことだ。夕飯の支度が一段落したのを確認してから辺りを探してみると、イスタリアの女王とレティシア王女へ届ける荷を積んだ馬車の向こうの砂丘の縁にサイードさんが馬と一緒に立っているのが見えた。その後ろ姿にいつになく人を寄せ付けない空気を感じて気になる。後ろを振り向くとダルガートもサイードさんを見ていて、そして僕に向かってかすかに頷いた。
 僕はできるだけ普通にサイードさんの傍まで行って「カナーンってアル・ハダールとは全然雰囲気が違うみたいですね」と話しかけてみた。けれど答えがない。

「サイードさん?」

 もう一度名前を呼ぶとハッと我に返ったように瞬きをしてサイードさんが振り向いた。

「ああ……すまない、何か言ったか?」
「いえ、別に……」

 彼には珍しく心ここにあらずといった感じなのが心配になる。

「……あの、大丈夫ですか?」

 そう問いかけると、サイードさんはまたどこか遠くへと視線を戻した。

「……ずっと向こう、砂丘をいくつも超えたところに俺の生まれた故郷があるんだ」
「故郷?」

 サイードさんの突然の言葉に驚く。
 以前、僕たちがお互いの気持ちを告白しあった時に、彼がまだ十五、六だった頃に家族を亡くしたのだと話してくれたことがあった。「自分の力が足りないせいで彼らを守れなかった」と。それから初めて帝都へ向かう旅の途中で、昔サイードさんの家で羊や馬を飼っていた話も少しだけ聞かせてもらった。
 もしかして亡くなったという家族のことを考えているのだろうか。
 二度と会えない大事な家族。
 つい自分も両親や兄のことを考えてしまって胸がぎゅっとなる。僕はわざと明るい口調で声を掛けた。

「確か、山羊とか羊とか育ててたんですよね?」
「ああ、そうだ。俺たちダウレシュの一族は昔から馬とともに生き、山羊や羊を追って暮らしていた」

 僕はサイードさんが見ている方向に視線を向ける。それは今いる場所から真西にある王都カナーンよりももっと南の方角だった

「……サイードさんはイスタリアの出身だったんですね」

 だから僕がイスタリアへ行こうと言った時にあんな複雑そうな顔をしたのだろうか。ここへ来ればなくした家族のことを思い出してしまうから。

「ごめんなさい。もしかしてサイードさんはイスタリアに来たくなかった……?」

 ためらいながらもそう尋ねると、サイードさんはかすかに笑みを浮かべて首を振った。

「嫌だったわけではない。ただおのれの不甲斐なさが未だに悔やまれるだけだ」
「でも……!」

 一体何があったのかは知らないが、いくらサイードさんでも十代半ばで一族全員を守ろうなんてできるわけがない。そう言いかけた時、サイードさんがまた遠くを見ながら言った。

「……そうだな、聞いてくれるか。ずいぶんと昔の話だが」
「……サイードさんが辛くないなら」

 するとサイードさんは頷いて、また遠くへ視線を向けた。

「まだこのイシュマールの地が乾く前、ダウレシュの地には多くの民が馬や羊たちの群れを率いて暮らしていたという。だが俺が生まれた頃には水も草もごくわずかしか残っておらず、すっかり数を減らした馬や家畜たちと共に牧草を求めて転々としながら命を繋いでいた」

 砂漠を渡る風がサイードさんと僕の髪を揺らす。

「俺はダウレシュの族長の子で、幼い弟が一人と二人の妹がいた。だが俺が十六の年に水を求めて北上してきた南の氏族に襲われた。一族の男たちは全力で戦ったが天幕に火を掛けられ、皆殺された」

 それを聞いて頭から血の気が引きそうになった。

「そ、その時サイードさんは……?」
「俺は、腹に子がいた母と幼い弟妹たちに少しでも食べさせてやりたくて、一人遠くへ狩りに出ていてそこにはいなかった。お陰で俺だけが生き延びてしまった」

 いつになく皮肉げな笑みを口元に刻んだサイードさんの顔を見て思わずはらわたの奥が冷たくなる。けれど今の言葉でわかった。
 サイードさんは一族の中で自分だけが生き残ってしまったことをひどく負い目に感じている。夜うなされた時に苦しそうに誰かに謝っていたのは、皆を守るために戦えなかったことを申し訳ないと思っているからだ。

 けれどその時サイードさんが偶然狩りに行っていなければ、もしかしたら彼もそこで死んでしまっていたかもしれない。そうしたら当然僕は彼に出会えなかった。そう考えてすぐに、サイードさんのことより自分の都合を考えてしまう身勝手さに唇を噛む。
 サイードさんはまっすぐに前を見たまま、淡々と言葉を続けた。

「それから俺は一族の仇を追って砂漠を流離い続けた。焼け跡に残っていたやつらのナイフの鞘に刻まれた紋様からようやく正体を突き止めることができたが、その時にはもうイスタリアの警備兵に処刑された後だった」
「処刑?」
「ああ、王都御用達の商隊を襲った罪でな」

 その時、サイードさんの馬が寄ってきて甘えるように頬を擦り付けた。

「とは言え実際に断罪されるところを見たわけでもなく、その者たちが本当に俺の一族を殺した仇なのかも確かめようがない。結局少しも気持ちは晴れず、それまで一人生き延びてきた唯一の目的もなくなってしまった」

 そう言った彼の横顔を見て、胸が締め付けられる。
 初めて僕がここへ来た時よりも若い頃に、サイードさんはそんなにもつらい目にあったのだ。しかも仲間も慰め励ましてくれる人もおらず、たった一人で。思わずぎゅっと胸元を握りしめ唇を噛み締めていると、サイードさんがふっと笑みを浮かべて僕を見た。

「だが、その憂さを晴らすように砂漠に跋扈していた野盗や賊のたぐいを一人で殺し回っていた時にハリファと出会ったのだ。彼に拾われてアル・ハダールへ行き、そしてカイに出会えた。それはとても喜ばしいことだ」
「……そうだね」

 それからしばらく二人で黙って南の方角を見た。だんだんと日が暮れて夜の闇が迫ってくる。夕日の赤と夜の群青色が交じり合った空の下、どこまでも続く砂漠の向こうの景色を想像する。かつて豊かだった地に広がる生き物たちの群れ。青々と茂る草を食み、流れる小川の水を飲む馬や羊たちとそれを追う騎馬の民の姿を。

 僕たちは似ている、とふと思う。どちらも突然家族を奪われてもう二度と会うことはできない。そしてサイードさんの心の中では今でもその悲しい出来事に決着がついていなくて、傷も癒えないままなのだ。

 もしも三百年ほど前から始まったという渇水が起きなかったら、今でもサイードさんはこの砂漠の向こうの草原で家族仲良く暮らしていただろう。《慈雨の神子》を呼び出す必要もなくなり、僕はマンガや小説が詰め込まれた自分の部屋とどこかの大学の教室の片隅で地味に生きていたに違いない。けれどそうなると僕たちが出会うことも決してなかった。

 僕たちに起きた出来事を、喜んでいいのか悲しむべきなのかがわからない。
 僕はサイードさんの隣に立ってこつん、と彼の肩にこめかみをぶつけた。サイードさんが僕の肩をぎゅっと抱きよせる。そしてそんな僕たちをダルガートは少し離れた場所で黙って待っていてくれた。

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